英雄たちのクロニクル 第二話：業火を纏う赫鱗��
作者：サラ
村中のハンターが、森の中を突貫して行った。
辺りは夕闇に侵食されつつあり、薄暗い。森の中は陽光が入ってこず、視界が悪い。
私は左隣を走る師匠をチラと見、周りのハンターを見やった。
四人パーティの二個小隊編隊。いわゆるフォーマンセル、だ。私と師匠の隊には、酒場で私の発言をフォローしてくれたあの中年ハンターもいる。驚くことに、彼のハンターには娘がおり、既に妻は他界。娘を護るためにハンターを始めたそうだが、気づけばその娘もハンターになっていて、今はいつも二人で狩りを行っている。そう言っていた。しかもその娘もこの迎撃戦に参加しており、私たちの隊にいる。
……酒場でハンターたちに提案した師匠の作戦はこういったものだった。
今回の迎撃戦に参加したハンターの総数は十六人。――古龍相手によく怖気づかなかったものだ、と私は思う。十六人といえば、ちょうど四人パーティが四つできる。ハンターたちを四パーティに分け、中央を進む隊が、八人構成のA隊。左右から挟むように古龍に迫るのが、B隊とC隊だ。A隊には私と師匠が所属した。この隊全員のメンバーが、この村の中でも最上位に位置するハンターの集まり。『古龍の急襲に耐えられる』、と判断された者だけで構成される。それだけに、危険は最も高い。残りの二小隊は左右から接近しつつ、古龍が引き連れてきた無数のガブラスと呼ばれる小飛竜を撃破し、村への被害を最小限に抑える役目を担った。村に残ったハンターが、B・C隊が取りこぼした残りのガブラスを討伐する。
古龍は村の外にある森の中に着地したとの情報が入っており、視界の悪い森の中ゆえ常に気を張っていないと、気づいた頃にはあの世行きだ。
賭けだった。
相手は天才にすら例えられる、間違いなく飛竜を遥かに超す力の持ち主であり、しかも奴を取り巻くように集まった無数のガブラスも、空中から毒を散布する厄介者。
……生きるか死ぬかの賭けを、今ここでやろうとしている。
それも、死ぬ確率が極めて高い。なんせ、相手は災厄級の存在、古龍だ。
私は緊張に支配された全身を使い、全力で走った。グリーヴの踵が柔らかい地面を抉り、土を蹴飛ばす。
その時だった。
「！？」
突然地面に影が落ち、辺りに闇の暗さが舞い降りる。私を含めた全ハンターは、反射的に空を仰ぎ、――言葉を失った。
「――――」
上空を埋め尽くす、無数の黒影。細長い胴体に大きな翼。黒に近い体表は縞模様。
ガブラスの、大群だ。
あまりの数に圧倒されながらも、ハンターとして体が自然に動いた。ポーチから取り出したのは、打ち上げタル爆弾。
「爆撃用意！」
指揮官を買って出た師匠の命令が突き抜ける。
Ａ隊のハンターはこぞってポーチから打ち上げタル爆弾を取り出し、地面にセットした。
「点火！」
私はタルにつけられた短い紐を引いた。ほんの一瞬の空白の後、内部に仕込まれた導火線に火がついた。タルの尻から激しく火炎を噴射しながら、打ち上げタル爆弾は飛んでいく。爆弾は高速で、しかし確実にガブラスの大群へと吸い込まれるように飛んでいった。
「ブッ飛べ、災厄の象徴め！」
神ヶ島の肩掛けを外そうとした私の耳に、誰かの叫び声が聞こえた。私は空を、ガブラスの大群を見上げた。
「――ッ！」
爆撃音。
同時に、茜色の空に光りが満ちる。
火薬が爆発燃焼したときに生じる閃光だ。
打ち上げタル爆弾八発分の威力は凄まじかった。その破壊力は、大タル爆弾二発分の威力に匹敵する。
熱を持った突風が森を駆け抜け、ガブラスの悲鳴がこだまする。
一瞬遅れ、ほぼ全匹が同時に墜落してきた。
