In the case of 第五話

作者:揚げ玉




In the case of 第五話 (Dignity 2)




 見慣れた天井があった。
 家の天井。
 自分のベッド。
「……夢か」
少年は起き上がり、辺りを見回した。つい今しがた飛竜を狩る夢を見たのだった。余程興奮したのか、身体が汗くさい。寝汗をかいたらしかった。
「……?」
ベッドから起き出すと、ディグニティは不思議なものを見つけた。狭い部屋の中に、所狭しと並べられた袋。小さく粗末な机の上には、置ききらないほどの料理が並んでいる。
「……」
試しにそれらの一つを口の中に入れてみると、喉を通る食べ物の感触がある。
 口の中には味も残っている。
 どうも夢ではないらしい。
 だが、一体どういう事なのだろう。
 自分にはこんなにものを購入する金は無いはずである。
「なんなんだこれ?」
怪訝そうに首を振りながら扉を開けて家の外へと出る。井戸へ向かい、軽く水浴びをするためであった。
 明るい朝の光。
 柔らかで暖かい光は、ディグニティの皮膚の上を撫でる様に刺激する。元々は白かった彼の肌は、日差しに焼かれすっかりと色を変えている。常に外にいるためか、冬になろうとも肌の色が白くなる事はなくなっていた。
 だが、若く張りのある赤銅色の肌は、引き締まった筋肉と相まって、酷く精悍で色気すら帯びて見える。
 村の中に植えられた葉緑樹が、ディグニティに水分を帯びた空気が吐きかけてきた。大きく深呼吸しながら歩くと、胸の中が心地よい充足感に満たされる。
 この村が好きだった。
 単純ではあるが、ディグニティはこんな日常の一コマに村への愛着を感じる。村の日常が好きなのだ。この村にいて良かったと、心から感じる。
「起きたのか!!」
村の広場に差し掛かった時、ディグニティに声がかけられた。驚きと喜びの混じった声。振り返ると、村の青年が村長の家へと走り出して行くのが見える。
 何なんだ?
 いぶかしみながら、彼は広場の井戸の底から水をくみ上げる。地上よりも冷たい水が沸く地下。
 ディグニティは指が痺れるほど冷たい水を頭から浴び、起き切らない意識を覚醒させた。
「おはよう、エルミラの英雄」
不意にかけられる村長の声。気が付けば周囲には村の者が集まっている。
「……どういう事だ?」
水浴びをして濡れたままの髪をかき上げ、ディグニティが首をかしげる。
「覚えておらんのか? お主はあの飛竜を倒した後、すぐに倒れ込んで家へと運ばれたのだ。皆からのお礼の品が積まれとったろう?」
思い出した。
 そう、あれは夢ではなかったのだ。
 確かに自分は飛竜に止めを刺したのだ。
 その後の記憶が無かったので定かではないが、確かに飛竜を狩ったのだ。
「……じゃぁ、俺は……」
「皆お前に感謝しとる。飛竜殺し……ハンターとしても一人前になったな」
村長の言葉が終わると、村の者達が一斉に口を開いた。
「ありがとうな!」
「助かったぜ」
「カッコ良かったわよ〜!」
村人達の賞賛が、一斉にディグニティへ浴びせられる。
 孤児である事を恨んだことは一度も無い。
 だが、その問いはいつも自分の中にあった。
 自分はいらない人間なんだろうか。
 親に捨てられた時点で、ディグニティは自分を必要としてくれる人を持たなかった。
 普通の人間なら持っている、自分を必要としてくれる初めての人間。ディグニティにはそれがなかった。
 この先、自分は生きていて誰かに必要とされるのだろうか。
 この時ディグニティの頬を伝ったものは、井戸の水などではなく、もっと別の何かだったのだろう。
「……俺……人の役に立ったのかな? 要らない人間なんかじゃ……ないのかな?」
ディグニティの言葉は問う必要の無いものだった。
 満面の笑顔で彼に礼を述べる村人達は、泣き崩れるディグニティに答えを与えていた。

 数週間がたった。
 ハンター、ディグニティ。
 近隣の村でその名を知らぬ者は無く、その名は行商人の手によって更に遠方までも伝わっていた。
 ミナガルデという、いわゆるハンターの聖地まで行けば、飛竜殺しのハンターは数多く存在する。ましてや飛竜の中では最も貧弱なイァンクックだった。それは誇れる類のものではない。
だが、十を過ぎたばかりの少年が、となればそれは俄然新鮮味を帯びる。ミナガルデの酒場でも、噂が広まりつつあった。
 中々面白そうな奴がいるらしいな、と。
「無名でこっそりしていれば良かったものを。調子に乗りやがって!」
だからそうつぶやいた者がいたとしても、それは妬みによるものだと誤解されたかもしれない。だが、密林の中をひたすらに走り続ける二人は、むしろ彼の身を案じて言ったのだ。
 その二人は、供に揃いの装束に身を包んでいる。
 動きやすそうな白色の装束。
 それは足と腕以外は、これといって防御を意識した作りになっていない。
 だが、この二人は戦闘に身をおく者特有の、鋭い身のこなしをしており、明らかに戦闘に慣れている者であった。
「これが仕事となったからには、最早何も言うまいよ」
二人の顔には異様な面が付けられており、表情をうかがい知る事は出来ない。

