MATATABI 第一話

作者:天かすと揚げ玉




MATATABI 第一話



辺境の村

突き抜けるような美しい空
緑濃い、生命力に富んだ森林
存在を疑うほどに澄んだ川
口に含めば甘さを感じる豊かな土壌

だが、それゆえに貧しい村
農作物や家畜を近隣の都市へ輸出し、ようやく日々を過ごす村

 王都では見られなくなったモンスターが跋扈し、人間が殺められる事とて珍しくは無い。だが、彼らにハンターを雇う資金は無く、それはまるで天災のごとく諦めをもって受容される。
「今年はかなりの被害が出るかもしれない。もしかしたら自分が……」
村の誰もがそう思い、だが、遠方の名も知らぬ街へ引越し、そこで生活する勇気も無い。
 恐怖に怯えながらも、自分だけは大丈夫だろう、という誤魔化しでそれを受け入れる毎日であった。
 村を襲うのは、決まって二十〜三十匹のランポスの群れである。
 この青色のモンスターは、その俊敏さと狡猾さで知られていた。
 積極的に襲い掛かってくるかと思えば、自らよりも強い敵と見るや、遠巻きに囲み、相手が隙を見せるまで逃げ回るのである。
 集団からはぐれた者、弱った者。
 そんな者を、彼らは付け狙うのだ。
 野生や自然といった言葉から、もはや遠く離れた人間。
 そんな彼らは、ランポスにとって付け狙うに適した獲物と映るのだろう。
 事実、ランポスに襲われた人間に、逃げる道は無い。
「……おなか減ったニャー……」
その村に、人ならざる者が訪れようとしていた。

アイルー

 人のように二本足で歩き、人語を解する生物。
 その見た目は、歩き回る猫である。
 アイルー。
 それは人間と共存する道を選んだ数少ないモンスターである。

 このアイルー、名を瑠という。
 背中にはどんぐり型の大きなバッグを背負い、頭部には、真紅のつば広の帽子を被っている。
 腰には蒼色のポーチが巻かれ、膨らんで見えるそれには、様々な物が詰め込まれていた。


アイルーだから、貴方の名前は瑠

 このアイルーへ、ルーという名前をくれた大切な少女。
 彼女は今、彼の傍にいない。
「な……情けないにゃ……」
今、自分がこうしている経緯を、ルーは改めて反芻していた。
 下を向いたルーの尾は、今にも地面に引きずってしまいそうである。

 レドニアという砂漠の町を出て、どれ位経ったろうか。
 砂漠の黄色が薄らぎ、目にも優しい緑色の大地へ一行が差しかかった頃。
 既に幾つもの狩りを終え、ルーが狩人として形を成してきた頃。
 ルーは連日の狩りと長旅に疲れ、移動のために乗り込んだ馬車の中で眠りこけていた。
 それは、心地良い疲れである。
 自らの夢を実現させ、ハンターという職業で得る疲労。
 かつてのルーでは、望むべくも無いものである。
 その夢を実現させてくれた二人、スイとソウも、今は馬車の中で眠っている。
 ルーの隣にはソウが、二人の正面ではスイが、深くも浅くも無い眠りについていた。
 かつてであれば気付いたであろうそれに、二人が気付かなかったのには理由がある。
 二人がルーを気遣いの対象ではなく、何事も一人でこなせるであろうと認めたためだ。
 だから、眠りこけるルーに大した配慮をしていなかったのだ。
 馬車から滑り落ちたルーに、二人は気付かなかったのである。
「ニャー!?」
速度を上げて走る馬車は、既に遠方で小さな姿を残すだけだった。
 馬車から地面へ放り出されたルーは、遠方の点となった馬車を呆然と見詰めていた。
「落ちたニャ!? もしかしてルー、馬車から落ちたのニャ!?」
目を細めて遠方を凝視すると、見えなくなった点は確かに馬車であったらしい。
 その場から起き上がりながら、ルーが背中に手を回した。
「ニャ」
背には超小型ボウガンが背負われている。
「ニャ」
頭部に回した手は、真紅の帽子、ギルドナイトフェザーを発見した。
「ニャ」
背中に当てた手は、どんぐり型のリュックを確認する。
「ニャ」
続いて、手は腰に巻きつけられたポシェットを見つけ出した。
 ボウガンも帽子も、リュックもポシェットもある。
 眠る時も装備を身につけておく。
 ハンターのたしなみとして、それは当然のものであった。
 いつ何時、モンスターに襲われるか分からぬ身である。
 いや、そういった身分になった、のである。
 だからルーも、彼らハンターの習性を真似、外にある時は寝る場合も装備を身につけておくことにしていた。
 まして今身につけている物には、それ以上の価値があるのだ。
 ソウが、ルーのために作ってくれた装備である。
 彼にとって、それらは宝物以上の価値があった。
「ニャ。次の町までには追いつけるはずニャっ」
実用的な面からいっても、リュックにはお金を入れていたし、ポーチにはボウガンの弾や様々な素材が詰め込まれている。
 これらの装備が無ければ、万一にモンスターと遭遇した際、逃げ回るしか選択肢がない。
 逆に言えば、これらの装備さえあれば、すぐにでも商売が開始できるのだった。
 商売、それは今の彼にとって狩りである。 

