十二年を埋めるまで

初出スレ:2代目425〜

属性:男子高校生と?歳女性



 プシッという破裂音が、校庭に響く。手にした缶コーヒーのプルトップを、治が勢い良く開けた音だった。
 治が校庭が見渡せる木製のベンチに腰かけて、開けた缶コーヒーに口づける。
 その隣には、緑茶のペットボトルを手にした、薄紫色のサマーセーターにワンピース姿の女性が座っていた。
 平日には生徒達の掛け声で賑う校庭に、人影は無い。日曜とあってか、部活は早目に切り上げられているようだ。
 「それで、いいんですか?」
 隣の女性が握ったペットボトルを見ながら、治が訪ねた。
 「ええ、これ好きなの」
 その問に、校庭の向こう側を見ながら、女性が答える。
 浮世離れした深く、悲しげな瞳。
 十二年という歳月を隔てても変わらないものなのか。治は心の中でひとりごちながら、缶に口を戻した。
 「こっちに、帰ってたんですか」
 唇を湿らせる程度にコーヒーを飲んだ後、話しかける。
 「つい最近ね。今月に入ってから」
 「てっきり、死んでたんじゃないかと思ってましたよ」
 思わず皮肉が出る。予期せぬ再会に、治は自分の心が平静で無いことを悟っていた。
 
 どうして、彼女が。

 坂口庵子(さかぐちあんこ)

 自分よりも一つ上の先輩。そして、初恋の人。
 
 缶コーヒーを持つ左手が震えている。
 あまりにも突然過ぎて、身体と心が一種の緊張状態にあるのだ。
 気を抜けば、声も震えてしまうだろう。それを抑えるために皮肉めいた口調になる。
 自分の精神が彼女、坂口庵子という存在に対して、過剰防衛ともいえる反応を取っているのだ。
 (くそっ、俺は何をしたいというんだ)
 言いたいことは、それこそ数えきれないくらいにある。あり過ぎて、何から言葉にすれば良いのか分からないのだ。
 不安をかき消すかのように、ブラックコーヒーを喉の奥へと注ぎ込む。苦い。
 「酷いわね」
 治の皮肉を耳にした彼女が、庵子が口元だけで笑う。
 その自嘲めいた笑顔があまりにも綺麗で、治は見とれてしまった。おかげで口元からだらしなく、茶色の液体が漏れ落ちた。 
 
 「でも、そのとおりね。私はもう、死んでいるから」
  
 事も無げに庵子が答えた。治の買ったペットボトルの蓋を開けるでもなく、ただ手の中で弄んでいる。
 治は口元に残った茶色を拭いながら、庵子の顔を見た。
 何を考えているのか分からない、微笑を浮かべたままの表情が、校庭の先に映る風景を眺めている。
 海山手高校は、その名のとおり海に面した山の斜面に造られており、丁度校庭から海を見渡すことが出来た。
 深く入り込んだ入り江を中心とし、海から駆け上がるようにして伸びていく山手に発展してきたこの町である。
 海を隔てた先には、造船のドックを中心にした街と、小高い山々が広がっていた。
 「そっすか」
 治は短く答えると、庵子と同じ方向に視線を向けた。山の頂上に建てられた展望台が、茜色に染まる空を背にして聳え立っていた。
 かつては日本三大夜景の一角を担ったこの町の夜景が、眼下に一望出来る場所である。
 

