The Unbalanced Hunters 第二章:第10幕 2

第10幕 「――我は仁雷の風なり!」


作者:ランドール



 ネコタクは走る。
 ことんことんと、急かすようななだめるような、不思議な音を立てながら。
 その荷台で二人は、益体も無いことを話した。
 十日間の空白を埋めるように、笑いあった。
 そうして、山を二つばかり越えていって。
 やがて、住み慣れた街が見える頃になってから。
 少女は、ぽつりと漏らしたのだった。

「ガーベラは、真っ二つだったそうですね」
「ああ」
「これから色々、大変かもしれませんよ」
「そうだな」
「ひどい依頼を回されたりするかもしれません」
「我らなら出来るさ」
「仕事を干されたりするかもしれません」
「他のハンターに混ぜてもらおう」
「人間にさえ、狙われるかもしれません」
「二人で逃げればいいだけのこと」
「ハンターでなくなるかもしれません」
「我が家の主婦はやりくりの天才だよ」 

 たまらず、くすっと少女が笑み。
 あわせて、にやっと自分も笑う。
 そっと少女は手を重ねる。
 ぎゅっとそれを握り返す。
 恐れるモノは無いとばかりに。

「さあて、お立ち会い」
「どこからでも来るが良い」

 それは。
 街へ戻ってから、間違いなくギルドに目を付けられるという厳しい状況を、百も承知の上での言葉だった。
 そんな満身創痍のニンゲン二人の心情を、ネコタクのネコたちが、どのように察したのかはわからないけれど。
 ネコタクの速度は、ほんの少しだけ、緩められ。
 気持ちばかり、二人きりの時間は、引き延ばされたようだった。




 閉幕 〜されど見届けるモノとして〜


 昔話をしましょうか。
 ありきたりで、つまらなくて、そして救いの無いお話を。
 あるところに、少女が一人、おりました。少女の父親は優しくて誰からも信頼される村長さん。母親は世界一のラズベリーパイを焼く料理名人。とても、幸せな家庭でした。
 ある時、少女たちの住む村の近くに飛竜が現れました。
 父親は急いでハンターギルドに依頼を出し、やがて、一人の大きなハンターがやってきました。
「あなたたちを守り、飛竜を倒す。それで良いな?」
 静かに問うハンターに、父親が頷き、母親がお辞儀をし、少女は黙って見つめておりました。
 そしてハンターは、依頼を一つも違えることなく、達成しました。
 けれど、村は滅びました。
 ハンターは、依頼をした一家は守りましたが、それ以外の人々は守らなかったのです。
 すっかり飛竜に焼かれた村は、うすら寒いほど見晴らしが良くなっておりました。
「何てことをしてくれたんだ!」
 父親は怒りました。
「ああ、皆が……村が……」
 母親は泣き崩れました。
「――」
 少女は黙って見つめていました。
「…………」
 ハンターは、何一つ言わず、夜空を見上げていました。
 父親が殴りかかっても、殴り疲れるまで身じろぎもせず。
 母親がおいおい泣いても、慰めに肩を叩くことさえせず。
 案山子のように、立ち尽くしているだけでした。
 やがて、罵倒も泣き声も一段落したところで、ハンターは踵を返しました。
 そのとき、少女はハンターの服の袖をくいっと引きました。
「どうして、何も言わないの? あなたは悪いことしてないのに。私を守ってくれたのに」
「…………」
 ハンターは少女をじっと見つめたまま、微笑みました。
「どうして、笑っているの? 私のお父さんもお母さんも、泣いているのに」
「…………」
 ハンターは少女の頭をくしゃりと撫でると、背を向けて歩き出しました。
「ねえ、どうして?」
「…………」
 ハンターは、もう、立ち止まることはありませんでした。

 結局――ただそれだけの、どこにでもある悲劇、だったのでしょう。

 酒に溺れる父親。慰めを別の男に求めた母親。それでも、離婚、という選択肢に辿り着くまでは、少女が少女でなくなり、自分一人で生きていくと言い出せる程度の時間がありました。
「でも、私には何にも残っていない」
 そう思った彼女は、いつかのハンターのことを思い出しました。
「あの人はどうして、何も言わず、微笑んでいたのかしら」
 そんな、ひどく些細な疑問。たったそれだけが、生きるための原動力となりました。
 他に、自分で何かを望むことも、願うことも、出来そうになかったからです。
「探そう、あのヒトを。私には、他に何も無いから」

