In the case of 第七話

作者:揚げ玉




In the case of 第七話 (Irius 2)


ミナガルデ

 自由と闊達、放埓の支配する街。
 未開の蛮地。
 魔物の巣窟。
 ハンターの聖域。
 それら全ての呼び名は、この街の一面しか示していない。
 と同時に、いずれもが正しい形容でもある。
 言い換えれば、ミナガルデはそれだけ多面的な性格を持つ街であり、強い包容力を持つ街でもある。そびえ立つ岩山をくり貫く様にして作られた街並みは、初めて訪れる者を圧倒する。
 イリアスの一行は荷車を同伴していたため、ゴンドラを使って山の中腹へ辿り着いた。ゴンドラという物は、王国の中心部ですら、なかなかお目にかかれない技術である。イリアスはゴンドラの上で、遠くなっていく地面と近づき続ける空を見詰めていた。
「……」
初めての任務が終わろうとしている。
 血生臭く凄惨で、失敗とはいわないものの、しかし成功とも呼べないものである。多くの仲間が傷つき、さらに幾人かは初めて見る戦場の過酷さに精神を傷つけられていた。
 だからこんな時に、この街に開放感を感じるのは不謹慎であるかもしれない。
 しかしそれらを差し引いても、やはりこの街の空気は軽く、心地良さに満ちていた。
 もっとも物資の受け渡しを済ませて戻ったグラムトは、そんな気分には程遠い様子だったが。
「とりあえず死者は出ずに済んだのが幸いだった……」
様々な意味において、苦渋に満ちた表情をしている。
 グラムトは、この街から移動させる事の出来ない怪我人の世話をするよう、イリアスに命じた。
 任務の終了を国王へ報告に行かねばならないため、グラムトはすぐに出発しなければならないという。
「了解しました。道中のご無事をお祈りしております」
街の出口までグラムトを送ると、イリアスはそこで軽く頭を下げた。
「うむ……」
グラムトもまたイリアスに応じ、ミナガルデを後にする。比較的怪我の軽い者は、彼と供に街を後にした。
 残されたのはイリアスと、怪我を負った騎士見習い達である。イリアス自身の怪我は幸い軽く、背中に包帯を巻いてはいるが、日常の行動に支障はなかった。

