空の蒼と海の青 第六話

作者:天かすと揚げ玉




第六話


 その夜、宿屋に戻ったルーは何も言わずベッドへ潜り込んでいた。
 ソウとスイが備え付けの浴室から戻った時には、ベッドから寝息らしいものが聞こえている。
 最低限の明かりを残し、部屋はすっかり暗くされていた。
「あら……疲れてしまったのかしらね。良く眠ってくれていると良いんだけど」
「……」
ルーの事が気になったのか、ソウが寝顔を見詰めている。
 しばらく寝顔を覗き込んだ後、彼女はその鼻先を突いた。
「……ャ……」
「……」
眠りを妨げられたくなかったのだろうか、ルーが体をよじってソウの指から逃れようとする。 
「ねぇ……スイ」
窓際に椅子を置いて座るスイの元へ、ソウがル−のベッドから抜け出してきた。
 ゲストハウスの三階に作られたこの部屋は、通りの景色が一望出来る。
 決して大きくない町であるレドニアは、夜の通りに零れる家屋の明かりも僅かである。
 通りに明かりも無いため、夜の通りに動く物は見えない。
 しかし彼女は、闇に転々と灯る明かりを楽しんでいる様だった。
「ん?」
濡れた髪をタオルで叩きながら、スイが振り返る。
 彼女の背後には、音も立てずに近寄ったソウがいた。
 濡れたままの髪を肩に垂らし、室内の闇に溶け込むようにして彼女が立っている。
「……ルーの鼻濡れてた……」
モンスターとはいえ、アイルーの基本的な構造は哺乳類である猫と大きな差は無い。
 であれば、鼻が濡れているという事は、つまりルーが眠りについていないという事だった。
 眠っている猫の鼻は乾くものだ。
「あらあら……余程今日の事が悔しかったのね」
クスクスと笑うと、スイが自分の隣にソウを座らせる。
 彼女の濡れた髪をタオルに挟むと、それを優しく叩き始めた。
「あの子、ホントに男の子なのねぇ……フフ」
ソウが不思議そうな顔で見詰めるが、スイはそれ以上何も言わず微笑むだけだった。

 翌朝、スイが目を覚ますと隣のベッドは空でだった。
 ソウとルーがいないのである。
「あらあら……ホント可愛いんだから」
自らのものと合わせ、スイがソウとルーの使っているベッドも整える。
 夜着のままのスイが、部屋の窓を全て開け放った。
 蒼い蒼い空が、彼女の翡翠色の瞳に飛び込む。
 レドニアに到着してから、十分に時間は経った。
 体もこの砂漠地帯の環境に慣れて来た頃である。そろそろ目的を果たすべきだろう。
 そんな事を考えながら、スイは自らの波を帯びた金色の髪をとかすのだった。

 スイが髪をとかし、朝食の用意を階下に指示した頃、ゲストハウスの裏手ではソウが大きな岩の上に小石を並べていた。
 岩の上へ小石が等間隔に並べられ、そこから二十メートル程度の距離にルーが立っている。
 岩の脇では、ソウが左手に盾をはめて立っていた。
「行くニャっ!」
ルーのボウガン、ファストニードルが弾を吐き出した。
 撃鉄が火薬に火をつけ、火薬から爆発力を得た弦によって押し出される弾丸。
 空を切って飛ぶそれは、やがて小石と小石の間に頼りなく衝突した。
「外れ」
ソウの小さな肺から、小さなため息が吐き出される。
 ルーが何かを言いたげにこちらを見るが、しかし彼は大きく首を振ってもう一度ボウガンを構えた。
「もう一度行くニャ!!」
シュイン……シュイン……シュイン……。
 白色のボウガン、ファストニードルが連続して弾丸を吐き出す。
 キリンの鬣を利用した弦と、その皮、そしてディアブロスの甲殻を加工した銃身。
 弾を射出する際に、このボウガンからは独自の音が発される。
 弾が発射される瞬間、微かに弾が帯電するのである。
 弾を発射する際に生じる独自の音は、空気中に放り出された弾が放電する際に起こるらしい。
 