大丈夫、すぐに追いつけるニャ

 だらしなく舌を出したまま、ルーは通りの脇にそびえる木の根元に座り込んだ。
 頭の帽子を外し、それを宙に泳がせる。頭部から熱気が零れるのを感じ、更なる脱力に襲われる。
「あ……甘かったニャ……。 道間違えたのニャ?」
既に、丸一日を歩き通した。
 幾らハンターが数日間休まずに狩りを行なうとはいえ、それは戦いのペース配分を考慮しての事である。
 無論、合間には数分〜数十分単位での休息や食事も取る。
 ところが町が近いと考えていたルーは、飲まず食わずで一日を全力で歩き通していた。
 既に生も根も尽き果てた状態で、木の根元に座り込んだのである。
「ニャ……ニャぁ……?」
リュックに手を当て、狩りの際に使用する水筒へ手を伸ばそうとした時だった。
 ルーの鋭敏な鼻は、水筒のものとは異なる水の香りを、遠くない位置から感じ取ったのである。
 川が近くにあるらしい。
 ルーは水の香りに誘われてふらふらと歩き始めた。
 街道を外れ、わき道に逸れると、程なくしてそれを発見する。
 小さな村だった。
 辺境の、と形容するのがこの上なく的確に思われる、小さな村。
 川がこの村の脇を流れている。
 街道に漂っていた香りはこの川のものらしい。
「……」
「……」
「……?」
「……!?」
「こ、ここに、食べ物食べさせてくれるとこはある、ありますかニャ?」
村の入り口に佇むルーを、じっと見詰める少女がいた。
 声をかけるでもなく、身じろぎするでもなく、彫像のように立つ彼女を、同じくルーも彫像のように見詰めていた。
 だが、自分から声をかけるべきなのかもしれないと察したルーは、頭部の帽子を胸に押し当て、スイから教授された通りに頭を下げ、片足の爪先を後方の地面に突き立ててお辞儀をした。
「ア……イルー?」
驚いたように瞳を瞬かせ、少女はようやくそれだけを口にする。
「そ……そうですニャ」
少女の年齢は、ソウよりも更に年下であろうか。
 服から覗く鎖骨と肩が華奢な印象を与えるが、きつく結わえられた髪は彼女の意思を示す様でもある。
 どことなくソウに似た印象を受け、ルーは僅かだけ安堵を抱いた。
「ごはん食べれるとこどっかあるですニャ? あったら教えてほしいですニャ。お金はちゃんとあるのですニャ」
こくこくと何度も頷きながら、ルーが話を続ける。
 本格的に人間の間で暮らすようになり、礼儀や言葉遣いも学んでいたが、それでもぎこちなくなるのはルーらしいともいえた。
 もっとも、それらの語法を注意しないのは。
 もしくは敢えて、不釣合いな礼儀作法などを教えるのは。
 スイという女性の、趣味だとか悪戯だとかいう範囲のものである。
 曰く。

