The Unbalanced Hunters 第二章:第六幕 1

作者:ランドール


第6幕 〜最悪以下の結末〜 1



 長い十日間でした。
「独りにしてくれ」
 そう短く告げ、ユウは屋根裏の雑務室に篭り、そこから一歩も出てはきませんでした。
 そっとドアに耳を押し当てても、物音どころか呼吸の是非さえも窺えません。ただただ、体の内面から吹き上がる情念を凝縮するように、じっと、瞑目しているようでした。
「あの……お昼ごはん、出来ましたよ」
「無用」
 会話は、これが最初で最後でした。予め水と携帯食料を持ち込んでいた模様で、『食事を介せば最低でも一日三回はコミュニケーションの機会が持てる』という淡い期待は、完全に絶たれる形となったのです。
 それでも初めは、ソナタもドア越しに熱心に語りかけておりました。
「今日はパスタに挑戦しましてね、アンコーンとオイルレーズンが意外に合って――」
「ハンノキさん、峠は越えたそうですよ。そのうち、お見舞いに行きましょうか――」
「新しい爆弾が出来たんですよ、モンロー効果で突き刺さるような爆発が――」
 嘆息一つ返ってくることは無く、三日続けて諦めました。
 四日目と五日目は、ユウの身を案じながら家に留まり、調合などをしておりましたが。
 六日目から、だんだんと家を空けるようになり。七日目は朝帰りで。八日目と九日目は、ついに家には帰ってきませんでした。
 そして、十日目の朝。

「――いくか」

 やっと部屋から出た白髪の剣士を迎えたのは、冷たく澄んだ朝の空気だけでした。
「いないならば、いないだけのこと」
 眉一つ動かさず工房へと足を向ける姿は、言下にそう断じておりました。





「……」
「……」
 修繕した斬破刀の受け渡しに出てきたのは、どういうわけか、鉄ジジではありませんでした。
 非常に珍しいことに、白髪の剣士が見上げなければ視線が合わないという、ほとんど人類の規格外な巨漢です。険しい顔から、ふしゅるゥ、と息が吐き出される様はそれだけで十分な威圧感があり、何となく、神話に出てくる、世界を支えている巨神を彷彿とさせました。
「……」
「……」
 挨拶も仕上がりの報告も無いまま、ずい、と鞘に納まった刀が差し出され、同じく無言で、それを受け取ります。
「……」
「……」
 実際に鞘から抜いてみて仕上がりを確かめるのも、その挙動を見守るのも、徹頭徹尾言葉はありません。朝から晩まで代わり映えしない甲高い槌の音と熱の中にあって、この一角だけが真空状態の如く、底冷えのする沈黙に包まれているのです。それも、必要以上に人目を引く二人が。
 際立って不気味な光景でした。
「……」
「……」
 修繕は新品と見まごう素晴らしい出来栄えでしたが、その腕を讃え労う声、誇らしげに応える様、そんな人間らしいやりとりは何一つありません。ただ不倶戴天の敵を前にしたような重圧と、必要以上の斥力を伴った視線とが、交錯しているだけでした。
「……」
「……」
 キン、と澄んだ音をさせて刀を鞘に収めると、もう何一つ用は無い、とばかりに白髪の剣士は踵を返しました。実際、後は料金の支払いを済ませるだけだったのですけれど、そこにどういう理屈が働いたのでしょうか。巨漢は、その体格をまるで裏切らない力で以って、白髪の剣士の肩をむんずと掴んだのでした。それこそ、そのまま握りつぶしてしまっても止む無し、とでもいうように。
「……何用だ」
 剣呑な気配を放ちながら肩越しに睨めつけると、まさしく鬼のような形相の巨漢から、ふしゅるゥ、と大きな息と共に言葉が吐き出されたのでした。

