【合意を得るのはむずかしい】
「市民の合意」を言うのは簡単、現実に合意を得るのは難しい、
人間は相手を見下したり、先ず自分が得したいと思いがちです、
相手が弱いと知れば、己の言い成りにしてやろうと傲慢になる、
合意は「良好な協力関係」が欠かせない事がお判りにならない。
おさえ付けた相手と合意文書を交して、平和になるでしょうか?
戦争は相手をおさえ付けて、合意文書を交そうとする手段です、
力ずくで書かされた合意文書に神聖な願いは宿らないでしょう、
納得が得られていない合意文書は、いつか破られるに違いない。
裁判・訴訟は力ずくで合意文書を交わそうとする意思の働きです、
相手を己の足元にひざまづかせたい…その気持ちは分かるけれど、
裁判所が「調停・和解」を勧めるのはシコリを残さないためです、
合意後にお互いがシコリを残さないためには、和解が好いのです、
「お前は要らん」と言う人がいたら逆に、その人は社会の粗悪品、
「私はダメだ」という人がいたら、それでは皆が困ると教えよう、
俺は偉いんだ、凡人じゃないという人は市民ではないのでしょう、
オジサンも、オバサンも、青年も、壮年も、平凡な私も市民です。
一流の大学を出た人も、皆の協力の上に学問を身につけたのです、
才能が特別優れた人でなければ表舞台に出てならない訳ではない、
汗水ながして、真っ黒になって、どろどろで働く人が偉いのです、
ホンモノの市民社会だから、ホンモノの普通の市民が中心になる。
私たち大人は、平和を築く努力を惜しんではならないでしょう、
色いろの事をお互いに語り合って理解し合わなければならない、
普通の大人・平凡な大人が民主主義の社会の主体者なのである、
だれに遠慮することがあるでしょうか、私たちの国・社会です、
民主主義社会では、変な常識に振り回されず、堂々と生きて良い、
即ち、民主主義社会に住む市民は責任を自覚する誠実な市民です。
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