あら、だって、その方がルーらしくて可愛いじゃない

「始めて見た、よくこんな辺境に……」
ぐるぐるもぎゅっぎゅー……。
 不意に、ルーの腹部がその存在を主張した。
 驚いたように少女が彼を見詰め、表情を強張らせる。
「きなよ、何か見繕ってあげるよ」
だがやがて、少女はクスと微笑み、和らげた表情のままルーを手招いた。
「この村には、人に食べさせられるような店はないから……」
歩き始めた彼女の後を、ルーが慌てて追いかける。
 皆働きに出ているのか、足を踏み入れた村に人影は無い。
 静かな村だった。
 活気というものが無く、しんみりとした寂しい感じがする。
「ここさ」
村の外れにある小さな小屋の前で、少女が立ち止まった。
 ギーという音と供に扉が開かれ、ルーがその中へ招き入れられる。
 どうも彼女の家らしい。
 薄暗い室内は、窓の光を外の樹木が遮っているためらしい。
 小さな小屋は、奥に台所と寝室がある以外は何も無い作りである。
 狭く、だが、何も物が置かれていない。
「そこに座って」
部屋の中央には、テーブルと椅子が一つだけ置かれている。
 荷物を部屋の片隅に置いていたルーが、その椅子を勧められた。
「えと、ルーといいますにゃ」
椅子に付く前、ルーは少女へ深々と頭を下げた。
「あたしは、フェレルカ」
にっこりと微笑むフェレルカの名を、ルーが復唱しようとする。
「ふぇ……フェルル……カ?」
舌をかんだのか、ルーの髭が不意にピンと張った。
「あははは、フェルでいいよ」
「……ニャ」
「ちょっと待ってて、何か作ってあげるから」
フェレルカが部屋の奥にある台所へと姿を消した。
 質素。
 そう言えば聞こえはいいが、本当に何も無い部屋である。
 一人暮らしなのだろうか。
 椅子はルーが座っているもの一つだけであった。

 部屋を見回しながら待つと、何やら覚えのある香りが漂ってくる。
 間も無く現れたのは、やはりアレであった。
「こ……この匂い……」
思わず、フェレルカは料理を落としそうになっていた。
 ルーがテーブルの上にうつぶせになり、ピクリとも動かないのだ。
「ちょ……!?」
慌ててテーブルに料理を置き、ルーの身体を揺する。
 ようやくルーが顔を上げたとき、テーブルから彼の顔まで糸が引いていたのは、多分よだれだったのだろう。
「いいにおいニャ……」
「こ、この地方数少ない特産でマタタビ団子、だよ」
弛緩しきったルーの表情に驚きながらも、フェレルカが料理を勧める。
 差し出された皿の上には、丸められた団子が幾つも盛られていた。
「ニャ〜っ」
大きな口を開いて、始めの一つを口に頬張る。
 硬すぎず柔らかすぎず、完璧な歯ごたえ、まったりとしていてコクがあり、しかししつこ過ぎない絶妙なバランス、舌の上でまろやかに溶け、その口解けはまるで春の雪解けのように爽やかで、清楚でもあり、それは……。
 などとルーは形容しなかったが、その弛緩し続ける表情を見れば、彼がその味に満足している事は推察できた。
「お……おいしすぎニャ〜」
思わず、スプーンを握る手がぷるぷると震える。
「あ……」
その時だった。
 それを思い出したのだ。
「い……いただきますにゃ」
慌てたように、ルーがフェレルカに頭を下げる。
 スイがいたら、怒られているところだった。
 危ない危ない。
 額の冷や汗をぬぐいながら、ルーが口の端を痙攣したようにひくつかせている。
「……ぶ」
その仕草に、フェレルカは拭き出していた。