「……もし、ソナタ泣かせるが、おまえ、なら……許さないが、オレ、だ……!」

 文法法則を真っ向から無視しながらも、その意図するところは過不足なく伝わりました。
 ――ソナタを泣かせたら、オレが許さない。
 その体格と表情以上の気迫を込めて、そう言ってくるのです。
 けれど、
「貴様の知ったことか」
 眉の一つも動かさず応えると、腕を振り払って、今度こそ白髪の剣士は去っていきました。
 何故この巨漢がそうまであの少女を気にかけているのか、といった疑問も当然感じてはいるのでしょうけれど、その一切合切を『どうでもいい』と断じているような、そんな酷薄な態度でした。
 その背中が見えなくなるまで、これでもかと射貫く視線を送り続けた巨漢は、ふしゅるゥ、と大きく息つくと、呻くように、呟きました。

「負ける、な……ソナタ……」

 万感の思いが篭ったその言葉は、今日も変わらぬ工房甲高い槌の音に紛れ、やがて熱気の中に解け消えていったのでした。





「おはようございます。遅かったですね?」
「……」
 ハンターギルドの建物に立ち入るや、カウンター席にちょこんと座っていた小さな影から、聞き慣れた声が飛びました。場にそぐわないその幼い姿に、人類の規格外な巨人すらほとんど黙殺してみせた白髪の剣士でさえ、わずかに心を揺らされたように思われます。
 炎の子供。
 僅か二年余りで、屈強なハンターたちにそうと呼ばれるまでに至った存在は、何もかもを呑んだような深い黒曜の瞳をゆるりとたわめ、微笑んでおりました。
「挨拶を返すことくらいは人としての常識ですよ? それでは、お里が知れるというものです」
 ぴくり、と白髪の剣士の表情に漣が走りました。お里、という言葉が、何かの琴線に触れたのかもしれません。少なくとも、無表情に黙殺できる範囲をやや超えているようでした。
 ただ、そもそもにおいて、これは子供が用いる言い回しとして適切なのか、という素朴な問題も無いわけではないのですが、まあ考えても栓の無いことなのでしょう。
「ふう……言葉の乱れよりも、心の荒みの方が問題視されるべきなのですかねえ。
 家庭での躾はどうなっているのでしょう。親御さんの顔を拝見したいところです」
 親御さん、という言葉に、今度は目に見えて表情が変わりました。けれど、少女の方はそ知らぬ顔で、ジュースの入ったコップを傾けたりしています。
 どうやら、長引けば長引くほど精神衛生上よろしくない、ということのようでして。
「………………………………………………………………………………おはよう」
 米粒一つの爽やかさも無い挨拶を、白髪の剣士は、ひどくおざなりに返したのでした。
 そして、及第点ただし補習の必要有りですね、といった声が背中に突き刺さるのを、素晴らしい意志の力で黙殺すると、
「奴の討伐依頼を」
 短く、受付けのフリージアに告げたのでした。
 すると、以前のように声を荒げて異議を唱えるようなことはまるでなく、それどころかまさしくお手本のような人好きする笑顔で、
「申し訳ございませんが、その依頼はすでに他の方が受けられています」
 ハラワタを沸騰させるような言葉を紡ぎだしたのでした。
「……何の冗談だ?」
「はい、お客様との間に認識の食い違いがあってはいけませんので説明させていただきます。
 お客様の言う依頼、これは『真紅の刀角竜討伐』で間違いありませんね?
 目標はモノブロス・ガーベラと仮称されておりますので、併せてご確認下さい」
 不審を覚えるほどに手際良く小気味良く、言葉が縷々と流れます。
 とりあえずは重々しくも頷いた白髪の剣士でしたが、前回の感情を剥き出しにして食って掛ってきたフリージアの態度と比べると、どうにも、腑に落ちない感は否めません。
(……この揺ぎ無さは、まるで)
 ジュースを啜る少女を視線が追いかけた刹那、
「ではやはり、その依頼はもう、残念ながら他の方が受注してしまった後ですね」
 営業用の『申し訳ありません』の態度と声で、フリージアが告げます。
 けれど、はいそうですか残念ですね、で済ませることが出来るはずもありません。
「そんなはずは無い! 本日付けで提示されるはずの依頼が、
 朝靄も晴れぬこの時間において、受注されているものか!」
「申し訳ありませんが、事実、受注されているのです。時間に直して、13分と43秒ほど前に」
 それはギルドの窓口が開く時刻を、きっちり正確に示しておりました。
 基本的にハンターとは自由業ですから、秒単位でお金に切羽詰っているか、あるいは相当の遠出を想定していない限りは、そんな時間に窓口に飛び込むものはまずいないのでした。
「……今日に限って、入り口に並んでいるような、酔狂な者が居たとでもいうのか」
「はい、泊り込むくらいの酔狂さでよろしければ、いらっしゃいましたね」
 にべもありません。
「馬鹿な! だいたい、オレ以外にハンターの姿など、ギルドのどこにも――」
 いました。
 しかも、半径2m以内の世界に。
「……おまえの仕業かっ!」
「はい。そんなに大きい声を出さなくても、聞こえていますよ?」
 氷を鳴らしもせずに楚々とジュースを飲み干しながら、確信犯が、大胆不敵に笑みました。
 その姿に、声を荒げることが無駄だと悟ったのでしょうか、

