モンスターハンター ジーナ 後編

作者:おーさく


                   三


 翌日から狩りは本格的に始まった。
 とはいえ、傍目に見れば、それは遊んでいるようにしか見えなかったかもしれない。
 キャンプの近くで、ジーナは小石を拾えるだけ拾っていた。
 それを、怪しそうな岩山の一つ一つに投げつける。
 もしもバサルモスなら、どれほど上手く擬態していても、その表面に本物の岩山とは
違う反応があるだろう。
 あるいは、怒って動き出すかもしれない。
 手当たり次第に小石を投げつつ、足元にも万全の注意を払う。
 普通に歩けば半日ほどの地域だが、この方法だと一周するのに何日もかかりそうだ。
(まあ、でも他に方法も思いつかないしね)
 それにモンスターはバサルモスだけではない。
 生きた人間を襲う巨大な蜂ランゴスタや巨大な甲虫カンタロスの姿があった。
 ほんのわずかの草を頼りに生きているのか、アプトノスの亜種で頑丈な甲殻と攻撃的な
性格の甲殻草食竜アプケロスがいた。
 青い狩人と呼ばれる肉食竜ランポスの群も見つけていた。
 バサルモスばかりに気を取られてもいられない。一昨日のイーオスの例もある。一匹ず
つならたいしたことのないモンスターでも、集団で襲われれば何が起こるかわからない。
 それでも、一日目は何事もなく終わった。
 小石を投げ続けただけで、大剣を抜くことのない日だった。
 二日目も同じだった。
 さすがに石を投げるのにもうんざりしてきたが、文句を言う相手もいない。
 巨大蜂ランゴスタが何匹か飛んでいたが、すばやく身を潜めたジーナには気づかず、こ
の日も大剣は振るわなかった。
 三日目に、その時は来た。
 この日も朝から石を投げ続けていた。もう地域を半分以上は回っている。もしかしたら
すでにバサルモスがこの地に留まっていないのではないかと疑い始めていた。
(……え?)
 半ば惰性で石を投げようとした時に気づいた。
 明らかにおかしい大岩があることに。
 確かに形は周りの岩と同じようなごつごつしたもので、全体の色もやや白っぽい灰色、
それだけなら普通の岩にしか見えない。もちろん身動きなどしていないし、気配もない。
 だが、その大岩の表面には幾つもの傷が付いていた。
 最初は汚れかと思ったが、その跡はジーナには馴染み深いものだった。
 襲われた村の男が撃ったボウガンの弾の跡に違いない。確かに痛手を与えているように
は見えない。表面で弾かれてしまって、バサルモスの体まで届いていないだろう。
 だが、ジーナは心からその男に感謝した。
 わからないまま石をぶつけていたら、それが戦いの合図になっていたかもしれない。
 十分な間合いを取ったままでその大岩をじっくりと観察する。
 確かに大きい。雄火竜リオレウスほどではないが、それでも彼女の十倍、いや二十倍は
ありそうだ。地面に潜っているというよりは、単にうずくまっているように見える。頭と
思しき突起も岩山そっくりで、尻尾は体の下に押し込んでいるようだ。
 飛竜の証ともいえる翼は見えなかった。岩山に擬態するのには不向きな部分だ。完全に
地面の下に隠しているのだろう。
 まだジーナに気付いていないのか、あるいは彼女が無防備に近づくのをじっと待ってい
るのか、バサルモスに動きはなかった。
(弱点は?)
 確かに長老の言ったとおり、ボウガンの弾をあそこまで弾くような背中に大剣を振り下
ろしても、火花が出るのがせいぜいだろう。頭を狙っても同じか。
(……思ったよりもやっかいね)
 リオレウスも堅い鱗や甲殻を持っていたが、それはまだ大剣の刃で傷が付けられるもの
だった。飛竜に限らず、装甲の厚い生き物は腹部が柔らかいことが多い。あるいは動かす
ために鱗で覆うことのできない脚か。
 どちらにしてもあの巨体のすぐそばまで近づかなくてはならない。これだけ体の大きさ
が違うと、少し触れただけでも弾き飛ばされてしまうだろう。もしも踏まれたりしたら、
絶対に助からない。
(戦う?)
 自問すると、ごくりとのどが鳴った。それが逆に自分の癇に障る。
 今ここで引いたら、何のために来たのか。
 どうせこれ以上、何か準備が出来るわけでもない。
 きっと唇を引き結び、顎を引く。腰のポーチに手をやり、中から閃光玉とは違う玉を取
