伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。編集は不可能としているので、データの誤りなどありましたらコメントでご一報ください。

「8月、チェレプニンの滞在する横浜に赴き、作曲法と管弦楽法を教わる。」(豊田)

「同年7月、来日中のアレクサンドル・チェレプニンを訪ね、横浜にて約一ヶ月間作曲法・管弦楽法のレッスンを受ける。」(伊福部昭公式HP)

「(引用者註:チェレプニンは)始めの七、八月は箱根のホテルに滞在して、オペラの作曲を続けたが」(富樫、相良、p31)

「8月、チェレプニン来日。横浜のブラッフ・ホテルで一ヶ月間、作曲法と管弦楽法を教わる」(相良、p286)

「7月、横浜のブラフ・ホテルにてチェレプニンのレッスンを受ける。」(木部、1997、p409)

チェレプニンからの手紙が伊福部に届いたのは四月の終り頃、龍吟社社長湯浅永年の取次による。厚岸を七月二十五日に出発、二十七日に東京着。翌二十八日に歌舞伎座でチェレプニンと会う。その後目黒雅叙園へ。その日はチェレプニンは横浜のブラフ・ホテルに宿泊、伊福部は湯浅宅に宿泊。その後三週間伊福部もブラフ・ホテルに宿泊し、、チェレプニンにレッスンを受ける。レッスン後、横浜のホテルニューグランドで酒を飲んだ。(木部、1997、pp193-207)

「チェレプニン賞を受賞した翌年の1936年8月にチェレプニン本人が来日し」(小村、CD「伊福部昭 作品集」ブックッレット、p5)

年表では最も記述が詳細な木部、1997の説を取った。

「チェレプニン・エディションから《日本狂詩曲》《ピアノ組曲》の楽譜が出版される。」(豊田)

楽譜《日本狂詩曲》「日本組曲(ピアノ組曲)」(《ピアノ組曲》]が出版される(龍吟社)」(伊福部,p175)

「チェレプニン・エディションとして《日本狂詩曲》《ピアノ組曲》の楽譜が発行される。」(相良,p286)

「チェレプニン・コレクションに『盆踊』(《盆踊り》)収められる」(木部、1997、p409)

国会図書館NDL-OPACでの検索によると、1936年に龍吟社から出版されたのは「盆踊り」のみであり、1939年に「七夕・演伶・佞武多各ピアノ独奏曲」が出版された。(wiki制作者調査)

このころ、北大の植物学者の舘脇操と新種の桜を見つけ、「form. Ifukubei Tatewaki, form. nov. Petala rosea oblonga vel oblongo-ovata」と名付けられる。『北海道林業会報』第三十五巻に舘脇が「北海道サクラ属の分類」という論文を書いた(木部、1997、p240)

柴田、pp140-141では、「北海道林業会報第三十五巻別刷」(1936年)に館脇が報告し、その正式学名は「form. Ifukubei Tatewaki,form. nov. Petala rosea Oblonnga vel oblngo-ovata」とある。しかし、これは札幌交響楽団第569回定期演奏会プログラム、2014年5月30日−31日、からの引用の可能性も高い。

上記2つの異同は調査が必要。

「これ《日本狂詩曲》は1936年にチェレプニン賞(略)の第1席に入賞」(柴田南雄、CD「現代日本の音楽名盤選3」ブックレット、p2)これは初演年あるいは出版年を受賞年としていると考えられる。

日本近代音楽館所蔵プログラム確認。昭和11年10月23日、会場不明、チェレプニン洋琴獨奏會にて盆踊り(《ピアノ組曲》より)が初演される。(追記)豊田・片山、2014、p223では「10月10日、チェレプニンが東京で《ピアノ組曲》の中の一曲〈盆踊〉を初演。次いで大阪、北海道でも演奏」とあるため、この10月23日、会場不明のプログラムは東京初演後の大阪あるいは北海道での演奏会の可能性もある。要調査。

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伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。
当初「二次文献による伊福部昭wiki」と題して二次文献の調査を進めておりましたが、二次文献がほぼ網羅できましたので、現在一次文献を基にデータを更新しています。