 「変わらないんですね、先輩は」
 いつの間に開けたのだろうか、庵子はペットボトルのお茶を口に含んでいる。
 夏にしては肌寒い風が、二人の間をすり抜けた。
 「そうよ」
 ややあって、庵子が答えた。
 「私はずっと死んでいるもの。治くんに出会う、ずっと前から」
 その答えに、治の口が真一文字に結ばれる。眉間に皺がより、厳しい表情が露わになった。
 「そう、でしたね」
 ぴきりと音がする。コーヒーの缶がわずかにへこむ音。
 何故かは分からない。しかし言いようの無い力が、缶を握る手に入ったのである。
 「学校の連中も、先生達も、うすうすは感じていました。だけど、言葉にはしていなかった」
 「………」
 「先輩は、坂口庵子は死んでいると」
 「………」
 「正確には『死んだような目をしている』ってことですが、それだけじゃない」
 独白と言ってもよい、治の言葉が校庭に響く。
 過去。十二年という時の流れは、決して短くはない過去である。
 しかし、治は思い出していた。思い出す事が出来た。
 色褪せない、青春時代の思い出。それは彼女が居たからこその思い出だったのだから。
 「先輩は、俺たちにとっては別の世界の人だったんです。全く俺たちとは関わらない、誰とも必要以外の話はしない。」
 「………」
 「綺麗だけれども掴み所が無くて、すぐに姿を消して、まるで―――」
 「幽霊女?」
 治の言葉を繋げるかのように、庵子がそれまで黙っていた口を開いた。
 そうだ、幽霊女。
 学生時代、学校の連中が彼女へと付けた渾名そのままだった。
 治の知る限り、面と向かって彼女に言ったものは居なかったはずだが、陰では誰もがそう言っていたことは知っている。
 
 お高くとまった幽霊女―――。


 「そこは否定して欲しかったわ」
 気がつけば、庵子はベンチから立ち上がり、治を見ていた。
 悲しさを湛えた瞳。見ている者を引き込まざるを得ない、魔性を帯びた視線だった。
 「幽霊なんて言われて、喜ぶ女の子が居ると思う?」
 「あ…、すいません」
 治は呆然としていた。
 彼女が自らの悪口を彼女自身の口から言うのに、驚いてしまった。
 いや、正確には彼女自身がその陰口を知っていたからだった。
 「その顔は何?私が知らないとでも思っていたの?」
 「え、ええ」
 「馬鹿ね。陰口というのは嫌でも耳に入ってくるのよ、それに」
 耳に掛かった長い髪を、人差し指で掻き上げながら庵子は俯く。
 伏せた瞼に憂いが混じるのを、治は胸の高鳴りと共に感じていた。
 男の心を蕩かせるその仕草は、商売女の計算し尽くされたそれとは比べ物にならないほど、自然で美しい。 
 「…一回ね、後輩の子に言われたことがあるのよ」
 寂しげに彼女が呟いた。
 「その子の彼氏が私のファンだったみたいで、気に食わなかったのかな。自分という彼女がいるのに、私の方ばかり見ている彼氏に我慢できなかったみたい」
 ああ、もう十年以上も前の話だから忘れていた。治は確かにその噂を聞いたことがある。
 幽霊女にケンカを売った奴がいる。正確には「売った」と「奴」の間に一つ形容詞が入っていたはずだ。
 「馬鹿な」という、哀れみを帯びた形容詞が。
 「放課後に、体育館裏に呼び出されてね。『この幽霊女!私の彼氏を誘惑しないでよ!!』って言われたの」
 その女生徒は治の同級生だった。クラスは違うが、二・三度見かけていたはずである。
 「私は何もしていなかったのにね。本当、私が学校の皆に色目を使うはずが無いのに」
 彼女の言うとおりだった。彼女が学校の生徒に色目を使うなどということは考えられなかったのだ。
 だから皆、あの女生徒を二つの意味で「馬鹿な奴」と言ったのである。
 一つは、心配しなくても良いことを邪推するという意味で、もう一つは、彼女に喧嘩を売った事実に対して。
 「可哀想だったわね、あの子」
 治は目を閉じた。その女生徒がどうなったのか、よく知っていたからである。
 庵子に喧嘩を売ってから数日後のこと、彼女は学校から姿を消した。
 担任からの説明では転校だということだったが、その背景に裏があることは皆が熟知していた。
 転校という学生にとっての一大事にも関わらず、その挨拶に本人の姿が無かったためである。
 「ええ」
 幽霊女に消された。
 直後にこんな噂が流れたのは言うまでも無い。
 それを信じさせるだけの背景が、坂口庵子という女生徒にはあった。アン・タッチャブル、何者も手を出すことの出来ない存在。
 そう、見えているのに透けて、手の届かない――
 幽霊女という渾名には、そういう意味もあった。
 治もその渾名に怯えていた一人だった。だからこそ、出来なかったのだ。
 十二年前、目の前にいるこの女性に、自分の思いを伝えることが。
 「ねえ、治くん」
 自分を呼ぶ声に、治は振り向いた。いつの間にか、庵子が鼻先三寸のところに居る。
 治は思わず、身を仰け反らせていた。
 「あら…」
 予期せぬ反応に、庵子が僅かにたじろぎ、目を見開く。
 だが、驚きに染まった治の顔を見ると、口元に薄い笑みを浮かべた。
 「照れているの?今更」
 図星だった。治は、自分の鼓動が高鳴っているのを感じていた。
 庵子のいない十二年の間に、治も人並みに彼女を作り、女性の経験もそれなりにはある。
 しかし、男というものの悲しさか、初恋の人を前にしては、誰もが思春期の少年になってしまうのだ。
 (畜生、教師が聞いて呆れるな…)
 なんて様だ。治は自嘲(わら)った。
 多感な高校生の兄貴分であり、恋愛相談にも乗ってやる若手教師という立場。
 そんな自分が、年端も行かぬ子供のような反応をとっていることを知り、自嘲が止まらなかった。

