In the case of 第十四話

作者:揚げ玉




In the case of 第十四話 (Grammmetoh)



 壮麗な王宮は、恐らくハンターにとって場違いな雰囲気を漂わす事だろう。
 だが彼にとっては、むしろ相応しく見える。
 まるでこの場こそが、彼の本当のあるべき場所の様に。
 イリアス。
 普段は結わえている金色の髪を下ろし、髪を風に揺らせて立つ様は、倒錯的に見える。
 もっとも、幾分精悍になった顔立ちが、最早彼を女性と間違わせる事もなくなったが。
「……」
荘厳な謁見の間は、何度訪れても緊張を抑えられない。
 数段高くなった玉座から、真っ直ぐに深紅の絨毯が伸びている。
 そこに控えながら、イリアスは落ち着かぬ視線を泳がせていた。
 玉座の脇に立つシュレイド王国騎士団の団長、タルカスの視線を避けているのだ。
 老年にさしかかろうという年齢ながら、日々の訓練で鍛え上げられた彼の身体には、いささかの衰えも無い。
 むしろその経験と相まり、若かりし彼よりも威圧を感じる。
 刺す様な圧し付ける様な威圧感が、イリアスに息苦しさを感じさせる。
 そして。
 自らの及ばない人間がここにもいるのだと、改めて思い知るのだった。
 どこに行っても、自分はまだまだだと。
「間も無く陛下が参られる。ご無礼のない様にな」
タルカスが言った。
 その視線から逃れる様に、イリアスが深々と頭を下げる。
 そのままの姿勢で、如何程待ったろう。
 実際はそれ程時間が経過していないのだろうが、彼にとって、それは長く感じられた。
「……陛下」
「うむ」
タルカスの声が、謁見の間に新たな人物を迎え入れた。
 頭部に大きな重圧を感じ、イリアスがより深く頭を垂れる。
 前方の玉座に、人の気配が座した。
「そう畏まらなくて良い、イリアス」
「陛下にはご機嫌麗しく……」
「堅苦しい挨拶は止め、顔を上げてくれ。イリアスよ」
「……はっ」
長く下げていた顔を上げる。
 親しくかけられた声を辿ると、そこにはシュレイドの王が座していた。
 王は以前と変わらぬ、温和な笑顔を湛えている。
「もう少し王宮にも寄り付いてくれて良いのでは無いか?」
「勿体無いお言葉にございますが……任地が遠方になる事もございますれば……」
「フッフッ……そういう意味では無い」
恐縮するイリアスを置いて、意味深な笑みと供に、シュレイド王がタルカスに一瞥を送った。
 脇に控える歴戦の武人は、王の一瞥にも姿勢を崩さず、無言のまま微動だにしない。
 王もまたそれを気にした風もなく、イリアスに視線を戻した。
「最近、富に精悍さを増したようだな……」 
元々騎士の息子であったイリアスは、幼少の頃には王の膝に抱かれるという栄誉に浴した事もある。
 その後も事ある毎に晩餐会に呼ばれ、騎士見習いとなった後も、何かと目をかけてもらった経緯があった。
 シュレイド王にとって、イリアスは甥の様な存在だった。
「すまん、まずは公務だったな」
「は……」
「世話をかけるようだが、その件、よろしく頼む」
「ハッ!」
「……こういう場では満足に会話も出来んな」
イリアスと王の、それだけの会話。
 だがそれで彼の要件が終わった事を察すると、シュレイド王は椅子を立って退室の意思を示した。
 数名の騎士がそれに付き添い、王の退室を警護する。
「また遊びに来い、イリアス。食事をしよう」
戸口を通る間際、玉座の前で控えるイリアスへ、振り返って声をかける。
 何か言いたげなタルカスを手で呼び寄せながら、シュレイド王は謁見の間を後にした。

