ジオンライン ―平面越しの絆たち― 第一章:開幕

作者:ランドール




開幕 世は全て事も無し ――オフラインサイド――


――別段、現実に不満があるわけではない。

友人たちは、今時珍しく心根の真っ直ぐなモノばかりだし、家族ときたら、反抗期さえ馬鹿馬鹿しくてそっぽを向くほど愉快な連中だ。高等学校という場所にも順応してきているし、学業に関しても、無為な高望みさえしなければ、現状維持でどこからも文句は出まい。色恋沙汰だけはお寒い時代が続いているが、縁があっても私が断ち切っているわけだから、愚痴を漏らせる立場でもないのだろう。とりあえずのところ、問題らしい問題が無いのが悩み、という、いかにもな女子高生をやっているわけだ。

それでも。

たまに、というほど遠くなく、いつも、というほど近くなく、ただ、ある時漠然と感じることがある。

――身動きが、取りにくい。

よくも悪くも、私には十六年と少々の歴史がある。歴史的観点から見れば星の瞬き一つにみたない歩みであっても、箱庭の如く小さな『私たちの世界』において、それは、時にしがらみとなる。

世良琴梨――せら ことなし。

その名前に関して、感じるところは人それぞれに違いない。紅葉(くれは)ならば『ほとほと変わった奴だよ』と茶化すだろうし、末明(ほのか)ならば『愛しい方ですわ♪』と真顔で怖いことを言うだろう。封建主義ぶっちぎりの愚兄様であれば『とりあえず肩を揉め』と言って眼鏡の位置を直すだろうし、生意気ざかりの愚妹くんであれば『時給500円。期限は明日。どうか宿題やって下さいやがりませ』と威張りながら額を地面につけるだろう。そして私ならば『今後ともよろしく』という他はない。

積み重ねてきた人生は、自身で意図しようとしまいと、相応の価値も意味も理由も備えていて、今さら一から構築し直すことなど出来はしない。結局、私を形作るのは『私』という単独存在ではなく、私を取り巻く一切合切の環境を含めた『私たち』であるのだ。それが、時に、自身で望む『私』を許されない理由なのだろう。

だから、ある時漠然と感じることがある。

――私がただ『私』である世界が欲しい。

例えばそう、何の繋がりも無いはずの人々と繋がりを持てるような。

言葉を交わし笑いを共有し、時に起こる禍でさえも、全てが自己に委ねられるような。

自由の意味を『自分の意思で強いる不自由』と知る、等しい個人責任の下に集うような。

オンライン。

電子の海でそんな絵空の如き理想を求めることに、眉をひそめるモノも多い。自分に都合の良い世界がどこかに用意されているなど、青い鳥にさえ鼻で笑われることだろう。もちろん、私だって『自分探し』なんていう間抜けをぬかすつもりは毛頭ない。余暇にガス抜きをしたい、という、健全すぎるくらい健全な理由があるだけだ。最近はこれを『はっちゃけたい』と表現するのが、高校生界の掟らしい。私はついぞそんなことは知らなかったが、紅葉によると常識だとのことなので、まあ、一つ賢くなったと思っておこう。

ただし、忘れてはならない。画面の向こうにいるのもまた、ヒトなのだ。

匿名ゆえの悪意もある。ゲームゆえの侮りもある。未成熟ゆえの感情の発露などは、枚挙に暇が無い。良くも悪くも、タガの緩いところなのだ。

それでも。

平面越しに、誰が打っても同じように表示される文字の中で、必死に自分を表現しようとする。用意された操作を組合せ、誰も意図していなかった動きを体現する。

結果ではない。『そうしよう、やってみよう』という過程の、意志の中にこそ、私は世界を感じるのだ。私で望む『私』を、見出せる可能性を。

「今日も今日とて世は良きかな。私は琴梨――世は事も無し、か」

部屋に鞄を放り出す。帰宅と同時に高校生稼業は終わりだ。授業時間中に予習と復習をこなさせるためにこそ、先生はああも長々と説明ぶっているに違いないのだから。

――それにしても国語の教科書は、何故こんなにも無駄に重たいのか。

そんな益体も無いことを思いながら、テレビとゲーム機にスイッチを入れる。起動までの僅かな間に、飲み物を準備することも忘れない。今日は緑茶にした。

本来勉強のためにあるらしい机の上に湯呑みを収め、制服のままで椅子にするりと滑り込む。皺なぞは伸ばすための代物だから、気にすることでもない。

モンスターハンターG。

テレビ画面にはでかでかとロゴが映っている。慣れた手つきで操作を進め、データをロード。NP、という名の女性ハンターが、ゲーム内での私の分身だ。ひらひらと手を振って迎える姿は、頭の装備が所謂カブリモノでさえなければ、愛らしく映ったのかもしれない。

ともあれ。

「事も無し――今日もノープロブレムで頼むよ、NPさん」

さあて。

『私』に会いに行くとしようか。
2005年08月16日(火) 11:41:15 Modified by funnybunny




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