り出した。
 ペイントボールと呼ばれる目印だ。当たると鮮やかな塗料が飛竜の体に広がり、誰が見
てもわかるようになる。もしもジーナが敗れても、もう誰もこの飛竜には近づかなくなる
だろう。
 一度、背中の『巨神』を見る。その破壊力に自分の命を預ける覚悟を決める。
 深呼吸をする。
 三歩だけバサルモスに近づいた。
 岩山のような飛竜が微かに身じろぎした。
(……気付いているわね)
 彼女があと何歩か近づけば、飛びかかって来るだろう。
 ならば、あとは全力を尽くすのみだ。
 大きく振りかぶると、ジーナはバサルモスの頭めがけてペイントボールを投げつけた。
 すぐに真横に走り出す。
 バシャ!
 彼女の投げたペイントボールは見事にバサルモスの頭に当たった。
 岩の色にはあまりに不自然な桃色の塗料が飛び散る。たちまち咆哮とともに飛び上がる
巨大な岩山。
 怒りの咆哮を上げながら、ぎらりと目を見開き、走るジーナを見据えて突進する。
「くっ!」
 鈍重な見かけによらず、みるみる追いついてくる。間一髪の所で身を翻し、なんとか躱
した。
 立ち上がると、バサルモスは突進の勢いが強すぎてそびえる岩壁に衝突していた。足元
が揺れるほどの衝撃だ。だが、何事もなかったように振り返ると、再びジーナめがけて咆
哮を上げた。
 あまりの大音量に思わず耳を塞ぐ。山すら崩れそうな気がした。
 そして突進してくる巨大な岩山。
 さっきよりは余裕を持って身を躱す。再び岩壁に自分の体を当てて突進を止めると、バ
サルモスはまた何事もなく振り返った。
(頑丈な奴)
 心の中で毒づきながらも、ジーナは冷静にバサルモスの動きを見ていた。前足が翼に進
化した飛竜種は地上では後ろ足だけで歩く。前足はほとんど攻撃に使うことはない。巨体
を生かした突進か、獲物に噛み付くか、尻尾を振り回すか、特殊なブレスを吐くか、大体
その方法は決まっている。バサルモスも同じようだ。
 まだ背中の『巨神』を抜いていない。ポーチを探り、態勢を整えながら、その時を見逃
さないように集中する。
 二回も攻撃を避けたこの獲物に、バサルモスも少し警戒をしだした。威嚇の咆哮を上げ
ながらも、今度は無闇な突進をしてこない。
 それを見てジーナが動いた。
 後ろ手に自分の背中へと閃光玉を放る。そのまま一直線に駆け出す。
 『巨神』の柄に手をかけ、口からは己を奮い立たせる叫び声。
 爆発音とともに迸る閃光。
 のけぞる飛竜。
「やああああ!」
 露になったその腹部を目掛け、駆けた勢いのままジーナは巨大な刃を振り下ろした。
 ドスッ!
 鈍い音、堅く厚い手応え。
 ゴアアアア!
 怒号のような悲鳴、噴き出す血飛沫。
 『巨神』はバサルモスの胸部を切り裂いていた。やはり、ここなら攻撃が通じる。
 瞳に喜色を浮かべ、ジーナはもう一撃と体を捻った。イーオスを軽く吹き飛ばす大剣の
横薙ぎだ。初撃と合わせてバサルモスの胸に十字型の傷が付く。再び噴き出す鮮血。
「まだまだ!」
 前足を攻撃に使えない飛竜は、懐にいる敵への対処が苦手だ。ここを先途とばかりに、
ジーナは縦横に『巨神』を振るってバサルモスの胸を切りつけた。
 激痛に身をよじって耐える飛竜だったが、徐々にその視界が戻ってきた。
 まだ眩む目を見下ろせば、小さな餌が自分のすぐそばにいた。
 ゴアアアア!
 怒りの篭った咆哮。
 半歩だけ体をずらし、その巨体を思いっきり叩きつけた。
 夢中で攻撃するジーナが、次の瞬間宙を舞っていた。
 ドオン!
 自分の体が鳴らしたとはとても思えない、激しい衝撃音。
「え?」
 襲い来る痛み。岩壁に打ち付けられた体が、ずるずると地面に落ちていく。
(……し、しまった)
 全く気が付かないまま喰らってしまった。
 喉元をせりあがってくるものを、堪らず吐き出す。真っ赤な塊がこぼれ、口から糸を引
いて落ちた。
 痙攣する体を何とか支え、こっちを見据えるバサルモスに気付く。
(に、逃げなきゃ)
 壊れた人形のような動きで狭い岩陰に避難する。
 今まで彼女のいた場所に、突然火柱が立った。
「!」
 バサルモスの吐いたブレスだ。その火の玉が、着弾したところに火柱を立てたのだ。