「――いったい、どういう、つもりだ?」

 地の底から這い出るような、静謐ゆえに重々しい響きが上がりました。なまじ怒鳴りたてるよりも、よほど効果的な脅し文句であることは、疑いようがありません。
 けれど、それを受けた当人は、と申しますと、
「登録内容を確認していただければ、一目瞭然ですとも」
 そう告げて、まるで取り合いません。さらに間髪入れず背後から、
「内容確認でしたらこちらになりますが、どうなさいますか?」
 フリージアが書類をひらひらと振って手招きします。
 絶妙の呼吸でした。
「…………」
 明らかに誘導されているこの状況は、非常に、心から、余すところ無く不本意ではありましたが、無意味に突っかかったところで、それは、思うツボというモノに違いありません。
 せめてもの抵抗として、ひったくるように書類を受け取って、目を通します。すると、以外な記載が目に飛び込んできました。
「クエスト参加人数が……二人?」
「はい。『あなた』と『私』でちょうど二人、何ら問題は無いでしょう?」
「……おまえを連れて行くつもりなど、無い」
「何を勘違いしているのですか?」
 さも楽しげに、ソナタは言いました。
「『私』」が『あなた』を、仕方ないから連れて行ってあげようかと、そう言っているのですよ?
 設定人数を超えて行くのは違反ですが、それ以下で行く分には、何ら問題ないのですからね」
「屁理屈を!」
 すると、ソナタは人差し指で両の目元をびっと吊り上げ、口元をへの字に結び、いかにもな仏頂面を作ってから、心持ち低い声でこう告げました。

