大八洲帝國

Greid Iashima Emvarj
国の標語八洲帝万歳
国歌あぁ八百万よ御国の地に
公用語八洲語
首都平月京 椛山
最大都市東都府 沼原
秋穂帝(あきほのみかど)
首相物部公輝
面積約71万7000km²
人口約1億人
国教帝式神祇
建国紀元前700年
通貨文(ぶん)
時間帯+9

大八洲帝国(おおやしまていこく)、通称八洲は大東洋の西側に位置し八洲列島、チロヌップ諸島、龍宮諸島、韓島、喜海を領土とする立憲君主制国家。首都は平月京 椛山(へいげつきょう もみじやま)。北部は冷帯から南部は熱帯まで気候と地形の変化に富んでおり、山地が非常に多く人口の大部分が平野部に集中している。民族としては八洲人、龍宮人、イヌート人、韓島人、南龍宮人が人口のほとんどを占めている。

概要

大八洲帝国は八洲語を母語とする八洲人とイヌート人、南龍宮人、韓島人、龍宮人の少数民族が大半を占める。地理的には大東洋の西側に位置しており、島国でありながら大香帝国領真と国境を接している。北は冷帯、南は熱帯など様々な気候区分に属しており自然災害に見舞われやすい。古来から山や河川などの自然崇拝が行われており様々な時代に姿を変えながら存在し現在では帝式神祇という形で落ち着いている。
八洲は古くから中華や韓島半島との関係が深く、旅学団などを通じて梵教や意字などを輸入し文化として取り込んだ。なお、7世紀ごろの上仏氏(梵教)と物部氏(神祇)の宗教戦争において物部氏が勝利し上仏氏は衰退したため宗教的には神祇がメインの宗教となっている。律令体制成立後は貴族が中心となって政治をし、永京時代末期ごろには武家政権が樹立し梅山幕府、淀原幕府、沼原幕府と幾たびの政権交代を経て19世紀の外国の圧力と政情不安によって東西戦争などの内戦によって沼原幕府は降伏し椛山新政府が樹立した。この戦いによって沼原は焼け野原となり新たな近代都市建設の舞台となったが帝が移ることはなく、首都は依然平月京であった。また幕府軍が降伏する際の幕府側の要求として、士族の権利を保護することを要求したため、現在でも切り捨て御免などを除く一部の権利が保護されている。そのため大八洲帝国議会には貴族院、平民院、士族院という三院制が確立されている。
後に急速に発達する大香帝國を境海戦争で打ち負かし、1904年には大永帝国支援の下、八流戦争で勝利し多額の賠償金を獲得。景気の安定や大永帝国、べリカ共和国などの民主主義国家との関係強化を背景に第一次世界大戦終結後頃から民主化し公平選挙法、政党内閣などを施行した。
文化面では民主化の恩恵もあってか漫画やライトノベル、それに関連するカードゲームやボードゲームなどポップカルチャーの中心地となっている。倭食や倭服など伝統的な文化も世界的に高い評価を受けており、国内にある祇社の数は、帝式神祇、梵神祇、土着神祇などすべて合計すれば約30万存在する。
オルネシアで最も早く近代化を達成したことや民主主義国家であることなどから、「極東の永国」と呼称されることもある。

国名

八洲という国名は、神祇神話の国夢に登場する八つの島の総称を八洲(八島)と呼んだことに由来する。八洲と言う意字自体にも八島/八洲があるが法的に明確な区分はない。また大八洲帝国の読みは「だいやしまていこく」ではなく、「おおやしまていこく」である。

地理


オルネシア(東オルネシア)にあり、ヨールネシア大陸東端にあるため、極東とも呼ばれる。主に弧状列島の八島列島(広義)と、大陸と接続された韓島、その他大東洋の諸島などを領土としている。領土面積は約71万7000㎢。山岳や丘陵地帯が非常に多く火山列島であるため、地震、噴火、台風、豪雪など災害に見舞われやすい。しかしこの災害の多さこそが自然崇拝の文化に直結しているともいえる。

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