R58

国道58号

未走行

陸上距離

255.5km

起点・終点

  • 起点 鹿児島県鹿児島市(中央公園、R3R10R224R225R226終点)
  • 終点 沖縄県那覇市(明治橋、R331R332起点)

海上区間

  • 鹿児島県鹿児島市名山町(泉町交点の東)〜鹿児島県西之表市西町
  • 鹿児島県熊毛郡南種子町島間〜鹿児島県奄美市笠利町里、
  • 鹿児島県大島郡瀬戸内町古仁屋〜沖縄県国頭郡国頭村奥

路線図


重複区間

  • 起点〜鹿児島市中央公民館前交差点: R10
  • 起点〜鹿児島港:R224

解説

国道58号(こくどう58ごう)は、鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市へ至る一般国道である。
途中、種子島、奄美大島を経て、沖縄本島に達する(一部区間、大宜味村の宮城島を通過)。海上区間が大部分を占める。

鹿児島市内ではわずか700m程。沖縄県では「沖縄の大動脈・国道58号」などと称されているが、
種子島、奄美大島のそれぞれの区間においても交通の大動脈である。

沖縄県内では、主に若者の間で「ゴーパチ」などと呼ばれている。
また沖縄県内で唯一の片側3車線道路(明治橋〜嘉手納ロータリー付近の区間)で、
かつ時速60km(自動車専用道路を除く)の道路(名護市世冨慶〜同市許田及び恩納村山田〜宜野湾市伊佐の区間)。

毎年10月に開催される那覇まつりのメインイベントである那覇大綱挽は、
那覇市久茂地交差点付近で、中央分離帯を撤去した上で行われる。

国道58号は、沖縄を占領した米軍が整備・指定したHighway No.1(那覇市〜国頭村)がその起源となる。
当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられて作られていた。
1952年4月1日の琉球政府発足後、琉球政府の道路法に基づき、読谷村大湾〜名護町名護〜国頭村奥は政府道一号線
(政府道は日本の国道に相当)に認定されたが、那覇市明治橋〜読谷村大湾は米軍が管理する軍道のままであった。
読谷村〜名護町についても、政府道にはなっていたが、管理は米軍が行っていた。
1972年4月25日、軍道の管理が琉球政府に移管された。以下に述べるように国道58号となった後も
沖縄県内では一般には時に1号線と呼ばれた。

その年の5月15日、沖縄は日本に復帰した。それと同時に、政府道一号線を含む鹿児島県鹿児島市から沖縄県那覇市までの区間が
一般国道58号に指定された。1965年に国道の一級・二級の別がなくなり、以降新設される国道には三桁の路線名が与えられていた。
その後に新設された国道58号は、特例として二桁の路線名が付与されたものである。ゆえに、一級国道であったことはない。

バイパス

  • 中種子道路(鹿児島県)

  • 沖縄県
    • 沖縄西海岸道路
      • 那覇西道路
      • 宜野湾バイパス
      • 読谷道路
    • 恩納バイパス
    • 恩納南バイパス
    • 名護バイパス
    • 名護東道路

通称(別名)

  • 国頭方西街道
  • ゴーパチ・ゴッパチ・ゴッパー

主な峠

  • 網野子峠(標高350m):鹿児島県瀬戸内町

道の駅

  • 奄美大島住用(鹿児島県奄美市)
  • ゆいゆい国頭(沖縄県国頭郡国頭村)
  • おおぎみ(沖縄県国頭郡大宜味村)
  • 喜名番所(沖縄県中頭郡読谷村)
  • 許田(沖縄県名護市)

リンク

海上国道
Wikipedia 国道58号

走行レポート

2007年02月08日(木) 14:47:05 Modified by natasha_vega




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