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桜井古墳(さくらいこふん)は、福島県?南相馬市?原町市|原町区?上渋佐に所在する古墳時代?前期築造の前方後方墳?。前方後方墳としては郡山市?大安場古墳?山形県?川西町 (山形県)|川西町?天神森古墳?などとともに東北地方?でも大規模な部類に属している。周辺の古墳群?との関係から「桜井古墳群1号墳」とも称される。国の史跡?に指定されている。

== 桜井古墳 ==
=== 立地 ===
桜井古墳は、福島県の通称浜通り?地方の北部、南相馬市原町の中心市街の北東に位置し、西の阿武隈山地?から東の太平洋?に流下する新田川 (福島県)|新田川?南岸の標高10メートルの低台地?河岸段丘?縁辺部)に立地する。緯度?北緯?37度38分13秒、経度?東経?140度59分49秒である。なお、桜井古墳を中心に河岸段丘上を東西約900メートルの範囲にわたって古墳群が広がり、大小37基の古墳?が確認されている。これは、一般に「桜井古墳群」として一括して呼称されている(詳細は#桜井古墳群|後述)。

周囲の土地利用?は、北側氾濫原?水田?、古墳群の所在する段丘縁辺部は森林|林?畑地?および宅地?で、南側一帯は住宅地と農地?が混在している。

なお、本古墳北東の金沢地区には7世紀?から9世紀?にかけての生産遺跡|製鉄遺跡?として著名な長瀞遺跡、真野川水系の鹿島町 (福島県)|鹿島区?寺内地区には国の史跡に指定された真野古墳群?(古墳時代中期・後期)、同じく横手地区には横手古墳群?がある。

=== 概要 ===
本古墳の名称は、原町区上渋佐の通称「桜井」と称せられる地域に所在することに由来する。

1955年?昭和?30年)の大塚初重?を中心とする明治大学?考古学研究室による測量?調査が契機となり、当時としては日本列島?で最も北に所在し、東北地方最大の規模をもつ前方後方墳として注目を浴びた<ref name=koho>大安場古墳や天神森古墳の発見・調査は、桜井古墳測量調査以後のことである。</ref>。

測量調査の結果、前方部を西に面する前方後方型の墳丘?を呈し、主軸の長さは74.5メートル、高さは6.8メートルの規模を有することが判明した。現在では、東北地方第4位の規模をもつ前方後方墳である<ref name=koho/>。?(バチ)形をなす前方部は幅27メートル、高さ4.5メートル規模の無段築成、一辺45メートルの矩形?をなす後方部は三段築成で造られており、周溝?をともなっている。陸橋<ref>前方部と後方部を結ぶスロープ?状の?で、墓道につらなる。棺をあげたときの道と考えられる。</ref>や墓道も確認された。

後方部の南側の一部は後世削られてしまっていたことも判明したが、古式の前方後方墳としてはきわめて整正な形態を残している。葺石?埴輪?はともなっていないが、後方部の頂上には埋葬?施設?として2基の割竹形木棺?が並べられて安置されている痕跡を確認した。ただし、遺跡?保護の観点から当該部の発掘調査?は実施されておらず、詳細は不明である。

底部穿孔(底部に穴をあけた)の?や二重口縁の壺が出土しており、これらの出土遺物?や撥形をなす前方部の形状などから古墳時代前期の築造と推定される。年代的には4世紀?後半から5世紀?初頭が想定され、埋葬された人物は新田川流域を治めていた有力豪族?だったと考えられる。しかし、2箇所の棺の痕跡は何を意味するのかなど今後究明すべき点も多い。

本古墳は、東北地方における古墳文化?の様相を示す考古資料として学術的な価値が高いとして、測量調査のわずか1年後、1956年?(昭和31年)11月7日?に国の史跡に指定された。

なお、1988年?(昭和63年)には原町市教育委員会(当時)の発掘調査#広義の発掘調査|範囲確認調査?をもとに、未指定だった前方部の一部と周溝部が追加指定されている。

=== 遺跡性格 ===
今のところ、浜通り地方最大の古墳はいわき市?の玉山1号墳であり、桜井古墳はそれに次ぐ規模を有している。中通り?地方最大の大安場古墳の事例と併せ検討すると、同じ福島県内でも会津?地方では前方後円墳?が卓越するのに対して、中通り地方および浜通り地方ではそれとは異なる様相を呈している。これは、前方後方墳をさかんに築造した北関東?地方とくに下野国|下野?(現在の栃木県?)および常陸国|常陸?(現在の茨城県?)との濃密な文化交流も考慮される。