 何とか呼吸を整えようと努力しながら、ジーナはバサルモスを盗み見た。
 彼女の攻撃も無駄ではなかった。傷つけられた飛竜も近づいて来ようとはしない。適当
な狙いで火の玉を吐いてきたが、それは隠れた岩の表面を焦がしただけだった。
 ポーチを探って薬を取り出す。街の呪い師が調合した飲用薬だ。ハンターの間では良く
知られているもので、体の回復力を著しく高める効果がある。
(頑丈な鎧に感謝しなきゃね)
 生身で飛竜の一撃を喰らっていたら、全身の骨がばらばらにされていただろう。至る所
が痛むが動けないほどではない。この程度の被害で済んだのは不幸中の幸いだ。
「あ、大剣……」
 唯一最大の武器である大剣『巨神』を落としていた。
 再び様子を見る。バサルモスはどうしようか考えあぐねているようだ。すばやく視線を
走らせると、少し離れたところに蒼い刃の輝きが見つかった。
 普段の彼女なら、全力で走ればバサルモスに攻撃される前に届くだろう。
(まずい、かな)
 力の入らない足が震えている。今度攻撃を受ければ、もう助からない。
 ドガア!
 また岩の表面に火の玉の炸裂音がした。
 バサルモスもなかなか姿を見せない獲物にじれているようだ。また顔だけ出して様子を
見る。
(え?)
 翼を広げて体勢を低くし、今まさに突進を開始しようとする巨大な岩山があった。
「何を……あ!」
 その狙いに気付いて慌てて逃げだす。足を必死に動かして、岩陰から飛び出した。
 ドグワッ!
 背後で岩の打ち砕かれる音がする。振り返ると、もうもうと立ち上る粉塵の中に蠢く巨
大な影。
「なんて奴なのよ!」
 力を振り絞って『巨神』のところまで走る。苦労して背負っているうちに、瓦礫と化し
た岩山の中からバサルモスが進み出てきた。
 まだ戦えるほどは回復していない。だが、これでは別の岩陰に隠れても無意味だ。
 そんなことを考えていると、バサルモスが大きく息を吸い込んだ。
 耳をつんざく咆哮かと首をすくめると、その口からまたも火の玉が放たれる。今度の狙
いは正確だった。反応の遅れたジーナの頭上めがけて、放物線の死が落ちてくる。
「うわああああ!」
 直撃こそ避けたものの、中途半端な横っ飛びではその火柱までは避け切れなかった。猛
火に炙られる体のあちこちに火が付く。
 そのままごろごろと転がって火を消すが、彼女が立ち上がった時にはもうバサルモスが
突進を始めていた。
(避けられない……!)
 目を見開くジーナは、だが自分でも予想しない行動に出ていた。
 取り戻したばかりの『巨神』を素早く構える。
 みるみる視界を覆う巨大な岩山の接近に合わせて後ろに跳んだ。
 同時に刃の側面でバサルモスの突進を受ける。
 ガキィン!
 凄まじい音が鳴り、火花が散った。
 再び宙を舞うジーナの体。だが、今度は岩山に激突することはなく、たたらを踏みなが
らも着地することができた。
(や、やったわ)
 だが受け流してもなお、その突進の威力は凄まじかった。
 痺れる両腕、ふらつく頭。
 心臓の音がうるさいくらいに聞こえていた。
 バサルモスは突進の勢いを殺すのに苦労し、かなり遠くまで行っていた。岩壁のない方
向だったのもジーナには幸いだった。
 再びバサルモスがこっちを向く前に、近くの岩陰に身を隠す。
 とにかく時間が必要だった。
 深呼吸を繰り返しながら、ジーナは改めて思った。
 何と圧倒的な攻撃力。
 何と頑丈な体、何という生命力。
 やはり飛竜だ。
 人が恐れながらも、力の象徴として羨望を抱く、あの強大な生き物だ。
 この大剣『巨神』ですらあの化け物の前では小型ナイフみたいなものなのか。
 あれほど斬りつけても、岩をも突き崩す突進をしてくるとは。
 だが、そうでなければ。
 戦いの高揚がジーナの体に力を与えていった。
 打撲や火傷をしているようだが、そんな痛みは少しも気にならなかった。
 呼吸を整え、『巨神』を背負い直して、岩陰から出る。
 まだバサルモスは遠い。姿を消した獲物を探しながら、こちらへ向けて歩いて来るとこ
ろだ。
 ジーナの方から駆け出した。
 バサルモスも気付いた。すぐさま翼を広げて体勢を低くすると、真正面に捉えた獲物へ
と突進を開始する。だがそれは彼女の狙い通りだった。
 十分な距離をもって身を躱す。あまりに重い体をしていて、バサルモスの突進はほとん