 そうして、フリージアという名の、ギルドの受付け嬢が誕生しました。

「ギルドに入れば、ハンターの足取りくらいつかめるはず」
 その考えは、まさに的中し。
 ほどなく。
 あのハンターは、後に別の討伐依頼であっさりと死んでいた、という記録が見つかりました。
 疑問は永遠に闇に葬られ、フリージアは、ほんの些細な生きる理由さえ、失ったのです。
「でも、これで相応しいのかもしれないわね」
 凍てついたモノ――フリージアン。
 笑顔も不満も、涙さえも――全ては手札の一つ、手段の一環、ただ、それだけのこと。
 そう割り切ると、受付けの仕事は不思議と上手くいきました。冷めた視線は、残酷なまでの客観性で相手の力量を見据え、適切な仕事を割り振ることを可能としたのです。

「これで、いいのかもしれないわね」

 日々は過ぎる。変わらぬ速さで。
 私は続く。変われぬままで。
 だって、何も望んではいないのだから。
 だって、何も持ってはいないのだから。
 心は氷。体は硝子。打てば砕ける虚ろな命を道連れに。
 生きないまま死なないまま、私は私から遠ざかっていく――


「よぉよぉ、割りの良い依頼はねーか? 今月ピンチでよ〜」
 軽薄を装うのは、高い薬が必要な恋人のために、収入の大半を費やしているハンター。
「ええ、ではこの毒怪鳥の依頼はどうですか?」
 決して無事では済まないであろう依頼を、私は選びました。
「は〜ん、ま、悪くねえな! 楽勝楽勝」
 そう――この人は断れないし、命懸けでも成功させると、わかっているのですから。
「頑張って下さいね」
「おうよ! ああそうだ、終わったらデートでもどうだい?」
「な……何を言ってるんですか、もう!」
 膨らませた頬の中身は、空虚で満ちておりました。
 目の前のハンターの瞳は、すでに、遠い恋人だけを映しているのですから。
「全く――もう」


「どうも調子が悪くってねえ」
 苦笑いするのは、生活費全般をギルド名義の領収書で落としている、馬鹿なハンター。
「でも、最近稼いでないでしょう? ランポスの討伐でも、どうですか?」
 確実にこなせるであろう依頼を、私は選びました。
「あ〜、やっぱダメだわ。頭痛いし、帰って寝る」
 その足が向かうのは家ではなく酒場であると、調べはすでについています。
「あらら、残念ですね〜」
 苦笑いの下で、ギルドナイツへの報告書にサインを入れます。
 『上記の者、ギルドへの反逆行為の疑い有り。速やかなる処置を期待する』と。
「本当に、残念ですね」


「もっと難度の高い依頼はないのかよ!?」
 必要以上に大きな声で言うのは、自分の力を過信している若いハンター。
「残念ですけど、ドスイーオスがせいぜいですね、今のところ」
「飛竜ないの! 飛竜は!」
「あ……ちょっと待ってください。ディアブロスのが、つい昨日入りましたよ」
 明らかに荷の勝ち過ぎるであろう依頼を、私は選びました。
「おお、上等上等! 見てろよ、でっかい角、持ち帰ってやるぜ!」
 勇んで紅潮する顔が、青白く萎んで帰ってくるのは、すぐのことでしょう。
 失敗をきっかけに大きくなってくれれば、ギルドとしてはありがたいことです。
「あはは、そうですね。待ってますよ」
 もちろん――死ななければ、ですけれど。
 そんなことは、私の与り知らない世界でのことですから、関係ありません。
「あまり期待はしませんけれど、ね」


 そうして踊る。命と命が。私の指揮で踊って狂う。
 あるモノは生きて返り、あるモノは死して還り。
 どちらでもない私がそれを見据え、笑う。
 ――ただ、それだけの、日々。
 いつからでしょう。受ける笑顔を虚しいと感じだしたのは。
 いつからでしょう。善意でさえも疎ましく思いだしたのは。

「フリージアさんは、いつも優しいね」
 ――違う。私は残酷なだけ。
「キミは、いつも笑顔が素敵ですねえ」
 ――違う。私は無為なだけ。
「あんた、いつも元気だよな」
 ――違う。私は空虚なだけ。

