最終更新: kyo_shimai 2011年02月22日(火) 23:04:32履歴
概要トップ > 真如苑史 > 真如苑前史(立川不動尊教会)
発足当時、50名ほどだった青年が、一昨年、西武ドームで行われた「YHS〜ヤングハーモニーサンデー2002」には、海外、日本全国から3万2千人も参集したことは、この“50年”の成長を感じるとともに、教団立創から教導院様ご逝去、法難から真導院様ご逝去の月日を振り返らせ、真如教主様が青年に託してくださった両童子様の求願継承の願いの重さを感じざるを得ません。
昭和29年、当時小学生の真如継主さまが霊能を開かれたのは、この夏のことでした。
<教誌参照箇所>
一如の道 霊妙編 第四章 霊能者は語る
一、霊能者の誕生(P182〜187・釈注版P311〜318)
四、幼き子も霊能を開発(P193〜196・釈注版P329〜335)
毎年7月に行われている青年会の夏の修行「夏期錬成」。そのスタートとなる第一回夏期錬成が行われたのは、昭和30年にまで遡ります。この年の前年は真導院様の3回忌にあたり青年会が発足した年。今年で50年になる夏期錬成の歴史は、双親様が\"\"青年の中に両童子を見る\"\"とのみ心のもとに、青年を育んで下さった歴史と重なります。
真如継主様はある年の夏期錬成で以下のようにご瑞教くださいました。
『そのとき、すでに双親様は真如み教えが地球を、宇宙を、救う教えであることを確信していらしたのでしょう。だからこそ教えを未来永劫に伝えてゆく青年に期待されたのです。「青年の中に両童子をみる」とは、両童子様の姿形ではなく、ご内証を青年の精進に重ねてご覧になられていたのだと思います。教導院様の、他のためには喜んですべてを与えていかれる優しさ、真導院様のどこまでもまっすぐに正法護持してゆく潔癖な強さ。青年は誰もが両童子さまの優しさと強さを備えています。その心を磨いて「僕たちのできないことをしてください」と願われる両童子様のみ心に添い、お応えしてまいりましょう。』
現在、夏期錬成は全国335ヶ所で開催されていますが、第1回の夏期錬成は総本部だけで行われ、参加者も数十名という小さな規模でした。当時の夏期錬成の様子を調べて見ると・・・午前5時から午前6時半までの1時間半。清掃にはじまり、無相接心、有相接心、討論会・・まさに\"\"錬成修行\"\"という言葉がピッタリ! かつての青年会の先輩の両童子様の求願継承にお応えしようという熱意を感じますね。
教団に壊滅的な打撃を与えた法難と法嗣・真導院様のご帰幽を越えてもなお双親様の衆生済度へ貫徹したお姿は変わることはありませんでした。教苑の相次ぐ悲しみに、誰よりも深い悲しみを背負われるはずの双親様ですが、いつも私たちの先頭に立って盛り上げ、励まし、常に捨てきりの利他行に専心してくださいました。そして、教苑にようやく明るい兆しが見え始めた昭和28年、真導院様の三回忌を前に、教徒から自然に両童子さまの墓所建設を切望する声が上がりました。ところが、ある接心で「僕の休む所よりも皆さんの休み場所を先に・・・・」との真導院様のご霊言が示され、ご生前から一貫した真導院様のご精神に触れた教徒たちは、そこでさらに大きな使命感と喜びを持ち、教徒一丸となって接心道場建設に向かっていったのでした。
<教誌参照箇所>
内外時報636号
1956 (昭和31) 年11月11日。接心道場の建設工事が始まり、真如教主様は機関誌「歓喜世界」に「最後のみおしえ」を執筆するために涅槃経をひもといていらっしゃいました。
高貴徳王菩薩品のある一説に触れたとたん、ある構想が教主様に浮かびました。
「…像及び仏塔を造ること、猶し大拇指の如くし常に歓喜心を生ぜば即ち不動国に生ぜん……」
それは像の謹刻。最高のみ仏が刻まれているのを見て、祈り、精進すれば、一人一人の信徒の心底に眠っている仏性が目覚める。目覚めれば「常楽我浄」の仏土顕現へと勇猛心に奮い立てる。それは教主様のまさしく望んでおられたものでありました。
真如教主様が涅槃像の原型製作に着手され、12月中に完成。その翌年1月2日には丈六尺の大涅槃尊像謹刻に着手され、わずか2ヶ月半後の3月17日に完成されたのでした。
<教誌参照箇所>
一如の道
世界32
燈火念念 P.105
内外時報 65、66、73号
昭和31年11月11日、真如教主様は涅槃経の解説『最後のみおしえ』を執筆されるなか、「像及び仏塔を造 ること、猶し大拇指の如くし常に歓喜心を生ぜば則ち不動国に生ぜん」という高貴徳王菩薩品に一節に触 れられ、涅槃経を伝えるために涅槃尊像を刻むことを発願されました。一度は仏師に依頼したのですが、 不調に終わり、教主様は、自らご謹刻される決意をされます。
一息に五分の一の原型を制作すると、明けて昭和32年のお正月早々から、プレハブのアトリエを浄め、昼 夜をわかたずご謹刻に打ち込まれます。そうして、仏師から「構想を含めて3年をください」と言われた大 涅槃尊像は、昭和32年3月18日、奇跡的なスピードで完成を見るのです。
今年は、それから50年にあたります。
<教誌参照箇所> 『一如の道』 究道編 第三章 涅槃ご尊像の謹刻 二、涅槃尊像謹刻の発願