ど方向を変えられないのだ。それどころか止まることすら難しいときている。
 ジーナの読み通りに、バサルモスはまた岩壁に体をぶつけて止まった。すぐさま振り返
るが、彼女はもうその巨体の背後に回りこんでいた。
「そこぉ!」
 後ろ足から尻尾の付け根辺りに、甲殻の薄い部分を見つけて、『巨神』を振り下ろす。
確かな手応えと飛び散る赤い血潮、止まらずに体を捻って繰り出す横薙ぎ。
 見るも鮮やかな十字傷に、流石のバサルモスも少し体をよろめかせた。
 だが、やられてばかりもいない。
 一瞬早く気付いたジーナが防御に構えた刹那、鋭い尻尾の一撃が襲い掛かってきた。大
音響と共に火花を散らす『巨神』、それを支えるジーナの体も音を立てて軋んだ。
「ぐうっ」
 ガードした大剣が自分の体にぶつかってくる。それだけでも目の眩むような衝撃だ。
 痺れる手を素早く握りこんで、ジーナはバサルモスの巨体の周りを駆け回った。
 鈍重な見かけの割には素早く動くが、やはり人間の小回りには付いてこれない。
 怒りに燃え上がり、岩山が無茶苦茶に暴れ回った。
 懐に潜り込もうとする獲物に噛み付こうとし、体当たりを試み、尻尾を振り回した。
 一時も立ち止まらずに、ジーナはバサルモスの攻撃を避け、一撃また一撃と『巨神』を
当てていった。
 危うく踏み潰されそうになり、避け切れなかった腰鎧の一部がむしり取られた。
 尻尾の一撃が背中をかすり、それだけでまた血を吐いた。
 ジーナも傷ついていた。
 幾度目かもわからない攻撃を胸の十字傷に加えたとき、バサルモスの口から間違いのな
い苦痛の悲鳴がもれた。
 荒い息をつきながら、ジーナが凶暴な光を目に宿す。
「うおお!」
 叫び声を上げて再び胸の十字傷めがけて『巨神』を構えた。
 だが、そこはバサルモスの真正面だった。
 体を沈め翼を広げる予備動作のないまま、その巨体を投げ出すような突進がジーナに襲
いかかった。
 ドガアッ!
 信じられないような衝突の音がして、その体が再び舞う。
 受身など取ることも出来ずに、何度も地面にぶつかった。
 顔や腕が砂利で無残に削られた。
(やられた……)
 意識を失わなかったのが奇跡だった。
 激しく咳き込む。吐き出す血の塊が可笑しいくらいに赤い。
 震える手で触ると頑丈なはずのマカライト鋼の胸当てが大きくへこんでいた。
 今度ばかりは鎧を突き抜けた衝撃が、ジーナの骨をも砕いていた。
 仰向けに見上げる空が、低く灰色の雲に覆われている。
 背中に振動を感じた。
 一歩一歩と近付いてくる、巨大な飛竜の足音。
 もう駄目かと思ったが、動かしてみると、まだ自分の体が動くのがわかった。
 のろのろと起き上がる。
 強すぎる一撃のおかげか、バサルモスとはずいぶんな距離が開いていた。
(!)
 意外な光景に目を見開く。
 確かにこちらに向かってくるバサルモスだったが、その足取りがおかしかった。
 自ら何度も岩壁に打ちつけ、ジーナにも切りつけられた翼が片方、力なく垂れ下がって
いる。
 弱っていた。
 その目はまだ怒りに燃え、獲物を噛み砕こうと迫ってくるが、彼女同様にこの化け物も
追い詰められているのだ。
 ジーナは立ち上がることが出来た。
 『巨神』を持ち上げることも出来た。疲労と傷に震える両腕が、その巨大武器を何とか
背中に納める。
 砂利で切った額から血が流れて、目に入った。
 マカライト鋼の額当ては、いつのまにか無くしていた。
 代わりにポーチから包帯を取り出して、適当に巻きつけた。
 バサルモスが近付いてくる。
 引きずる足に力をこめ、その傷からは止めどなく血を流しながら、翼を広げて姿勢を低
くした。
(なんて奴!)
 咆哮と共に突進してくる。その姿がみるみる大きくなる。
 ガキィン!
 刃の側面で受け流すジーナ。
 やはりバサルモスは弱っていた。今の突進にはもう彼女の体を吹き飛ばすような威力は
ない。
 それでも傷ついたジーナには十分だった。
 地面に膝をつき、『巨神』で体を支える。
 もう、突進を受け流すことも出来なかった。
 遠くで体を支えられずに転がるバサルモスの姿を見た。
 逃げるなら、今しかない。
 そう考えた自分に、ジーナは凍りついた。



