「ジャンボレポート」

作者:揚げ玉




「ジャンボレポート」追記・帰還には一層の猶予のあらん事を


 何度目の宴だろう。
 人生を総括しての、壮大な問いでは無い。単純に、この日、何度目の宴かという問いだ。
 夕刻と供に巨大な火を熾し、それを囲み、宴は翌日の昼まで続くという。
 宴の間、人々は幾度も酔いつぶれ、床に潜り、起き出して来ては、再び輪に加わるのだ。
 私にとって、この宴は幾度目というべきか。
 私は既に、一度酔いつぶれている。というのも、始めに杯を傾けた後、早速始まった踊りの輪に加わり、酩酊する失態をしたのだ。
 原因は調査協力者、ゴライアにある。
 踊りなどという風雅なものを知らぬ私を、彼は強引に踊りへ誘った。案の定、踊りの基本すらままならぬ私だったが、踊りに型などありはしないという彼の主張の通り、動くままに身体を動かした。
 さぞ、滑稽な姿であったと思う。だが誰笑う事もなく、皆が、私を気持ち良く輪に加えてくれた。
 非常に心地良い、貴重な体験であった。だが、できるなら、飲んだ後の運動に対する、酩酊の危険を改めて言及してくれれば完璧であったろう。
 おかげで私はその場に倒れ、宿に運び込まれるという経験をも、合わせて体験する事になった。
 貧血で倒れた女性が、彼女を運ぶ男性の胸で頬を赤らめる、という吟遊詩人の歌物語を耳にした事がある。断じてあり得ぬ話だ。恐らく、倒れた当事者はそれ所ではないはずだ。ゴライアの胸に抱えられ、宿に向かう最中、すさまじい吐き気と頭痛と、その他もろもろの苦しみの中で、私はそんな事を知った。
 これもまた、シュレイドの書庫では生涯知りえなかった経験であろうか。

 私は今、ドンドルマを離れ、小さな村の祭りに加わっている。
 村の名を、ジャンボという。

 汚泥のごとく半液状化して感じる身体に鞭打ち、調査のためと、私は再び宴に加わった。
 その私は今、ゴライアの胸に抱かれている。
 誤解の無いように明記するが、男色を匂わすような行為では、断じてない。
 如何様な経緯かは記憶がないが、私は彼にもたれて寝転び、彼は背後の樹木に寄りかかっている。
 ゆっくりとふいごを鳴らす様に、私の背後で、彼の胸が上下している。
 男の胸で杯を煽る私の失態振りなど、彼にとっては些事に過ぎないのだろう。だからこそ、私を胸に抱いたまま、自らも杯をあけて大笑いなどしていられるのだ。
 不思議な事に、男色癖がない事を重ねて明記しておくが、ゴライアの胸は居心地が良い。
 暖かく、たくましく、寄りかかるだけで、この男に包まれている感触に襲われる。その上、この頓着のない、かつ、繊細な気遣いを見せる男である。もしも女性であれば、このまま彼に全てを任せたい衝動に駆られるのは、無理からぬかもしれない。
 朦朧とする意識の中で、私はそんな事を考えていた。
「そうそう、話が途中だったな」
 天を突く炎を囲み、ドラムの音が響き渡る。その音が、今は遠ざかって聞こえ、背後から聞こえる声が、身体に染みるように知覚された。

用紙1 回復薬

 宴が、始まった。
 私などからすれば、この宴は最高潮にあって見える。炎は轟音と供に燃え、叩かれるドラムは大地を揺らし、人々は熱狂に身を任せて踊り、叫ぶ。果たしてこれ以上、何をもってすれば人は狂乱を表現できるのか。
 背後のゴライアは、何かを期待するように、目を輝かして祭りを見守っている。給仕のアイルーに新たな杯を頼み、チップ代わりに瓶詰めのマタタビを渡す様など、酷く宴を楽しんでいるようにしか見えない。
 だが、彼をしてこう言うのだ。
「祭りも、やっと始まったばかりだな」

ジャンボレポート
 ハンターの持つ道具類の考察、及び、ハンター自身による所感
回復薬
 ハンターにとって、最も馴染み深い道具の一つ。狩りに向かうにあたり、まず所持数を確認する道具でもある。
 水の質感に、緑から薄青の色合い。これは原料にアオキノコと薬草を含むためで、各狩人の調合時の癖で幾分様態の変化が見られる。一般に店頭で見かけるものは緑色と呼ぶべき色合いで、その辺りの配合を流通基準として考えるべきだろう。

