最終更新: greenland4 2009年02月03日(火) 19:21:11履歴
フランソワ2世(François II de France、1544年-1560年、在位:1559年 - 1560年)はヴァロワ朝第11代フランス王。父はアンリ2世。母はカトリーヌ・ド・メディシス。
1544年1月19日、長い間子供に恵まれなかったカトリーヌが授かった最初の男子である。1545年、父アンリが国王として即位し、同時に王太子となる。1556年、スコットランド女王メアリー・ステュアートと結婚した。
1559年7月10日、10日前におこなわれた馬上槍試合で重傷を負った父アンリ2世が逝去。彼はフランソワ2世として即位した。15歳であった。母后カトリーヌが摂政に就任したが、王妃の外戚であるギーズ公一族が実権を握り、プロテスタントを弾圧した。
フランソワ2世には耳鼻咽喉系の先天性の持病があり、始終耳の後ろ側から膿を吹き出し、口も半開きにすることが多く、咽頭扁桃肥大症(アデノイド)の症状を示していたという。1560年、新教徒のコンデ親王ルイは国王フランソワを拉致する計画をもっていた(アンボワーズの陰謀)。その年の晩秋、国王フランソワは狩猟に出かけた帰りに耳の後ろに鋭い痛みを訴えて倒れた。侍医は中耳炎と診断し、開頭手術を提言したが、母后はこれを拒絶、同年12月5日、中耳炎は彼の脳葉にまで達し、脳炎を引き起こして逝去した。享年16歳。王位はフランソワの弟シャルル9世に継承された。
1559年7月10日、10日前におこなわれた馬上槍試合で重傷を負った父アンリ2世が逝去。彼はフランソワ2世として即位した。15歳であった。母后カトリーヌが摂政に就任したが、王妃の外戚であるギーズ公一族が実権を握り、プロテスタントを弾圧した。
フランソワ2世には耳鼻咽喉系の先天性の持病があり、始終耳の後ろ側から膿を吹き出し、口も半開きにすることが多く、咽頭扁桃肥大症(アデノイド)の症状を示していたという。1560年、新教徒のコンデ親王ルイは国王フランソワを拉致する計画をもっていた(アンボワーズの陰謀)。その年の晩秋、国王フランソワは狩猟に出かけた帰りに耳の後ろに鋭い痛みを訴えて倒れた。侍医は中耳炎と診断し、開頭手術を提言したが、母后はこれを拒絶、同年12月5日、中耳炎は彼の脳葉にまで達し、脳炎を引き起こして逝去した。享年16歳。王位はフランソワの弟シャルル9世に継承された。
タグ
コメントをかく