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松岡洋右奏上(連盟脱退)

日支問題討議の為召集せられたる国際連盟臨時総会に帝国代表として長岡春一及左藤尚武と共に参列の大命を拝し昭和七年十月二十一日輦轂の下を辭して任に「ジュネーヴ」に赴くに当り途を「シベリア」に取り「モスコウ」に兩三日間滞在し「ソヴィエト」連邦政府外交当局及極東問題に関し「スターリン」の個人的顧問として其の勢力外務当局を凌ぐと称せらるる「ラデック」と会談するの機会を得たり臣の「ソヴィエト」連邦通過の目的は同国の近況を知ると共に若し出来得べくは「ジュネーヴ」到着以前同国政府をして満州国を承認せしめんとするに在りたるが敍上会談の結果及之に依りて感得したる雰圍気に鑑み帝国政府に於いて不可侵条約を締結するの用意なき限り「ソヴィエト」政府の満州国承認は之を迅速に得られざるべきことを確め得たると同時に連盟が如何なる態度に出にもせよ同政府は満州国問題に深く関与せざるべしとの確信をも得たり

臣の「ソヴィエト」連邦経由の報道は欧米殊に米国新聞界の視聴を惹きたるが臣は当初より此の行に依り或程度迄日「ソ」接近し満州問題に付き或種の了解成りたるに相違なきも同時に英米に対し挑戦的なる全部的提携は成立せざりしものとの印象を與んことを期し此の點に於いて稍完全に目的を達し得たりと信ず右に關しては同行の我新聞記者及「モスコウ」に在る本邦新聞特派員等の遺憾なき協力に負う所多し尚十一月七日赤色廣場に於いて目撃せる革命第十五周年紀念観兵式の光景は実に臣の忘るる能はざる所なること附記せんと欲す
次いで臣は「ワルソウ」及伯林に各一日を費したるが「ワルソウ」に於いては先年巴里講和会議の際臣が「ダンチッヒ」問題に關し波蘭国代表等に多少の注意を與え斡旋を為したる関係あるを因由として連盟に於いて我立場の支持を得んことに意を用ヰ又伯林に於いては独逸国外省に対し帝国の立場及決心を告げ暗に其の好意的支持を促したり巴里に於いては長岡左藤両代表代理と会同先ず十一月二十一日より開かるべき理事会に臨む対策を議したるが其の際臣に於いて日支問題の関係する限り帝国代表として右理事会に出席すべく又我方主張の拘わらず日支紛争が総会に移さるる場合には同じく臣が主席代表として其の討議に加わるべきことに決定を見たり

巴里に到着するや「ジュネーヴ」に於いて帝国政府は満州国承認の立場より何等かの譲歩をなす模様なるやの報道頻りに伝えらるるを耳にしたるを以て臣は新聞記者との会見其の他の機会を利用したるは勿論巴里及「ジュネーヴ」の両地に於いて連盟事務総長、英仏等の大国代表、総会議長たる白国代表、理事会議長たる愛蘭土自由国代表及兎角我方に不利なる言動に出づる西班牙国代表「マダリアガ」等との会談の機を以て帝国の立場を明らかにし譲歩報道の根拠無きことを首肯せしめ予め相互の思惑の余地なからしむることに務めたり

十一月二十一日より開かれたる理事会は最初より帝国の主張の如く所謂「リットン」報告書を審議して解決案を見いだすの意向を有せず臣等の努力に拘わらず同月二十八日を以て討議を打ち切り同報告書に理事会の議事録を付して総会に移牒すことと為りたり臣は右の手続きに対し曩に政府が訓令もあり実質的に之を阻止するの態度に出でざりしが理事会議事の進行中調査委員会委員長「リットン」を招致して其の意見を求むるの提案あり右は一件単純なる手続き問題の如き外観を装うも実は帝国政府の「リットン」報告書に対する意見書及臣の論議を葬り去り「リットン」をして連盟に代わり帝国の満蒙問題に関する国策の根本に対し否認的断定を下さしめんとするに等しきものなるを以て臣は抗争二日に及び漸くにして之を阻止することを得たり

総会は十二月六日より開かれ八日迄一般討議を行い九日の会議を以て解決案の作成を所謂十九人委員会に付託することを決議し一旦休会したり而して十九人委員会は十二日にいたりて二個の決議案と一の理由書案とを可決し之を代表部に内示し来たり爾後問題は決議案及理由書(後に議長宣言となりたり)案の修正に関する交渉に集中したるが其の経過については既に外務大臣よりその都度上奏ありたることと信ずるを以て此所に詳説を避くべし

