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論語に出てくる用語を読む上での解釈です。
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孔子の経歴

 孔子は若いころ大変に苦労したようで、「吾、少(わか)かりしとき賤(い)し、故に鄙事(ひじ)に多能なり」。『私は若い頃大変貧しかった。だから食べる為に、何でもやったので、つまらないことに多芸多能になったのだ』と述懐しております。
 晩年には、自分の人生を振り返り「吾、十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と述べています。

B.C.551年春秋末期の魯国にて、父孔こつ・母顔徴在との間に孔子生まれる。(姓は孔、名はこつ、字は叔梁) 腹違いの姉九人・兄一人(孔孟皮)がいる。 父孔こつは下級武士であったと云われる。孔子の姓は孔(子は先生の意)、名は丘、字は仲尼。(長男は伯、次男は仲、三男は叔、末っ子は季)
3才父と死別
17才母と死別
19才幵官氏と結婚、1男1女。長男の名は鯉、字は伯魚・長女の名はじょう。鯉の長男、すなわち孔子の孫が仭・字は子思
27才魯国に仕官して家畜の管理や会計の職務に就く。
30才弟子をとり始め私塾を開設する。
51才魯の定公に用いられ中都の長官となり、実績が認められて大司寇(今の総理大臣と法務大臣を兼ねたようなもの)に抜擢され、魯国の大改革を行う。
55才職を辞し流浪の旅に出る。以後13年間も弟子とともに旅を続ける。
68才魯に帰国する。哀公に仕官を求められるが断わり、青年教育に余生を捧げる。
B.C.479年73才でこの世を去る。
2007年04月22日(日) 12:20:33 Modified by hanamaru0001




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