「正式な手続きでギルドに受け付けられた以上、文句を挟む余地なぞ無い!」

 誰の真似かなぞは考えるまでもありませんし、まさに絶句した白髪の剣士の表情からも、それは明らかでした。
「これはあなたが、私を置いていく口実に用意していた台詞ではありませんか?
 『参加人数一人で受付を済ませた以上、連れては行けない。ハンターならば聞き分けろ』とね。 なるほど、屁理屈で私を言い包められる気でいた、と。そればかりは、なかなかに案外でした」
「……」
 よいしょ、と席を立って、真っ向から視線を交錯させながら。
 まるで容赦の無い笑顔のまま、止めを刺しにかかりました。
「――さて、私はこの依頼をこなすつもりでいますが、あなたに止むに止まれぬ理由があって、どうしても同行したいというならば、特別に許可をしても良いかもしれないと、そう思っています」
「……………………」
「あらあら、なんていう顔をしているのですか。気迫をぶつける相手が違うでしょう?
 まあ別に、無理にでも連れて行こうとは思いませんからね。選ぶのは、あなたですよ?」
「…………………………………………」
「さあ、『はい』か『YES』か、お好きな方をどうぞ」
「………………………………………………………………」
 もし。
 もしも、この状況に立たされているのが、『優しいユウ』と呼ばれた、いつもの白髪の剣士ならば。 元より渋い顔をいっそうくしゃくしゃにして悩みに悩み、誇りや自尊心、プライドその他諸々と折り合いをつけながら、どうにかこうにか、『是』の一言を絞りだしたのでしょうけれど。
 目の前の存在は、あらゆる意味で、別物でした。
「――よろしくお願いする」
 それは、あってはならないほどの、即答。
「オレは何人の邪魔も介入も許さず、一対一でガーベラを抹殺せしめることを望んでいた。
 だが、最善が叶わぬなら次善を選ぼう。次善が潰えたならばまたその次を探ろう。
 そう――この機を逃すという最悪以外であるならば、何であろうと構うものか。
 礼が足りぬと言うのならば、膝を屈し両の手を突き、地に額をこすりつけてでも懇願しよう。
 卑屈と罵られようと、不様と哂われようと、恥知らずと貶められようと、その首を縦に振らせよう。
 全てを乗り越える覚悟ならばもう――とうの昔に、済ませたのだから」
 深々と――それこそ慇懃無礼と映るほどに深々と、頭を垂れ。
 静々と――それこそ他人行儀としか映らないほど静々と、言葉を紡ぎます。
 もしこのまま放っておけば、宣告の通りに、膝を屈することさえ厭わないのでしょう。
「――ふうん」
 肯定とも否定とも、はたまた単に興味を失ったともとれる、ひどく曖昧な相槌。
 少なくとも、この言葉を受けた白髪の剣士は、そう判断しました。
 まさかその背後で、歴戦のハンターたちを見守ってきた名うての受付け嬢が、肌を粟立たせ、顔面を蒼白にし、唇を血が滲むほど噛み締めて、やっとの思いで悲鳴を抑えていたなどということは、まるっきり、想像を超えていたのでした。
 その事実に、彼が気づけなかったことが幸運だったのか不幸だったのかは。
 この時点では、まだ、誰にもわからないことでした。
 そして。
 少女はただ、
「ならば決まりですね」
 とだけ簡素に言って、未だに頭を垂れている白髪の剣士の横をすり抜けていきます。すれ違う刹那、どちらの視線も、相手を微塵も追うことはありませんでした。
 ならばもうあとは出立に備えるのみと、白髪の剣士が上体を起こしたところ、ああそういえば、と背中越しに声がかかりました。

「あなたが覚悟と呼んだ『それ』は――本当に、そうと呼べるモノですか?」

 それは非常に珍しいことに、どうでもいいや、という雰囲気の濃い、投げやりな口調でした。
 恐らく、ちらと振り返ることさえせずに、完全に背を向け合っての言葉なのもその一因なのでしょうけれど、まるで+と−を間違えたせいで計算が合わないのを気づかない子供に、どうして気づけないかな、と、肩を竦め眉を顰めして呆れているような、諦めの色が強く感じとれるのです。
「――」
 訝しく、というよりは、背中から急に撃たれたような純粋な驚きで以って、白髪の剣士の足が止まりました。それはどういう意味だ、と問いかけるべきか否か、その逡巡はほんの瞬き三つに過ぎなかったのでしょうけれど。
 答えを待つことなく――そんな必要はとうに廃れてしまったとばかりに――少女が遠ざかっていく足音が、伝わってきました。反論することも問いただすことも、黙殺することでさえも、機会を逃してしまった、ということのようです。
「……」
 何となく釈然としない、胃袋に爪楊枝が引っかかったような気持ちを抱えながら、白髪の剣士もその場を離れました。けれど、依頼を受諾中に勝手に建物を出て別行動を取るわけにもいかず、仕方なく、出来るだけ奥まった位置にあるテーブルについて待機という、どうにも収まりが悪くてしっくりこない状況に甘んじることとなってしまったのでした。
 一方、フリージアにそそと歩み寄った少女は、
「そういうわけで、こういうことになりました」
 と、率直なのか曖昧なのか、当事者間でしかよくわからないことを言いました。
 もっとも、フリージアが卵の運搬中に飛竜に捕捉されたような、秒読みの死を待つ時の絶望的な表情をしているところを見ると、只事ではないのでしょう。
「ソナタちゃん……!」
「言いましたよ。ならば決まりですね、と」
 ちりちりと。
 肌が焼き、産毛を散らしていくような、鮮烈な笑顔でした。

