瀬能と美春3
初出スレ:初代540〜
属性:おじちゃんと女子高生
事の発端は、相変わらず唐突な美春の訪問だった。
高校で中学から続けていたバスケ部に入部した美春は、通学途中にある瀬能の家を、前よりも頻繁に訪れるようになっていた。
曰く「晩ご飯までもたないから、何か食べさせて」だの、「疲れたから、ちょっと休ませて」だの。
野良猫が立ち寄るのと同じような感覚なので、瀬能もついつい美春を家に上げるのだが、よくよく考えてみれば不自然な関係とも言える。
しかし、取り立てて迷惑でもないし、別段やましい気持ちもない。
美春が瀬能に淡い(と思われる)恋心を抱いている事さえ頭から切り放せば、懐かれて悪い気はしないので、深く考えないようにしていた。
そんなある日曜の事である。
夕方近くなった頃、部活帰りの美春が、スポーツバッグを肩に瀬能の家を訪れた。
高校に入って伸ばし始めた髪を二つにくくった姿は、高校二年と言うよりも中学二年に見える。
「お腹空いたー」
「いきなりソレかよ」
部屋着姿の瀬能がドアを開けるなり、美春はへにゃりと表情を崩して部屋に上がり込む。
勝手知ったる何とやらで、冷蔵庫に向かう美春を置いて、瀬能は居間兼寝室へ戻った。
持ち帰った仕事を片付けるため開いてあったノートパソコンを閉じ、散乱してある資料をファイルに戻す。
お茶の入ったグラスを手にした美春は、部屋に来ると物珍しそうに瀬能の様子を見つめた。
「瀬能さん、仕事してたんだ」
「何だよ、その口調は」
「珍しいなー、と思って」
「珍しいよ。俺だって出来れば家でまで仕事したくねぇもん」
本当にやらねばならない時以外、サービス残業など、瀬能は死んでもやりたくない。
会議の資料を作るだけなら、家でも充分事足りる訳で、昼からずっとパソコンに向かっていた次第である。
「大変なんだね、大人って」
嫌味にもとれる美春の台詞だったが、美春が心底感心しているようなので、瀬能は敢えて何も言わず、机の脇に資料を寄せた。
「それよりもさ、瀬能さん、DVD見て良い?」
「ん? あぁ、何か借りて来たのか?」
「うん」
グラスを机に置き、スポーツバッグを漁り始めた美春に、瀬能は机の上を譲る。
美春の家では、父親の治樹が機械に疎いせいもあってか、まだDVD機器がない。
いくら瀬能が「ビデオと同じだ」と説明しても、必要に駆られない限りは購入する予定も無いらしい。
それどころか、別段必要でもないのに購入した瀬能の方が不思議だ、と言わんばかりの態度なので、それ以降瀬能は治樹にはDVDの話は一切しない事にした。
しかし美春には、それが格好の理由になる訳で。
時折友人からDVDを借りてきては、こうして瀬能の元を訪れている。
美春が取り出したのは、少し前に話題になった恋愛映画だった。
三十年ほど前に流行ったドラマのリバイバル作品で、瀬能も子どもの頃にドラマを見た記憶がある。
母親が見ていたので、必然的に見る結果になったのだが、欠片も興味が無かったせいか、殆んどまともにストーリーも覚えていない。
それならそれで楽しめるだろうと、瀬能が机を脇に寄せている間に、美春はDVDをセットした。
開口一番「お腹が空いた」と告げた美春の胃も考慮して、昼食の残りの菓子パンを渡し、自分の分のコーヒーを入れる。
嬉しそうに菓子パンを頬張る美春の隣に座ると、美春はリモコンを操作した。
***
元がドラマだったせいか、やや物足りない感じもしたが、終ってみればそれなりに面白い映画だった。
日頃、恋愛映画を見ない瀬能でもドキドキハラハラしたし、最後の主人公達が再会するシーンなど、不覚にもホロリとさせられる物があった。
そのせいだろう。思っていたよりも集中していたからか、瀬能は美春の様子に気付かなかった。
もう一杯、コーヒーを飲もうと立ち上がった瀬能は、その時になって初めて、美春がぼろぼろ泣いている事に気付いたのだ。
「ちょ……おい」
ぐずぐずと鼻を鳴らす姿は見た事がある。顔を真っ赤にして怒った姿も、大口を開けて笑う姿も、記憶の中にはあるのだが。
「お前、泣きすぎ」
「だ、だってぇ……」
しゃくりあげながら涙を流す美春は、お世辞にも可愛いとは言い難い。
しかし感情表現豊かな美春が、ここまで泣く姿を初めて目にした瀬能は、困惑のあまり、持ち上げたばかりの腰を下ろした。
「んな泣くなよ、映画だろ?」
「泣くよ…! 瀬能さん、なんで、平気、なのぉ」
「そりゃ……男だし。つか、鼻水出てんぞ」
こうまで泣かれると、自分が悪い訳でもないのに、申し訳ない気持ちになるのは何故だろう。
瀬能の指摘にも、美春は制服の裾で鼻を擦るだけで、また直ぐにひぐひぐとみっともなくしゃくり上げた。
「あー、はいはい。泣くな泣くな」
感動の涙はとどまる事を知らないのか、美春は声を殺して泣き続ける。
思わず苦笑した瀬能が頭を撫でてやると、美春は瀬能のシャツを掴み、ぐいと顔を押し付けた。
「良かったよぉ……ほんと、良かったぁ」
(こっちは良くねぇよ)
美春は映画の事を言っているのだろうが、抱きつかれた瀬能は堪った物ではない。
これが本当の娘なら、背中を撫でるなり抱き締めるなり、涙を止めてやる方法は幾等でもあるのだろうが。
(勘弁してくれ……)
悲しい涙なら慰めれば済む。怒りの涙なら落ち着かせれば何とかなる。
だが、感動の涙は、どうやれば止める事が出来るのか。中途半端な言葉は、折角の感動を台無しにするしかない事ぐらい、瀬能も分かっている。
台無しにしてでも止めるのは、あまりに身勝手な気がして、結局、瀬能は美春が泣き止むまで胸を貸し続けていた。
***
「じゃ、またね瀬能さん」
「おう、気ぃ付けて帰れよ」
午後七時過ぎ。
泣きやんだ美春は、目を真っ赤にしてはいたが、いつもと何一つ変わらない態度で、瀬能の夕食の心配をしながらも、存外素直に帰路についた。
家の近くの交差点まで送り届け、冬の寒空の中、瀬能は早足で来た道を戻る。
だがその心中は、平静とは言えない。
「あんな泣くかねぇ……たかが映画で」
ぽつりと呟いた声は、白い息と共に散っていく。
何事もなかった風を装うのは慣れている。
だがそれは、傍に誰か居る場合の話である。
一人になると、途端に先程の美春が思い出されて、瀬能は胸が締め付けられるような感覚を味わった。
「つか……子どもだろ。何、動揺してんだ、俺」
女の涙はこれまでにも何度だって見ている。それなりに年を食っているし、仮にも数年所帯を持った事もあるのだ。見た事がないと言えば嘘になる。
だが、美春の場合は少し違う。
あれほどまでに自分に素直に、故に純粋な涙など、今まで見た事があるだろうか。
「……風呂入って寝よ」
ひときわ冷たい風が吹き、瀬能は歩みを早くする。
自分に抱きついた美春の暖かさが、冷たい布団の中で思い出されるなどとは知るよしもなく、瀬能は深い溜め息を吐いた。
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