 この日、狩りを終えたディグニティは、のんびりと村の広場へと向かっていた。飛竜を仕留めたといって、日常の何かが変わるわけではない。周辺にはやはりブルファンゴやモスしかいないし、広場に店を出したからといって、毛皮の売れ行きが良くなっているわけでもない。
 いつもの生活、いつもの毎日だった。
 ディグニティは地面に座りながら、淡々と獣の皮を陳列してゆく。
 だから、そんな日常に異様な格好をした二人が現れ、ディグニティは驚いたものだった。
「……何だあんたら?」
地面に並べた毛皮を眺めるでもなく、その二人は真っ直ぐにディグニティを見下ろしていた。
 顔には奇妙な面を被っているが、その奥には鋭い視線を感じる。あまり穏やかな用件がある様には見えなかった。
「ディグニティだな?」
二人の内の片方が口を開いた。
「ああ、あんたは?」
仮面が感情をも隠すかの様に、その男は無機的にディグニティへ告げた。
 朝日を照り返すその面は、まるで陽の下へ現れる事が場違いであるかの様に、酷く禍々しい。
「我々はミナガルデハンターズギルドから派遣された者だ」
「我らに同行してもらいたい」
「はぁ?」
突然現れて、一体なんだと言うのだ。
 ディグニティは憤然としながらその場に立ち上がった。
「何なんだよ? 用があるなら、まずここで言ってもらおうじゃねぇか」
剣こそ引き抜かないものの、ディグニティが身構える。
 それは完全に敵と対するときの構えであった。広場での穏やかならぬ様子に、村人達が屋内から表れ始める。
「無許可でのハンター業は禁止事項である。よって正規ライセンスを持たぬハンターはこれを罰する」
ディグニティが身構える事など、何の意味も成さない。
 直立不動で立つ二人からは、そんな態度がありありと表れていた。
「裁定はギルドマスターによって成される。同行願えるか?」
無言の威圧がディグニティを襲った。
 殺気。
 鋭い殺気。
 先日の飛竜の殺気が面によって押し付けられる様なものだとすれば、この二人の発する殺気は点の様に収束され、身を射抜いてゆく。
 しかも信じられない事に、この人間の発するそれは、飛竜のものより遥かに強く、鋭かった。
「ふざけるな! 村の周りにランポスがうろつき始めた時、あんたらギルドは何もしてくれなかったじゃないか!! ハンターを雇う金が無いから相手にしてくれなかったじゃないか!!」
ディグニティが生まれて初めてモンスターを追い払った時、村の外にはランポスの群れが出没し始めていた。
 何名かがミナガルデのハンターにランポスの討伐を依頼したが、金が無ければハンターは雇えないと、門前払いを受けたのだ。
 そうこうしている内に、村人数名がランポスに殺された。森の中に食料の採取に向かった際、殺されたのだ。
 ディグニティの友人も、その中にいた。当時、彼が世話を受けている家の子供だった。だから、彼はその子の親の悲しみを間近で見ていた。
 それでも尚、自分に世話を焼いてくれるその家の親が、子供心に酷く痛々しかったのを覚えている。
「金の無い奴は死ねって言うのか!? 声をあげる事の出来ない奴に、生きる資格は無いって言うのか!!」
村中に聞こえる声で、ディグニティが怒鳴った。
 思い出したのだ。
 昨日の事のように、一日とて忘れた事の無いものを。
 あの時の無力感と、苛立たしさを。
「生きるために狩りをして何が悪い! 先に力をつけた連中が勝手に作ったルールになんか従えるか!!」
ディグニティが腰の剣に手を伸ばす。
 その瞬間だった。
 面を被った男は左手が自分の背に回し、次の瞬間、引き抜いた剣がディグニティを切り裂いた。
 それはディグニティには知覚出来ぬ、一秒以下の世界での出来事である。例え斬り捨てられたていたとしても、彼には死の瞬間を過ぎてすら何が起きたかわからなかったろう。
「!!」
だが、金属音が飛来した。
 切り裂かれていたはずのディグニティは、その金属音によって救われた。
「っ……!」
剣を引き抜いた男が、その場に崩れ落ちた。
 左手を押さえ、地面にうずくまる。
 剣を握っているはずの左手には何も握られておらず、手が痺れたように震えている。
「……これは……!?」
うずくまった男の隣で、もう一人が声をあげる。男の目の前には金属の板がある。分厚く、幅の広い金属の板。それは突然空から降り注いだものだった。
 深々と地面に刺さった金属の板につぶされるようにして、地面の底に細長い剣が埋もれているのが見える。
 うずくまる男が、先程ディグニティを切り裂こうとした剣だった。
「ガキ、それに触るなよ」
その場の誰のものでもない声が聞こえた。
「ヘクター……」