 「駄目よ、治くん」
 頬を引きつらせて自嘲う治とは対照的に、庵子は浮かんだ笑みをすっ、と消しながら治を見つめた。
 悲しく、そして冷たい視線。生理的な嫌悪感を感じ、治は思わず目を伏せた。
 「もう、遅いの」
 ごつん。と、目に見えない金槌で頭を殴られたような衝撃が治を襲った。
 ああ、切れてしまった。
 彼女の言葉は、自分の奥底に残っていた淡い期待が、完全に断ち切られたことを意味していた。
 庵子にとって、自分は過去の人なのだ。
 あわよくば……と思っていたのは自分だけだったのだ。
 「私が『死ぬ』前に出会っていればよかったのにね」
 寂しそうに庵子は告げた。治にしてみれば文字通り死の宣告ともいえる言葉を。
 「どっちにしても、駄目だったでしょうね」
 自分でも痛々しさを感じるほどの強がりを告げて、治は耐えた。でなければ、今にも身体が崩れ落ちる気がしていた。
 「俺は『死んでいた』先輩しか知らなかったんですし、それに」
 そんな先輩を、好きになったんです。
 最後の言葉は心の中だけに留めた。
 何を言ってももう遅く、口にしたところで空しいだけである。
 「まぁ、もう昔の話です」
 コーヒーを飲み干して、話を終える。しばしの間沈黙が続いた。
 茜色の空に、段々と薄紫が混じってゆく。思っていた以上に、時間は通り過ぎているようだ。
 「こっちには、いつまで居るんですか?」
 沈黙を破ったのは治だった。
 「わからない。でも長くは居ないと思う」
 ペットボトルの蓋を閉めながら、庵子が答えた。
 「この街には、思い出が多すぎるから」
 「なるほど」
 庵子が治に背を向ける。話の終わりが近づいているのだ。
 「でも、用事を済ませてからになると思うわ」
 「用事?何ですか、それは」
 「秘密。まぁ、今まで出来なかったことをするつもり」
 治は首を傾げた。よく意味が分からない。
 「しばらくはここに居るつもり。時々はここに来るかもしれないから、そのときは宜しくね」
 狐につままれたような顔の治を残して、庵子は立ち去ろうと歩き始めた。
 と、少し歩みを進めてから、不意に彼女は踵を返した。
 「あ、そうだ。私ね、もう坂口庵子じゃないのよ」
 「……?」
 「今の私は庵、坂口庵というの」
 「さかぐち、いおり?」
 聞き覚えがある名前だった。
 たった一文字、庵子から一文字消すだけのその名前が意味するところを、治は知っていた。
 「うん、おじいちゃんがね、死ぬ前にこの名前をくれたの。可笑しいでしょ?一文字削ったのに、くれたなんて」
 「そうですか、あいつが」
 その名前はあの男が、庵子の保護者であるあの男が、唯一愛した女の名前だった。
 そうだ、元々庵子があの男に引き取られたのも「名前が似ている」ことが切っ掛けであった。
 庵という名を刻み込むことによって、あの男は、まだこの女性を閉じ込めようとしているのか。
 治は缶を持つ右手に力を込めた。
 ぴきっ、とスチールがへこむ音が校庭の中に響いた。
 