 だから翌朝からの生活は、違う意味で支障をきたす事となった。
 朝起きて午前中のうちに怪我人の見舞いをしてしまうと、何もする事がなくなってしまうのである。暇になったイリアスは、広場に出てきょろきょろと周囲を見回していた。
「……?」
不意に楽曲の音色が聞こえてくる。その旋律は楽譜の正確さとはかけ離れたものであった。
 だが、その陽気さといったら今までに聞いた事が無い。どこかに野外の音楽堂でもあるのだろうか。広場を散策していた彼は、それが山肌にぽっかりと口を開いた洞窟内から零れ聞こえるものだと気が付いた。
「洞窟内の音楽堂か? 面白そうだな」
王都では宮殿やオペラハウスでの演奏会に出席していたが、洞窟内に作られた音楽堂というのは始めてである。イリアスは興味をそそられ、洞窟内へと足を踏み入れた。
「!?」
別世界に足を踏み入れる、という言葉がある。この時、イリアスは身をもってその言葉を知った事だろう。
 大音量でかき鳴らされる音楽。
 立て続けに起こる喚声と歓声。
 絶え間ない笑い声。
 ブーツが踏みつける床板の音。
 注文を受ける女性店員の挨拶。
 ナイフとフォークの皿との衝突。
 喧騒と一言で括ってしまうには、それらはあまりにも心地良い。聞いているだけで体中に活力が沸き起こる気がする。イリアスは確かに音楽堂に足を踏み入れたのだ。ハンターの集う酒場は、彼らの奏でる生命の旋律に満ちていた。
「これは……」
思わず圧倒される。
 これがハンターの世界なのだろうか。
 たった一歩酒場に足を踏み入れただけであるのに、その違いに圧倒される。
 規律と秩序を旨とする騎士にとって、大声を上げて騒ぐなどもっての他であり、例え騎士同士が集まったとしても、冗談を言い合うことや笑顔がこぼれること自体、稀な事である。
 一部の高名なハンターを除けば、粗野にして無節操、奔放にして無秩序。そんな噂は良く聞いていたが、実際にハンターというものを見るのは、イリアスにとって初めてであった。
 悪名高い連中を一目見てやろう。イリアスがミナガルデに向かった時、頭の片隅にはそんな考えが確かにあった。だが、酒場の入り口にたたずむ彼の瞳は、生まれて初めて騎士の鎧を着込んだ父を見た時の、それへと変化していた。
「ああ、誰かと思えば。傷はもういいのか?」
そんな風に声をかけられた事がなく、イリアスが礼を失する呼びかけを視線で追いかける。視線は、席について杯をあおる一人の男の下に辿り着いた。
「貴公か。随分と礼を失する御仁のようだが……それも辺境という事で仕方が無いのかもしれないか」
その男のテーブルに向かうと、そこには先日の茶色い髪をした快活そうな少年と、黒髪の美しい少女が座っている。
「礼ね。礼儀ってのは相手を敬い、害意が無い事を示すためにあるもんだ。敬う気も無し、敵意むき出しに礼を差し出してくる王都の連中の礼儀作法には、確かに関心が無いな」
頭をかきながらそんな事をいう男に、イリアスは半ばいきり立った。
「貴公は隊長にもそんな事を申していたな。騎士の持つ正義など下らないと」
いきり立ったのは、痛くも無い腹を探られたからではない。彼自身、王都において男に言われた様な経験をしているからである。むしろ図星を突かれた為、それを何とか否定したくなったのだ。
「別に騎士の正義が、とは言ってないぜ。正義って奴がくだらねぇって言ったんだ」
そう言って再び杯をあおると、男は高らかに笑って見せるのだった。酷く下品で挑戦的な笑い。少なくともイリアスはそう感じていた。
「確かに。金によって雇われる傭兵まがいの貴公らには、崇高な正義など一銭の価値にもならぬと感じるのかもしれないな」
イリアスが眦を吊り上げてみせる。男の隣に座る少年が軽く首を振り、その前に座っている少女は瞳を閉じてみせた。
「確かに。一銭の金にもならねぇな。価値も無ねぇ」
既にイリアスから興味を失ったとでも言いたいのか、男はテーブルに向き直って、あくびを一つついて見せた。
「価値観の相違という奴だろうが……ここが王都であれば貴公の首は無かったと思うがいい」
カチンと音を鳴らし、イリアスが剣の柄に手をかける。だがそれでも、男は気にした風でもなかった。
「それだよ、それ。」
少しだけ冷笑して見せたのは、男のイリアスへのせめてもの配慮であったかもしれない。彼にしてみれば、この少年を無視し、何も告げずにここを去る事も出来るのだ。
「もしもそれが可能ならば、お前はお前の中の正義を通すために俺を斬るだろう。だが、俺は俺の中の正義のためにお前を斬るかもしれない。お前を斬ったら、俺はどうしようもないごろつきか? 正義にたてついた忌むべき悪魔って奴か?」
手にしていた杯をテーブルに戻し、その男は立ち上がってイリアスへ向き直った。

斬られた

 男の手には剣すら持っていないのに、イリアスは身体に痛みを感じた。
 何故だろう。
 男からは、どんな高名な騎士からも感じた事がない気迫を感じる。
 抜き身の剣を喉に押し込まれたような、そんな圧迫と恐怖を感じる。
 先日は感じる事もなかった、凄まじい気迫を感じる。
 動けない。
 動けば殺される。
 全身の筋肉が強張り、イリアスはまさに睨まれたカエルとなっていた。必死に身体に力を入れてみるが、まるで動く気配は無い。冷たい汗が身体をぬらし、背筋を滑り落ちてゆく。
 長い長い沈黙。それこそ日が暮れてしまうのではないかというほど、イリアスは身体を動かせずにいた。
 数時間もそうしていたのだろうか。
 その後である。
 ようやく男は口を開き、話を続けた。
「お前ら騎士は戦争をするだろ? 敵国の騎士は確かに憎い。憎むべき敵だろう。じゃあ、そいつを殺してみろ。その日からお前は、敵から見れば正義の僕(しもべ)である騎士を斬った悪魔になるわけさ。不思議なもんじゃないか。お前も敵も正義をかざしていた筈なのに」

さぁ、どこに正義がある?