ガブラスは音に弱い。音爆弾やタル爆弾系統の大きな音を聞くと、驚いて墜落してくるのだ。それは、ガレオスやガノトトスと同じ。その特性を生かした作戦だ。
ボテボテと落下してくるガブラス。それを視認した私は、ほとんど無意識に神ヶ島を手に構えた。ただ、いつもするようにグリップをホールドするのではなく、銃口近くの金属部、つまりはバレルをしっかりと握りこむ。
銃撃ではなく、打撃。
貴重な弾丸を、目標である古龍との戦闘の前に切らすわけにはいかなかった。雑魚にはこの程度で十分。近接武器でなくとも、地上で蠢き呻くだけの小飛竜を相手するだけなら、ハンターであるならば素手でも大丈夫。
私は内心ため息をつきつつ、目の前で苦しげにのたうつガブラスを見下ろした。パクパクと開閉する口からは、紫色の粘度の高い毒液が糸を引き漏れ出している。轟音で聴覚をやられたショックに、毒を生成する内臓器官に障害が起こったのだろうか。
私は躊躇うことなく、棍棒に早変わりした神ヶ島を振り上げた。いくらライトボウガンといえど、この程度のモンスターの頭蓋なら一撃で叩き砕くことはできる。
肉を打つ音と、何かが砕ける嫌な音と、皮が切り裂かれる音と、噴出した血液が地面を濡らす音。それらは不思議と調和し合って、私の耳に心地よく届いた。幻想的な交響曲。
神ヶ島は私の期待通りの力を見せてくれた。
いとも簡単に、ガブラスの頭蓋は砕け陥没する。まるでリンゴを砕くようだ。私はそう思った。
小さい頃よく、近所リンゴ畑からリンゴを盗み出しては、悪餓鬼たちと一緒に木の棒で潰していた。今思ってみれば、本当にいい迷惑。
私は淡々とガブラスの頭部を潰し続けた。
他のハンターはどう思っているのか知らないが、私にとって、他の生物の生命を奪う行為は苦痛以外の何ものでもない。すぐに止めを刺さないと、肝心なところでボロが出る。師匠はそうでもないのかも知れないが。
それ故、私はほとんど何も考えていなかった。そして、それが最大の間違いだと、この一瞬後に知ることになる。
順調にガブラスを排除し続け、五頭目のガブラスを始末した時だ。木が幹ごとへし折られる音を聞いた途端、いきなり目の前から仲間のハンターの姿が消えた。一瞬何が起こったのか理解できずに呆けていると、突然、思いっ切り背中を突き飛ばされた。
「！？」
世界が回り、何かに激突する。
「――――ッ！」
痛みに叫び声を上げる。しかし、声は出ず、代わりに視界が涙で歪んだ。粘りつくように収まらない全身の痛みに耐えながら、腹這いになっていた身を起こす。目を瞬いて涙を落としたその先には、紅蓮を纏った王が居た。
「炎王龍……、テオ・テスカトル……！」
鬣のような印象を与える毛は真っ赤な紅蓮。全身を纏う鱗は黒っぽく、頭部には二股に分かれた巨大な角が生えていた。炎龍の身体の周りには灼熱の陽炎が立ち込め、背景をグニャリと曲げて見せた。牙獣種に似た四肢を持ち、巨大な双翼を有す、圧倒的な存在。
そこに居たのは紛れもなく――、
「……古龍」
応えるように、炎王龍テオ・テスカトルは咆哮した。
「――――ッ！！」
その威圧感に、私は目を見開き凍りついた。
炎王龍の発する熱で、周囲の空気は灼熱化しているというのに、奴の咆哮を聞いた瞬間、全身から冷や汗が噴出し、鳥肌が立つ。全てを圧倒し、蹂躙する存在。意思とは関係なく涙が浮かんだ。
「……いや」
フラッシュバックするのは、かつて村が襲われた時のこと。なす術なく、村は壊滅した。
見えない恐怖に、村のハンターは翻弄され、死んでいった。
真の恐怖は対象者の心を鷲掴みにして放さない。それは、私にも同等だった。
怖い。
怖かった。
