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東京裁判陳述書 ティルマン・ダーディン

ティルマン・ダーディンの陳述

昭和二十一年三月三十一日

私は現在中国で紐育タイムス通信員(中国局長)を務めています。そして昭和十二年には南京で同社の為に働いていました。私は陥落の二,三日後中国の兵隊が四十人か三十人の団体を作って引き出され南京の揚子江近くで日本軍により小銃や拳銃で射殺されるのを見ました。又撃たれたり銃剣で突かれたりした一般市民の死体が南京の街上に横たわっているのを見ました。私は日本軍が入って来た時南京に居ました、そして夫れ迄に約三ヶ月南京に居たのです、私は同様に証言出来る同業者の名簿を提出しました、私は南京占領後間もなく米国の砲艦に乗って南京を離れました、私は南京で松井大将を見ませんでした、私は南京の情況について紐育タイムスに記事を書きましたがそれは昭和十二年の十二月二十四日頃同紙上に出ました。

私は漢口占領の時にも其処に居りましたが、其処では中国兵の死体は沢山見ましたが、一般人の死体は見ませんでした。私は漢口の残虐事件は若しあったとしても見ませんでした。残虐が行われてと言う報道はありましたが私は一つも見ませんでした。ジャック・ペルデンは多分上海に居ります、そして、コリアーズの通信員は昭和十二年に中国に、ユナイテッド・プレスと共に居りました。

上海、ブロードウェイ・マンションス

又は

上海米国陸軍司令部
公共同信士官気付

ティルマン・ダーディン

以上昭和二十一年三月三十日私の前で宣誓せり。

米国陸軍総監部

陸軍大佐 トマス・エッチ・モロウ
2008年09月26日(金) 13:25:40 Modified by sityorunokana




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