 男がそう言った瞬間、イリアスは喉の奥底に突きつけられていた剣から開放された。男が再び席に着き、テーブルの上の杯に手をかけたのだ。
「それを人は欺瞞と呼ぶ」
悠々と杯の中身を飲み干す。
 良く冷えているらしいそれは、杯の側面から水滴をひたひたと床にたらした。
 イリアスの感じた時間は錯覚であった。
 イリアスが男に睨みつけられていたのは、ほんの数秒の間でしかない事を、グラスの周囲に付いている水滴が告げた。
「自分にとっての正義はあっても、完全な正義なんてのはこの世には無いのさ」
目を細めながら、しかし寂しそうに、男が笑った。
 イリアスは話せない。言葉を発する事が出来なかった。何を言えば良いのか分からない。その言葉に反論する術が見つからなかった。
 話が終わったと見たのか、イリアスに逃げ道を作るためなのか、男は机の上に幾ばくかの食事代を置いて席を立った。同席していた二人もまた、席を立つ。
 少女がイリアスに一瞥を与えて酒場を後にし、少年はポンと彼の肩に拳を押し当てて後を追った。
「……」
何も言えなかった。
 騎士は、正義と秩序を守るものである。教えられるままにそう信じていた。だが、人は人によって信じるものが異なる。このミナガルデを訪れ、深くそう感じるようになった。
 人は自らの信条を至上のものと考える。そしてそれは正しい、間違っていない事だと信じる。世の中は正しくあるべきであり、間違った考えは正しく直してあげるべきだと思う。それを正義という名に包んで押し通そうとすれば、正義と正義はぶつかり合う事になる。

数日

 イリアスは寝る事を忘れ、毎日男の言葉を反芻していた。何度考えようと、その言葉に間違いを見出す事はできない。何か反論をし、自分の信じてきた正義というものが正しいのだと思いたかった。
 だが、男の言うように、自分らは正義という言葉をあまりに都合の良い様に乱用してきた気がする。こうあるべきだ、こうでなければならない。そんな事ばかり言っていた気がする。

 広場の隅で、眼下に広がる樹海を眺める。
 イリアスにとって、数日振りの外だった。青みがかった森の木々。それは濃い緑色の森と表現するべきなのかもしれないが、艶のある緑は青みがかって見える。それ程までに色濃く、木々が生命力に溢れているのだろう。
 時折、森の中から空に向かって飛び出す粉雪の様なものがある。
 鳥の群れだった。
 空を見上げると、強い陽の光を切って別の鳥が飛んでゆく。
 街の上方、この街のある岩山の頂上付近からは、さらに別の鳥の鳴き声が聞こえてくる。
 自然を感じる。
 いや、自然の中の自分を感じる。
 ここでは彼我が逆転するかの様だった。王都では街の中に自然を感じる事があった。石畳の上に並ぶ並木、広場に植えられた巨木。時折その木陰に休んでは、剣術の訓練の疲れを癒したものだ。
 だが、この街は何かが決定的に違う。自分の周りに自然を感じるのではなく、自然の中に自分を感じる。
 広大な森と、高く蒼い空。
 生命力に溢れる生き物達。
 彼らがあって、そこに自分が混ざっている。
 空と森の境目が果てしなく遠い所にあり、人知の及ばない巨大な世界を感じる。
 酷く無力な自分を感じる。
 自分が王都にあれば、それを心細いと感じたかもしれない。
 何故だろう、だが今はそれが心地良く感じる。
「ミナガルデ……無節操者の街か……」
不意に聞こえる人々の喧騒。広場の脇からだろうか。
 イリアスは聞こえてきた喧騒の元へと向かった。
 広場から道をたどると、そこには市場がある。
 かけ声、笑い声。
 人々は自らの生命力を誇示するように笑い、叫び、手を叩く。買う気があるのかないのか、露店から露店へと渡り歩く客。別段それをとがめるでもなく、彼らとの会話を楽しみ、自分の商品のうんちくを語る店主。
 見ているだけで、じっとしていられなくなる。
 気が付けば、イリアスは市場の入り口へ向かっていた。
「!?」
イリアスがとっさに剣の柄に手を当てた。
 目の前にモンスターがいるのだ。
 驚きと供に身構える。
「コブ?」
だが、そのモンスターはイリアスを一瞥しただけで、慌てた様子も無く彼の目の前を通り過ぎてゆく。街の人間もそのモンスターを見咎めるでもなく、脇を通り過ぎている。
「……」
唖然としてそのモンスターの行方を見ていると、彼に声をかける者までいる。一体どういうことなのだろう。
「よぉ、ランポスをやったらしいじゃないか。順調みたいだな」
「当たり前コブ。アイルー族の勇者なら飛竜だって恐れないコブよ」
そうか……。
 この街は、こういう街なのか。