== 桜井古墳群 ==
桜井古墳群は、新田川に沿って東西に長狭なかたちに広がり、桜井古墳を含む東側の「上渋佐支群」と西側の「高見町支群」とに大別される。桜井古墳(1号墳)は両支群のほぼ中央(上渋佐支群のなかでは西端に近い場所)に位置しており、編年?上も古墳群のなかで最も古い年代が想定されている。

上渋佐支群は、前方後方墳1基、方墳?1基、円墳?9基、土坑墓?1基で構成される。

高見町支群は、広がりとしては上渋佐支群の半分以下の範囲でしかないが、前方後方墳1基、円墳20基、方墳1基、土坑墓5基で構成され、古墳の数では上渋佐支群を上まわっている。両支群の間にはスギ?林が広がっている。

上渋佐支群7号墳は、一辺27.5メートル、高さ3.3メートルの方墳である。方墳としては東北地方でも規模の大きい部類に属する。1999年?平成?11年)に発掘調査がおこなわれた。周溝は全体的に不整形をなし、墳丘の平坦面の真下に墓穴が二段で掘り込まれている。この築成法は北陸地方?の前期古墳に特徴的であり、墓穴に納められた?は板材を組み合わせた箱形の組合わせ式木棺で、その両端で白色粘土塊を確認している。棺のなかからは銅鏡??に包まれた状態で出土している。年代的には、桜井古墳群のなかでは1号墳(桜井古墳)とともに最古の部類に属しており、上述の調査結果は未調査の1号墳主体部の様子を示唆するものとも言われる。東北地方の古墳では銅鏡の出土例は他に類例が少ないところから、2000年?(平成12年)には南相馬市|市?の指定史跡になっている。なお、1999年には上渋佐支群2号墳、3号墳、13号墳の調査もおこなわれている。

上渋佐支群2号墳は、1号墳(桜井古墳)の前方部のすぐ西、上渋佐支群の西端にあり径20メートルの円墳である。墳頂には割竹形木棺と推定される痕跡がある。5世紀の築造と考えられる<ref>2号墳南側には江戸時代??の境界である「野馬土手跡」がある。</ref>。

== 現状 ==
1994年?平成?6年)、原町市?(当時)は、貴重な文化財?を後世まで保存し、市民の憩いの場として活用しようと「桜井古墳保全整備事業」に着手した。桜井古墳(桜井古墳群1号墳)は、発掘調査の結果をもとに前方部は無段、後方部を三段に復原した。この際、削平を受けた後方部南端部分も復原されている。周辺の古墳群も保存整備を加え、福島県内初の本格的な史跡?公園?「桜井古墳公園」が完成した。

2003年?(平成15年)5月18日?、原町市制施行50周年記念事業のひとつとして公園の開園式が行われた。なお、この日は同古墳公園を起点として歴史愛好家が市内の文化財を散策する「文化財ウォークラリー」や邦楽?コンサート?などの行事?も催された。

駐車場?の一角に設けられた管理棟には、コンピューターグラフィックス?による古墳の解説ビデオ?や文化財学習のための映像?設備?が設けられている。

== 所在地およびアクセス ==
〒975-0034<br/> 福島県南相馬市上渋佐(かみしぶさ)字原畑(あざ はらはた)

東日本旅客鉄道|JR東日本?-常磐線?-原ノ町駅?より自動車?で10分。


== 調査報告書 ==

原町市教育委員会『原町市内遺跡発掘調査報告書3』原町市教育委員会、1998年3月31日。

原町市教育委員会『原町市内遺跡発掘調査報告書5』原町市教育委員会、2000年3月31日。

原町市教育委員会『桜井古墳群上渋佐支群7号墳発掘調査報告書』原町市教育委員会、2001年3月30日。


== 参考文献 ==

野馬追の里原町市立博物館(現南相馬市博物館?)編集『図説 野馬追の里原町市立博物館常設展示』野馬追の里原町市立博物館、1996年3月。

大塚初重「桜井古墳」日本歴史大辞典編纂委員会編『日本歴史大辞典 第5巻 (さ-し)』河出書房新社?、1979年11月。


== 脚注 ==
{{reflist}}

== 関連項目 ==

北海道・東北の史跡一覧?

日本の古墳一覧?

前方後方墳?


== 外部リンク ==

[http://www.bunka.go.jp/bsys/index.asp 国指定文化財等データベース](文化庁?

[http://www.minyu-net.com/tourist/fukei/fukei33.htm... みんゆうNet 「こころに残すふくしまの風景 桜井古墳公園」](福島民友?

[http://www.city.minamisoma.lg.jp/bunkazai/bunnkaza... はらまちの文化財](南相馬市?

[http://search.mahoron.fks.ed.jp/cgi-bin/bunkazai?f... 桜井古墳群](福島県文化財センター白河館「まほろん」遺跡データベース

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