最終更新: ballatasinfonica 2010年07月23日(金) 09:05:38履歴
幼少時は父の転勤に伴って根室、釧路と移り住む(豊田)
「一九〇七年明治四十年五月。それまで神奈川県警察の小田原署に勤務していた利三は、転勤の形で北海道の地を踏む。署長になったのは、それから七年後、昭が生まれるより二か月早い、一九一四年三月」(木部、1997、pp37-38)
「父が釧路警察の署長に就任したのは一九一四(大正三)年の三月です。同じ年の十月には根室警察署長、一九一八(大正七)年六月には網走警察署長になりました。その網走で、私は網走尋常小学校に入学したわけです。一九二〇(大正九)年九月のことでした。
(略)網走警察の次には札幌に移り、札幌教習所の所長になります。警察学校のようなものでしょう。私も札幌の西創成尋常小学校に転校し、さらに大通尋常小学校に移りました。(略)
一九二〇年十一月、父は札幌を離れ、帯広警察署の署長になりました。ここで丸二年をつとめた後、河東郡音更村の村議会から推薦されて、一九二三(大正十二)年七月に音更村村長になったのです」(木部、1997、pp48-49(伊福部の言葉と思える))
「一九〇七年明治四十年五月。それまで神奈川県警察の小田原署に勤務していた利三は、転勤の形で北海道の地を踏む。署長になったのは、それから七年後、昭が生まれるより二か月早い、一九一四年三月」(木部、1997、pp37-38)
「父が釧路警察の署長に就任したのは一九一四(大正三)年の三月です。同じ年の十月には根室警察署長、一九一八(大正七)年六月には網走警察署長になりました。その網走で、私は網走尋常小学校に入学したわけです。一九二〇(大正九)年九月のことでした。
(略)網走警察の次には札幌に移り、札幌教習所の所長になります。警察学校のようなものでしょう。私も札幌の西創成尋常小学校に転校し、さらに大通尋常小学校に移りました。(略)
一九二〇年十一月、父は札幌を離れ、帯広警察署の署長になりました。ここで丸二年をつとめた後、河東郡音更村の村議会から推薦されて、一九二三(大正十二)年七月に音更村村長になったのです」(木部、1997、pp48-49(伊福部の言葉と思える))
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