 誰も私を見てはくれません。凍りついた心を見つけてはくれません。
 わかっている……はず、なら。何故、痛むのでしょう。
 涙さえ、出ないほどに。

「あの人はどうして、何も言わず、微笑んでいたのかしら」

 それが、痛みを覚えたときに口を突く癖だと、気づいたのはいつだったでしょう。
 答えの無い問い。変われない疑問。
 それはまるで、自分自身のようで。

「あの人はどうして、何も言わず、微笑んでいたのかしら」

 いつかその答えが見つかるとき、変われない疑問が変わるとき。
 変われない私も――変われるのでしょうか。
 もっとも。
 そんな『いつか』は、永遠に来ないのだけれど。

「こんにちは。ご用件は、何でしょうか?」

 日々は過ぎる。変わらぬ速さで。
 私は続く。変われぬままで。
 だって、何も望んではいないのだから。
 だって、何も持ってはいないのだから。
 心は氷。体は硝子。打てば砕ける虚ろな命を道連れに。
 生きないまま死なないまま、私は私から遠ざかっていく――

 その、はず、だったのに。

「厳しさの意味を知っている優しさは――素敵ですね」

 この衝撃を、どんな言葉で表せるというのでしょう。
 厳しいと、残酷だと――空虚な私自身を見据えて。
 その上で、それは素敵な優しさですよ、と言ってくれた、少女との出会いを。

「愛想のよさ、純潔、親愛の情、ですか。やっぱり素敵なお名前ですね。
 親御様の愛情と人格が窺えようというものです」

 凍てついたモノ――フリージアン。
 そんな心を溶かして有り余る、温かな言葉。
 思い出すのは、少女の頃。大好きだったはずの、両親の顔。
(何にも無いわけじゃなかった……ただ、私は、目の前の苦しさだけで、大切な時間さえ忘れて、どれもこれも、何もかも、無いモノとしてしまっていたんだ……)
 フリージア。
 その名を呼ばれるだけで、仄かに幸せが灯った記憶だって、ちゃんと残っている、と。

「ようこそ、炎の子供の世界へ」

 当たり前のことを、当たり前のように、溢れ出させてくれたヒト。
 だから、正直に、嬉しかったのです。

「頼ります。あなたの力が必要です」

 必要――と。
 その言葉だけで、もう報われたような心地でした。
 けれど、私はそれ以上を期待してしまったのです。
(この子なら……あの問いの答えを、見つけてくれるのかもしれない)
 そんなはずはない、と思う制止よりも、ひょっとしたならばと、はやる誘惑の方が勝りました。
「協力する代わり、と言ってはなんだけれど――ちょっと、聞きたいことがあるの」
 私は、誰にも話したことのない昔話をして、少女に問いました。