それは、今目の前にいた。
火炎の如き灼熱を纏い、佇む。
逃げようと思った。でも、体が動かなかった。
――私は、その眼を見てしまった。
陽炎の龍は、私を見ていた。そして、凶悪なアギトを開く。洞窟の奥のように真っ暗な喉には、灼熱の憎悪が見て取れた。その時、師匠は現れた。
「十六になっても、やっぱりお子様なのね」
その声と共に、再び私の体は宙に浮いた。
痛みが全身を駆け巡る前に見た声の主は師匠。師匠が私を思い切り蹴り飛ばしていた。レイアシリーズフルセットの私は、女性に蹴り飛ばされたとは思えない距離を空中移動し、柔らかい地面に左肩から着地した。衝撃に脳を揺さぶられながらも、私は慌てて起き上がる。少し視界が揺らいだ。
やっとのことで視認した師匠は、長いバックステップで距離を取りながら、大口径ヘビィボウガンのヴォルキャノンを連射している。弩砲の銃口から吐き出される銃弾は、残像すらろくに見えない。しかし、炎王龍の顔面に次々とヒットする弾丸のエフェクトと、ヴォルキャノンの銃撃音で弾丸の種類は識別できた。
Lv3貫通弾。
さすがに、災厄級の存在である古龍でも痛みは感じるようで、師匠を捕らえようと接近するも、グラビモスの堅殻すら貫通する師匠の正確無比の銃撃に怯んで、その攻撃範囲に捉えられていなかった。
例え接近できても、師匠はスルリと炎王龍の攻撃を避けた。そう、まるで、その攻撃がハッキリと見えているかのように。
しかし私は、師匠の尋常ではない立ち回りのテクニックよりも、古龍のあまりにも堅牢な鱗に驚いていた。
リオレイアの頭部を破壊し、その尻尾の先端までを一撃で貫き通す、ヴォルキャノンのLv3貫通弾の直撃を受けても、怯みはするが大したダメージを与えられていない。比喩ではなく、針の穴を通す精密さを誇る師匠の腕と、絶大な威力のヴォルキャノンの力を考慮すると、私には到底理解できない光景だった。
“あの師匠”が押されている。
そんな、あまりにも大きな驚きのあまりか、私は恐怖心すら感じなくなっていた。そんな自分に苦笑しつつ、辺りを見渡して状況把握に努めた。
ざっと見た限りでは、私と師匠を含めた八人のハンターの内、確実に息をしていることが確認できるのは五人。単純に考えて、三人の命があの瞬間に奪われたこととなる。
私は腹の中に沸々とドス黒いものが湧き上がってくるのを感じながら、冷静さを必死に保って最も近い位置で倒れていた男性ハンターの元へと駆け寄った。
「大丈夫ですか？」
何度か頬を叩くと、
「…………ああ」
返事があった。意識もハッキリとしている。脈にも異常はなかった。
「傷が酷いようであれば、ひとまず安全なところに移動しましょうか？」
「いや、大丈夫だ。それより、私の娘は……」
「私の娘」そうだ、思い出した。この男性は自分の娘と迎撃戦に参戦したハンターだ。それも、私と同じＡ班に志願して。父親は見て解るとおりランス使い。娘は確かハンマー使いだ。
すぐに私は、炎王龍の興味を引かないように注意しつつ立ち上がり、娘さんの姿を探した。さっき、息のあるハンターの中に女性ハンターを見た記憶がある。絶対に、いるはず。
私は、師匠と古龍の凄まじい攻防を視界に入れつつ、男性の娘を探した。家族を失う気持ちは、私もよく知っている。
――いた。
背の高い機の陰で、仰向けに倒れている。胴鎧の胸が浅く上下しているところから、彼女が生きていることも解る。私は視力がいい。ガンナーにはうってつけだ。
私はなるべく古龍の視界内で目立たないように、腰を曲げて背を低くし、足音を立てないように駆けた。彼女の傍に辿りつくと、すぐに顔を覗き込んだ。
