武道家人物・さ行
塩田剛三
合気道で著名な達人の一人。女並みの体格で大男を投げ飛ばすなど超人的な技術を持ち合わせていた。
しかし、そういった核になる技術は弟子に継承させることなくなくなったらしい。享年78。
杉原正康
日本の空手家。NPO法人白蓮会館館長。少林寺拳法6段。柔道2段。
大阪府東大阪市出身。大阪府立山本高等学校、近畿大学を卒業後、東大阪市消防局に就職(のちに退職)。高校時代には柔道を学び、大学時代に少林寺拳法に入門する。1984年国際空手拳法連盟白蓮会館を設立。
1983年に正道会館主催の全日本空手道選手権大会に出場。出場のきっかけは己と少林寺拳法の実践性を模索するためといわれ、当時は少林寺拳法の道院長であったためその名前を隠すために白蓮会館の流派名で出場。3位入賞することにより、格闘技界で話題となったことなどが原因となり少林寺拳法連盟から独立、白蓮会館を設立する。独立後は士道館の全日本大会に出場、優勝し「戦う館長」とも呼ばれた。
第2回全日本空手道選手権大会 3位(1983)主催:正道会館
第4回士道館杯空手道選手権大会 優勝(1984)主催:士道館
第4回全日本空手道選手権大会 6位(1985)主催:正道会館
幼少時より絵画が得意で、大会パンフレットの表紙のデザインも手がける。
大学時代には中国拳法服を着て登校していたこともある。
合気道で著名な達人の一人。女並みの体格で大男を投げ飛ばすなど超人的な技術を持ち合わせていた。
しかし、そういった核になる技術は弟子に継承させることなくなくなったらしい。享年78。
杉原正康
日本の空手家。NPO法人白蓮会館館長。少林寺拳法6段。柔道2段。
大阪府東大阪市出身。大阪府立山本高等学校、近畿大学を卒業後、東大阪市消防局に就職(のちに退職)。高校時代には柔道を学び、大学時代に少林寺拳法に入門する。1984年国際空手拳法連盟白蓮会館を設立。
1983年に正道会館主催の全日本空手道選手権大会に出場。出場のきっかけは己と少林寺拳法の実践性を模索するためといわれ、当時は少林寺拳法の道院長であったためその名前を隠すために白蓮会館の流派名で出場。3位入賞することにより、格闘技界で話題となったことなどが原因となり少林寺拳法連盟から独立、白蓮会館を設立する。独立後は士道館の全日本大会に出場、優勝し「戦う館長」とも呼ばれた。
第2回全日本空手道選手権大会 3位(1983)主催:正道会館
第4回士道館杯空手道選手権大会 優勝(1984)主催:士道館
第4回全日本空手道選手権大会 6位(1985)主催:正道会館
幼少時より絵画が得意で、大会パンフレットの表紙のデザインも手がける。
大学時代には中国拳法服を着て登校していたこともある。
2007年01月07日(日) 13:08:28 Modified by ID:qbcctsxCKg