【定義】
1年365日に共通して行われる毎日毎夜の行持のこと。現行『行持軌範』では「恒例行持」の一。
【内容】
昭和改訂『行持軌範』以降は、現行の「日分行持・月分行持・年分行持」となっているが、この呼称については、従来の清規で各々若干異なっている。元々は中国臨済宗で作られた『幻住菴清規』であり、「日資・月進・年規」となっていた。曹洞宗では瑩山禅師編『瑩山清規』が「日中行事・月中行事・年中行事」としている。
江戸時代に入り、面山瑞方編『僧堂清規』では、「日分行法・月分行法・年分行法」となり、大分現在に近付いた。面山はこの呼称について、次のように指摘する。
なお、明治時代に入って『洞上行持軌範』の段階で、「日分行事・月分行事・年分行事」となったが、その後昭和に入り現行の用語に改定される。
【差定】
・暁天坐禅
・朝課諷経
・朝粥行鉢?
・粥罷普請?
・早晨坐禅?
・早晨法益
・竈公諷経
・斎鐘
・日中諷経
・午斎行鉢
・斎罷看読?
・斎罷法益?
・晩課諷経
・薬石喫湯?
・略飯台法?
・黄昏坐禅?
1年365日に共通して行われる毎日毎夜の行持のこと。現行『行持軌範』では「恒例行持」の一。
【内容】
昭和改訂『行持軌範』以降は、現行の「日分行持・月分行持・年分行持」となっているが、この呼称については、従来の清規で各々若干異なっている。元々は中国臨済宗で作られた『幻住菴清規』であり、「日資・月進・年規」となっていた。曹洞宗では瑩山禅師編『瑩山清規』が「日中行事・月中行事・年中行事」としている。
江戸時代に入り、面山瑞方編『僧堂清規』では、「日分行法・月分行法・年分行法」となり、大分現在に近付いた。面山はこの呼称について、次のように指摘する。
日分は一日一夜の時を分つ。行法はその間の所行の仏法、次第は前後みだれぬ詞。瑩規に日中行事とあれども、日中諷経と云に、言同意別まぎらわし。経論には初日分・中日分・後日分、初夜分・中夜分・後夜分とあるゆへに、日分と云が的当なり。一日を分て行法す。日分に準じて、月分・年分もきこゆ。諸清規にも月分須知とは、一月を分つ語なり。行事と云も、日行事・月行事は、俗家にもあればいかがし、行法と云へば俗家にも混ぜず。永規にも弁道法・赴粥飯法とあり。ゆへにいま日分行法と題す。 面山『僧堂清規』巻1「僧堂日分行法次第」
なお、明治時代に入って『洞上行持軌範』の段階で、「日分行事・月分行事・年分行事」となったが、その後昭和に入り現行の用語に改定される。
【差定】
・暁天坐禅
・朝課諷経
・朝粥行鉢?
・粥罷普請?
・早晨坐禅?
・早晨法益
・竈公諷経
・斎鐘
・日中諷経
・午斎行鉢
・斎罷看読?
・斎罷法益?
・晩課諷経
・薬石喫湯?
・略飯台法?
・黄昏坐禅?
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