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真如苑の涅槃会:(ねはんえ)

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涅槃会 概要 OutLine

はるか二千五百年の昔、大聖世尊が般涅槃し給うた日で、当苑においては、教主さまご謹刻の大涅槃像の尊前にて「涅槃会」が厳修され、仏恩報謝のまことをお捧げするとともに、涅槃神力を今の世に具さに現わされる双親さまに、真如一如と歩む誓いを新たにいたします。


涅槃会に思惟

 時報389

  今年も早、2月。この15日には、「涅槃会」が執行されます。真如教法発祥のときである今月に行う当法会には、教徒にとり、はかり知れない大きな意味がこめられています。ここに、その聖旨を新たにし、正しき精進の糧としてまいりたいと思います。

「2月15日」の意味


そもそも世にいう涅槃会とは、釈尊ご入滅の日に仏徳を讃え修める法要をさし、多く涅槃図などを掲げ、「釈尊最後のみ相」を偲びます。梵語で書かれた経典を用いる北方仏教、とりわけ中国や日本では、その日を2月15日と定め、今日、一般化しています。 教主さまは大般涅槃経獅子吼菩薩品より、ご入滅の日を定めた仏意の深き一節を引用、お示しくださいます。

――2月は陽春(周の暦によれば4月に相当)で、万物生成し河川は流れ……万有は無常にして、如来のみ常佳あることを説くために最も適している、また15日の月は成満で、如来の大涅槃も円満で欠くることはなく、かかる真実義を教示するため15日とした―。

つまり釈尊は真実ご入滅されたのではなく、この日をもって、永遠不滅の境地に入られたことがわかります。

私どもの拠り処とする大般涅槃経はまさにそのとき遺された教説であり、ならば未来永劫に生き、すべてを育むお徳をそなえ、満月のごとく無欠のさとりを明かされた経典であるとの真意がうなづけます。そこに秘む救いの威力は、たしかに当苑に顕われ、今日その現証をみることができます。

いかにしてその座に


右脇を下に、静かにおん目を開き、遺教のみことばを語られる……金色に輝く大尊像。教主さまのご謹刻に成るみ相を拝して、法要は営まれます。 そしてその場はいつしか時空をこえて、2500年帥の昔、沙羅双樹のもと、涅槃の法輪を転ぜられた(涅槃経をお説きくださった)尊き座につながっている自らに気づくのであります。

教主さまは「最後のみおしえ」に、世尊の諭される一句を用いて、その法会を荘厳するには、いかにあるべきかを、次のように説かれます。

『大乗の経典を誦え、その深い義に通じ、多くの衆生のため真実の行いを貫き、救いのため教えを説く者が資格者として』荘厳できるのだと。

したがって、かけがえのない究極の威神力に浴するならば、ただそこに立ち会うのではなく、この資格者たるべく自分を築くことが、最も大切と自覚されます。
ここに涅槃仏徒のめざすべき精進の道があるといえます。

般涅槃の由縁

 時報305

「二月十五日」は、はるか二千五百年の昔、大聖世尊が般涅槃し給うた日で、当苑においては、教主さまご謹刻の大涅槃像の尊前にて「涅槃会」が厳修され、仏恩報謝のまことをお捧げするとともに、涅槃神力を今の世に具さに現わされる双親さまに、真如一如と歩む誓いを新たにいたします。

今月、そうした月に当たれば、遠く古(いにしえ)に想いを運ばせて、涅槃(さとり)に繁がる一連の由縁を取り上げてみました。

二月一五日


さて、この“二月十五日”こそ、世尊があまねく救いの淵源、すなわち、「大般涅槃経」を現世に顕わむれた日で、二月という月も、十五日という日もいずれも深きみ仏のおはからいを以って選ばれた――と――「最後のみおしえ」に示されております。

つまり、インドの“二月”は陽春に相当して、「万物生成し、河川は流れ満ち、百獣哺乳の時季であり、衆生は常想を生じ易(やす)く」(師子吼菩薩品)、如来常住(にょらいじょうじゅう)の聖旨を証するに最も適し、さらに、“十五日”は「欠けることなき円満」な満月を暗示、至高の大涅槃を象徴する、意味深い月日であります。