「……、あ……」
私に気づいたようだ。薄く目を開ける。激しい流血はない。
「貴女……」
この少女、やはり私と同じくらいの年齢のようだ。幼さの残る顔立ち。
私は彼女に安心感を与えるために、軽く微笑んで答える。
「私はフレア。あなたと同じＡ班よ」
「あ……、あれ、私は――」
そう言うと、少女は急に上半身を起こした。
「――あッ！」
「ちょ！」
痛みに身を捩る彼女を慌てて押さえつけた。
「な、なんで？ 痛い……」
どうやら、記憶が混乱しているらしい。私は彼女に訊いた。
「貴女の名前は？」
「え……、私は、イリス……」
「イリス、いい名前ね」
「あ、有難う」
はにかんだイリスに微笑みかけて、私は彼女に言った。
「イリス、今の状況は解る？」
「え……」
イリスは私を見上げたまま硬直した。
「解らない……」
私は一度頷いた。
「解ったわ。説明する」
私は端折って、しかし重要な部分は詳しく話した。自分でも驚くくらいの早口で。
彼女は私を見上げながら、真剣な表情で聞いていた。ところどころで頷いて、そして、最後に大きく頷いた。
「思い出した……。私、いきなり何かに突き飛ばされて――」
「うん」
すると、急にイリスは心配そうな表情になった。
「フレア、私の父さんは？」
「うん、大丈夫。貴女の父さんは、さっき診てきたけど大丈夫。怪我はあるけど、命に別状はないから」
「そう……、よかった」
イリスは安堵をついた。
本当によかった。二人とも無事。
「――――ッ！！」
だんだんと、戦闘している師匠と炎王龍がこちらに近づいてきた。鋭い銃弾の擦過傷が、すぐ近くの木の幹にできた。
「ここは危険だわ。移動しましょう。動ける？」
未だ動こうとしないイリスを促す。しかし、イリスは頭を振った。
「ダメ……、みたい。あの攻撃を受けた時、父さんにかばってもらったんだけど、肋骨が……」
イリスの言わんとしていることは解った。――肋骨が折れている。
「胸が痛いの……」
頷き一つ。私はイリスを抱えるため、彼女の体に手を伸ばす――、
「――――！！」
またしても、私は衝撃を受けた。右の脇腹への、強力な打撃。イリスにのしかかるように体が、急激に傾く。それも、慣性と遠心力の二重加速で、一気に。
私はイリスの肋骨が折れているのを思い出し、とっさに地面に手を突いてこらえた。両手首に鋭い痛みが走る。
痛みを無視して顔を上げると、師匠の姿があった。
「伏せておきなさい！」
師匠の怒鳴り声が聞こえ、私は反射的に頭を引っ込めていた。私を見上げるイリスと目が合う。その時だった。
「イリス！！」
男性の声が聞こえた。聞き覚えのある声。師匠の足元で、イリスと一緒に伏せていた私の元に、一人の男性ハンターが走ってくる姿が見えた。
「父さん！？」
イリスの疑問の叫び。私はそれで理解した。イリスの父。さっき、私が声をかけたハンターだ。
イリスの父は素早く私たちに駆け寄り、しゃがみ込む。
「大丈夫か？ イリス」
その言葉に、イリスは頭を振って否定した。
「肋骨が……」
イリスの父は目をつぶった。
「そうか……」
イリスの父は目を開き、スッと立ち上がった。そして、私たちを見下ろして口を開く。
「とりあえず、ここから離れよう。古龍は“守護聖天”が引き付けてくれるはずだ。私はイリスを背負っていくから、フレアさんは援護を頼む」
私は迷わなかった。大きく頷く。
「行きましょう」
私の発言の後、イリスの父はすぐさまイリスを背負った。イリスは胸の痛みに顔を歪ませるが、声は漏らさなかった。
「行くぞ」
「はい」
