空の蒼と海の青 第四話

作者:天かすと揚げ玉




第四話


ファストニードル

 見た事も無い巨大な蜂の尾。
 微弱に発光する何かの皮。
 鋼の様な角竜の甲殻。
 それらを加工し、組み上げたもの。
 彼女はそれをファストニードルと名づけた。
 白色の砲身、翼のように広がった同色の盾。
 それらは微弱に輝きながら、砲身の先端、盾の裏に備えられたポンプの様なものを守っている。
 同時に、それは極限まで無駄をこそげ落とした、機能美をも備えた構造をしていた。
 ライトボウガンよりもさらに小さい、超小型のボウガン。
 ソウの作る小型のボウガンは、その使いやすさ、機能、美しさから、敬意を込めてマイクロボウガンという一つのカテゴリとして分類される。
 無論、それは一部の者にしか知られていない事であったが。
「だめニャ! 気持ちは嬉しいけど、だめニャ!!」
ほぼ丸二日かけてファストニードルを作り上げたソウは、それをルーへあげると言うのだ。
 この二日の間、ソウは室内にこもりっきりであった。
 スイは日中は方々を散策し、夜半は彼女を手伝うといった事をしていた。
 だがそうして出来上がったボウガンの受け取りを、ルーは拒否する。
 いくら困っているからとはいえ、ただでこのような事をされる訳にはいかない。
 ルーには、彼なりのプライドがあるのだ。
 まして二人がこのボウガンを作るにかけた労力を知っている。
 そこまでして出来上がったものが、自分のために作られていたのだという事は酷く嬉しく思える。
 だが一方で、そんなものを簡単にもらえるわけがないという思いがあった。
 床に座ったままのソウが、困ったようにルーを見上げている。
 こちらに差し出された彼の手と、小刻みに震える首は拒絶を示し、しかし潤んだ瞳はボウガンを見詰め続けていた。
「もちろん、ただではあげないわよ」
そんなルーの心境を察していたのか、スイはいつもの調子で悪戯たっぷりに答えた。
「これからソウが良いと言うまで、ずっと一緒に狩りに出てもらうわ。それがこのボウガンの代金」
ソウの顔がぱっと明るくなる。
 スイは首をかしげ、ルーの返答を待っていた。
「……アイルーはハンターじゃないから一緒には行けないニャ……」
しかしルーの明るくなりかけた表情は、すぐに陰りを帯びてしまう。
「それは大丈夫。おねぇさんに任せておいてね」
スイがルーへ向かって掌をヒラヒラとそよがせた。
 彼女の翡翠色の瞳が細められ、金色の髪がさざなみを起こし、肩が悪戯っぽく微笑んでいる。
「それよりも今日は疲れたわ。早めに寝ておきましょう」
スイが自分のうなじに手を通し、髪を整える。
 波打つ彼女の髪が、肩幅に広がって背中に踊った。
 彼女はそのまま隣室に移動し、水浴びを始める。
 軽く汗を流す程度であったのか、程なくして夜着に着替えたスイが戻った。
 相変わらずの様子の室内を見渡しながら、二つあるベッドの小さい方へと体を横たえた。
 小さいといっても、彼女が体を横たえてもゆうに数人は眠れる広さがある。
「アイルーもそろそろ寝るニャ」
大きなベッドの方では、ソウが広げた素材の片づけをしている。
 またもベッドの上に素材を広げていた。
 しかも砂漠で拾った角竜の素材などを広げたせいで、砂が残ってしまっている。
 彼女はそれをバルコニーまで運んで砂を払い落とすなど、片付けに手間取っている様であった。
「ルーはこっち!」
小さい方のベッドへ向かっていたルーの首筋に、突然細い指が添えられた。
 添えられる、などと感じたのはほんの一瞬であった。
 その指はすぐに乱暴にルーの首筋をつまみあげ、そのままソウのベッドへ彼を拉致しようとする。
「ニャ!? 何するニャ!? 女の子は男と一緒に寝たりしちゃだめニャ〜!!」
ルーが必死になってソウの指をはがそうとしている。
 だが彼女を気遣ってか、彼は爪を立て無い様に、爪のしまわれた指で彼女の指を引っかいている様だった。
 それが痛みを伴うはずも無く、彼女は撫でるように手を引っ掻くルーの手を無視していた。
 そのまま柔らかなベッドの上へ狙いをつけると、彼女は手元で暴れるアイルーを放り投げる。
「男の子なら、女の誘いを断るものじゃなくてよ」
クスクスと笑いながら、スイが拉致された男を見送っていた。
 ルーもあれで一人前の男のつもりであったらしい、そう思うと更に笑いがこみ上げてくるのだった。
「嫌?」
「ニャ……」
この澄んだ蒼色の瞳に、ルーはどうにも弱かった。
 ベッドの上で四這いになり、ソウがこちらを見詰めている。
 潤みを帯びた瞳が、彼を見詰めて放さない。
 彼は何も言えなくなる。
 彼の髭だけが、ワサワサと揺れていた。
「ば……番をしててやるニャ」
ソウに背を向けて横になると、ルーがシーツを手繰り寄せてその中に包まれる。シーツの海から顔だけを除かせ、シーツの淵にちょこんと手を添える。
 それがいたくソウを刺激したらしく、ルーを背中越しに抱きしめながら、彼女もまたシーツの中に潜って行った。
 巨大なベッドの下半分には未だ素材が散らかされたままであったが、それを片付けるのは明日の事になるだろう。
 スイはそんな事を考えながら、隣のベッドでいつになく安堵の寝顔を見せるソウへ微笑むのだった。