「あの人はどうして、何も言わず、微笑んでいたのかしら」

 すると少女は、どうしてわざわざそんなことを聞くのかわからない、といったふうに、小首を傾げながら、あっさりと答えました。
「何も言えないから何も言わなかったし、笑いたいから笑った、それだけでしょう?」
「は?」
「そのハンターさんは、失敗したのですよ。村が被害を受けないうちに倒すつもりだったのに、予想以上の抵抗にあってしまい、時間がかかって、村を守り損ねたのです。
 普通ハントは日中に行うのに、そのハンターさんが見上げたのは夜空だったのでしょう?」
「あ……」
「だから、言い訳のしようが無いくらい、口も開けないくらい、自責でいっぱいだったのでしょうね。だいたい、慰めなんて口にしたら、あなたたちの悲しみを一層深くするだけだったでしょうし」
「悲しんでいた……ようには、見えなかったわ。
 私たちなんか見向きもせず、そ知らぬ顔で夜空を見て……」
「泣きそうだったのですよ。そのハンターさんも。
 例えば上を向いていないと涙が零れそうなくらいに」
「……!?」
「自分は責められるべきで、一緒に悲しんで良い立場では無い、とでも思ったのでしょう。
 黙って殴られて、罵られて、せめて欠片でも気を晴らす手伝いをする以外無い、と」
「何よそれ、馬鹿……じゃない。村を焼いたのは飛竜で、あの人の責任じゃないわ!」
「そう思えるあなたが居たから、微笑んだのです」
「……え?」
「断言しても良いですが、そのハンターさんは、あなたに勇気を貰ったはずですよ。
 泣きもせず、責めもせず、まっすぐに見つめる瞳を、尊敬さえしたことでしょう」
「そんな……はず、無いわ。直後の依頼で、あの人は死んでるもの。
 きっと、責められたと思って、自暴自棄で、そんな依頼を選んだに決まってるわ!」
「そうかもしれませんね」
 拍子抜けするくらい、少女はあっさりと引き下がりました。
「私は当人ではないから、わかりません。ただ、その人、どこかユウに似ている気がするのです」
「……そうなの?」
「ええ。そして、もしもユウなら、守るべきモノを守ろうとして命を賭けることはあっても、
 自責で死を選ぶようなことは、それこそ死んでもしませんよ」
 そう言い残して、少女は去りました。
 ぽっかり穴の開いた心のままで、私は、無意識に一枚の古ぼけた書類を取り出しておりました。
 あのハンターが受けた最後の依頼の、報告書です。
 依頼内容は、餌場を無くして彷徨い歩いている、つがいの火竜の討伐でした。
「こんなの……一人で受ける依頼じゃないわよ」
 報酬も捨て値で、なのに難度はほぼ最高。
 ハイリスクでローリターン。
 正直、こんなのを受けるヒトが本当にいたのかしら、と思われてなりません。
「結果は、雌火竜を倒した後に、残った雄火竜と相打ち……か」
 それは、今までに何度も確認したことでしたので、別段感慨は湧きません。
 普段なら、そこで切り上げて書類を仕舞い込むのでしたが、何の偶然か、当時つがいの火竜が生息していた地域を記した一文に、目が行きました。
「あら……これ、村を離れてから住んでいた場所に、随分近くて――」
 瞬間。
 雷に打たれた心地でした。
「ちょ――待って! つがいの火竜は……『餌場を求めて』彷徨っていた!?
 じゃあ……こんな、近くに住んでたら……格好の、餌、なわけで……」
 誰も受けないであろう依頼に、単身向かった、その意味。
 最後の最後まで逃げ出さず、相打ちでやり遂げた、その意義。
 今はもう土塊に還り、何も語ることのないハンターの、その想い。

「私……守られてたの? 知らない間に守られてた……あの人に……?
 なに……この現実は、なんなの? どうして、こんなことが、起こりえたの!?」

 理由の無い涙が零れました。
 零れて、溢れて、止まりませんでした。

「馬鹿だ……私もあの人も、救いようが無いほどの大馬鹿者だ。
 何よ……答えなんて、最初っからあったんじゃないのよ……!」

 本当に欲しかったのは、笑顔のわけでも、無言の意味でも、なかったのでした。

「あの人の言葉が聞きたかった。あの人の寂しくない笑顔が見たかった。
 生きる理由を無くしたとき、私が追っていたのは、あの人の背中だった。
 あの日あの時、ただ見送るしか出来なかったことだけを、私は後悔していた。
 追いかけたかった……待って、行かないでって、ただそれだけが言いたくて、私は……!」

 結局は、恋、だったのでしょう。
 炎の子供と仁雷の風が、互いに魅かれ合ったように。
 理屈ではなく、打算ではなく、ただ当たり前のように、必要だと思い合える存在。
 それが――もう、永久に失われてしまったあのヒトだった、と。
 そんな、ありふれた悲恋、だったのでしょう。

「もしもあの人を追いかけていたら。もしもつがいの火竜がいなかったら。
 もしも私たちが再び出会うことが、あったとしたら。
 『もしも』と『たら』で塗り固められた夢より遠い世界に、私が生きることが出来たなら。
 そうね……そうよね。私、絶対に、ハンターになってたわ。
 きっとあの人を困らせて、振り回して、笑わせて、ねえ……そうでしょ、ソナちゃん?」

 そう。
 『もしも』と『たら』の私が、ほんの近くにいるのです。
 追いかけるまでもなく掴まえて、ハンターになった少女がいるのです。
 そして、言ったのです。私の力が必要だ、と。

「――大丈夫。あなたたちを見守り続けるって、私だって、決めたんだから」

 ぎゅ、と古ぼけた書類を握り締め。
 今まで口にしたことの無かった、あの人の名前を呼びました。

「あなたハントを。私は出会いを。それぞれ上手く出来ずに失敗してしまったけれど……でも、全然、無駄なんかじゃなかったわよね?
 だって今、繰り返させないために、やれるもの。そうでしょ――アドニスさん」