幾つかの衝突音、もう一つ別の音

 放たれた三発の弾の内、二つが小石の間に飛び掛り、そして一発がそれ以外の所にぶつかったのだ。
 ソウの盾に、である。
「ニャ!! ご、ごめんニャ!? なんかガツンっていったニャ!?」
ルーが慌ててソウの元へ走ろうとするが、彼女は片手を振ってそれを制した。
「大丈夫、当たらないから。……続けて」
言葉通り、ルーの放った弾が飛来した時、ソウは弾を盾で払い落としたのである。
 ルーはその音を聞き取ったのみで、何が起きたのか分からなかった。
 正確無比にして神速。
 飛来する弾丸を盾で払い飛ばすなど、ソウにのみ可能な技である。
「わ、分かったニャ」
再び構え直したボウガンへ、新たな弾を装てんする。
 ハンターの扱うボウガンは、基本的に単発でも弾を装てんできるが、大抵は数発がセットになって装てんされているカートリッジを銃身へはめ込む形式である。
 ルーのファストニードルも同様の構造で、今使用している通常弾であれば、三発の弾をカートリッジごと装填出来る。
 ただし軽量化を主眼として作られたこのボウガンは、通常弾以外の弾は全て単発でしか装てん出来ない構造であった。
「今度こそ当てるニャ!!」
ルーがボウガンの引き金に手をかけた。
 放たれた三つの弾のうち、何とか一つが岩の上の小石を跳ね飛ばし、残りの二つが岩の表面を削る。
「やったニャ!」
ルーが力を込めて右手を掲げた。
 ソウはといえば、再び吐息の塊を吐き出し、肩の力を落とすのだった。
 まだまだ戦いに出られるレベルでは無い。
 その事を改めて気付かされる。
 自分がフォローをすれば、ルーは幾らでも高いレベルの狩りに連れてゆく事ができる。
 だが、それでは彼の成長は望むべくも無いし、何よりも彼自身がそんな事を望んでいないのだろう。
 昨日の夜、深夜になってからルーが本当に寝付いたのを確認し、ベッドに潜り込んだ時、彼の握り締めていた毛布は微かに濡れていた。
 彼が自らの技量に、自らの行いに流した涙は、少なくとも彼が、他人の狩りで報酬を得る様なハンターを目指してはいない事を示していた。
「気を抜かないで。この距離で外していたら命が無いから」
ガンナーにとって、敵に近づかれる事は死を意味する。
 モンスターに近距離まで近寄られてしまえば、ガンナーは成す術もなく牙に掛かるしかない。
 そのため、距離が近い相手への攻撃は、すなわち生死を分かつ一撃になる。
 敵に近づかれれば近づかれるほど、ガンナーにはリロードの時間が無くなり、放つ一撃への重要度が増すのだ。
 ガンナーが本領を発揮するのは遠距離からの攻撃であるが、ガンナーが資質を問われるのは敵に近づかれながらの一撃にある。
 ルーのボウガン、ファストニードルは弾装が極端に小さい。
 ゆえに差し込むことの出来るカートリッジも、自然と小さくなる。
 これはあくまでも、ボウガンの軽量化を主眼に置いた設計のためである。
 だが、そのために一撃一撃の比重が増し、持ち主には素早いリロードと、それ以上に正確な狙いが求められる。
 特に接近されてからの一撃を外す事は、命取りになる。
 ルーの身体的制約から仕方の無い構造とはいえ、ボウガンとしてはかなり危険な構造である。
 だが、それでもソウがこのボウガンを与えたのは、彼のある資質を見込んでの事であった。

 スイが酒場を訪れたとき、相変わらずすえた雰囲気が漂っていた。
 部屋の隅にこびり付いた、脂の様な空気。
 湿り気を帯びた粘的な風。
 だが彼女が戸口に現れた時、これまでとは異なる視線が彼女を刺した。
 敵意である。
「レドニアも終わりかね!? アイルーなんぞにハンターライセンスを与えるとはさ!!」
「女がハンターやってるのも気にくわねぇが……人間以外がハンターとは恐れ入ったよ」
「まぁ、三日ともたねぇだろうけどな」
男達はスイを見ながら悪態をつき、手にしたグラスを机の上に叩き付けた。
 約束通り、ハンターズギルドはルーに対してハンターライセンスを交付し、それが酒場のハンター達の耳に入ったらしい。
 先日アイルーと供にいるところを目撃されていたスイは、彼らの非難の的になっているらしかった。
「なぁ……ねぇちゃんもそう思うだろ?」
酒をあおっていた数人がスイの周りに集まり、人だかりを作る。
 彼らはスイの肩を掴んでは、それを引き寄せた。
 男達の口臭が吐きかけられ、整えられていた髪が、頭を撫でる男の手によって乱される。
「私が笑っている間に、口を慎んだほうが身の為ですわよ?」
静かに男達の手を解きながら、スイが髪を整えなおした。
 普段と変わらない彼女の柔和な微笑が、男達に向けられる。
「オォ、怖いねぇ」
男のうちの一人が、肩を掴んでスイの元へ顔を寄せる。
 額に皺を寄せた彼が、彼女を睨んだ。
「いいかぁ? 俺たちは命を懸けて狩りに出て、あの恐ろしい飛竜から素材を剥いで生活してる。これは誇り高い仕事なんだよ! それをアイルーにやらせるだぁ!!?」
さらに別の男が、スイの頬を叩きながら、顔を覗き込むように睨む。
「薄汚い野良猫なんぞをハンターにさせたそうだな? 舐めた事しやがって!!」

