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【定義】

大乗経典の一で、詳しくは『大方広円覚修多羅了義経』といい、全1巻。現在『大正蔵』巻17に収録されている同経は、「大唐罽賓三蔵仏陀多羅」の訳出だと伝えるが、中国成立の偽経であるとされている。しかし、禅宗と華厳宗でともに祖師となる圭峰宗密(780〜841)が同経を最上として、数多くの註疏を製作したことで活用され、宋代以降には『首楞厳経?』とともに広く用いられていたという。内容は様々な修行を通して「如来円覚妙心」を得ることを説く。

【内容】

曹洞宗で『円覚経』の評価は非常に難しいものがある。まず、道元禅師の説示と口伝とで、以下の評価が知られている。
いわゆる精進とは、名利を求めず、声色を愛さず。所以に孔子・老子の言句を見ること勿れ、楞厳・円覚の教典を見ること勿れ〈時の人、楞厳・円覚の教典を以て多く禅門の所依と謂う。師、常に之を嫌う〉。 『永平広録』巻5-383上堂

このように、道元禅師は『円覚経』を禅宗の所依の経典であるという見解を主張していた者を、嫌っていたという。理由として、以下の一節なども参照しておきたい。
拝問す。首楞経・円覚経、在家の男女、之を読んで以て西来祖道と為す。道元、両経を披閲し、而も文の起尽推尋するに、自余の大乗の諸経と同じからず、未だ其の意、詳らかならず。諸経の言句、劣有りと雖も、諸経の義の勢に於いて全く勝無きや。頗る六師等の見に同じき有り。畢竟、如何が決定せんや。 『宝慶記』第6問答

以上の通り、道元禅師は中国留学中に天童如浄禅師に対して、在家の男女が良く読むものの、その内容などが十分なものではないと質問しているのである。
和尚示して曰わく、楞厳経、昔より疑う者有るなり。謂わく、此の経、後人の構なるか。先代の祖師、未だ曾て見ざる経なり。近代の痴暗の輩、之を読み之を愛す。円覚経も亦た然り。文相の起尽、頗る似るなり。 同上

そして、如浄禅師は以上のように回答し、『首楞厳経』と同じように『円覚経』も先人の祖師が読んだものではないとし、批判したのである。一方で、近世の学僧天桂伝尊禅師は『驢耳弾琴?』や『螺蛤老人演説拾唾』などで『円覚経』を、本来成仏を説くものとして評価しているが、その見解に対して、他の学僧からの批判がある。

また、一方で道元禅師は『正法眼蔵』「陀羅尼」「安居」巻などで『円覚経』の一節を引いておられ、特に「安居」巻では「世尊、円覚菩薩に告げたまはく」と釈尊の直説として提唱されており、同経への扱いは慎重に検討されるべきである。

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