                   四


 バサルモスは、また獲物を見失っていた。
 確かに吹き飛んだはずの小さき生き物。
 何処へと行ってしまったのか。
 ゆっくりと探しながら、今来た道を引き返し始めた。
 その体から流れる血が、止まらなかった。
 
「ぐう……」
 呼吸するだけで、折れた肋骨が脳天まで痛みを突き抜けさせる。
 狭い岩陰で、ジーナは忙しく動いていた。
 ポーチの中にある薬を取り出したが、それが気休めにしかならないことは彼女自身が良
く知っていた。
(それでもいい、とにかく少しでも動けるようにして)
 軟膏をあるだけ塗り込み、包帯も全部巻きつけた。
 カラカラの喉に、持っていた水を一息に飲み干した。口の中も切っていて、鋭い痛みが
走る。
 バサルモスの足音が近づいてきた。
 巨体のため、相当遠くからでも音や振動が接近を知らせてくれる。
 さらに身を低くし、息を潜める。
 自分の臭いを察知されたらと不安になったが、一応その対抗策は最初に成功しているは
ずだ。
 ペイントボールの中に入っている塗料には、強烈な臭いを発する成分が含まれている。
風下ならば数キロ先からでも飛竜の存在を掴めるようにするものだが、同時に飛竜の嗅覚
を鈍らせる効果もある。
 ジーナがバサルモスの頭を狙って投げつけたのもそれが狙いだった。さらに上手くすれ
ば塗料が目潰しになってくれればとも思っていたのだが、その効果はなかったようだ。
 永遠とも思える時間の後で、バサルモスの足音が止まった。
 かなり近い場所だ。ジーナが最後の突進を受け流した辺りだろう。あの一瞬でバサルモ
スは自分の攻撃が殺されたことに気付いているのだろうか。
(もう少し、もう少し……)
 ひそやかな呼吸をしながら、ジーナの体はわずかに回復を始めていた。
 最初に飲んだ薬がようやく効いてきたのかも知れない。
 ギュッ、ギュッとこぶしを握り締める。
 強烈な攻撃でふらついていた頭も治まってきた。脚にも力が入る。
 バサルモスが動き出した。
 獲物の吹き飛んだ辺りを探しているようだ。その足音がちょうどジーナの隠れている岩
の周りにさしかかる。
(どうする?)
 飛び出すか、やり過ごすか。
 考えたのは一瞬だった。

『無理はする必要ないぞ』
『私はハンターです!』
 そう。

『ハンターが、モンスターに困っている人を放っておけると思いますか』
 言い切ったのは、いったい誰だ?

『この村を脅かす飛竜バサルモスを討伐してくれ』
『任せてください』
 それなのに、いまさら逃げるのか?

 それなのに、
『力不足でした』
 なんて言葉を吐くのか?

 ……この私が?
 このまま逃げ帰って?

(冗談じゃない)
 瞳に力を漲らせて、ジーナは軽やかにその身を躍らせた。
 岩陰から飛び出した時、真正面にいたバサルモスと視線が合った。
 沈黙の数秒、そして動き出す戦いの時。
 彼女が掲げた手の中で、最後の閃光が弾けた。
 強烈な光に包まれながら、両手で握り締める大剣の柄。
 ジーナの渾身の一撃が、まず目の前にあったバサルモスの頭に打ち下ろされた。
 ガッキィン!
 大きな火花とともに弾かれる大剣『巨神』。だがハンマーのごとき衝撃はバサルモスの
頭を地面に打ち付けていた。
 ゴアアアア!
 獣の苦悶と怒りの咆哮。
「あああああ!」
 それに負けない女ハンターの咆哮が響く。次いでしなやかな体の捻りが生み出す大剣の
旋風。
 ガッキィィン!
 首が伸びきるまで横に弾かれる飛竜の頭。
 あまりの威力に白目を剥くバサルモス。
 弾かれた勢いを殺すことなく、ジーナは一回転しながらこの岩山をも宙に打ち上げるつ
もりで力を振り絞った。
 地面すれすれを吹き上げる『巨神』の竜巻。
 ガッキィィィン!
 三度目の甲高い音と共に、ジーナの手に嫌な感覚が伝わってきた。
 蒼き刃に走る亀裂。
 両腕に走る激痛。
 だが強烈なその一撃で、バサルモスの頭は完全に真上を向いていた。
 ジーナの視界いっぱいに広がる十字型の傷。
「うわああああ!」
 最後の一撃は、体ごとぶつかっていた。
 十字傷の真ん中に突き刺さる『巨神』の切っ先。
 ビシリと鋼の悲鳴が上がる。
 細かな破片をいくつか散らしながら、根元近くで折れ砕ける大剣。
 命を蝕む痛みに、バサルモスが悲鳴を上げた。
 強靭なその体が突き刺さった異物を押し出そうと蠢く。
「!」
 考える前に体が動いた。
 深々と刺さったその刃先めがけて、まだ残る『巨神』の根元を押し当てる。
 ゴアアアアア!
 より一層響き渡る断末魔の悲鳴。
「ごほっ」
 ジーナも再び血を吐いた。
 折れた肋骨が彼女自身を傷付けている。
 だが……
 力を込める。
 ズブリとめり込む。
 さらに力を込める。
 さらにめり込む。
 もっと力を加える。
 ごつりとした感触がして、骨に当たった切っ先がバサルモスの体内で方向を変えた。
「ごぼっ」
 濁った咳と共に零れる血の塊。
 真っ赤な視界に意識が揺らめいた。
 その手から落ちる『巨神』の柄。
 悲鳴を上げ続けるバサルモスが、身を捩って苦しんだ。
 どうやっても押し出せない激痛が、自分の中から血と命を吸い出していく。
 この小さな、ただの餌のはずの生き物に。
 こんな目に逢うなんて!
 ジーナは背後の岩に背を預け、ただ立ち尽くしていた。
 自分の持つ最初で最後の武器が、この巨大な生き物の中で、まだ戦い続けている。
 もう自分には戦う手段は残されていない。
 逃げる手段すらも。
 だから、最後に自分を見据えるバサルモスの目に気付いても、睨み返してやることしか
できなかった。
『キサマモ、ミチヅレダ』
 その目が語っているような気がした。
 せめて歯を食いしばる彼女に向けて、その全身から青紫色の気体を噴き出す。
(毒!)
 そういえば、長老が言っていたではないか。
 イーオスよりもはるかに強力な毒を噴き出すと。
 慌てて息を止めようとして、それが無駄な抵抗だと気付いた。
 全身の傷という傷に強い刺激が感じられる。
 急激に力が抜けていった。
 崩れ落ちる体。
 最後までバサルモスを睨み付けていた目から光が失われるまでに、数えるほどの時間も
かからなかった。