右決議案中帝国政府が最強硬に反対して結局連盟をして撤回させしめたる米「ソ」両国を日支紛争解決の為規約第十五条第三項の下に設置せんとする和協委員会に招請するとの点は総会一般討議中英国代表を始め数多の代表に依りて唱えられたる所なるが其の一応の理由とする所蓋し両国は連盟以外に立も共に満蒙問題に利害関係を有するを以て問題の永続的解決には両国の参加なかるべからずと云うに在るも「ソヴィエト」連邦は曩に述べたる如く紛争に関与することを好まず連盟亦之に重きを置かざるに至り問題は専ら米国の参加如何に転化したるが其の真意は日支紛争に連盟が関係して以来嘗ては理事会に米国代表者を傍聴者として招請したることあり又調査委員会には米国人委員として任命したる行縣あり従って和協委員会にも何等かの形に於いて之を招請せざるべからずと為すの外連盟事務総長及大国代表者に於いては帝国の行動を以て厳格に連盟規約、不戦条約に照らす時は異論あるべきも支那の混乱状態に因由する例外行動として已むを得ざりしものと認めたる際尚不戦条約の首唱国たる米国が和協事業に参加することに依り国際約定尊重の一保障存することを誇示して後に述が如き小国側の不安を除き妥当なる解決に導かんとする意図に在りたるものの如し更に事務総長は就任以来十三年終始米国の加入を以て其の使命の一とし来たり今や期満ちて任を去らんとするに先ち此の期に於いて豫ての目的に一歩を進めんとして懸命の努力を試みたる事は疑いの余地なく而して此の事務総長の努力が英国の政策を反映するものなること多言を要せざるべし本問題が連盟構成の根本より見て幾多の異議あるべきことは素より臣等の夙に認めたる所にして又満州事変勃発以来米国朝野の帝国の行動に対する非難的言動が我国民感情を刺激したる事実に顧み我国民が同国の参加を喜ばざるべきは十分理由あることなるも其の後米国に於いては近く政府の更迭あることと為り民主党政府の対日政策は必ずしも共和党政府の斯れと同じからざるべく又一旦和協委員会を成立せしむるに於いては必ずや帝国の主張を誤らさることを諄々説得するの途開かるべく此の際本問題の為に委員会成立を不可能ならしむることは策を得たるものに非ざることを感じ且若し帝国政府に於いて飽くまで米国の参加を拒まざるを得ざる国内事情あらば名義を抽象的に非連盟国の招請と為し正面より之を拒まざるの態度を執り裏面より然るべき方法を以て虚心坦懐直接米国政府に対し其の和協委員会への参加の日米国交に非なり所以をを了解せしめ自発的に招請に應ぜざらしむる様措置するの妥当且賢明なるを思い臣に於いて率直に敍上の意見を外務大臣に開陳したるも右は前記参加を不可とする理由に因り政府の容るる所とならざりしを以て爾後我代表部は飽くまで政府の訓令に則り本件反対を固執したる結果は遂に連盟をして本件を断念せしむるに至れり

米「ソ」招請の問題が打ち切りと為りたるは本年中旬のことなるが時は恰も英国が従来帝国に対し示し来れる好意的態度を後に述ぶるが如き諸種の事情により変更したる時期にして連盟の態度この頃より俄然硬化し米「ソ」招請に關しては帝国の主張を認め之を撤回するも他の点に付いてはせっかく我代表部苦心の結果になる所謂「ドラモンド」杉村案なるものより逆転して十九人委員会最初の原案に立ち返ることと為り爾後我方に於いて幾多の譲歩を為したるも遂に妥協の途なく二月二十一日に至りて再開せられたる総会には規約第十五条第四項に依る報告書案提出せられ臣等最後の努力に拘わらず同月二十四日の総会は我方の反対及暹羅代表の棄権を除き全会一致を以て右報告案を採択したるが当日投票国四十四の外に十二の欠席国あり其の内には反対又は棄権の意味を以て故意に退席したる南米の数国を含みたりここに於いて臣は日支問題に関する限り連盟との協力の限界に達したることを宣して退席するに至りたるは寔に恐懼に堪えざる所なり

抑も連盟臨時総会に臨むに当たり帝国政府の意向は我満蒙政策の遂行上に実質的障害を生じさせざる限り或程度まで譲歩し又は或程度まで我に不利なる連盟の言動をも隠忍して連盟内に留まり以て日支紛争の実際的解決を企図するに在るものと了解したり又臣は最近動もすれば国際間に於いて帝国の信義を疑う嫌いあるを遺憾とし如何なる場合に於いても虚偽又は食言と誤認せらるるが如き一切の言動を慎まんと決意し最初より何等の術策を弄せず臣等に遺されたる一途を前進することを以て念とせり而して場合によりては連盟内に何等かの形に於いて満州国の成長発展を看視し又は「ジュネーヴ」に於いて之を論議する機関の設置は已むを得ざるべしと覚悟し二月中旬迄は連盟事務総長、英国外相、連盟臨時総会議長其の他に於いても之に大体同感の意を表し来たれり

