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『顕より密に入り、正しく修行し、世のため人のため正しく道を貫くべし』これは昭和十一年二月四日、摂受心院さまが霊能を相承された折、双親さまに降された霊言である。
暗中模索し、ひたすら真理を求めつづけた双親さまに厳然とした仏意を伝え、まさに闇の中の灯のごとく、行くべき道を照らした、真如教えの根本霊言である。
冒頭に示されたこの一句から、言葉や文字に明らかに示された教義(顕)より、秘密にして荘厳なる宇宙の大生命(密)に帰入する道こそ、双親さまのめざす真理であったことが知れる。教主さまはその密なる教えの門戸を探り、さまざまな宗教の道を求め続けた後、悠久の歴史を秘めた真言密教に。
以来、醍醐の山中において、寸時も借しまず仏典をひもとき、同学の僧から感嘆の視線を受けつつ、厳行に明けくれ、励まれた日々、それは、この宇宙の本源たるみ仏から出だされる法流を相承するための道のりであり、尊いがゆえに、そこには一点の濁りも、妥協も許されはしなかった。
かくして、教主さまはまさに、血の一滴をもって真理を体得、真言の密なる教えのことごとくを相承され、出家道の奥を極めてゆかれたのである。
道ひとすじに立つまでは、何不自由ない恵まれたご生活を営みながらも、双親さまは、宗教専従こそ本来の道と、その一切を捨て切られたのであった。
霊言のままにすべてを“世のため人のため”、衣・食・住のいっさいを人々の救いに、修行に、わかち与えて、お体を休める間さえなく、夜を徹しての祈りの連続。霊言のごとく、「自分のため」は一つとしてなかった。
出家として法を承けつつも、高まいな理論を語るのでなく、在家にあって膝つきあわせ、人々の悩み苦しみに耳を傾け、もてるものをおしみなく捧げて、他の救いのために用いる……。
だれもが双親さまを慕い、慈愛を請いながら、その寄せる絶対の信頼に、み仏の大生命に導かれいったといえよう。それゆえ“世のため人のため”との一語は、『先に他人の為にし、然して後、身の為にす』と説かれる涅槃の真実義と、双親さまのご苦難の上に一つとなり、究極の経典・大般涅槃経のおん徳はこの世に具現されたのである。
『顕より密に入り、正しく修行し、世のため人のため正しく道を貫くべし』これは昭和十一年二月四日、摂受心院さまが霊能を相承された折、双親さまに降された霊言である。
暗中模索し、ひたすら真理を求めつづけた双親さまに厳然とした仏意を伝え、まさに闇の中の灯のごとく、行くべき道を照らした、真如教えの根本霊言である。
冒頭に示されたこの一句から、言葉や文字に明らかに示された教義(顕)より、秘密にして荘厳なる宇宙の大生命(密)に帰入する道こそ、双親さまのめざす真理であったことが知れる。教主さまはその密なる教えの門戸を探り、さまざまな宗教の道を求め続けた後、悠久の歴史を秘めた真言密教に。
以来、醍醐の山中において、寸時も借しまず仏典をひもとき、同学の僧から感嘆の視線を受けつつ、厳行に明けくれ、励まれた日々、それは、この宇宙の本源たるみ仏から出だされる法流を相承するための道のりであり、尊いがゆえに、そこには一点の濁りも、妥協も許されはしなかった。
かくして、教主さまはまさに、血の一滴をもって真理を体得、真言の密なる教えのことごとくを相承され、出家道の奥を極めてゆかれたのである。
道ひとすじに立つまでは、何不自由ない恵まれたご生活を営みながらも、双親さまは、宗教専従こそ本来の道と、その一切を捨て切られたのであった。
霊言のままにすべてを“世のため人のため”、衣・食・住のいっさいを人々の救いに、修行に、わかち与えて、お体を休める間さえなく、夜を徹しての祈りの連続。霊言のごとく、「自分のため」は一つとしてなかった。
出家として法を承けつつも、高まいな理論を語るのでなく、在家にあって膝つきあわせ、人々の悩み苦しみに耳を傾け、もてるものをおしみなく捧げて、他の救いのために用いる……。
だれもが双親さまを慕い、慈愛を請いながら、その寄せる絶対の信頼に、み仏の大生命に導かれいったといえよう。それゆえ“世のため人のため”との一語は、『先に他人の為にし、然して後、身の為にす』と説かれる涅槃の真実義と、双親さまのご苦難の上に一つとなり、究極の経典・大般涅槃経のおん徳はこの世に具現されたのである。
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