私は駆け出したイリスの父の後を追った。周囲に目を配り、ガブラスなどの小型モンスターの姿がないか警戒する。モンスターの姿は見当たらない。どうやら上手くいきそうだ。
そう考えた時、全ては終わった。
「フレア！！」
師匠の叫び声がした。
反応は、――できなかった。
「――――ッ！！」
衝撃が襲った。一瞬、視界が漆黒に染まる。世界がグルグルと高速で回転して、体のあちこちが何かに当たった。しかし、痛みは感じられなかった。
「――――」
何がなんだか解らない。何故かぼやける視界を認知し、自分がうつ伏せに倒れているのだと解った。膝の震えを無理やり押さえ、フラリと立ち上がる。目の前には、イリスとその父。二人が倒れていた。二人はあお向けに倒れていた。
「イリス……？」
私は震えの止まらない足を動かし、二人に歩み寄る。胸の上下の動きと呼吸音で、イリスの生存は確認できた。大量の出血もない。ひとまず安堵し、イリスの父へと視線を向けた。
「――――」
イリスの父の頭部は、奇妙な方向に曲がっていた。普通なら、絶対に曲がらない方向に。
「あ……」
死んでいた。
「あ…………」
護れなかった。
「あ………………」
護れなかった――。
胸に抱いた強烈な悲しみは、一瞬にして憤怒に変わる。頭に血が上っていくのが、私の冷静な部分が感じていた。
「あ――――――！！！」
私は咆哮していた。興奮している。頭に上った血が、いつの間にかできていた頭部の傷から流れ出て、左目の視界を真っ赤に染める。
「あ――――――！！！」
今、私にできることはなんだろうか。イリスを抱え、この森の中を逃げ回るか。それともいっそのこと、村まで逃げ帰るか。
否。否。
私は逃げない。……戦う。戦い続ける。私と同じように、モンスターに肉親を奪われた、イリスのために。一人ぼっちになってしまった、イリスのために。
「――それが、私にできること」
私は、クリアな視界と真っ赤な視界に見える、目の前の巨躯に微笑みかけた。
「そうよね？」
――この命、無駄にするわけにはいかない。
「ごめんね。本当に、ごめん。でも、もう大丈夫だから……」
私は意識のないイリスに声をかけ、目の前の炎王龍に向き直る。神ヶ島の、独特な形状のコッキングレバーを操作し、弾丸を装填する。
「さあ、来なさい災厄の象徴。火炎の権化」
「！！」
師匠のディスティハーダの射撃音と共に、私は駆け出した。常に視界に入れるのは古の龍王。奴は師匠からの弾丸のしゅう雨を浴びながらも、私をギロリと睨みつけた。しかし、私は怯まない。
「フレア！ 攻撃よりも回避を優先！ 一発喰らったら終わりよ！」
「解ってます！！」
言葉の応酬が終わったタイミングで、炎王龍は私に向かって飛び掛ってきた。速い。
振りかぶった右前肢を叩き込んでくる。しかし、私の反射神経はそれを凌駕した。
「ッ！」
避ける。
右腕を振るった反動で、上半身を回す。遠心力によって回避行動をとった私の上半身は、ギリギリの角度で致命的な爪の一撃を回避した。超高温によって生まれる上昇気流が風の壁となって私を圧迫する。
「だけど――」
だけど、もう逃げない。
私は神ヶ島のグリップをフォールドしたままの左手に力をこめる。手首のスナップだけで構えた銃口が向く先は炎王龍の鼻面。装填されている弾丸はLv3拡散弾だ。そして、躊躇いなくトリガーを引く。
「――――ッ！！」
果たして、弾丸は打ち出された。
きちんと支えないで高レベル弾を撃った衝撃は、予想以上に手首に負担した。鋭い痛みが走り、反射的に顔がゆがむ。
でも、私の視線は真っ直ぐ。炎王龍に向けていた。
至近距離で撃ち放たれたLv3拡散弾は、完全に拡散することなく炎王龍の顔面にヒットした。それも、拡散してばら撒かれる追加ダメージの爆発弾も、全て。