 帰宅した僕はただいまと言うのも忘れ、一目散に洗面所へと駈け出した。
 靴を脱ぐのももどかしく、どたどたと音を立てて廊下を走り、勢い良く洗面台の蛇口を捻る。
 母さんの呼ぶ声が聞こえたが、今はとにかく唇を洗いたかった。
 眼鏡を外し、流れ出る水を両手で掬い、顔にかける。夏の熱気で生暖かいが、頭を冷やすには丁度いい冷たさだ。
 二・三度同じことを繰り返す。特に唇は念入りに洗った。
 鏡を見れば、水浸しの僕の顔が情けなく映っている。唇に手を当てて拭ってみたが、口紅は付いていないようだった。
 僕はほっとして溜息を付くと、洗面台に備え付けられたタオルを手にして、顔を吹いた。
 「周。帰っとったとね」
 吹き終わって、タオルを元の位置に戻した時に、母さんが台所からやってきた。夕飯の支度をしているためか、山吹色のエプロンを掛けている。
 「ただいまくらい言わんね、そがんあせがらんで(焦らなくて)よかたい」
 「あ、うん。ごめん、母さん」
 「ひゃ〜また汗ばかいて、早よ脱がんね。シャワーも浴びらんば」
 母さんの言葉通り、学校からここまで走ってきた僕の体は、汗で塗れていた。
 言われるがままに服を脱ぎ、洗濯籠に放り投げる。…勿論母さんを洗面所から追い出してのことだが。
 風呂場に入り、シャワーを浴びる。冷たい水が、僕の体に染み付いた汗と彼女の匂いを消してくれることを願って。
 規則正しい雨の中、僕は肌の上を雫が滑っていくのを呆然と見ていた。
 しばらくしてから風呂場を出る。ふかふかのバスタオルで体を拭いていると、洗面台に置いていた携帯電話のランプが光っているのが見えた。
 頭を拭きながら眼鏡を掛け、折りたたまれていた液晶画面を見る。
 CTガールのネコちゃんが夕日に佇んでいる姿の待ち受け画面を横切るように『新着メールあり』の文字が浮かんでいた。
 すぐに決定ボタンを押して画面を開く。受信ボックスの先頭には、「恋先輩」の名前があった。
 直ぐに画面を開いてみる。
 『心配だったので、メールをしてみました。私に出来る事があれば、可能な限り手伝いますのでいつでも連絡して下さい』
 ああ、手紙を書いているかのようなこの文体は、恋先輩に間違いない。
 思わず顔が綻ぶ。端から見れば無愛想極まりない恋先輩だが、僕のことを心配してくれていたのだ。
 だが、さっき放送室であった事を思うと、喉の奥に厚いものを感じた。
 奪われたファースト・キス。出来る事ならば、振られる前に恋先輩に捧げたかった僕の大切なもの。
 唇に手を伸ばし、確認するかのように触ってみる。ぶわりと、あの時の奇妙な柔らかさが戻ってきたような気がした。
 そうか、もう、捧げることは出来ないのか。
 馬鹿なことを考えている。もう終わってしまった恋なのに。
 どうして僕は恋先輩に対して、申し訳の無さを感じているのだろうか。言葉には出来ない奇妙な感覚が、胸の中に渦巻いていた。
 一度携帯電話を置き、再び身体を拭い始める。
 拭き終わった後に下着を身に着け、母さんが綺麗に折りたたんでいたジーンズを履く。
 僕がもう一度携帯電話を手にしたのは、タオル掛けにバスタオルを戻してからのことだった。
 『大丈夫、心配いりません。気にしてくれておりがとうございます』
 二階の自室に戻りながら、文面を打つ。丁度部屋に入った時に打ち終わり、僕は送信ボタンを押した。
 