「……立派になったではないか」
謁見の間から外に出たシュレイド王は、次の予定である会議室へ向かっていた。
 王宮の柔らかな絨毯の上に、王の豪奢な靴と、タルカスの無骨な鎧が沈む。
 警護の騎士は既に下がり、騎士団長たるタルカスだけが王の隣にいた。
「いずれ、そなたの跡継ぎにどうか?」
「アレは騎士団を飛び出した不心得物にございます、陛下」
「宮殿の中だけを知っていれば勤まるものでもあるまい? 騎士団長というものは」
「ですが……」
なおも食い下がろうとするタルカスに笑いながら、シュレイド王はそれ以上言おうとしなかった。
 代わりに別の話題を差し向ける。
「息子に少し厳しいのでは無いか?」
そう言われて眉をひそめるタルカスの瞳は、だが、先程から温かいものに満たされていた。
 その事に気付いたのは、シュレイド王ただ一人だろう。
 信頼する彼の片腕は、息子との久方ぶりの再会を心から喜んでいるのだ。
 だが、それを表面に出せる程彼は器用ではなく、シュレイド王もまたその事を知っていた。
「愚息なれど、ただ一つだけ誇れる事がございます」
しばらくの沈黙の後、タルカスがためらいがちに口を開いた。
 シュレイド王が、それを興味深げに促す。
「ほう。聞いてみたいな」
間も無く到着した会議室の扉に手を当てる。
 開かれた扉から、あちら側の光が溢れ出した。
 会議を前に、室内では文武官が整列している。
「……あの子は自らの道を、自分一人の力で見つけました」
タルカスの瞳に優しいものが溢れ、同時に郷愁に似た色を帯びた。
「私にはそれが誇らしいのです」
「……そなたも一人前の親ばかという事か」
そう言ってシュレイド王は笑い、二人は会議室へと消えていった。

「ねぇ、ちょっと格好良かったんじゃない? イリアス君」
王宮を辞すと、イリアスの背後で長らく控えていたベッキーが口を開いた。
 王宮との折衝は本来彼女の役割であったのだが、ここ最近はイリアスにまかせっきりである。
 その方が、概ね円滑に物事が進むためだった。
「からかわないでくださいよ……」
困った様に苦笑しながら、イリアスが胸元から紐を取り出した。
 美しい金色の髪を結いながら、王宮の長い階段を下る。
 すっかり男としての魅力を帯びた彼を、ベッキーが遠い目で見つめた。
「そうかなぁ。……私ももう少し若ければ、放っておかなかったかもよ?」
「もー、ヘクターさんに言いますよ?」
「あ、ちょっと! それどういう意味!?」
私はあんな奴の事なんか全然……。
 そう続くのが分かっていたので、イリアスは笑いながら駆け足で階段を降りきった。
 