 ふと空を見上げると、日差しは柔らかで大気はどこまでも澄んでいる。人々は一様に微笑み、街中から笑い声が絶える事がない。
 剣の上に置いた手から力が抜けてゆく。
 なんだか着込んでいる鎧が重く感じる。
 明日は鎧を脱いで市場を覗こう。
 イリアスが深呼吸すると、彼の肺の中にミナガルデの空気が入り込んでいった。

 一月後、イリアスは二通の手紙を書いた。
 一通は両親に、もう一通は騎士隊に向けてである。怪我人の半数が回復し、自分がいなくても最早問題ないであろう事。ミナガルデの住民の協力に対し、十分な謝礼をして欲しいという事。
 そして。
「本当にいいのか!? イリアス!」
病床から回復した者が、イリアスの後を継いで看病をしている。イリアスは既にこの数日、見舞いに訪れていなかった。
「ああ。知りたい事を見つけたんだ。騎士になるにしても、それを確かめない事には、俺は何も出来ないだろう」
迷いの無い真っ直ぐな視線。イリアスは同僚の制止に真っ直ぐに答えた。
 空はどこまでも澄んで、森はどこまでも続いている。
 世界は広く、色々な事があるのだと知った。
 だから、もっと色々な事を見たい。
 色々な人に出会って、その人の持つ正義を尋ねたい。
 あの男は正義など存在しないといった。
 だが、その人にとっての正しい事は確かに存在するのだ。絶対な正義など求めない。でも、やはり正しい事、そうであって欲しいという事は皆が持っていると思う。
 それを知りたい。
 騎士の鎧に身を包んだ父が輝いて見えたのは、それは母という正義を守る人だったからだ。誰かにとって、何かにとって大切なものを守る。それこそが正義としての姿なのではないか。
 何かにとっての守人。
 子供の頃に感じた騎士への憧れ。それは守人になるという事への憧れだったのかもしれない。
 自分は何を守り何のために死のうか。
 だがそれを今決める必要は無いのだ。もしかしたら、命を失う最後の瞬間まで、それを決めなくて良いのかもしれない。
 生あるうちに、生の意義を見出す必要など無いのかもしれない。
 そんなもの、死んでから見つければいいだろう。
 あの男ならそう言うのだろうか。
 イリアスがクスクスと笑顔を零した。
「行って来る。どうなるか分からないけど、何とかなるさ」
こんなに心底笑ったのはいつ以来だったかな。
 こんな風に笑えるようになったのは、この街のお陰だろうか。
 こんな風に考えられる様になったのは、この街のお陰かもしれない。
 イリアスはミナガルデの空のような微笑を残し、この日、騎士隊を除隊した。

「さぁ、まずはあの無礼な男を探し出して名前を聞いてやろうか」
2005年10月28日(金) 23:07:18 Modified by orz26




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