「そりゃぁ誰にも異論はねぇだろう。回復薬だ」
 呼吸がひときわ大きくなり、背後の筋肉が脈動する。
 ゴライアの隆々たる肢体が、朗々たる声を上げた。
「味はまぁ……狩人の洗礼みたいなもんだけどな。慣れたら病み付きになる」
 ゴライアの言葉が悪戯めいた響きを帯びたのは、以前、私に回復薬の味見をさせた事を思い出してだろう。彼がギルドハウスで狩猟の用意にいそしんでいる間、その様子を私が記録していた事がある。その際に、彼は調合中の回復薬を私に差し出したのだ。思い出しただけで、口の中に酸味と苦味と、渋味が広がる。呼び起こした記憶だけで、口にしていた酒が奇怪な味に変貌した。
 つまりは、そういう味だ。
「あれはまだ良かったんだぜ? ギルドの配る応急薬なんざ、効果期限切れで店頭処分になった回復薬に、一手間加えて誤魔化してるって噂だ。それにな……世の中には回復薬グレートって、グレートな飲み物もあるんだ」
 そう言ったゴライアは、口から酒の泡を飛ばして大笑した。
 その笑顔から、味を押してしかるべきだろう。
 後日調べたところでは、アオキノコの薬効を強めた反面、それをハチミツの甘味で無理やりに誤魔化して飲み込もうというのが、回復薬Gらしい。狩人らしい豪放かつ合理的なやり方に、無法天に通じるという言葉を思い出した。我々の持つ常識の彼方にこそ、真理はあるのかもしれない。
「だけどな、あれは俺たちの命そのものなんだ。あれを口にして初めて、俺たちは狩りの始まりを実感するし、そこにこそ……生がある!」
 と言って、ゴライアが微かに鼻白んだのは、自分の言いようが歌劇がかってると感じたのかもしれない。少しだけ自重するように、恥じるように、彼はうつむいた。
 彼ら狩人にしてみれば、狩りの中にこそ、死の隣にこそ、生を感じるのだろう。それは狩人ならば、誰もが一度は感じる感覚なのだろう。彼らの横顔を窺う機会があれば、その事はすぐに分かるはずだ。
 彼らの持つ狩りへの、恐れと戸惑い、期待と喜び、誇りと、そして恐らく、愛を。
「ああ、それからな」
 闇の中で踊る巨大なかがり火が、音を立てて薪を吐き出した。乾いていない薪が、爆ぜたのだ。
 驚きと、それを揶揄するような喚声が上がる。そのせいだろうか、ゴライアは言葉を切って眉を潜めた。
「内服だけで済ますと、あれは毒にしかならないからな」
 思わず、私は背後のゴライアを振り返った。彼は可笑しそうに笑い、杯をあおる。
「前に飲んだ程度なら、腹を壊すかどうかだ。安心しろ、ルアン。だが、あれを常習的に大量に飲むと、あっという間に身体をやられる」
 ゴライアが顔をしかめ、口に含むようにして酒を咀嚼する。
 狩人の負傷率は尋常ではない。前線で戦う兵士達ですら、彼ら程の確率で負傷する事はないだろう。狩場の技術が国家間の戦争に転用される事はあるが、その逆はほとんどない。つまり、狩人ほど対象を破壊せしめ、かつ自己を修復する技術に長けた者は、軍隊の中にすら存在しないのだ。文字通り、彼らは身を削って想像を絶するモノを狩っている。
 回復薬は本来、人が摂取できるものではない。それを内服と外用、つまり、口内に含み、かつ体外から塗布する事により、効果を高め、同時に中和しているのだという。飲用するだけでも、塗布するだけでも、回復薬はその激烈な効果によって人体を破壊しかねないのだ。体内と体外から使用する事により、その効果を人間に使用できる程度まで調節しているらしい。そんなものを用いて初めて、人はようやくモンスターに挑む事ができるのだ。
 狩人は回復薬を口に含み、同時に、身体に浴びるようにして振りかける。聞く所によると、回復薬は口内に含んでも、塗布するまでは飲み干さないそうだ。ゆえに、口に含んだ時点で危険を察した場合、それをとっさに瓶の中へ吐き出すらしい。彼ららしい品性下劣な行為とみるか、命の前では品性など霞んでしかるべきとみるか、それは諸氏にお任せする。
 古来、酒は儀式や宴に欠かせぬものだ。毒にも薬にもなるそれらに、人は酔い、そして溺れもする。酒とは、それらの象徴であり、時に主役でもある。
 回復薬を祭事の酒に例うならば、狩りそのものは、狩人にとっての祭事であろうか、神事であろうか。
2008年08月17日(日) 01:33:21 Modified by orz26




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