新年の厳かな雰囲気が漂う中、ひときわ壮麗な洋館の庭ではぺたりぺたりと餅を搗く音が響く。
 餅を搗いているのは事実上のこの屋敷の主ウェヌス・ドーン。
 元々の主人をマインドブレイクしていたマインドブレイカーを打倒して屋敷を乗っ取ったマインドブレイカーはこの屋敷ではなく想い出の詰まった幼馴染の家にいるので、あたかもウェヌスがこの家の主のようである。
 右手で杵を振り下ろしては、膣から伸ばした触手でこねたりひっくり返したりをこなして一人で餅搗きしている。
 はるか彼方、次元を異にする極星帝国からやって来た彼女は初めて体験する日本の正月というものに興味津々の様子で、この餅搗きも例外ではない。 年の暮れには待ちきれなかった様子でモーニングスターを杵に見立てて練習をしていた程だ。
 幸い学校の片隅に幼稚舎の餅つき大会用の臼と杵があったので一日借り受ける事に成功し、こうして一人餅つき大会を満喫しているのであった。
 触手を伸ばす都合上パンツは脱ぐ事になり、ついでに全裸で行なっているが、一月の清冽な空気の中裸で餅を搗くのは何やら神事や精神修養にも似た厳粛さを感じた。
 少し前からやってきて、杵の攻撃範囲を測りながら餅搗きの様子を見ていたフィルフィア・フォルシュが触手で餅をこねるタイミングを見計らいながら恐る恐る声をかける。
「失礼します……拝見してもよろしいでしょうか」
 もっとも、ウェヌスの攻撃は投擲で本領を発揮するものであり、それは杵であってもか弱いエルフのメイドくらいなら簡単に葬り去ってくれるだろう。
 鷹揚に頷いたウェヌスが杵を担いで下がるのを承けフィルフィアは臼の前に歩み出た。
 新年を機に新調したメイド服は基調になっている緑色こそ変わらないもののスカートの丈がかなり短くなり、胸元も開いているので外に出るには少し寒い。しかし目の前の武装戦姫は何しろ全裸なのでそんな事は言っていられなかった。
「失礼します……」
 今にもこの杵が振り下ろされて餅を鮮血で赤く染めるのではないかとびくびくしながら臼の中を覗き込み、餅の様子を確認するさまは滑稽なほど必死である。しかしそれでも責任感からちゃんと確認した。
「よろしいかと。さすがは殿下、見事な餅でございます。それでは、すぐにご用意致しますので。ご希望のカレー塩の他に砂糖きな粉とそれと雑煮に致します」
「ええ。でもフィルフィア、塩と砂糖を間違えないように気をつけなさい」
「は……それはもちろん」
 きな粉塩はまだともかく甘いカレー粉というのは考えてもぞっとしない。
「もう調合は終わっていますし、味見も致しましたので……それは大丈夫です」
「なら安心ですわね」
 そう言って笑みを濫かべるウェヌスはさっきまでの鬼気迫る様子で杵を振るっていた時とは別人のようで、フィルフィアの緊張も一挙に解れた。もしかしたら、塩と砂糖を間違えるという古典的な話も彼女の恐怖を取り除くためにしたのかも知れなかった。
「それと、一人分の包みを二つ……いえ三つ作ってもらおうかしら。りのんや葵に持って行ってあげるから」
「初詣にいらっしゃるのでしたね。沙夜香があの調子ですので、お召し替えはわたしがお手伝いさせて頂きます」
 新年の儀式が滞り無く行われた屋敷の中は正月という時期に呼応して期間限定の聖域と化している。
純血種のヴァンパイアであり、更にその弱点を増幅されている沙夜香にとってはその場にいるだけでも身を焼かれるような苦痛を感じるのだ。呼吸一つ取っても人間に例えれば塩化水素でも吸い込んでいるように肺が灼ける。 そんなわけで年の暮れから使用人室の片隅に置かれた棺桶がわりの段ボール箱の中で膝を抱えて不安と苦痛に震えているようだ。食事にも顔を見せないが、ダンボールの中から苦悶の声が聞こえるのでまあ生きているのだろう。
「餅は早く食べないと固くなってしまうのよね?」
「はい。せっかくの搗きたてなのですから、すぐにお召し上がり頂きたく存じます」
「では、風呂は後にしてすぐに頂くわ。着替えて来るから食堂に用意を」
「かしこまりました」
 全裸なので着替えて来るのではなく着て来るのではないかと思ったが、おくびにも出さずフィルフィアは恭しく頷いた。