                   五


 ジーナが目覚めたのは、がたがたと動く小さな荷車の上だった。
(……え?)
 生きている?
 岩山を走る車輪の音が耳元でうるさいほどの音で鳴っている。
 それに混じって猫の鳴き声が聞こえた。
 何匹かいるようで、掛け声をかけているようなリズムだ。
 のろのろと首を動かして周りを見やる。
(あ……、アイルー)
 手作りらしい小さな荷車を、白猫によく似た獣人が力を合わせて動かしていた。
 猫人アイルー。人の言葉を理解し、その器用な手先を買われて武具工房などで雇われる
こともある、人間と親しい種族だ。おそらくこの辺の集落のアイルーが、戦いの音を聞き
つけて来たのだろう。
(助けてくれたのね……)
「うにゃ!」
 身動きしたジーナに、彼女を診ていた一匹が声を上げた。
 それが合図だったのか、荷車が止まる。
「うにゃなにゃ?」
 すぐ間近に顔を近づけて、大きな目で覗き込んできた。
 荷車を動かしていた四匹も荷車の上に乗ってきた。
 どの顔も心配そうにしている。
 最初から彼女を診ていた一匹が、小さな木の実を差し出した。
 食べろ、ということらしい。
 動かすことも辛い腕だったが、ジーナはその実を受け取り、口に含んだ。
 ほろ苦い果肉が染み渡る。
 体のあちこちには見覚えのある草が貼り付けられていた。
 ヤオ草と呼ばれる解毒効果のある野草だ。これが彼女の命を取り留めたのか。
 周りを見ると、まだそこはバサルモスと戦った場所の近くだった。
「!」
 岩場に転がる巨大な姿を見つける。
 場違いな桃色の塗料が遠目にもはっきりとわかった。
 地面に隠れているのではない。赤黒い血に染まる胸や腹を露に見せていた。
 最後までジーナの残した『巨神』の楔から逃れられずに、力尽きたのだ。
「……そっか」
 ぽつりと呟く。
 体も心も空っぽの状態だった。
 戦いが終わったことは理解できたが、あまり実感がない。
「終わったんだ」
 どこか他人事のように言う。
 再びアイルーたちが荷車を動かし始めた。
 がたがたと揺られながら、バサルモスの死体を見つめ続ける。
(『巨神』……)
 最高の相棒が、その身と引き換えにもたらした勝利だった。
 アイルーが、折れ残った柄を荷台に載せていた。
 その無惨な姿に胸が詰まった。
 嘘みたいに軽く、小さくなってしまった『巨神』。
 もはや剣の姿すらしていない。
 じっと見つめていた。
 いつまでも見つめていた。
 身動き一つせずに。
 『巨神』は何も語らなかった。
 ただ荷車の振動に合わせて、カタカタとその身を震わせていた。
 何かを伝えようとするかのように。
 やがて、アイルーの渡した眠り草の実が効き、ジーナは深い眠りへと落ちていった。




