government of the people, by the people, for the people.

民主主義と名付けている法典「六種」を下記に並べてみました


これ等の中に「真の民主法典」と呼ぶに値するモノが有るかどうか、比較します。
ただし、比較するとしても、細則までを逐一、並べて比べる必要はないでしょう。
要は「これは素晴しい」といえる憲法典を一つだけ選びだしたら目的は達します。
私の能力で想像し得る最高の民主法典はリンカーンのショート・フレーズでした。
そのショート・フレーズを超える憲法典が実在するなら、何をためらう事やある。

government of the people, by the people, for the people.


民主主義の政治は市民の合意で成立し、市民が運営し、市民の利益を目的とする
民主主義の政治が守るべき三本柱として、市民の「合意・運営・利益」は欠かせない

古代ギリシャの民主主義
ポリスは自由市民たちの自由意思で運営されていたのは確かでした。
自由市民の集会で、みんなで決めた代表者がポリスを運営していた。
しかし自由市民として認められない人たち、女性や奴隷がいました。
人間を人間と認められない人たちが、自由市民の実態だったのです。
野獣の掟は強い者が弱い者を支配するけれど、ポリスもそうだった。
そのような政治体制のポリスを私たち市民は民主主義とは言えない。

1787年アメリカ合衆国憲法
イギリスから独立、アメリカ合衆国としてスタートした時に生れた。
憲法の文面は立派だが、女性や奴隷制度に人権感覚は認められない。
文面に実態が追い付いていない、すなわち、人権感覚が遅れている。
ただし、アメリカの良い所はリンカーンを生み出す体質といえます。
奴隷制度を廃止し、黒人の人権を認め、女性の人権を認める国民性。

フランス共和国憲法
パリ革命後、フランスの憲法は何度も作り替られてきた歴史をもつ。
ちょっとずつ、ちょっとずつ、自分等の使い易く改良を続けてきた。
そして千九百五十八年、今のフランス共和国憲法が誕生したのです。
「自由・平等・友愛」を謳い文句にしていて、
原理原則は「人民の、人民による、人民のための政治」となってる。
これはもっと、フランス国の憲法を詳しく検証しなければなるまい。

日本国憲法
人権規定、三権分立、戦争放棄等をみれば平和憲法と言えそうです。
死刑制度の正当性を未だ説明できず、人権規定を真っ当していない。
これでは日本国憲法は「瑕疵がある」憲法典と云うしかありません。
人権無視の悪影響は社会の底辺にまで広がって凶悪犯罪が絶えない。

ロシア・民主集中制
レーニンの時代・スターリンの時代・ソ連の時代と変遷をくり返した。
指導者によって国家の方針が極端に変わっていったのは否定できまい。
一国の運命が少数のトップの指導者に左右されるのは危険と言えよう。
善悪は別にしても、ソ連解体はゴルバチョフ大統領の意思が影響した。
フルシチョフ首相が政権を執った時代には首相が権力を掌握していた。
大統領の任期切れで首相に就いたプーチン氏が今も政権を握っている。
このような独裁・独走を許す憲法典は信頼できる根拠を欠くといえる。
「権力は腐る」の格言を持出すまでもなく、独裁者を生む体制は恐い。

日本共産党・民衆集中制
日本共産党の意思が外部に見え難いのは閉鎖的集団であるといえます。
一般・外部とのオープンな意見交換を拒絶する体質は独善的になろう。

党の意思決定は、民主的な議論をつくし、最終的には多数決で決める、
として、党で決めたことは議論の必要を認めず、独裁的体質と言える。

党の統一と団結に努力し、党に敵対する行為はおこなわないとあるが、
敵対行為は何を意味するのか、反論が敵対なのか、批判は敵対なのか?
「党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない」の意味は?
これは党員への言論統制であり、外部との意見交換を容認していない。
秘密主義の日本共産党と結論づけられても明確に否定できないだろう。

党の会議で、党の政策、方針について討論し、提案することができる、
とあるが、そんなことは民主社会では当然守られなければならない事。
重要なことは、外部と敵対している日本共産党の体質が危険なのです。

決定に同意できない場合も…決定を実行しなければならないなら、
これのどこが民主的な感覚であろうか、それ以上問答無用の体質です。
聴く耳を塞いでいる幹部を相手にしては意思の疎通は絶対に図れない。
日本共産党の場合、聴く耳を塞ぐ体質は普段の外部との接触で養わう。
外に開かれない党は末端の一人に至るまで人間敵視体質に染まります。

「党の内部問題は、党内で解決する」と云うのも結局は嘘になります。
解決は下部が解決するのではありません、上部が解決すべきモノです。
然るに党内での解決責任を下部に押し付けるのは、無責任の極みです。

政党が独善で善いだろうか? 国政に係わるゆえに独善は許されない。
野党といえども政党である限り、国民の公僕たる自覚に立つべきです。
日本共産党は公僕となる自覚が生れていない未熟な党と言うしかない。
ここで未熟とは、政治・政党としての品格に欠けるということである。

社民党や国民新党、その他すべての政党で秘密主義の政党を知らない。
結局、日本共産党はそれほどに異常・危険と言わざるを得ないのです。
国民に隠しごとせず、政策は堂々と打ち出し、社会に参加すべきです。

まとめ
以上、民主主義社会の可能性を秘めているフランスとアメリカでした。
日本は説明責任さえも果さない者を崇める者がのさばる未熟社会です。
説明責任を果さない者たちとの訣別が、日本の民主主義の始まりです。

コメントをかく


「http://」を含む投稿は禁止されています。

利用規約をご確認のうえご記入下さい

Menu

メニューサンプル1

メニューサンプル2

開くメニュー

閉じるメニュー

  • アイテム
  • アイテム
  • アイテム
【メニュー編集】

Wiki内検索

フリーエリア

管理人/副管理人のみ編集できます