 やっと出会えた、戦士が、二人。
 誰も知らない、けれど誰よりも強い願いを胸に。
 ただ、守るためだけの戦いを、始めたのでした。





「行ってきます」

 そう告げて、白髪の剣士の後を追う少女を、見送ってから。
 フリージアは、一枚の書類を取り出しました。
「多分、ソナタちゃんは、最終的にガーベラとユウくんを一対一で戦わせるはず。
 だとしたら……勝っても、ただじゃ、済まないわね」
 実際、すでにギルドから、ユウというハンターは危険視されているのでした。
 鎧竜を両断するような戦闘力は、一介のハンターの分を遥かに超えているのです。言ってみれば飛竜以上の危険因子であり、何かきっかけさえあれば、排斥の方向へと動くことでしょう。
 飼いならせない獣ならば、毛皮にでもした方が役に立つ、と。
 そういった愚直な思考に至りやすい場所に、不思議と権力というモノは収まっているのです。
「ガーベラまで両断するようなことがあれば……間違いなく、動くわね。
 ソナちゃん、今までそうさせないために立ち回ってたみたいだけど……隠し切れないわ」
 そして、手元にあるのが、まさにその書類――諜報部からの上告書――なのでした。
 そこには慇懃無礼を地で行く調子で、やんわりと『懐柔が無理ならば始末を』という意味にしか到達できない文章が、婉曲極まりない冗長な言葉で綴られておりました。
「こうまでせつせつと書き記した、その努力は買うけれど、ね」
 わしゃしゃ、と小気味良い音がしたかと思うと、書類は、たちまち紙ふぶきに転職したようでした。
 ぱさ、と景気良く舞わせると、吸い込まれるようにゴミ箱が受け止めます。
「ははは……バレたら、最低でも給料100%カットでとっても長い夏休みだわよう……」
 ぶるり、と武者震いがしましたが、それで済めば安いモノ、と言えるでしょう。
 これぞまさに完全完璧完結で、言い訳無用の喧嘩上等な、ギルドへの敵対行動なのですから。
「大丈夫……大丈夫だよ、アドニスさん。私、まだ、戦えるからね」
 古ぼけた書類をお守りのように携えながら、自分にだけ聞こえる声で、呟きます。

「さあさ、お立ち会い」

 いつかの少女の口調そのままに、そっと、微笑みます。
 ――あなたほど、上手い魔法は使えないけれど。
 それでも、と思うのです。
 自分が変わって見せるなら。自分で変えて見せるなら。
 その開幕には、やはりこれが、一番相応しい、と。

「これから始まるのは、世にも不思議な『嘘つき』の魔法さ。
 この魔法にかかってしまうとさあ大変。嘘が本当で本当が嘘、天地無用のあべこべ模様。
 だあれも何にも気づけない。いつの間にやら明日は昨日で今日は今日。
 それでも結局最後には、ちょっぴり幸せが増えている、そんな素敵な魔法なのさ」

 ポン、と軽く手を一つ打って、山となって溜まった書類に向き合います。
 様々なハンターたちが達成した依頼の報告書やら、依頼書の写しやら、売店の売上の明細書やらを、片っ端から引っ張り出して目を通す傍ら、ぶつぶつ呟いたりがりがりと計算式を立てたりして、何かを必死にやりくりしているようでした。
「こっちの人を持ってきて、ソナタちゃんたちと一緒に依頼をこなしたことにして……
 報酬の差異は、売店の売上で調整、報告書もそれっぽい記載を追加して……」
 ギルドの人間が聞いたら、たちまちひっくり返って泡を吹くような、裏工作の現場でした。
 つまり、ユウの規格外の戦闘力を少しでも覆い隠すために、ユウとソナタ二人でこなした依頼を、実は三人でこなしましたと書き換えたり、報告書の飛竜両断の事実をそれとなく伏せたりしているのです。一番凄いモノでは、依頼をでっち上げたり逆に消し去ったりと、それだけで三桁近い法律や条例に触れてしまうような内職を、着実にこなしているのでした。
「今日は、いつにもまして仕事熱心だなあ」
「オレたちも見習わないとな」
「だな。ハンターって稼業はああいう人の努力に支えられてるって、しみじみ思うよ」
 そんな賞賛の声を浴びながら、受付け界における重犯罪の金字塔を打ちたてていくフリージアでした。
 結局。
 金額は一桁台で綿密な調整が行われ、依頼日時、日程も報告もごくごく自然で、そのくせ内容はてんで現実とは異なる書類が山となって完成し、提出されたのでした。