エピローグ


「やはり、行くのかの?」
 村の入り口まで歩きながら、長老は何度目かの言葉を繰り返していた。
 苦笑するジーナ。
「もう決めましたから」
 その背には『巨神』の柄だけを背負っていた。
 アイルーに助けられた彼女は、村のすぐ近くまで運ばれた。近付いてくる荷車に最初に
気付いたのは、樵のバムだった。
 応急処置はしてあったものの、ジーナの容態は深刻なものだった。
 変形して外すのにも苦労したマカライト鋼の鎧が、村人たちにもバサルモスの脅威を改
めて伝えた。
 肋骨を何本かと右腕を骨折、左腕も関節が外れていた。
 火傷、擦り傷、切り傷、打撲は数知れず、その上バサルモスの毒は高熱となってジーナ
を何日も苦しめた。
 長老の妻だけでなく、村中の女が交代で看病に当たった。
 焼け焦げた髪も綺麗に整えてくれた。
 女だからと、顔の傷には特に注意してくれた。
 起き上がれるようになると、誰もが次々と見舞いに来た。
 彼女が寝ている間に、バサルモスの死体も村に運び込まれていた。
 飛竜の体にはさまざまな用途に使える大きな竜骨や甲殻、鱗などの素材がある。またバ
サルモスの場合はその岩山のような背中に、本物の鉱物も混じっていた。
 その実際の姿を見て、村中の人間が改めてハンターという人種、ジーナという人間に畏
敬の念を抱いていた。
 ハンターを目指す村の男たちは、口々に巨大な飛竜をどうやって倒したのか聞かせてく
れとせがみ、その中には村で最初にバサルモスと出会った男もいた。
 ジーナは照れながらもその一部始終を話し、貴重な目印を付けてくれた男には逆に礼を
言った。
 一月余りがたち、だいぶ体も治った頃にはジーナもすっかり村に馴染んでいた。
 子供のいない長老夫婦は、初めての子供のようだと目を細めて喜んだ。
 村の鍛冶屋が、彼女の鎧を打ち直して、何とか装備できるように直してくれた。
『一から作るには、ここには材料が足らない。これで勘弁してくれ』
 もちろんジーナは喜んでそれを受け取った。
 だが、大剣『巨神』はもはや修復不可能だった。
 マカライト鋼の刃先を鍛える技術も、大剣を鋳造する技術もこの村にはなかった。
 長老が自分の双剣を譲ろうとしたが、ジーナは断っていた。
 扱いに慣れていないのもあるが、それはまだこの村に必要な武器だったから。
 さらに半月程が過ぎ、体が元通りに動くようになると、ジーナは旅の準備を始めた。
 村中が彼女を引き止めた。
 特に長老夫婦は熱心だった。
「おぬしなら、ワシはすべて任せてもいいと考えておる」
 だがジーナにはそれを受けることは出来なかった。
 旅の中で探してきた、彼女自身の居場所。
 確かに今、この村にハンターはいない。
 暖かい村人たちに甘えて、ここに住み着くのも悪くないかもしれない。
 そう思いながらも、そうはできない自分がいるのもわかっていた。
「この村には長老もいますし、ハンターを目指して頑張る人たちがいます。……私の居場
所はありませんよ」
 そう言う笑顔は屈託無く明るかった。
 やがて長老も諦め、今度は村中がジーナを送り出すために盛り上がった。
 すすんで彼女のために旅の道具を集め始める。男たちは総出で山に入り、この地方では
宝石のように珍しい光蟲を二匹見つけてきた。それは、長老自らが慎重に調合して閃光玉
に仕上げた。
 女たちはジーナの服を肌着から全部縫い上げ、腰のポーチや荷袋まで作ってくれた。度
重なる戦いの旅で、どれも継ぎ当てだらけだったのだ。さらに薬やお守り、携行食まで旅
に必要なものを揃えてくれた。
 その気持ちが嬉しく、ジーナは新しい服に有難く袖を通し、腰のポーチも付け替えた。
 鍛冶屋が打ち直した鎧も身に着けた。あちこちにある傷、むしりとられた腰鎧はそのま
まだったが、動くのには何の支障も無いまでに直っていた。
 折れてしまった『巨神』の柄は、そのまま持っていくことに決めていた。
 バサルモスの体内から取り出された切っ先は、村に置いていくことにした。樵のバムが
言うには、長老の古い双剣と一緒に村の御神木の根元に奉納するらしい。
 『巨神』の刃にとってもその方がいいような気がした。
 準備がすべて整うと、ジーナは村の男たちに時間の許す限り、稽古を付けた。
 木を削って作った大剣を手にする彼女に、男たちは全力で打ち込んできた。
 少しでもその強さを吸収しようと。
 ジーナも容赦なく彼らを叩き伏せた。
 それがハンターである彼女に出来る、精一杯のことだった。

