伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。編集は不可能としているので、データの誤りなどありましたらコメントでご一報ください。

1946年昭和21年《ギリヤーク族の古き吟誦歌》作曲。8月、栃木県日光市久次良に転居。9月、東京音楽学校(現東京藝術大学)作曲科に管弦楽法の講師として就任。

1947年昭和22年1月26日、独唱曲《ギリヤーク族の古き吟誦歌》ベルトラメリ能子の歌唱で初演。東京都世田谷区等々力町に転居。谷口千吉監督「銀嶺の果て」にて初めての映画音楽を手がける。12月1日、バレエ音楽《エゴザイダー》初演。新作曲派協会に参加するが、遅筆を理由に脱会する。

1948年昭和23年3月、世田谷区多摩川奥沢町に転居。5月29日から31日バレエ音楽《サロメ》初演。6月22日《ヴァイオリン協奏曲》(現在の曲名は「《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》)初演。10月31日バレエ音楽《さ迷える群像》初演。12月1日、独唱曲《サハリン島土蛮の三つの揺籃歌》(《サハリン島先住民の三つの揺籃歌》)初演。

1949年昭和24年?1月19日、父、利三死去。《子供のための舞踊曲 リズム遊びのための10の小品》作曲。12月20日バレエ曲《憑かれたる城(バスカーナ)》初演。

1950年昭和25年9月、世田谷区尾山町(現・尾山台)の現住所に転居。12月11日、バレエ音楽《プロメテの火》初演。

1951年昭和26年11月、『音楽入門』(要書房)刊行。11月17日、日比谷公会堂においてバレエ音楽《日本の太鼓「鹿踊り」》初演。

1952年昭和27年《ヴァイオリンと管絃楽のための狂詩曲》(《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》)ジェノヴァ国際作曲コンクールに入選。

1953年昭和28年3月、東京藝術大学講師を退く。11月6日、バレエ音楽《人間釈迦》初演。『管絃楽法』(音楽之友社)刊行(『管絃楽法』上下二巻の増補部分を除く上巻)。11月30日にラジオ放送による音楽劇《ヌタック・カムシュペ》が放送。この作品が芸術祭賞受賞。

1954年昭和29年?管弦楽曲《シンフォニア・タプカーラ》作曲。映画「ゴジラ」(本田猪四郎監督)の音楽を担当。11月29日、放送劇《夜の笛》北海道放送で放送。

1955年昭和30年早坂文雄死去。1月26日、アメリカでフェビアン・セヴィツキー指揮 インディアナポリス交響楽団によって《シンフォニア・タプカーラ》初演。11月30日、音楽劇 《人工衛星の恋》北海道放送で放送、第10回芸術祭参加。7月、《ヴァイオリンとピアノのための二つの性格舞曲》作曲。映画「美女と怪龍」(吉村公三郎監督)によりブルーリボン賞音楽賞受賞。

1956年昭和31年3月16日《シンフォニア・タプカーラ》日本初演。10月1日、《ヴァイオリンとピアノのための二つの性格舞曲》、アムステルダム・デュオによりアムステルダムにおいて初演。。映画「ビルマの竪琴」(市川崑監督)、「真昼の暗黒」(今井正監督)、「鬼火」(千葉康樹監督)の音楽で第11回毎日映画コンクール音楽賞受賞、同作品によりブルーリボン音楽賞受賞。11月21日、仮面舞踏劇《ファーシャン・ジャルボー》初演。《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》作曲。12月1日、北海道放送で放送詩劇《コタン・コル・カムイの嘆き》放送。

1957年昭和32年?sop:ベルトラメリ能子、timp小森宗太郎で1月12日、《アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌》初演。吉村公三郎監督作品『大阪物語』で京都芸能記者会音楽賞受賞。

1958年昭和33年?《合唱頌詩「オホーツクの海」》作曲、2月26日に自らの指揮と東京交響楽団、北海道放送で放送初演。11月20日《暁の星のうすれるとき》、ニッポン放送で放送。

1959年昭和34年?4月18日、NHK交響楽団、岩城宏之指揮で《合唱頌詩「オホーツクの海」》舞台初演。11月5日、vn小林武史、cond森正、ABC交響楽団で《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》1959年版改訂初演。

1960年昭和35年10月26日、バレエ曲《日本の太鼓「狐剱舞」》?初演。

1961年昭和36年2月9日、《シレトコ半島の漁夫の歌》初演。4月、合唱曲《北海道賛歌》?(管絃楽伴奏)初演。《ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ》作曲、10月9日、Pf:金井裕、上田仁指揮、東京交響楽団により初演。

1962年昭和37年?

1963年昭和38年

1964年昭和39年?

1965年昭和40年?10月28日、母キワ死去。

1966年昭和41年?11月北海道大学合唱団委嘱による《シレトコ半島の漁夫の歌》(合唱版)が初演

1967年昭和42年ギター独奏曲《古代日本旋法に依る蹈歌》作曲。

1968年昭和43年2月11日、ギター独奏曲《古代日本旋法に依る蹈歌》パリ国立放送で放送初演。『管絃楽法』(音楽之友社)上巻増補版と下巻刊行。

1969年昭和44年?2月10日、日比谷公会堂、若杉弘指揮、小林仁ピアノ、読売日本交響楽団にて《ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ》改訂版で再演。5月27日、ギター独奏曲《箜篌歌》、パリ・インターナショナル・コンテストで初演、コンテスト入選。

1970年昭和45年?、EXPO’70のパビリオン「三菱未来館・日本の自然と日本人の夢」の音楽を手がける。NHK-FM「現代の音楽」、「ギリヤーク族の音楽」に出演、8月22日放送。ギター独奏曲《ギターの為のトッカータ》初演。

1971年昭和46年?《ピアノと管絃楽のためのリトミカ・オスティナータ》現行版に改訂。《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》現行版に改訂。

1972年昭和47年?3月30日、バレエ曲《日本二十六聖人》?初演。11月21日、手塚幸紀指揮、東京佼成吹奏楽団により吹奏楽曲《ブーレスク風ロンド》初演。

1973年昭和48年?9月8日放送のNHK-FM「現代の音楽」で、vn徳永二男、石橋達也指揮、東京フィルハーモニー管絃楽団により《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》現行版で再演。10月5日、田村拓男指揮、日本音楽集団により邦楽器合奏曲《郢曲「鬢多々良」》初演。

1974年昭和49年?東京音楽大学作曲科教授就任。

1975年昭和50年?3月8日、長兄、宗夫死去。9月17日、vn黒沼ユリ子、山岡重信指揮、日本フィルにより《ヴァイオリンと管絃楽のための協奏風狂詩曲》(現行版)舞台初演。

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伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。
当初「二次文献による伊福部昭wiki」と題して二次文献の調査を進めておりましたが、二次文献がほぼ網羅できましたので、現在一次文献を基にデータを更新しています。