その時だった。

スイの微笑が笑みへと変化した。

瞳にはこれまでと異なるものが宿り、口元には不気味に皺がよる。

「そこまで素材が欲しいのでしたら、差し上げますわ」
見えない。
 その場にいた誰にも、スイの腰にさされたナイフが引き抜かれるのを見る事が出来なかった。
 剣が一閃し、男の腹部を切り裂いたところも、見えなかった。
 スイが、男の腹腔へ手を差し込むところも、見えなかった。
 ただ見えたのは、スイが真っ赤な手を掲げた瞬間だけである。
 スイが、地面に這いつくばる男を見下ろし、笑みを湛えたところだけである。
「人骨【小】よ。受け取りなさい」
コツン。
 真っ白で小さなものが床へ落ちた。
 その隣では、男が自らの作り出した真っ赤な液体の海でうずくまっている。
「あ……ああ……ああぁあ!」
その場にいた者のうち、ごく一部の者を除いて、それが何かを理解した者はいなかった。
 床に転がる白いもの。
 それは男の肋骨である。
 スイは一瞬のうちに腰にさしたナイフで男の腹部を切り開き、その内部から左右一対の肋骨をへし折って引き抜いたのである。
 当事者である男には、激痛のみが現実のものとしてもたらされ、そこに至る経緯は知覚する事が出来なかったのだった。
「そこな男、ギルドナイトであろう?」
いつの間にか、スイの背後に一人の男があった。
 抜き身になった剣の切っ先を彼女へ向け、その背後に彼は立っている。
「なぁ〜んだ、バレバレでしたか。おっしゃる通りですヨ、お嬢さん」
剣を構えた男、ラプターが口元に笑みを作る。
 だが、心なしかその笑みはぎこちなく、強張って見えた。
 スイのあまりの変化に、分かっていながらも理解が追いついていないのかもしれない。
 彼が瞬時に彼女へ剣を向ける事ができたのは、彼の経験と力量がさせたに過ぎない。
 まさにとっさの動作であった。
「ここに至る経緯を見ていたであろう? かような無象のハンターを飼いならせないレドニアハンターズギルドの管理体制をこそ、責められるものだと思うが?」
スイの持つ剣には、一滴の血液も付いていなかった。
 あまりにも凄まじい速さで振りぬかれたため、刀身に血液が付着しなかったのだ。
 肋骨を抉り抜いた反対側の手だけが真っ赤に濡れ、スイの仕業が白昼夢などでは無い事を告げている。
 地面でもがきまわる男を見下ろしながら、スイが背後のラプターへ詰問した。
「……諫言、耳が痛いですネ。イリアス君、ボウガンを下ろしなさい」
その場に居合わせたもう一人のギルドナイト、イリアスは客席の影から麻痺弾を込めたボウガンをスイへ向けていた。
 完璧なまでに気配を断ち、しかし銃口だけはスイを掴んで放さない。
 ラプターは自らが剣を下ろすと同時に、後方で隠れるように控えていたイリアスのボウガンも下ろさせた。
「役目ご苦労。だが……さらに職務に邁進する必要があるようではあるな」
朱に染まった方の手を一瞥すると、スイはラプターの脇を通り酒場を後にした。
 息を呑んだ姿勢のまま凍りついた客。
 頭をかきながら首を振るラプター。
 スイの去った方向を見詰めながらボウガンを折りたたむイリアス。
 地面でうめき声を上げる男。
 酒場には異様な光景だけが残された。
「……自業自得ですね」
ラプターが床の上の男を仰向けに寝かし直すと、胸元から包帯を取り出してそれを男の腹部へ押し付けた。
「肋骨程度の小骨なら二・三引き抜いても死にませんよ。消毒して止血、縫合すれば平気です」
ラプターは呆然としたままの、男の連れらしい者達に声をかけた。
「ほら! いくらなんでも早く医者に連れて行かないと、本当に死んじゃいますよ?」
その声で我を取り戻したのか、彼の連れらしい男達が数人で彼を連れ出した。
 あっという間の出来事が去り、酒場には先の出来事の存在を示すものがいなくなる。
 周囲にはぎこちない喧騒が戻り、先ほどまでの光景を覆い隠そうとしていた。
 床に広がった血液を除いて。
「勝てましたか?」
床の血液を眺めていたラプターへ、客席から表れたイリアスが尋ねた。
 手には折りたたんだボウガンを持っている。
「君とボク、ギルドナイト二人掛りなら何とかね。一対一では勝てる気がしない。……参ったね」
ラプターが腰に手を当ててうつむいた。
「何者でしょう?」
「……あれは狩人の目じゃない」
「君らハンターのものとは異なった、熱を持たない瞳。同じく生き物を殺める事を生業としながら、もっとずっと暗く深いところにある瞳……」

「ボクやベッキーに近い目……人殺しの瞳だ」

↓続く。
空の蒼と海の青 第七話
2006年12月19日(火) 12:59:54 Modified by orz26




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