「例え状況が最悪でも、私は――いいえ、私たちは。
 まさに、その最悪への手段こそを講じてきたのですから、ね」

 静かに清かに、確かな灯火を心に宿す、その姿。
 それは、かつて炎に包まれた村で、リオレウスに立ち向かった時の。
 それは、かつて白く煙る戦場で、ドスランポスに零を穿った時の。
 炎の子供――そのものでした。

「――あのね、これは、本当に馬鹿みたいに単純な疑問なんだけれど」
「はい?」
「あなたはどうして、自分で正しいと思うことを、そうもまっすぐに出来るのかな?」
 まっすぐな問いには即答が相応しいとばかりに、少女は間髪入れず言いました。
「本当に馬鹿だからです」
 え゛、という奇妙な音がフリージアの口から洩れました。
 少女はなおも、続けます。

「辛いことは嫌いです。苦しいこと痛いこと、好きじゃありません。怒るのも面倒です。
 でも、私が譲りたくないと思うことは、他の全てを差し置いて、譲りたくありません。
 辛いこと、苦しいこと、痛いこと、腹立たしいこと――全部無視して、走り出します。
 ……それは多分、馬鹿なことです。何をやっているのだろうと、浮かんでくることもしばしばです。けれどもしも、ここで何もせずに、自分は幼いからとか力が無いからとか言い訳を並べて、その上で、誰も責めやしないだろうとタカをくくって、目を閉じ耳を塞ぐのを利口と呼ぶのなら。

 ――だったら、私は、馬鹿でいい。
 
 何でも出来るようになる『いつか』なんていう日を、座して待ってなどいられません。
 けれど、ただ力を尽くせば結果が伴わずとも満足という、そんな聞き分けの良さも要りません。
 だから、この未熟な体を弾ませて、この稚拙な思考を廻らせて、この幼気な全身全霊で以って、 ともすれば、最悪以下の結果を招きかねない賭けに出ることを選びます。
 ここにある『今』を――『いつか』にまで、届かせるために」

 ね、本当に馬鹿でしょう? と嘯く少女を見つめる瞳は、何とも言えない感情に満ちておりました。年下の――それも、徹底的に保護が必要だと思われる子供に対するモノでは決してなく、何か、覆しようの無い覚悟を胸に、絶望的な戦地へ赴く想い人に向けられるような代物でした。

「でも……でもね、ソナタちゃん。あなたの想いは、今のあの人には、届かないのよ」
「知っています」

 静かに、けれど確かに、少女は断じました。

「――そうと言える強さのことを、ヒトは時に、愛と呼ぶそうです」

 何も言わず――正確には何も言えず、フリージアは、少女の悲しいまでの決意に満ちた表情を、見守っておりました。ぐっと目を細める様は、とても眩しいものを見ているようでも、溢れそうな感情を堪えるようでもありましたが、やはり彼女は何も言わず、ただ、少女の頭を抱き寄せるのでした。

