最終更新: greenland4 2009年03月11日(水) 11:39:33履歴
コンデ親王ルイ正しくはルイ1世・ド・ブルボン=コンデ(Louis Ier de Bourbon-Condé, 1530年5月7日 - 1569年3月13日)は、初代コンデ公。ユグノー戦争時における新教徒側の首領。コンデ公アンリの父。
1552年の神聖ローマ帝国とのメッス(メッツ)包囲戦ではフランス軍の将軍として戦った。この戦いで、のちに政敵となるギーズ公フランソワはカール5世?からメッスを守りきった。ふたりは1557年のサン・カンタンの戦いでも神聖ローマ帝国軍に対し勝利している。戦友であったギーズ公フランソワはやがて政敵となり、ギーズ家と対抗するためプロテスタントに改宗、1560年にはアンボワーズの陰謀に加担した。これは、国王フランソワ2世(ギーズ公フランソワの姪、スコットランド女王メアリー・スチュアート?を妻としていた)をカトリック派首領のギーズ公から引き離そうとするものであった。ユグノーとブルボン家の者たちが仕組んだこの陰謀で、コンデ親王ルイはその首謀者とみなされたが、陰謀は失敗に終わり、多くのユグノーが虐殺された。
宗教戦争(ユグノー戦争)ではユグノーの頭目として戦った。1562年にはドルーで捕らえられた。オルレアンでは、政敵ギーズ公フランソワが暗殺されている。1563年、王太后カトリーヌ・ド・メディシスからユグノーに一定の信仰の自由を与える条件を引き出し、カトリック派とアンボワーズの和議?を交渉した。1567年に戦争が再発した後、彼は1569年のジャルナックの戦いでアンジュー公アンリ(のちのアンリ3世)の軍に敗れ、戦死した。
カトリック教徒のブレーズ・ド・モンリュック?は「ルターの子ども」が生まれないようにと、妊婦たちの腹を切り裂いて殺したといわれる。
宗教戦争(ユグノー戦争)ではユグノーの頭目として戦った。1562年にはドルーで捕らえられた。オルレアンでは、政敵ギーズ公フランソワが暗殺されている。1563年、王太后カトリーヌ・ド・メディシスからユグノーに一定の信仰の自由を与える条件を引き出し、カトリック派とアンボワーズの和議?を交渉した。1567年に戦争が再発した後、彼は1569年のジャルナックの戦いでアンジュー公アンリ(のちのアンリ3世)の軍に敗れ、戦死した。
カトリック教徒のブレーズ・ド・モンリュック?は「ルターの子ども」が生まれないようにと、妊婦たちの腹を切り裂いて殺したといわれる。
タグ
コメントをかく