地面にうずくまっていた男が、森の方向を見詰めながら呻いた。
「ドラゴンの毒にワイバーンの毒を混ぜたもんが仕込んである。人間なら、かすっただけでも死ぬぜ?」
不意に現れた男。
 彼は地面に深々と突き刺さったままの、銀色の大剣の持ち主らしかった。この金属の板が、加工された剣だと分かったのは、そこに柄が付いているためだった。よく見ると板、いや刀身に文字らしきものが刻まれている。
 男は唖然とするディグニティを尻目に、森の中から投擲した大剣の前まで歩み出た。
「陽の連中は仕事熱心なのはいいが……。融通が利かないからな。陰の連中を見習ったらどうだ?」
ヘクターと呼ばれたその男は、うずくまったままの男を引き起こすと、その身体についた泥を払った。
 引き起こされた男は左手を右手でさすっているが、傷らしいものはなさそうである。
「どうせ隊長に似たんだろ?」
ニヤリと笑うと、ヘクターは片手で軽々と大剣を引き抜いた。器用に先端をよじらせ、地面に潜ったままの細い黒色の剣も掘り出す。
「悪かったな、ほらよ」
細い片手剣らしい剣を一閃させて泥を払うと、ヘクターは持ち主へその剣を返した。
「だが、ヘクター。これは仕事なのだ。邪魔をされては困る」
もう一人の男がヘクターを見詰め、首を振った。
 剣を引き抜いた男も、それを鞘に納めながら抗議の視線を彼へ向けている。
「おい!」
ヘクターが村の家屋の屋根へ向かって叫んだ。
 不思議な光景である。
 だが、すぐに屋根の上から応答があった。
 真っ白な影が屋根の上から飛来したのである。
「やな奴。気付いてたのね」
二人の男のものよりもさらに白い装束。
 純白の装束の所々には、血液を散らした様な桜色の模様が付けられている。
 そして男達と同じ様に顔をすっぽりと覆う面。
 それは遠い異国で般若と呼ばれる怪物を模したものであった。
「隊長!」
剣を鞘に収めた男が叫んだ。
 隊長と呼ばれた人物はゆっくりと面を取り、ディグニティへと向き直る。
 面の中にしまわれていた短い赤色の髪が零れ落ちた。
 女性。
 その人物は女性であった。
 いや、女性という形容は的確ではないだろう。それはディグニティからの印象によるものでしかない。
 彼女の実際の年齢15・6だろうか。まだまだ顔立ちが幼い。それでもディグニティからしてみれば、十分大人の女性に見えたのだが。
「ま、ヘクトが止めなきゃ、あたしが後ろから蹴り飛ばしてたけど」
彼女はディグニティを見詰めたまま腰に手を当てると、背後の部下二人に首を振った。
「仕事熱心なのはいいけど、仕事のみに隷属してはだめよ」
首を振ると、髪から少女の芳香が零れる。
 辺りには彼女の香りが漂い、ディグニティは微かに頬を染めた。
「それと……ディグニティ君? 村にハンターが派遣されなかったというのはこちらの手落ちです。申し訳ありません。後日しかるべき調査をし、当時の責任者を処罰する事にします」
別段厳しい表情をしているのではないのだが、彼女が処罰といった瞬間、ディグニティは冷たいものを覚えた。
入ってはいけない世界の奥底にある様な、冷たく暗い何かを感じたのだった。
「でぇ? どの上司に似たですって?」
すっかり剣を背に収めているヘクターが、意地悪くニヤ付いている。
「さぁ? 鬼婆の事なんじゃねぇ?」
ヘクトと愛称で呼ばれたヘクターもまた、年若い少年である。年は恐らく目の前の彼女と同じぐらいであろうか。
 だが身のこなしや、巨大な剣を片手剣の真上に投げ飛ばした実力など、ほとんど神業の域にある。
 その年齢にあって、末恐ろしいという言葉が不要な程、その実力は既に完成を思わせる水準にあった。
「……私より年上のくせに。クソ爺」
ぼそりとつぶやいた後、彼女は顔つきを元のものへと戻した。
 彼女の背後では、数ヶ月しか歳変わらねぇじゃねぇか、とヘクターが睨んでいる。
「でもね、ディグニティ君。とにかく一度はミナガルデに来てもらわないと困るのよ。これまでの非正規の狩りはヘクトの口ぞえで何とか許してもらうとして……。これから狩りをするにしろ、止めるにしろ、ハンターとしての登録だけはしてもらわないと」
可愛いと思う。
 先ほどの様な張り詰めた様子が無ければ、幼い顔立ちの彼女は、下手をすると自分よりも年下に見えなくも無い。
 目の前にある美しい彼女の顔にディグニティは見とれていた。
「……聞いてんのかよ? エロガキ」
大体の様子を察したヘクターが、呆れた様にディグニティを見ている。
「……? ……じゃぁ、今日のところは解散。後日迎えに来るわ。用意だけしておいてね」
そう言うと、彼女は三人を引き連れて村を後にした。
 ヘクターが去り際にこちらを一瞥するが、特に何かを言葉にする事は無かった。