「………………無事、で」

 やっと、絞り出せた一言に、

「その約束だけは出来ません。
 精一杯傷ついて、傷つけて――戦うつもりです。ちゃんと『二人』で、帰ってくるために」

 どこまでもまっすぐに、答えが返ってくるのでした。
 ぎゅっと、抱きしめた腕の中には。
 愛しいまでに脆い感触と、残酷なまでの温かさが、あるだけでした。
 そして。
 この微かな灯火を本来守るはずの存在は、その光景を、視界に収めてさえいないのでした。





 通常、依頼に出るハンターの荷物といえば、戦闘用の装備一式、回復薬等のアイテム類、そして最低限の水と携帯食料くらいのものです。旅支度としてはあまりにも物々しく、遠方へ出向くにはまるで向かない、戦闘特化のハンティングスタイル。これを可能としているのは、ギルドの支援のおかげ、と断じても、どこからも文句は上がらないことでしょう。
 移動手段及び現地での必要物品の支給、討伐目標の位置の把握、ベースキャンプの設置、依頼完了の確認、事後処理等々。『戦闘に直接参加する』以外のあらゆる面において、ギルドはハンターを陰に日向にバックアップしているのでした。
「本来ならば遠方への依頼にはネコタクが支給されるのですが、
 今回は極めて危険度が高い依頼のため、目立つ移動手段では、とても近づけません。
 申し訳ありませんが、往路のみ徒歩でお願いいたします」
「了解です」
 薬品や調合材料、そして何故か防具の胸当てを念入りに確認しながら、ソナタが答えます。
 禍々しいなシルエットの篭手は、出番が来るまで小さな背に負われていく模様でした。
「なお、ベースキャンプはすでに諜報部が三箇所に設置済みですので、
 討伐目標の現在地との兼ね合いから、適当なものを選択するのが良いでしょう」
「――把握しきれていないのか?」
 鋭い一瞥を投げかける白髪の剣士に、
「接近し過ぎればどうなるかは、あなたの方がよくご存知でしょう。
 ギルドとしても、最大限の努力をした結果と、ご理解下さい」
 と、限りなく事務的な口調で返すフリージアでした。
「実にならぬ努力なぞ徒労と同義だろうに、な」
「そうならないことを、心より祈っております」
 端から聞く分には壮絶な皮肉の応酬ですが、氷の営業スマイルと岩の仏頂面とのぶつかりあいからは、何一つ感情は窺えませんでした。そもそも、お互い、相手のことなど眼中に無いのかもしれません。
 白髪の剣士は、脳裏に巣食う真紅の悪魔だけを。
 受け付けは、目の前で佇む炎の子供だけを。
 それぞれ見つめ、想いを馳せているようでした。
 もっともその意味合いは、綺麗さっぱり、真逆ですけれど。
「説明事項が以上ならば、さっさと出立させてもらおう」
 告げる瞳には、追って追って追い続けた怨敵の姿しか映っていないのでしょう。反応を待つ時間さえ惜しいとばかりに、ずんずんさくさくと、歩を進め始めたのでした。
「いってらっしゃいませ」
 ギイ、と戸の音だけが応じ、それっきり。
 何とも喉をざらつかせる空気だけが残ります。
「……仕方の無い人」
「そうね。でも、程度の差はあっても、世の中の男たちは全部、どこかしら仕方の無いものよ」
「では、そこをどう教育するかが、レディの腕の見せ所なのですね?」
「そのとおりよ」
 教育上、甚だよろしくない会話でした。
 けれど。
 いざ戦いに赴かんとする心に相応しい、どこまでも不敵なやりとりでした。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
 ギイ、と戸を鳴らし出て行く小さな背中を、フリージアは見送りました。
 その背中が見えなくなっても、煙草を一本吸えるくらいの間、ずっとそのままでいました。
 やがて、何かが決したように、ふうぅ、と大きく息を吐いてから、きゅ、と表情を結び、
「――さあて、お仕事お仕事」
 カウンターに舞い戻り、書類を一枚、取り出したのでした。
2006年09月03日(日) 20:11:37 Modified by funnybunny




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