伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。編集は不可能としているので、データの誤りなどありましたらコメントでご一報ください。

「[厚岸森林事務所に]最初は仮採用ですよ。初めて行ったのは十月一六日」「湾月町の五味旅館というところに部屋を借りることにしました。(略)結局、仕事を辞めるまでここにいるんです(略)真竜町にあった支店が、今ではホテルと名を変えて営業を続けているそうです」(木部、1997、p170)

「一九三五(昭和一〇)年一〇月一六日、秋も深まる頃、長身の一人の若い林務官が駅に降り立った」(柴田、p130)この情報の出展不明。

「同年[引用者註、1935年]、チェレプニン作曲コンクールに応募した初の管弦楽作品《「日本狂詩曲》?がパリにおいて審査員アルベール・ルーセル、アレクサンドル・タンスマン、アンリ・ジル=マルシェ、アンリ・プリュニエール、ジャック・イベール、ティボール・ハルシャニー、ピエール・オクターブ・フェルーらの満場一致を得て第一位入賞。」(公式HP)

「伊福部のもとに、チェレプニン賞受賞の知らせが届いたのは、1935(昭和10)年12月17日。翌18日の北海タイムスには、こんな大見出しが踊っている(中略)」(木部、CD「伊福部昭 米寿記念演奏会完全ライヴ」ブックレット、p22)

片山、CD「日本管絃楽名曲集」ブックレット、p3ではチェレプニン賞が1936年に審査結果発表とあるが、これは誤りと考えられる。

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伊福部昭データベース
伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。
当初「二次文献による伊福部昭wiki」と題して二次文献の調査を進めておりましたが、二次文献がほぼ網羅できましたので、現在一次文献を基にデータを更新しています。