 村の入り口で、樵のバムが待っていた。
 昨日の夜までジーナを相手に稽古していたその顔に、青アザが浮いている。
「最初にあんたを村に迎えたのは俺だ。最後も、俺があんたを送るよ」
 笑顔でその好意を受ける。
 ここまで送ってもらった長老に向き直り、改めて頭を下げようとして気付いた。
「長老……」
 誇らしげに右手を差し出すその姿。
 ジーナも胸を張り、差し出された右手を握り返した。
「世話になったの」
 せめてハンターらしく、ジーナはにっこり微笑んだ。
 そして、咳払いを一つしてからこう言った。
「当然の仕事ですよ。私は、モンスターハンターですから」


                     (了)




<後書き>
 と、こう書くのも照れくさいのですが、一応後書きを少々。
 後書きですので、本編を読む前の人は、どうぞご遠慮ください。
 
 本編はプレイステーション2のアクションゲーム『モンスターハンター』(および『モ
ンスターハンターG』)のノベライズです。
 これはインターネットを利用したオンラインゲームの一つであり、見知らぬ他のプレイ
ヤーと協力して大小さまざまなモンスターを狩る、痛快なアクションゲームです。
 とはいえ、このインターネット環境というのを揃えるのにはそれなりの機器とお金が必
要になります。それゆえ筆者のようにこのゲームをオフラインで(つまりインターネット
につながずに)遊んでいる者も多い……らしいです。
 その場合は本編の主人公のように、一人で狩りに出て行くことになります。
 これだけでも十二分に楽しめると思えるので、まだプレイしていない人にはオススメ。

 本編に関して、怒りや文句を言われる前に言い訳を少々。
  • ゲームにない設定がありますが、これは筆者の勝手な創作です。単にそういう場面を書
 いてみたかっただけでして、悪しからず。
  • ゲームよりは若干リアリティを持たせているつもりです。瀕死状態が即座に全快するよ
 うな薬、戦闘中に使える砥石、地面も掘らずにどうやるんだその落とし穴、その大タル
 爆弾どっから出した? というようなアイテムの登場はさすがに無理でした。(それな
 ら背丈を越えるような大剣が使えるはずないって? 確かにそうですね〜)
  • つまらんぞ、という方へ。
 ごめんなさい。鋭意努力中です。


 最後に、主人公の装備やアイテムを、ゲーム的に列挙。
 
 武器:某・鉱物系大剣最終形、名前は秘密
 頭 :ハイメタヘルム
 体 :スティールメイル
 腕 :ハンターアーム
 腰 :ハイメタフォールド
 脚 :ハンターグリーブ

 ……実際に見ると、なんとも微妙な装備(苦笑)
 今度は飛竜系装備を目指そうかな。

 アイテム
 閃光玉×3
 携行食×2
 活力剤×1
 応急薬×3
 ペイントボール×2

 実際のゲームではこの装備の場合、このアイテムでの討伐はかなり無理くさい。最低で
も砥石が欲しいですね。


 そんなところでしょうか
 では、またお会いできることを祈って。


 2005年4月吉日 自室にて
                                    おーさく




 2006年4月5日 装備について後書き追加(笑)

 頭:ハンター(GでもSでも可)
 胴:スティール(GでもSでも可)
 腕:ハンター(GでもSでも可)
 腰:CライトSベルト ハンターでもなかなか
 脚:ハンター(GでもSでも可)
 
 が、結構小説版の装備に見た目が近いです 素材に少し難はあるけど。
 あと、あの大剣は、どう見ても突き刺せる形はしていない どうしよう…




 投稿にあたり、さらに後書き追加(大笑)

 読んでくださった皆様、初めまして。 
 おーさくと申します。
 モンスターハンターの小説投稿サイトというものを知らず、書いてから1年以上も放置
していた拙文ではありますが、このたび投稿させてもらいました。
 最初の後書き等、書いた当時のままですが、あえて手は加えてません。モンスターハン
ターを知らない人に、少しでもゲームの面白さを伝えたいというスタンスで書いた作品で
すし、その気持ちは今も変わっていませんので。
 当時は私もオフ専でしたが、この1年の間にネット環境も整い、モンスターハンターG
にて街への進出もできました。
 いや、オフラインとは別物ですね。あっという間に1000時間越えちゃいましたよ。
 まだまだ、私はモンスターハンターGの世界におります(笑)
 ドス? 村の途中で挫折してて、復活の目処も立ってません(苦笑)

 閑話休題
 この作品の後に主人公が進む道、新たなハンティングに関しては、構想はあるんですが
実際にカタチにできるかはまだわかりません。ただ、書くとしたら私が実際にオンライン
で体験した様々なことを、織り込んでいきたいですね。
 では、あまり長々と書くのもお目汚しですので、この辺で

 どうもありがとうございました


 2006年7月30日 自室にて
                                おーさく
2006年08月12日(土) 18:44:04 Modified by funnybunny




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