発足当時、50名ほどだった青年が、一昨年、西武ドームで行われた「YHS〜ヤングハーモニーサンデー2002」には、海外、日本全国から3万2千人も参集したことは、この“50年”の成長を感じるとともに、教団立創から教導院様ご逝去、法難から真導院様ご逝去の月日を振り返らせ、真如教主様が青年に託してくださった両童子様の求願継承の願いの重さを感じざるを得ません。
昭和29年、当時小学生の真如継主さまが霊能を開かれたのは、この夏のことでした。
<教誌参照箇所>
一如の道 霊妙編 第四章 霊能者は語る
一、霊能者の誕生(P182〜187・釈注版P311〜318)
四、幼き子も霊能を開発(P193〜196・釈注版P329〜335)
毎年7月に行われている青年会の夏の修行「夏期錬成」。そのスタートとなる第一回夏期錬成が行われたのは、昭和30年にまで遡ります。この年の前年は真導院様の3回忌にあたり青年会が発足した年。今年で50年になる夏期錬成の歴史は、双親様が\"\"青年の中に両童子を見る\"\"とのみ心のもとに、青年を育んで下さった歴史と重なります。
真如継主様はある年の夏期錬成で以下のようにご瑞教くださいました。
『そのとき、すでに双親様は真如み教えが地球を、宇宙を、救う教えであることを確信していらしたのでしょう。だからこそ教えを未来永劫に伝えてゆく青年に期待されたのです。「青年の中に両童子をみる」とは、両童子様の姿形ではなく、ご内証を青年の精進に重ねてご覧になられていたのだと思います。教導院様の、他のためには喜んですべてを与えていかれる優しさ、真導院様のどこまでもまっすぐに正法護持してゆく潔癖な強さ。青年は誰もが両童子さまの優しさと強さを備えています。その心を磨いて「僕たちのできないことをしてください」と願われる両童子様のみ心に添い、お応えしてまいりましょう。』
現在、夏期錬成は全国335ヶ所で開催されていますが、第1回の夏期錬成は総本部だけで行われ、参加者も数十名という小さな規模でした。当時の夏期錬成の様子を調べて見ると・・・午前5時から午前6時半までの1時間半。清掃にはじまり、無相接心、有相接心、討論会・・まさに\"\"錬成修行\"\"という言葉がピッタリ! かつての青年会の先輩の両童子様の求願継承にお応えしようという熱意を感じますね。
教団に壊滅的な打撃を与えた法難と法嗣・真導院様のご帰幽を越えてもなお双親様の衆生済度へ貫徹したお姿は変わることはありませんでした。教苑の相次ぐ悲しみに、誰よりも深い悲しみを背負われるはずの双親様ですが、いつも私たちの先頭に立って盛り上げ、励まし、常に捨てきりの利他行に専心してくださいました。そして、教苑にようやく明るい兆しが見え始めた昭和28年、真導院様の三回忌を前に、教徒から自然に両童子さまの墓所建設を切望する声が上がりました。ところが、ある接心で「僕の休む所よりも皆さんの休み場所を先に・・・・」との真導院様のご霊言が示され、ご生前から一貫した真導院様のご精神に触れた教徒たちは、そこでさらに大きな使命感と喜びを持ち、教徒一丸となって接心道場建設に向かっていったのでした。
<教誌参照箇所>
内外時報636号
1956 (昭和31) 年11月11日。接心道場の建設工事が始まり、真如教主様は機関誌「歓喜世界」に「最後のみおしえ」を執筆するために涅槃経をひもといていらっしゃいました。
高貴徳王菩薩品のある一説に触れたとたん、ある構想が教主様に浮かびました。
「…像及び仏塔を造ること、猶し大拇指の如くし常に歓喜心を生ぜば即ち不動国に生ぜん……」
それは像の謹刻。最高のみ仏が刻まれているのを見て、祈り、精進すれば、一人一人の信徒の心底に眠っている仏性が目覚める。目覚めれば「常楽我浄」の仏土顕現へと勇猛心に奮い立てる。それは教主様のまさしく望んでおられたものでありました。
真如教主様が涅槃像の原型製作に着手され、12月中に完成。その翌年1月2日には丈六尺の大涅槃尊像謹刻に着手され、わずか2ヶ月半後の3月17日に完成されたのでした。
<教誌参照箇所>
一如の道
世界32
燈火念念 P.105
内外時報 65、66、73号
昭和31年11月11日、真如教主様は涅槃経の解説『最後のみおしえ』を執筆されるなか、「像及び仏塔を造 ること、猶し大拇指の如くし常に歓喜心を生ぜば則ち不動国に生ぜん」という高貴徳王菩薩品に一節に触 れられ、涅槃経を伝えるために涅槃尊像を刻むことを発願されました。一度は仏師に依頼したのですが、 不調に終わり、教主様は、自らご謹刻される決意をされます。
一息に五分の一の原型を制作すると、明けて昭和32年のお正月早々から、プレハブのアトリエを浄め、昼 夜をわかたずご謹刻に打ち込まれます。そうして、仏師から「構想を含めて3年をください」と言われた大 涅槃尊像は、昭和32年3月18日、奇跡的なスピードで完成を見るのです。
今年は、それから50年にあたります。
<教誌参照箇所> 『一如の道』 究道編 第三章 涅槃ご尊像の謹刻 二、涅槃尊像謹刻の発願
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