「……でも昼間でよかったね」
とめどなくマタタビ団子を頬張り続けるルーを、フェレルカは嬉しそうに見詰めていた。
 ルーが喉を潤そうと、ようやく団子以外の、テーブルの上の水差しに目を向けた時、フェレルカはふと呟いた。
「ニャ?」
もむもむと団子を咀嚼しながら、ルーが言葉の意味を尋ねた。
「ここら辺は、夕方になるとランポスが出るんだよ……」
「そうなのにゃ!?」
「だから気をつけないとだめだよ」
ごっくんと、頬張っていた団子を飲み下す。
「ハンターはいないのニャ? 雇わないニャ?」
「ハンターなんか……」
その時、眉をひそめたフェレルカが嫌悪の表情を作った。
「フェ……フェルはハンター嫌いなのニャ?」
「大嫌い」
「ハンターを雇う大金を出せるほど、この村は豊かじゃない。ハンターズギルドはお金持ちだけの味方なのさ」
フェレルカが自分の腰をぎゅっと握り締めた。
 不意に上着の裾がめくれ、それがちらりと見える。
「……?」
「……ああ、ランポスにやられちゃってね」
フェレルカが慌てて裾を直した。
「まだルーぐらいのちっこい頃にね、両親がかばって死んでくれなきゃ、私が死んでた」
確かに、フェレルカが身長の意味でそう言ったなら、それは間違いでは無い。
 だが、年齢の意味で言ったなら、実はルーはフェレルカよりも年長であるのだ。
 アイルーとしての見た目が、そうさせるのだろう。
 だが、アイルーとて年齢は存在するし、場合によっては人間よりも年長であるのはもちろんである。
「……いい加減……ランポス達をどうにかしないと……」
俯くフェルを見ながら、ルーはスイの言葉を思い出していた。

「ルー。ハンターはね、ハンターズギルドを仲介せずに依頼を受けちゃだめなのよ」
「そうなのニャ?」
「面倒な縄張り意識とか、そういうのもあるけれど……ハンターズギルドが作られる前にね、色々とあって……そういう仕組みになったの」
「色々……?」
「モンスターを遊びで狩る者達がいてね。そのために絶滅した種もいるの」
「……」
「人間らしいといえば、人間らしいわね。傲慢になれる人間だからこそ、他の種を絶滅させるような事ができる……」
「……」
かつてアイルーや、その亜種であるメラルーらは、今よりも遥かに隆盛を誇る種族であった。
 アイルーらは世界中に住む場所を求め、海すらも越えて新天地へ移動して行った。
 どんな劣悪な環境であろうと、そこへ適応する能力を持っている。
 そんな自負が、彼らの移住を更に加速させた。
 だが、その彼らが激減した時期がある。
 ルーもまた、その事を知っていた。
 ルーが幼い頃、故郷の村長に聞いたのだ。
 人間。
 彼らが、まるでモノを蹴散らす様にして、アイルーやメラルーを狩っていったのだ。
 人語を解せる事が、さらに事態を悪化させた。
 疑う事を知らぬ彼らを、騙し、陥れ、殺害する。
 それは酷く容易い事であり、そしてそこに娯楽を感じる者達が現れたのだ。
 だからこそ、メラルーは人間を忌み嫌い、供にあることを拒んだ。
 メラルーが人へ、ハンターへ、牙を剥くのはそのためである。
 アイルーとて、未だ一部の者は人との交流を避けるように生活しているのだ。
「人間っていうのはね、管理されないと生きていけないらしいのよ」
「だからね、勝手に狩りをしちゃ駄目よ?」