「ッ！！」
強烈な爆風が体を煽る。吹き飛んだ破片が頬を擦過し、傷ができた。しかし、痛みはない。圧倒的な集中力が生み出した無痛の世界だ。
目を焼く爆発閃光が消えた瞬間に、私は両足に力を込め、バックステップで距離を稼ぐ。ガンナーは懐に入られたらお終いだ。だからこそ、距離をとる。
私の足が包み込まれたレイアレギンスが土の地面に傷を残したのと、師匠が叫んだのは同時。
「まだ終わってないわよ！」
「……！？」
終わってなかった。
棚引く爆煙の向こうから、凶悪なアギトが割って出現した。炎王龍は、死んでいなかった。
吐き出された火炎ブレスを強引な右方向のサイドステップで回避し、私は心の中で思う。
……あの直撃弾を食らって、まだ健在だとは！
悔しさも悲しみも感じない。率直で素直な感嘆。私は、圧倒的な威圧を相手にしている。それだけで鳥肌が立った。
師匠の放つ弾丸を浴びながらも、回避する私に食いついてくる炎王龍を見て、私は思う。
狂っていると。
狂っていると、私は思う。
「正気じゃとっくに死んでいる！！」
私は感触を得ていた。快い。快い、と。
私は古龍が憎かった。恐らく、私の村を壊滅させたのは古龍だと解っていたから。それがどんな古龍なのかは知らない。どんな相手なのか知らない。しかし、古龍であることは、私のどこかが認識していた。
しかし、今の気持ちはなんなのだろう。
快い。
楽しい。
このギリギリの命のやり取りが、どうしようもなく嬉しい。
それは、どうしてなのだろうか。
それは、相手が強いからなのだろうか。
解らない。でも、快い。
「はははッ」
気づけば、私は笑っていた。
人が死に、傷つけられ、しかし私は笑っている。
さっきまで怒りに打ち震えていた自分は一体誰なのだろう。私は一体誰なのだろうか。
否。私は私。今、ここにいる。ここで戦っている。それが、私。
だからこそ、私は悟った。
「何？ 素晴らしい戦いは！」
懐に潜り込もうとひたすらに突っ込んでくる炎王龍。そして、それを避けつつ隙を見て銃撃を叩き込む私。猛烈な攻防戦が、そこにあった。
「ははははッ」
炎王龍は私を狙う。それは、私が師匠に遥かに劣ると、炎王龍は解っているからだろう。
私はそれに応ずる。それは、私が炎王龍の力を認め、それ故抗おうとしているからだろう。
「ッ！！」
そして、師匠は私のサポートを買って出た。まるで、私を抱きしめるかのように。
爪撃を避け、牙撃を避け、尾撃を避け、爆撃を避け、炎撃を避け――、
「お」
銃撃を与え、打撃を与え、砲撃を与え、蹴撃を与え、爆撃を与える。
「おおお……！」
私には、全てが見えていた。
敵の攻撃も、自分の攻撃も。
しかし、限界は来ていた。
「あ……」
急に、それこそ唐突に限界は来た。膝の力が、
「あれ……？」
抜けた。
それどころか、体中の力が入らない。体を酷使しすぎたのだろうか。炎王龍が、猛烈な勢いで突進してくるのが見える。気がつけば、視界の半分は赤の色に染まっていた。
「血……」
ああ、そうか。これは自分の血だった。もう、体の血が足りないのか。だから、力がでないのか。急速に狭まっていく視界の中で、炎王龍が大口を開いたのが見えた。
死ぬ。
私を待っている結果がそれだとしても、私は恐れなかった。私は、すでに死を覚悟してハンターになった。死を恐れるくらいなら今頃はどこかの村で平穏に暮らしていただろう。ただ、残念だった。
「結局、誰も護れないか……」
悔しい。
圧倒的な力の前にひれ伏し、結局のところ自分の力では人を護ることなんてできやしない。それが、その事実が、たまらなく悔しかった。
