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【定義】

「四大綱領」は、日本曹洞宗の教義の根幹であり、『修証義』に説かれる第2〜5章までの章題が該当する。つまり、懺悔滅罪受戒入位発願利生行持報恩である。なお、元々は前二つが本証に、後ろ二つが妙修に配されており、「本証妙修の四大綱領」ともいう。
第5条 本宗は、修証義の四大綱領に則り、禅戒一如修証不二の妙諦を実践することを教義の大網とする。 『曹洞宗宗憲?

なお、このように『宗制』の教義として明記されるに至ったのは、昭和16年の「宗教団体法」に準拠した『宗制』を編んだ時に、組み入れられ、戦後の宗教法人関連法律に準拠した『宗制』に於いても残り続けたためである。

【内容】

四大綱領は元々、明治時代に組織された曹洞宗の在家信者への教化を行う結社である「曹洞扶宗会?」で唱えられたものである。同会では活動を広報し、また、様々な論陣を張るために『扶宗会雑誌』を刊行したが、その表紙裏に特徴的な図表が見られる。



ここから、「本証妙修」を基調とした「四大綱領」が説かれたことが理解出来る。「四大綱領」は「扶宗会」を実質的に主導した大内青巒居士の演説に、その原型を見ることが出来、元々は「四大原則」や「四つの標準」などと呼ばれた。
標準は懺悔と受戒と発願と行持との四つに取り、此四つの標準に依て滅罪と入位と利生と報恩との功徳に顕すので御座いますが、此中で更に分析して見ると其実は入位と報恩との二つだけが肝要の骨目〈以下略〉 『扶宗会雑誌』第五号「修証義編輯の精神」

現在では四句十六字として「四大綱領」を見るが、内容は各綱領の前半二字が「標準(行うべき事柄)」で、後半二字が「功徳(標準を行ったことの結果)」であったことが分かる。そして、青巒居士は、「入位」「報恩」の二つが、肝要であったとしている。そして、特に「入位」について注目すべき指摘がある。
入位と申すは仏の仲間入をする事で御座いますから、是が何宗にも論無く仏教徒の目的で御座いませう。其目的の入位をするには各宗に色々流儀があろうけれども、我宗では受戒を標準としなければ成らん。 同上

このように青巒居士は、「仏の仲間入り」を強調する。それを定める一文こそが、「衆生仏戒を受くれば、即ち諸仏の位に入る。位、大覚に同じうし已る、真に是れ諸仏の子なり」(『梵網経(下)』)になる。この一文は曹洞宗の授戒・伝戒に共通して用いられるが、この共通性をもって「受戒入位」が安心の標準に至ると主張する。
此仏戒を受けさへすれば位大覚に同ふし已ると、盧舎那仏が確かに証拠立て置かれたので御座いますから、此上の入位の法は御座いません。サー論じて此まで到れば、自から報恩と云との必要が知らず知らず顕はれて来る。此の如き戒法を今我われが造作もなく受得らるるは、何なる因縁あってのことか。 同上

「四大綱領」の内、実際には、「入位」と「報恩」の二つが、肝要だとされていたが、両者の関係をこの一節から理解出来る。つまり、授戒して入位すれば、「仏の仲間入り」であって、非常にありがたいことだとしており、つまり仏の仲間入りが出来たことを恩に感じ、今度はそれに報いるように努力しなくてはならない、という話になる。
此五章の中で、何れが劣り、何れが優ると云ふことは有りませんけれども、尤も肝要とするのが第二章懺悔滅罪から、第五章の行持報恩までが修証義の四大原則で、謂ゆる曹洞宗在家安心の標準は、此四章に在る。前の第一章総序と云ふのは、仏教総体の上の話で、何宗の安心起行でも、普通に心得ねば成らぬ事柄で有りますから、先づ是れは曹洞宗の専門と云ふ訳では無い。曹洞宗の専門は全く懺悔・受戒・発願・行持の四大原則に在ると心得ねば成りません。偖、又、此四大原則の中で更に本末を分けて見れば、第三章の受戒入位が本になりて、外の三章は受戒入位の前方便と後の実行とに成りますから、約めて申せば、曹洞宗の在家安心は唯受戒の一つじやと申さねば成りません。何ぜかと申しまするるに、凡そ仏教の目的と申すものは他にはありません。我われお互ひが仏に成ろうと云ふまでの事です。 青巒居士口述『曹洞教会修証義聞解』1891年、7〜8頁