 朝の太陽に照らされたウェヌスの裸身は名前の通り彫像の女神のような美しさがある。フィルフィアは餅が搗き上がるまでの間その姿に見とれながら眺めていたが、とりわけその視線が惹き付けられたのが健康的な美しさの中に淫靡で妖艶な色を添えている秘裂を割り開いて伸びる豹紋蛸(ひょうもんだこ)の足に似た触手だった。
(わたしも……)
 触手を第三、第四の手のように使いこなすプリンセスを見ていると、種々の家事で腕がもう一本欲しいと思うのが日常茶飯事のメイドはうらやましく思わずにいられない。
 エルフのメイドであるフィルフィアはダークロアに属する筈だが、ためしに引き合わされたカラーヒヨコは反応せずつまり緑水晶の巫女の資格はないという事だ。
 考えてみればウェヌス達に支配虫を植えつけた元凶である秋月俊平が雑賀恭一になり代わり鳥羽邸を乗っ取った時点で屋敷にいたダークロアの者達は巫女候補に上がった筈で、今更確かめるまでもない事だった。
 日本のヴァンパイアの領袖ともいえる沙夜香にも同様に資格がなかったので所詮エルフのメイド風情にはないのが当然なのかも知れないと諦めているが、しかし実際にこうして目にするとやはりうらやましくなる。
 フィルフィアには告げられていないが、彼女にはおそらく格が足りないのだ。
 りのんの能力である『ブレイクスルー』がそれを量る手っ取り早い手段だと思われるのだが、ブレイクスルーに耐える程度の格がなければ巫女足り得ないのではないかというのがウェヌスとりのんに葵、
そしてりのんの使い魔であるあんみつの三人と一匹が現在のところ出した結論である。
(わたしも、殿下みたいな触手があったらなぁ……)
 胸を強調したメイド服でも一月の寒さのせいでもなく胸の頂点に違和を感じながら、フィルフィアは一つ大きな身震いをして厨房へと向かった。


 参道の両側には屋台が並びなかなかの賑わいを見せている。
 真代詠は参拝に向かう途中であたりをつけていた屋台が近づいてきた所で、通学にも使用している黒いダッフルコートの袖を兄の腕に絡めた。
「お兄ちゃん、たこ焼き食べたくない?」
「たこ焼きか……新年からたこ焼きか……」
 新年にはもっと新年らしい屋台の食い物があるのではないかと思う。もっともじゃあ何ならいいのかと聞かれると真代開は回答を持たないのだが。
「一緒に食べようよぉ。食べたいでしょ」
 いつもそうなのだが、妹にねだられると開は弱い。
「うーん、まあいいか」
 だから、今日も絡みつく詠の腕をそっと解きながら、その妹が数年前のクリスマスにプレゼントしてくれた財布を取り出して小銭を数えようとした。――まさにその時。
「あら奇遇ね真代こんな所で会うなんてー。ぐうぜーん」
 手を振りふり人ごみをかき分け渡来愛花がやって来た。
「よお渡来。年賀状届いてたぞ。ありがとな。……って事で返事はいいよな? これで五十円浮いたな」
 たこ焼きを買うために確認した財布の中にはまさに五十円玉があった。
「こんな女に返事する事ないよお兄ちゃん。……チッ下賎な人間如きが新年からお兄ちゃんに馴れ馴れしく付き纏って…… わざとらしく振袖なんか着くさって……塩の柱になれ」
(そんな事言って、ちゃんと返事は出さなきゃダメだよ。渡来先輩、私達の街から乗り換え二回片道一時間の神社でしかもこんな人ごみの中で会うなんて奇遇ですねっ。まるで追いかけてきて待ち伏せしてたみたい)
「詠ちゃん、心の声と発言が逆転してるわよ」
 年上の余裕で笑顔を以て受け流そうとした愛花だが、その笑顔は大いにひきつっていた。
 それにしても渡来先輩と来たものだ。もう昔のように愛花ちゃんと呼んでくれる事はないのだろうか。まあ詠は割とかなり別に全くどうでもいいが、開の方には名前で呼んでもらっても構わない。とはいえ愛花の方も昔のようにオープンとか開けゴマさらにはゴマ太郎と呼ぶつもりがあるわけではなかった。
「何だ詠、おまえも振袖着たいのか?」
「振袖? うーん……着たいけど、高価そうだし今は別にいいかな。それよりお兄ちゃんとおそろいのマフラー巻いてるし」