熱風が頬を撫で、威圧感が圧迫してくる。炎王龍が放とうとしている火炎のブレスは、一瞬で何もかもを焼き尽くす。タンパク質で構成されている人間の体など、一瞬で蒸発させるほどの超高熱だ。それが、今まさに私を飲み込もうとする。
「ッ」
来た。
悔しい。悔しさに打ちひしがれながら、それでも私は炎王龍の眼球を睨みつけていた。コイツが、私を殺す。
視界が真っ赤な焔に包まれようとしたとき、
「え……」
その焔は阻まれた。数人のハンターによって。
「おおおおおお……！！」
私の目の前に現れたのは、数人の男性ハンター。皆が大剣やランスの盾を構え、灼熱の業火をものともせずに立ちはだかる。死の壁が彼らに押さえつけられたとき、後ろ向きに倒れていく私の背を支える人がいた。
「師匠……」
「よく頑張ったわね。ほら、見なさい」
師匠に指された視線の先、そこには多数のハンターが炎王龍に踊りかかっているのが見えた。刃物を振るい、槌を打ち付け、弾丸が突き刺さる。炎王龍は突如現れた新手に翻弄され、確実に体力を奪われていた。
「英雄たちが、駆けつけてくれたわよ」
ある者は吹き飛ばされ、ある者は叩きつけられ、しかし、皆が立ち上がって再び襲い掛かる。すでに何人かは動かない。それでも、彼らは攻撃の連鎖を止めようとはしなかった。
「ハンターはね、みんながみんな、英雄なの。私みたいに大そうな通り名を付けられなくてもね」
私は、ボンヤリと霞む視界の中、激戦を繰り広げる古の龍と、英雄と称されたハンターたちを眺めていた。
「だからこそ、英雄たちは戦い続ける。護りたい人がいようといまいと、自らの体を犠牲にして。そして刻まれていくのよ。“英雄たちの年代記”に」
私は、英雄になれたのだろうか。師匠が言う英雄に。
「さて、私もちょっと行ってくるわね。舎弟の手前、ちょっとくらいはらしくない、格好のいいところも見せなくちゃね。ああ、フレアはそこで寝てなさい。疲れたでしょう？」
師匠は私に有無を言わさず、私を横たえ、ディスティハーダを構えた。
「“守護聖天”アルテミス。行きます」
師匠は誰に言うでもなしにそう呟くと、激戦地へと駆けて行った。私はその背中を見つめ、そして思う。
あれが、英雄の背中……。
大きいと思った。偉大だと思った。
そして、英雄たちの年代記は、歴史を刻んだ。
「とまあ、こんな感じだったかな……」
私はすっかり温くなったビールを呷り、大きな音を立てないようにテーブルに置いた。目の前ではレイが感心したように何度も頷いている。
「へえ。俺もいつかは古龍と手合わせしたいとは思ってたけどなあ。あの“守護聖天”とフレアのコンビでそんなにも手間取ったのか」
「うん。やっぱり、伊達じゃないって感じよ……」
私はベッキーさんにお代わりのビールを頼んで、レイに聞いた。
「やっぱり、私の師匠って、憧れなのかしら？」
「…………」
レイは何も言わない。ただ、浅く微笑んでいた。
「？」
レイは、静かに口を開いた。
「さあな」
「――――」
「俺には解らん。ソイツら自身に聞けよ」
レイは笑っていた。
「それと、もうそろそろだぜ。俺たちの出発は」
そう行ったとき、ギルドの従者が私たちの元へと歩いてきた。歩みはゆったりとしているが、靴音は高らかに。
「レイ様ご一行様ですね。馬車の用意が完了いたしました」
その言葉に、レイは立ち上がる。隣で熟睡するマリーを一瞥し、眉を立て、しかし口元には笑みを張り付かせて言った。
「さあ、出発だ。ドンドルマへ」
2006年11月11日(土) 22:46:44 Modified by funnybunny