 後日、村へディグニティを迎えに来たのはヘクターであった。
「動物と間違えて偶然狩っちゃったそうです」
ヘクターがハンターズギルドに提出した報告書である。
 非正規のハンターとして狩りを続けていたディグニティを、ヘクターはそう言って弁護したのだ。
 多くの人間が呆れたのは言うまでも無い。モスやブルファンゴといった草食モンスターならともかく、イァンクックの様な飛竜までもその一言で片付けようとしたのである。
「イァンクックを……鶏と間違えて狩りましただ!?」
「その通りですが?」
そう言ったヘクターの顔は、むしろ何か変ですか?と言わんばかりの様子だった。
 最早反論する者はいなかった。
 やり込められた、と言うのではなく、誰もが呆れ顔で首を振ったのだった。追求するのも馬鹿馬鹿しい、と。
 ただ一人、ギルドマスターだけが可笑しそうに笑っていたのだった。
 明け方に突然エルミラに現れたヘクターは、ギルドの管理者たるマスターによって定められたという事を、ディグニティへと告げた。彼はその決定に甚だ不満足といった様子であったが、定められた事を覆すのも面倒らしく、それに従うつもりであるらしい。
「とまぁ……そういうわけだ。当分こき使ってやるから覚悟しておけ」
その内容とは以下のようなものであった。
 これまでの資格不所持での狩りは、すべて放免される事。
 以後エルミラには交代でハンターを常駐させ、最低限の狩りは全てハンターズギルドが代行する事。
 そして。
「俺があんたの元で見習いをしろって!?」
イァンクックを狩る事に成功したとはいえ、ディグニティは精神的にはまだまだ未熟な少年である。しかるべき人物の監督下で修行し、その後に正式なハンターとしての資格を与えるというものであった。
「言っておくが、決めたのは俺じゃねぇ。ハンターズギルドのマスターをやってる変な爺だからな」
ヘクターが不快そうに言い捨てる。
 だが、それはディグニティもまた同じらしく、二人はにらみ合ったまま動こうとしなかった。
「あのクソ爺、既に一人面倒見てるなら二人いても同じだろうとか言いやがって……。いいか、これからは俺の言う事には絶対に服従してもらうからな」
なんだと!!
 そう言い掛けて、ディグニティは言葉を呑んだ。
 ブルファンゴやモスにまみれた生活をしていたとはいえ、狩りの恐ろしさは知っているつもりである。あんなひ弱なモンスターにすら、油断を見せれば命を奪われそうになった。
 それはいくら狩りに慣れても同じ事である。少なくとも、目の前の男は自分よりも狩りに通じ、自分よりも多くのものを見ているはずである。あの時、森の中から巨大な剣を投げ飛ばした芸当は、まず並みのハンターには不可能であろう。
 だから、この男は自分を凌駕する実力を持っているのかもしれない。自分とて、一度飛竜を倒したくらいで一人前を気取るつもりは無い。そこまで愚かであるつもりは無かった。
「……あんたが俺よりも弱いと分かったら、その時は好きにさせてもらうぜ?」
そのディグニティの言葉に、ヘクター意外そうな顔を見せる。
 そして、不適に微笑んだ。
「……気に入った」
その時の笑みを、ディグニティは忘れる事が出来なかった。
 それは今になっても同じである。
 ディグニティはこの時の言葉を深く深く後悔するのだが……。

それはまた後日の話である
2005年09月10日(土) 08:11:50 Modified by orz26




スマートフォン版で見る