最終更新: ballatasinfonica 2010年09月04日(土) 23:35:17履歴
伊福部の戸籍上の誕生日は三月五日であるが、その届け出は生後数年たってからである。伊福部が母に聞いた話によると、父利三がある女性(小奴という名の芸者として石川啄木の恋人でもあったが、利三と出会ったころは釧路の近江屋という旅館を開いていた)に昭を養子として出す約束をしていたからだという。(木部、1997、pp36-37)
《日本狂詩曲》がボストンで初演される際、三浦淳史の勧めでラヴェルと同じ生年月日である三月七日としてしまった。(木部、1997、p37)
小林、2004、pp19-20では戸籍上の誕生日も三月七日としているがこれは誤りと考えられる。
《日本狂詩曲》がボストンで初演される際、三浦淳史の勧めでラヴェルと同じ生年月日である三月七日としてしまった。(木部、1997、p37)
小林、2004、pp19-20では戸籍上の誕生日も三月七日としているがこれは誤りと考えられる。
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