「私には、あなたを笑わせられるような気の利いた魔法は、持ち合わせが無いのよね。でも、ほんの少しだけ嘘をついて、世界を優しくしてあげる。誰も何も知らないうちに、ちょっぴりだけ」

 一応、上司からチェックをされた上で受理されるのですけれど、ほとんどそれはハンコの流れ作業でしかなく、よっぽどのことが無い限り、現場からフリーパスなのが実状です。とりわけフリージアの仕事ぶりには定評がありますから、自然、信頼という名のやっつけ仕事が横行するわけです。そこにつけて、本物以上に本物らしい綿密さで構築された裏工作ですから、誰一人として、その片鱗さえも感じ取ることは出来ずに、ほんの少しずつフリージアの望むように事実は改竄され。
 一ヶ月後には、それが揺ぎ無い現実として君臨することとなるのでした。
 もちろんその『現実』では、ユウへの懸念は何故かすっきり洗い流されていて、
 『最近のハンターの地力の底上げ、結束の強さには目を見張るべきものがある』
 なんて、可も不可も無い一文に、取って代わられているのでした。

「あなたの大事なヒトを苛む現実なんて――嘘」

 守る、という意味において、これほど見事な戦いは、他に無いでしょう。
 けれど、炎の子供も、仁雷の風も、その戦いを知りません。
 自分の知らないところで、こんなにも守られていることを、知りません。
 誰も、何も、知りません。

「こんな魔法を私がかけたっていうことも――嘘。
 後に残るのは、どこか嬉しいだけの、ありふれた現実よ」

 フリージアは、呟きます。独りではない笑顔を浮かべて。
 変わらないけれど、変わって行く私。
 ただ嬉しいから笑えて、届けたいから言葉に出来る、そんな自分。

「嘘だった笑顔が本当になっても、手段だった言葉が真心に変わっても、
 きっと、誰も何も気づかない。ううん、私が気づかせない。
 でも――嬉しいって思える私は、ちゃあんと、ここに居るんだよね」

 だから変わらず微笑むだけ。変わった私が微笑むだけ。
 何も変わっていないようで、やっぱり何かが変わっていて。

「あなたたちの幸せな足跡は、私たちの願いなんだから、ね。
 ばっちり上手くやらないと、承知しないわよう」

 そうして微笑んだままで、静かに待つのです。
 もちろん、ちゃんと二つの飲み物を用意しながら。

「決めたもの。ずっとずうっと、見守るって。
 だから、あなたたちは今日も、ちゃんと勝ってくるの。
 飛竜なんかじゃなくて、もっともっと大きなモノに、勝ってくるのよ」

 例えばそれは、ありふれた悲劇。
 例えばそれは、当然のすれ違い。
 例えばそれは、残酷な現実。

「凍てつくモノにさえ――温かな炎の世界は訪れる。
 打ちひしがれた時だって――不器用にでも仁雷の風は吹く。
 そんな素敵な光景を、いつまでもいくらでも、私は心に刻み続けるんだから」

 やがて近付く、いつもの影。
 白と黒。
 子供と大人。
 のっぽとおチビさん。
 何もかもが歪な二人。
 けれども、今日は。
 花咲く笑顔が二つ、なのでした。

「笑ってるよ……アドニスさん。『もしも』と『たら』の世界で……私たち、笑ってるよ」

 さあ、今日の土産話は何だろう。
 仕事上ガーベラをどう倒したのかは気になるし、人生の先輩としてはそれ以外の成果も気になるところ。あの調子ならば当初の予定以上の成果が得られたことは間違いないし、ひょっとしたら、教えてあるレディの心得以上にまで進んじゃったりしたのだろうか。既成事実が出来たとしたら、もう、あらゆる意味であの朴念仁の牙城は崩されたも同然だ。いつかの笑えない冗談が現実になってしまう日も、近いのかもしれない。まさか、すでに、ということは無いと信じたいけれど、さてさて、どうなのだろうか。……ああ、どうにも話の種は尽きそうにないけれど、大丈夫。飲み物の用意だって、万端なのだから。
 ――でも、まずは。
 この笑顔と言葉で迎えることから始めよう。
 あの日の想い、そのままに。
 少しだけ変われた私から。
 精一杯の、感謝を込めて。

「お帰りなさい」


第二章、これにて閉幕
2007年04月05日(木) 22:06:47 Modified by funnybunny




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