「ルーは、どこからきたの?」
物思いを中断させるようにして、突然フェレルカの声が割って入る。
「……ずっと東ニャ」
「そっか、いいな……外の世界。……羨ましい」
薄暗い室内から見上げた空は、窓を隠す樹木によって雲って見えた。
 近くを見るようにして遠くを見るフェレルカの視線が、何故かルーには切ないものに見える。
 まるで、彼女が遠くを見る方法を知らないかの様に見えたのだ。
「フェレルカ!」
その時だった。
 突然小屋の外から声がかけられ、フェレルカが慌てて扉を開いた。
「ど、どうしたの?」
「お前のケルビが……」
「!」
その語尾を聞く前に、既にフェレルカは駆け出していた。
 乱暴に閉じられた扉が、大きな音を立ててルーの前に叩きつけられる。
「おい、フェル!」
村人が慌てて駆け始め、扉の向こうに喧騒が漂った。
「……ニャ」
テーブルに腰掛けていたルーは、一度だけうなずくと席を立った。
 部屋の片隅に置かれている荷物を身につけると、小さなボウガンをガチャリと音を立てる。
 なんとなく、分かったのだ。

 フェレルカの家畜であるケルビ達は、村から程近い草原に放たれている。
 ケルビは四本足で移動する小型のモンスターで、非常に大人しい性格であり、危害さえ加えなければ近くに行って触れる事も可能である。
 また、その頭部に生える角には多くの薬効成分があり、町にもっていけば高い需要がある。
 手間もかからず、家畜として繁殖させるのに非常に適したモンスターだった。
 だから、年端の行かないフェレルカでも世話をする事ができたのである。
 唯一、気をつけなければならないのが外敵の存在だった。
 しかし、普段は肉食のランポスが活動を開始するのは夕刻近くであり、フェレルカは完全に油断していたのである。
 こんな日の高いうちに、ケルビが襲われるとは考えもしなかったのだ。
「……ハァハァ」
息を切らせて草原にたどり着いたフェレルカが見たものは、草の海に隠れるようにして横たわるケルビの身体であった。
 いや、身体と言うには十分な割合を残していない。
 血まみれになって残されているのは、ケルビの頭部と四本の脚だけであった。
「そんな……」
死体の破片を拾い上げると、それは確かにフェレルカの飼っていたケルビである。
 だが、見渡す限り見つかるのはこの一頭だけだった。
 年老いたこの一頭が、真っ先に狙われたらしい。
「残りのケルビは……!?」
周囲にケルビの姿は無い。
 同様にランポスの姿も無かった。
 村の中がにわかにざわめき始め、それを警戒して遠ざかったのだろうか。
 フェレルカが深いため息を漏らした。
 いつまで悩まなければならないのか。
 いつまで、こんな事に怯えて暮らさなければならないのだろう。
「……ぁ」
生き残ったケルビを集めようと、周囲へ視線を転じたときである。
 そびえる青色の影。
 今まで見た事も無いような、大きなランポス。
 その大きさは十数メートルはあろうか。
「ゃ……あ……」
爬虫類のその目が、フェレルカを見つめる。
 恐怖にすくみ、動けなくなったフェレルカへ、無機物を見るような視線が降り注ぐ。 

ギュオッギュオッギュオッ!

 3度、大きな声を発した。
 ハンター達がよく知る、あの声だ。
 ランポスが仲間を呼ぶときに発する、独特の声である。 
 間を置かず、背後から気配がした。
 振り向けない。
 動けない。
 息ができない。
 この恐怖は一体何なのだろう。
 まるで、身体が先に死んでしまったかのようだ。
 逃れられぬ捕食者を前に、身体が心よりも先に生きる事を放棄してしまったかのようである。
 終わりだ。
 フェレルカは思った。