而して臣の同僚二代表、代表部員、新聞記者等全部一団となりて微力ながら敍上の上信念覚悟の貫徹に最善の努力を為したるが臣としては更に進んで斯くの如き実質的の目的よりも之を機会として日本精神を世界に徹底せしむる為の一歩を印すことを念願したるに今にして顧みるに右の諸点中連盟に留まるの一事は完全に失敗に帰したること遺憾に堪えず素より他の点の実質についても臣等の微力極めて不十分なるを免れざるも我満州政策の遂行に障害を生ぜしめざるの点は稍完全に庶幾結果を得たるものと云い得べし

連盟に留まり得ざるに至りし原因は種々あるべきも其の最たるものは英国次いで之に追随して佛国が一月中旬より態度を変更したるに存す元来連盟内に於いて佛国は重大なる利害関係なき限り大体英国の為す所に従う実情なるが英国の態度変更の理由は第一に十二月初旬の総会一般討議の際「サイモン」外相、「カナダ」、「オーストラリア」代表等が為したる帝国の立場を正解せる演説に対し支那が英貨排斥を以て脅したること第二に米国招請の失敗に失望したることにして更に一月初以降熱河問題の進展が同国の京津地方に於いて有する権益に不安を抱かしめたることも與て力ありたるなるべし右等直接原因の外に英国は其の重大なる利益に反せざる限り極度の譲歩を敢えてするも米国の感情を損せざることを以て巴里講和会議以来一貫せる大方針と為し居り又一方大戦勃発直前に比して更に甚だしき不安状態にある欧州の現状に直面して同国が連盟及び連盟の拠って以て立つ所の主義原則を支持せざるべからざると為すは又已むを得ざる所にして而も英国が帝国の主張を容認するに於いては右対米方針及び欧州政策に影響を又及ぼす所ありと見たるべきは視察に難からず当時米国政府は英仏等の政府に対し連盟に於いて対日強硬策を執るべきことを慫慂したりとの説伝えられ臣は其の後右報道の真偽に付き特に探査する所あり其の結果は虚報なりしことを確かめ得たるが当時駐米英国大使「リンゼイ」が米国に於ける対日感情の険悪なることを力説報告し其の報告が英国の態度硬化の原因に一となり延て佛国の態度に其の反映を見るに至りしものと考えらるる節あり

次に「ジュネーヴ」滞在中は確実なることを知るを得ざりしが其の後各地に於いて得たる情報を総合して顧るに連盟事務局内には支那を憲兵制度の下に置き連盟自ら之を監督に当たらんとするの考案ありたること事実なるが如く果たして然らば満州に關し「リットン」報告書に現れたる所は其の片鱗に過ぎざるものと謂うべく斯くの如き考案が満州問題に付ては絶対に他の干渉を許さずと為す帝国の根本方針と相容れざること勿論なり又欧州小国は前述の如き不安定にして険悪なる欧州事態に直面し連盟を以て生命線と見做し居れるが其の宗旨とする所は如何なる場合を問わず兵力の使用を認めざるに在り大国は勿論小国の間に於いても臣等力説の結果極東の特殊事情及び日本の行動已むを得ざりしことは大体理解し来れたる然るに敍上欧州の特殊事情に照らすときは小国は兵力使用に關する限り日本の主張を假令間接にも認るを得ざる立場に在るものにして換言すれば二個の異なれる環境に胚胎する衝突なり要之四十二国は日本に反対の投票を為したるも決して帝国に対し敵意を有したるに非ず支那に対しては寧ろ嫌悪の念さえ懐きたるに拘わらず敍上の如き諸種の理由より已むを得ず我方に反対の行動に出でたるものに他ならず唯支那の混乱状態については「ジュネーヴ」の会議を通して欧米一般に著しく之を了解し来たれること最後に附言の要ありと信ず

尚臣は「ジュネーヴ」退去後欧州の数国を巡歴し帰朝の途次米国を経由したるが満州事変勃発以来日米関係は時に疎隔を来したるの事実に顧み連盟総会終了後帰国の際は同国を通過して其の近状を看日米関係の改善に努ること或いは連盟に対する任務よりも更に重大なるべく殊に万一連盟を去るの已むなき場合には一層然るべきこと豫て臣の私に考えたる所なるを以て外務大臣の承認を得て三月下旬より四月中旬に亘り三週間同国各地を巡歴の結果多少敍上の目的を達し得たりと信ずるが就中米国には日本に対する敵意存在せず単に帝国が異常の迅速なる発展を遂げたるに対し豫て一種擬具の念を以て之を看る者ありたるに偶満州事変発生に際し平和論者、連盟論者等の平和一点張りの論議と支那側の執拗なる宣伝とに惑はさるる者少なからず帝国を以て侵略者なりと誤認するに至り元来が愼なき国民性よりして遂に我国民の感情を刺激するが如き言動を見るに至れる次第なる所現政府に於いては少なくとも当分は斯かる言動を慎み対日関係については消極策を執らんと決心せるものなりとの確信を得たり

右謹みて閣下に復命す

   昭和八年四月二十八日
                国際連盟総会臨時会議帝国代表
                         松 岡 洋 右
2009年01月03日(土) 13:16:46 Modified by sityorunokana




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