青巒居士が当初意図しているのはあくまでも、「在家安心の標準」であって、僧侶まで含めた四衆に統一された理念ではない。また、「安心起行」という語句にも注意をしたい。これは元々、浄土教系の文献で多用され、いわば正信の根拠と、その発露としての修行法である。浄土教系であればこれを、阿弥陀仏の本願と、念仏とに置くが、曹洞宗の専門としては、「四大綱領」にあると青巒居士は考えている。

さて、受戒入位を中心に考えていくと、『梵網経』の一節を信じることによって、仏の仲間入りをしたと納得し、安心を得ることである。「四大綱領」の体系ではこれを、道元禅師『弁道話』の一語を用いて、「本証」と名付けた。また、受戒入位して安心を得れば、その後、具体的な修行や活動に展開されていくことを、同じく『弁道話』から、「妙修」と名付けている。「四大綱領」は詳しく、「本証妙修の四大綱領」ともいわれるが、具体的には以下のように体系付けられる。
曹洞宗在家衆の安心起行を本証・妙修の二つとし、其本証が懺悔滅罪・受戒入位の二つに分れ、其妙修が発願利生・行持報恩の二つに分れたので有りますが、此妙修の外に仏の証果を求むるのでは無く、却て此妙修は本証の上から顕はれた、即ち仏果の生活で有りますから、証即ち修、修即ち証で、謂ゆる修証不二の法門でございます。 同上、13頁

「四大綱領」では、先の二綱領が「本証」に、後の二綱領が「妙修」に分類されている。既に先行研究で指摘されるが、曹洞宗では明治18年に最初の『曹洞宗宗制』が出来た当初、「曹洞宗宗教大意」を通して、出家は坐禅を基軸にした成仏を目指し、在家には(阿弥陀仏の)他力念仏によって成仏を期待する二重構造的な教義体系を確立しようとした。しかしこれは、一つの宗派の中に二つの教えが混在しているようなものであり、しかも、先に青巒居士の言葉にあった「曹洞宗の専門」というべき状況が出て来ない(実際に、「曹洞宗宗教大意」は、2ヶ月ほどで撤回された)。よって、改めて在家化導を検討し、曹洞宗の特殊性を「受戒入位」に求めたといえる。

【「四大綱領」の成立過程】

青巒居士は、「扶宗会」以前は特定の宗派に依らない通仏教的立場であった。そこで、通仏教という時、青巒居士が目指した教義がどのようなものであったのか、扶宗会よりも少し前に結成した「和敬会」の教義と重ねてみたい。

和敬会では、在家信者には仏教徒に相応しい生活をするように説き、その時に採用されたのが「四恩十善」という信心箇条の実践である。「四恩」とは、「国君・兄弟・聖賢・父母」へ報謝するように説く教えであり、「十善」とは江戸時代に慈雲尊者飲光(1718〜1805)が『人となる道』を著し敷衍活動を行ったことでも知られる「十善戒」のことである。

そして、「四恩」を「報恩」に、「十善」を「受戒」に改めれば、先ほど指摘した「四大綱領」の肝要という箇所と、同じになる。また、江戸時代の初学者や在家化導のために編集された面山瑞方師『永平家訓』や、本秀幽蘭師『永平正宗訓』『洞上正宗訣』などは、道元禅師の言葉を収集編成した文献だが、これらが『修証義』に影響したことも、既に先行研究で繰り返し指摘される(岡田宜法『修証義編纂史』、櫻井秀雄『開けゆく法城』など)。なお、面山師『永平家訓』は、「発心出家訓・仏祖正宗訓・諦信因果訓・通達修証訓・揀辨邪見訓・正伝三昧訓・格外玄旨訓・知恩報恩訓」という八章で組まれ、ここから、特に学人向けの修証観を説く章を除けば、「四大綱領」に近付くといえる。

よって、青巒居士が説いた「四大綱領」は、結局のところ、居士が元々持っていた通仏教的な信心箇条と「教会条例」とが合わさり、更に先行する文献の影響の上で成立した内容だと理解すべきだといえる。そして、「四大綱領」を基本に『修証義』は出来たのである。

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