 「ふ〜っ」
 勉強机の上にある充電器に携帯電話を戻し、僕はベッドの上に寝転がった。
 天井を見上げると、紐が垂れ下がった電灯がぼんやりと見える。 
 (今起きたってわけじゃ、ないんだよな)
 起きてから今までの出来事が夢ではないということは、僕自身がよく知っていた。
 それでも、あの放送室での出来事は夢ではなかったのかと思う。知り合ったばかりの女性、それもとびきりの美人によるキス。
 しかもそれが幽霊屋敷の幽霊によるものだとすれば、あまりにも現実からかけ離れすぎていて…。
 正直、思春期特有Hな妄想を見ていたというオチの方が幸せなのかもしれない。
 はっきりと分かるのは、庵さんが現れたことにより、これまでの日常が変わりつつあるということだった。
 謎の女幽霊、庵さん。
 幽霊屋敷の主であるということ、僕に付き纏っているということ、そして、Hな人だということ。
 そのくらいしか分からない。キスとかあそこを触るなど、僕を気に入っているようだが理由が分からない。
 美形でもなく、大きくもなく、運動神経も良くないただの学生である僕を何故…?
 ベッドの上を転がりながら考えるが、その答えは見つからなかった。
 「あ、そうだ」
 何度目かに転がった後、僕はあることを思い出して上体を起こした。
 分からない時は、調べれば良いんだ。
 ベッドから飛び降りて、部屋を出る。勢いよく階段を下りて廊下へと降り、父さんの部屋の扉を開けた。
 「周ぇ、騒がしかよ」
 母さんの声を後ろに扉を閉めると、僕は父さんの仕事机の上にあるパソコンの電源を入れた。
 型の古いデスクトップ式のパソコンはインターネットに繋がれており、父さんが使わない時に限り家族で使うものだった。
 起動画面が立ち上がり、父さんらしく壁紙も何もない基本画面がディスプレイに映る。
 僕は直ぐにお気に入りのフォルダを開くと、いつものようにそのホームページの名前をクリックした。
 
 『押忍!心霊道場』

 オカルトマニア御用達とも言われる、心霊現象や幽霊関係の情報が満載されたホームページだ。
 小学校でのパソコンを使った授業以来、僕が嵌っているところでもある。
 濃い紫色に彩られたトップ画面にはメニューと共に日本地図が記載されており、カーソルを県の上に置くと、サイドメニューが出てくる。
 僕は画面で自分の住む県を選択し、サイドメニューにある『有名所』の画面を開いた。
 県でも有名な心霊スポットである『戦艦島』『モズ落としの滝』『野原城跡』『一盃公園』の写真とコメントがばらばらっと出てくる。
 その中に幽霊屋敷の記載は無かった。まあ自分の県ということで、良くこのページを見ているから無いことは分かっていたが。
 僕は画面の一番下にある、掲示板のボタンをクリックした。
 画面がおどろおどろしい黒色に切り替わり、心霊スポット関係の掲示板の画面に切り替わる。
 ここは新規の心霊スポット、巡礼の結果報告、考察などの情報が交換される場であり、僕も心霊スポットを探訪した時などに、時折書き込んでいるところだ。
 
   シュウ:N県N市の海山手にある幽霊屋敷について、情報を知っている方居ませんか?
 