 この数日、王都の暑さは限度を越えていた。
 できれば外出などせず、新たに買った侍女でも愛でていたい気分だ。
 だが、そうもいかない事情がある。
 先日、密かに建造していた研究所が、何者かに襲撃されたのだ。
 これまでに蓄積した研究の記録も、その際に灰になったという。
 数年前から続いた被験体の流出と合わせ、予定外の出来事だった。
 研究所自体は廃棄する予定だったのだ。
 既にある程度の研究結果も出ていたし、何より、長く研究を続けすぎた。
 何者かが、そろそろ嗅ぎ付ける頃だろう。
 だから研究所の焼失自体は問題では無いのだ。
 そもそも、あんな面倒な噂を流したのは、研究に見切りを付けるためだった。
 エストといったか。
 あの忌々しい男の、一味。
 あの男の居所は、一向に判明せず。仕方が無いので、変わりに奴の一味を首謀者に仕立て上げた。
 いずれ首謀者とした女を捕らえ、全てを灰にすれば済むはずだった。
「忌々しい……」
溢れ出た被験体。
 近親婚を重ね、ようやく作り出した亜種も、そこに含まれていたらしい。
 特定の地域に留まっていた奴らは、ついに食料の不足に駆り立てられ、ミナガルデを襲ったそうだ。
 研究所の位置は、その際の被験体の移動から割り出されたのだろう。
 失態だ。
 消失した研究記録の再現と合わせ、いずれ何とかしなければなら無い問題だった。
「……それにしても暑いな」
到着した王宮への参道には、人の姿が無かった。
 皆、涼をとるため、どこか屋内にでもいるのだろう。
 黒い日傘らしいものをさした、女性とすれ違う。
 日傘が強い影を作り、彼女の顔を隠していた。 
 この暑さでは、日傘もそれ程役には立たんだろうに。
「……」
それにしても、今回のシュレイド王からの召集は如何な事だろうか。
 まさか、今回の件が明るみになったわけでは無いと思うが。
「!?」 
その時だった。
 始めは暑さのためだと思った。
 足から力が抜け、身体がガクリと震えたのは、それだけのためだと思った。
 だが、腹から溢れ出したべっとりとしたものは、明らかに暑さがもたらせる幻影などではなかった。
「懐かしいでしょうか? グラムト公爵」
背後から、涼やかな女性の声がかかる。
 グラムトは、震える足を堪えて振り返った。
「き……貴様は……」
こちらに向けた黒い日傘の先端から、薄い煙が立ち上っている。
 腹を撃抜いた激痛は、あそこから放たれたものなのか。
「ミナガルデからの使者にございます」
ミナガルデ。
 あの忌々しい男の記憶が蘇る。
「そ、そうか……ミナガルデは仲間のハンターを庇うという事か……」
抑えた腹部が、ドクドクと波打っている。
 心臓の鼓動に変わり、まるで明滅する激痛が身体に宿った様だった。
「だ、だれか! 衛兵! 衛兵はおらぬか!!」
四囲を見渡したグラムトが、一つの異変に気付いた。
 そうだ。
 なぜ、先程から衛兵がいないのか。
 どうして王宮の参道に誰もいないのか。
「本日の陛下の招集の意味、お分かりになられましたか?」
「ば……ばかな……では……陛下に露見していたというのか……!!」
「陛下は、処分をミナガルデに命じられました」
涼やかに語る彼女は、赤い髪をかき上げて首を振った。
「違法なる飛竜の研究に手を染めた事により、グラムト卿、貴公に死を賜る」
それは彼女の言葉であって、彼女の言葉でなかった。
 彼女が託された、シュレイド王の言葉だった。
「お……おのれぇ!!」
腰にさした剣を引き抜く。
 日傘を構え持つ女へ、グラムトが剣を振りかぶった。
 その時だった。
「グァ!?」
冷徹な衝撃が背を切り裂き、グラムトを地面へ叩きつけた。
 抱きしめた地面の上で、ようやく視線を持ち上げる。
 地を踏む音と供に、新たな足が視界に現れた。
「尋常なる最後を……」
見えたのは、金色の髪の男。
 記憶にある、あの男の息子。
「イリアス……」
両の手に剣を握ったイリアスが、哀れみともつかぬ視線を落としている。
「貴様……! あの時……あの時……! ……やはり殺しておけば!」
別働隊の責任者に指名し、モンスターに襲わせるなどという回りくどい手を使わず、直接自分の手で殺しておけば。
 グラムトが過去を悔やむ頃には、既に、彼はこの世ならざる所でその続きをする事になった。
「……すみません、出過ぎた事をしました」
「いいえ、助かったわ。ありがとう、イリアス君」
剣に付着した血液は、刀身が発する水滴によって既に洗い流されている。
 それを一閃して払い落とし、イリアスは二本の剣を鞘に収めた。
 うつむく横顔には何処までも晴れ間が覗かず、この快晴の炎天下に、酷く不似合いに見える。
 同時に、その憂いは蜃気楼の様にも見え、炎天下に似つかわしくも見える。
 憂いを帯びた表情は、かつての彼からは想像もできない。
 以前に比べ、彼は随分と大人びた表情をする様になった。
「くん、もそろそろ卒業かな」
赤い髪を揺らし、ベッキーがクスクスと笑った。
 顔を赤らめ、イリアスが困った様にうつむく。
 彼は彼で、内なる葛藤と戦い続けているのだろう。
 胸の外にあるものは狩れるとしても、胸の内のものとは、永遠に戦い続けなければならないのだ。
 いつまでも終わらない狩りは、心の中にこそある。
 それを狩るのは、如何なギルドナイトとて容易な事ではない。
「……私はまだまだだっ」 
空に手を向け、身体を伸ばす。
 ベッキーがそうしたのは、照れを隠すためだった。
 想い人が頭に浮かび、何とも仕草に困ったからだった。
 想いの一つ自由に制御できないようでは、自分もまだまだだ。
 彼女が首を振った。
「頑張ってるんだね、皆、か……」
その様子を見て、イリアスが呟く。
 ベッキーの言葉は、彼にある女性の言葉を思い出させる。
 呻きに似た、彼女の呟き。
 そう言って努力を続ける彼女の姿が、何故か今は懐かしく感じる。
 あれから数日しか経っていないのに、懐かしいのだ。
 イリアスは、思う。

誰しもが皆、何かに苦悩しているのは無いだろうか

ハンターは、そして、狩りを知らぬ者とて

全ての者は、内なる苦悩と戦い続けているのではないか

そして誰もが皆、終わらぬ狩りの途上にあるのではないか

私は、願わずにはいられない

出来る事なら、皆の狩りが穏やかな結末を得られるよう












「……帰りましょうか」
しばらく空を見詰めていたイリアスが、ベッキーに微笑んだ。
 傷ついた少年の様な微笑みに、彼女がうなずく。
「……そうね。帰りましょうか、ミナガルデに」
2006年08月29日(火) 00:53:42 Modified by orz26




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