ドンッ

 背後から爆音が鳴り響き、前方から奇声が聞こえる。
 いつの間にか閉ざしていた瞳をうっすらと開ける頃には、背後からその声が伝わってきていた。
「目を閉じてニャっ!」
開け切らない瞳を、再びつぶる。
 サーっという音がしたかのようだった。
 光の波が、あたり一帯を押し流したように見えた。
 閉ざした瞳越しにも、その波ははっきりと見て取れた。
「こっちニャっ!」
閃光に目をくらませたランポス達は、身動きが取れず情けない悲鳴を上げている。
 フェレルカは脚をもつれさせながら、声の主目掛けて駆けていた。
 ルー。 
 声の主は、ルーだった。
 フェレルカの手を持ったルーは、彼女に背を向けて走り始める。
 小さいはずの彼の背中が、大きく見える。
 その背には、見慣れぬ道具が背負われていた。
 ボウガン。
 毒気を吹き付けたような、土気色のボウガンだった。

縛心

 それは普段、ルーが愛用しているボウガンでは無い。
 ソウが試作品として開発し、彼に試用を依頼していたものである。
 ドスガレオスというモンスターの牙を基礎に、その皮を全面に貼り付けた特殊なボウガンである。そして特殊ゆえに、ルーはその場から逃げ出したのだ。
 縛心には、麻痺弾の能力を最大限に強化する仕組みが加えられている。
 だが、その代償としてほとんどの攻撃専用の弾が使用できず、現に、ルーは殺傷の応力のある弾をほとんど携行していなかった。
 走りながら腰のポシェットに手を入れ、残りの弾を確認する。
 このボウガンに装填できる弾のうち、存在するのは使いかけの散弾Lv2が数十発。
 これでは、ランポスの群れを倒しきるのは不可能だろう。
「ガンナーは、弾を補充できるときに必ず補充しなきゃ駄目。撃ちつくしても相手が生きていたら、逃げるか死ぬしかないから。忘れちゃ駄目だよ、ルー」
ソウの言葉を思い出す。
 せめて散弾の材料だけでも、補充しておけばよかった。
 町を出発する前に、きちんと補充しておけばよかった。
 そうすれば、フェレルカを助ける事ができたのに。
 精一杯走りながらも、ルーの瞳には潤んだものが溜まっていた。
「ルー……待って……」
手を引いていたフェレルカが、胸に絡まるような咳を漏らす。
 慌てて振り返ると、フェレルカがうつむいて屈んでいる。 
 走りきれる限界だろう。
 苦しげに息をし、フェレルカの肩は壊れるほどに上下していた。
「……ニャ」
立ち止まったルーは、一度だけフェレルカの手を強く握り、それを放す。
 背後を振り返り、遠方に意識を集中させた。
 息遣いと、微かな足音。
 恐らく人間には感知できないであろうそれは、閃光から視力を取り戻したランポスのものだった。
 分散してルーを探しているのだろう。物音は四方にばらけているが、幾つかはこちらへ向かっている。
「茂みに隠れるニャっ」
自分が風下にいるのを確認しながら、ルーはフェレルカを手頃な茂みに案内する。
 風下で音を立てねば、簡単には見つからないで済むはずだった。
「怪我してるニャ……!」
「これぐらい大丈夫だよ」
フェレルカの膝から血が流れているのを見つけると、ルーは慌ててポーチに手を入れた。
 取り出したのは薬草をすりつぶした塗り薬である。
「ソウのお手製の傷薬にゃ、凄く効くのニャ」
ソウ。スイ。
 あの二人は今頃、何をしているのだろう。
 ほんの僅かな期間離れただけなのに、酷く長い間別れてしまった気がする。
 瞳が熱くなる。
 二人は自分を待っていてくれるのだろうか。
 自分の事を覚えているだろうか。
 

ガサッガサガサガサ……

 背後の茂みが震える。
 ルーはとっさにボウガンを構え、茂みを睨んだ。
 銃を構え、近づいてくる気配に照準を合わす。

「ルー!!」
「……ソ……ソウニャ!?」
それはほとんど、泣き声に近かったかもしれない。



↓続く。
MATATABI 第二話
2006年12月19日(火) 13:13:09 Modified by orz26




スマートフォン版で見る