 ハンドルネームと共に質問事項を書き込む。まずはこれで良し。
 日曜日の午後だから、同じように掲示板を見ている人も多いだろう。回答にはそう時間はかからないように思えた。
 次に、検索ページを開いて、「海山手 幽霊屋敷」で検索してみる。
 十数件該当しているようなので、順次ページを開いていったが、ほとんどが地元の紹介文で、幽霊屋敷の幽霊について書いているものは無かった。
 一件だけ、幽霊屋敷は明治時代の居留外国人が造った洋館を改装したものであると書いたブログがあったくらいだ。
 十五分ほどそうしてネットサーフィンをしたのち、掲示板に戻ってみる。あまり時間が経っていないのにも関わらず、数件の書き込みがあった。
 

  大場Q:>>シュウ
おひさ、シュウ。N県N市の幽霊屋敷って宰相坂の?
  サブロー:>>シュウ
       元気?元首相の谷崎一郎が建てた屋敷、それしか知らない
 
 最初に書き込んでくれていたのは、大場Qさんだった。このサイトの古株で、初心者にも丁寧に回答してくれる人である。
 どの時間帯でも素早く回答してくれるので、逆に何をしているか心配な人だけど。
 続いての書き込みはサブローさんだった。
 最近このサイトに参加するようになってきた人で、この県の人らしく、地元の話題で良く盛り上がる人だ。
  彷徨う鎧:>>シュウ
        知ってる、キレイな幽霊が居るんだろ、(;´д`)ハァハァ
   大場Q:>>彷徨う鎧>>彷徨う鎧>>彷徨う鎧>>彷徨う鎧>>彷徨う鎧>>彷徨う鎧
        詳細k
  彷徨う鎧:>>大場Qうザスwww
        あそこって元々娼館。美人多いの当然だろ
  サブロー:>>彷徨う鎧
        そうなの?こっちも初耳
 
 彷徨う鎧さんは、僕と同じ時期に参加するようになった人で、心霊関係以外にも豊富な知識を持っている。
 特に心霊スポットが「何故」心霊スポットになったのかという、由来話に詳しい。
 何でも、地元の図書館に出向いて古文書を調べてくるというから、驚きだ。ハンドルネームの「彷徨う」も、そんな自分の性質から来ているらしい。

  彷徨う鎧:>>サブロー
        N市の海山手は明治時代になってからほとんど治外法権の場所になっていたらしい
        それで、M山の遊郭から遊女を集めて、領事館員や船乗りたちのために非合法の娼館が作られたそうだ
        普通の娼館とは違って高い身分の奴らが楽しむための施設だったから、女のレベルも高く、それなりに値も張ったらしい
        貿易港としてのN市が没落するのと同時に、自然消滅したらしいがな
        確か谷崎邸って、その跡地を買い取って作られたと思うが        

 あそこは娼館だったのか……
 だとすれば、庵さんは当時あの館にいた女性なのだろうか。
 勿論そんな所に行ったことは無いけれど、娼館がどんな事をする場所かは僕にだってわかる。
 つまり、お金を払って女の人と、その、Hなことをする所だ。
 庵さんがあんなにHなのも、そんなところにいた女性だからなのだろうか?
 そしてあんなに悲しそうな瞳をしているのは、あの館のあった場所で亡くなったからなのだろうか?
 わからない。
 僕はもう一度唇に手を当ててみた。柔らかい感触が、指と唇の両方に伝わる。
 不思議に、熱を持っているような感覚が伝わってきて、くらくらする。
 僕は彷徨う鎧さんにお礼のレスを返すと、ページを閉じてからパソコンの電源を切った。
 身売りをされてきた女性の悲劇というものは、僕も話に聞くくらいでしかわからない。
 しかし、お金のためとはいえ、好きでもない人とするというのは、どんな気持ちなんだろう。
 僕は母さんが夕飯を告げるまでの短い間、天井を見ながら考えていた。

関連ページ/幽霊屋敷にて / 幽霊屋敷の客間にて / 幽霊屋敷からの帰りにて / 食堂前の掲示板迄 / 眠り姫の居る娯楽室迄 / 誰もいない放送室迄 / ←/→/

2008年09月22日(月) 23:59:52 Modified by toshinosa_moe




スマートフォン版で見る