 翌朝、スイは外出の用意を整え、寝ている二人を置いて酒場へと赴いていた。 薄暗い室内に、テーブルが十数脚はあるだろうか。
 それらの周囲には幾人ものハンターが座り、ある者は叫び、ある者は眠りこけ、ある者は食欲の虜になっていた。
 彼らの視線が酒場の入り口に集まったのは、そこから入ってきた女のせいであった。
 波がかった、背中まである金色の髪。
 微笑と潤いを帯びた艶やかな唇。
 目じりの下がった瞳は、温かさと優しさを湛えている様でもある。
「おい、あの女……」
「あ、ああ。すげぇ上モンだぜ……ヘヘ」
酔った男の瞳に写る異性というのは、恐らく万国共通に見えるのだろうか。
 うまそうか、否か。
 無論それは、食欲に基づいて成される判断では無い。
 ミナガルデの様に巨大な街であれば、女性も数多く酒場に出入りしているし、彼女らの発言力もそれなりに強い。
 下手な事をすれば、文字通りの意味でつるし上げられる事になる。
 司直も力を持つため、この手の輩は基本的に鳴りを潜めている。
 ところが小規模の町となると事情は異なる。
 基本的に町の規模が小さくなるほど男の力は増し、女性は家庭にこもる傾向がある。
 酒場で夜遅くまで酒をあおるなど女のする事では無い、そんな調子になり始めるのだ。
 まして今は朝である。
 そんな中で敢えて女が酒場に出入りするとなると、堅気から一歩か二歩程度足を遠ざけた女性が多くなる。
「久々にイイ女だ……」
だからこそ、スイの様に美しい女性の来店は否応なく目立つのであった。
「なぁ……みんなでやっちまわないか?」
本気なのか、酔った上での座興なのか。
 方々でそんな声が聞こえてくる。
 だが当人は気にした様子も無く、受付の女性となにやら会話をしていた。
「……」
スイに視線が集まる中、室内の最も奥まった席から一同を見詰める視線がある。
 ボウガンを座席に立てかけ、彼は静かに杯をあおっていた。
 どうやらアルコール分を含まないらしいその飲み物は、清涼感の溢れる香りを彼の口内へ届けている。
 だがそれは、周囲の脂ぎった喧騒を中和するには不十分であった。
 嫌悪を感じつつ、彼は口内へその飲み物を一気に流し込む。
 次いで腰を浮かせてその女性の元へ向かおうとした、その時である。
「やぁ、綺麗なお嬢さん。ボクと狩りに行きませんか?」
受付に来訪していた女性の下へ、銀色の髪をなびかせて一人の男が歩み寄った。 席を離れかけていた男が、銀髪の男の来訪を見て再び腰を下ろす。
 不意に片肘を机の上に置き、人差し指と親指で額を摘んだ。
 彼の口からは、微かなため息が零れた。
「あら……ごめんなさいね。私狩りに出るのは苦手なのよ……」
一瞬だけ交錯した二人の、スイと銀髪の男の視線は、瞳の最も奥深いところで何かを交わした。
 それが何かを知る者は、この場では当事者の二人と後一人だけであったろう。 もっとも、もう一人は額に指を当ててうつむいているのであったが。
「そぉですかぁ〜。残念残念」
目元を歪ませながら、銀髪の男は後ろで結わえた髪を揺らせて見せた。
 顔の輪郭を無精髭で覆いながらも、その男の容貌は優男のそれである。
 ラプター。
 この優男の名である。
「では、私はここで」
軽く頭を下げると、スイは柔和な笑みを残してその場を後にした。
 酒場内には舌打ちに似たため息が零れ、白目をむいた視線が受付に取り残された男、ラプターへと注がれる。
 酒場の男達に向けられた視線を感じ、ラプターは頬を引きつらせていた。
 そしてその引きつった笑顔と供に、頭を下げる。
 余程の居心地の悪さを感じたのか、彼は幾度も頭を下げながら、愛想笑いを振りまいて逃げる様に酒場を後にしてしまう。
「チッ、なんだあの腰抜け」
「ああ、誰かあいつの後追ってしめて来いよ」
まるで彼のせいでスイという獲物を逃したかのように、酒場内の男達が毒づき始める。
 酒場の奥に座るイリアスは、その場に取り残された様なばつの悪さを感じていた。
 何もあんな助け方しなくても。
 彼はぼそりと言って、一人で首を振った。

「一週間後、ドスガレオス狩りに行ってらっしゃい」
ベッドの上で彼方を眺めていたルーは、そのまま意識をも彼方へ追いやりそうになっていた。
 隣ではソウが心地良さそうな寝息を立てて眠っている。
 起き抜けにそんな事を言われても、それがどういう意味なのか理解するのは困難であった。
「ド・ス・ガ・レ・オ・ス」
開けきらない瞳には期待をせず、酒場から戻ったスイはルーの耳へ口を寄せて囁いたのだった。
「ニャァアア!?」
言葉の意味を理解しての事なのか、耳の内に入り込んできたスイの吐息と、謎の寒気が入り混じっての事なのか、それはいまいち判然としない。
 だが、とにかくルーの目は覚め、彼女の言葉は理解できたらしい。
「ソウと二人で行ってらっしゃいね」
相変わらず寝息を立てるソウの髪を、スイは一度だけ優しく鋤くのだった。

↓続く
空の蒼と海の青 第五話
2006年12月19日(火) 12:58:23 Modified by orz26




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