伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。編集は不可能としているので、データの誤りなどありましたらコメントでご一報ください。

伊福部の戸籍上の誕生日は三月五日であるが、その届け出は生後数年たってからである。伊福部が母に聞いた話によると、父利三がある女性(小奴という名の芸者として石川啄木の恋人でもあったが、利三と出会ったころは釧路の近江屋という旅館を開いていた)に昭を養子として出す約束をしていたからだという。(木部、1997、pp36-37)

《日本狂詩曲》がボストンで初演される際、三浦淳史の勧めでラヴェルと同じ生年月日である三月七日としてしまった。(木部、1997、p37)

小林、2004、pp19-20では戸籍上の誕生日も三月七日としているがこれは誤りと考えられる。

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伊福部昭データベース
伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。
当初「二次文献による伊福部昭wiki」と題して二次文献の調査を進めておりましたが、二次文献がほぼ網羅できましたので、現在一次文献を基にデータを更新しています。