クシナガラ


つぎに、世尊がご入滅された“クシサガラ”とは四十五年に及ぶ教化遊行(ゆぎょう)を了え、最後におもむかれた国にて、「諸仏聖者が行を修する聖処で、荘厳にして功徳大いなる地」であるとともに、「大集結していた邪教徒をも、常楽我浄の真法に摂受、帰依の信心を起こさせた」神秘溢れる清浄な勝地、まさに究極たるさとりの真法を遺されるにふさわしい様相が窺われます。

尼連禅河(にれんぜんが)

また、クシナガラの傍には多くの河(仏典には五百とも)が流れていましたが、“尼連禅河”はその一つで、「土壌は豊沃(ほうよく)にして、水清浄に流れ、河畔には樹木繁り、花あざやかに、果実は豊か」で、荘厳な気が漲っていたと、仏典は伝えております。
ちなみに、世尊が六年間にわたる苦行の末、成仏得道(とうどう)をなし給うたのも、この尼連禅河の辺(ほと)りの菩薩樹下において禅定に入られてのことであります。

沙羅双樹


はたして、すでに八十歳を数えられた世尊は、尼連禅河に沿う沙羅林に入られ、“沙羅双樹”の間に歩を進められ、頭を北に、ご尊顔を西に「右脇を下に寂(しず)かに横臥されました。世尊は、常に緑が茂り、果実が稔って「能く生類を喜ばせる」ゆえに、「声聞、縁覚を利益、向上せしめ、華を大我、実を真楽として、この沙羅林を大寂定(じゃくじょう)のところ」と、定められたのであります。

なお、おん臥床の四辺(東西南北)に立つ一双ずつ八本の沙羅樹も、み仏が世去り給う悲しみに、一本ずつが枯れて、その白色はあたかも鶴の林のようであったと、付されております。
やがて、天空よりみ仏の声が降(くだ)り、

『一切の生類、疑うところあれば悉(ことごと)く問うべし。これ最後の問に至らん』

と響けば、生きとし生けるもの全て、天神鬼神、魔王波旬、果てはあの世の聖者に至るまで馳せ参じ、嘆き悲しみ囲繞(いぎょう)申し上げるなかに、最後のご説法が展開されていくのであります。

『真如を燈しびとし、真如を頼りとせよ。他に頼ってはならぬ』と、諄々と諭し給うた究極の法輸、「大般涅槃経」を所依とする“真如み教え”を、求められる私共の取り組みも、いよいよ尊く感じられてまいりましょう。

涅槃会 2010

〈2010.02.15〉
2月15日は、大聖釈尊が45年間の説法を終えて般涅槃(はつねはん=入滅)された日と伝えられます。各仏教寺院では般涅槃の様子が描かれた涅槃図を掛け、釈尊が遺言として心と行いの規範を説いた「遺教経」(ゆいきょうぎょう・)などを読誦して法会が行われます。釈尊最後の教え「大般涅槃経」を所依の経典とする真如苑でも、釈尊のご高徳を讃える「涅槃会」の法要を苑主・伊藤真聰導師のもと応現院(東京都立川市)において厳修。“曼陀羅の間”には開祖の祖山、真言宗醍醐派総本山醍醐寺より奉納された涅槃図が荘厳されました。

法要では開祖謹刻の大涅槃尊像の尊前で、釈尊が在家信者の青年純陀から最後の供養を受けられたことが記されている「大般涅槃経・純陀品」を全員で唱和。参座者は釈尊より遺言の教えを今まさに拝聴する思いで約2500年の昔に思いを馳せました。

涅槃会 2009

〈2009.02.15〉
2月15日は大聖釈尊が般涅槃(はつねはん=入滅)された日とされ、各地の寺院では涅槃会が営まれます。釈尊入滅の際に説かれた最後の教説「大般涅槃経」を根本経典とする真如苑でも、応現院において涅槃会の法要が厳修されました。苑主・伊藤真聰の導師のもと釈尊の遺徳を讃える法要が行われ、釈尊入滅の姿を刻んだ、開祖謹刻の大涅槃尊像の尊前において「大般涅槃経・純陀品」を唱和しました。




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