「ああー、振袖だとなんかキツネのエリマキとかしなきゃいけないんだろうな」
 動物好きの詠は動物の毛皮を巻くのは嫌なのだろうと妹の事をあまり良く知らないお兄ちゃんは解釈した。無論、詠の意図がお兄ちゃんとおそろいという部分にあった事は言うまでもない。
「それに、お兄ちゃんが私の手作りの、私の羽のダウンジャケットを着てくれているのがうれしいんだ」
「手作りの、自分の羽のダウンジャケット……重いなあ」
「そうか? すごく軽いぞ」
「天使の羽ですから」
 吐き捨てるような愛花の言葉に対して開は腕を振り回し、詠はしたり顔で胸を張る。真代兄妹の様子を見た愛花は寒さのせいではなく少し頭が痛くなった気がした。
「で、おまえも初詣か? 俺達は済ませて帰るところだったんだが」
「わ、私もそうなのよ!」
「そうなのか」
「っていうかこんな時間にこんな所に来てるんだから初詣に決まってるじゃない、バ、バカじゃないのっ?」
「お兄ちゃんはバカじゃありません! 数学や歴史の問題がわからない時、私がわかるまで丁寧に説明してくれるんだからっ!」
「あ、そ、そうねごめん」
 怒りのせいか頭上に天使の光輪が浮かびかけた詠の勢いに押されて愛花は素直に謝った。というより、こんなところで変身されては大騒ぎになるのは確実だ。その場しのぎでも何でもとりあえず謝って済むならそうするしかない。

「んっ?」
 参道を拝殿に向かって歩いていたりのんが訝しげな声を上げて足を止めたので、隣を歩いていた葵が声をかける。
「どうしたの、りのんちゃん」
「なんかあっちの方から魔力を感じたような……」
 りのんの言葉に、えりまきよろしくその首に巻きついたあんみつが心の声で応じた。
(正月だからね。阿羅耶識の霊能者やダークロアの土着神の力が活発化しているのかも知れない。赤と緑か……巫女の覚醒を望みたいところだけど、残念ながらカラーヒヨコは反応していないよ)
 水晶の巫女に相応しい能力者がいればカラーヒヨコが反応する筈である。りのんは再び精神を研ぎ澄ませた。魔法少女マジカルスイートの肉体に振袖を着せた姿に変身した今のりのんが精神集中する姿は神秘的な美しさがある。
「気のせいだったかも、何も感じないや」
 十秒ほど経って、りのんは目を開いて一歩踏み出し葵とウェヌスもそれに続く。今はそれ程混雑していないとはいえ、それなりの人通りがあり長時間立ち止まっているのははばかられた。
「まあ、正月くらいはゆっくりしてもいいんじゃないかしら」
 餅を持ってきて一度は渡したものの、初詣中持ち歩くのも邪魔だろうという事で解散時に渡す事にして一旦回収した
二人と一匹分の餅を持ったウェヌスの言葉に、りのんは笑顔で頷いた。
「そうだねっ」
 そして少女達は三人仲良く並んで拝殿へと向かっていった。先着者に振舞われる甘酒が残っている事を祈りながら。

 すでに席が埋まっているE.G.O.はともかくイレイザーの強力な能力者である真代詠が比較的近くにいながらカラーヒヨコやりのんの感知を逃れたのは真代開の力による。マインドブレイカーとしての力もさる事ながら、実兄であり、更に詠の羽を身に着けた彼が傍にいる事で詠の存在はほとんど隠蔽され、激昂して天使化しかけ、
変身のために天使としての力が頂点に達しかけた時にやっと微かにりのんに感じられる程度にまでジャミングされていたのである。
 そんな幸運に気付く事もなく、詠は買ってもらったたこ焼きの最初の一個を楊枝で突き刺して兄に差し出し、本当はうらやましがっている愛花に呆れられていた。

 その頃、社務所では一人の巫女が休憩に入っているところだった。
「お疲れ様、うめちゃん」
 先に休憩に入っていた巫女から参拝者に振舞った残りの甘酒を受け取った少女は息を吹きかけて冷まし始める。
「やけどしないようによーくふーふーするのよ」
 先輩巫女の言葉に、幼さを残す顔つきの少女は頬を膨らませる。
「子供じゃないから大丈夫じゃ!」
「そうよね、うめちゃん子供じゃないものね」
 小さく幼い彼女は実に可愛がられており。巫女としては半熟で任せられる仕事も少ないという事もあり巫女や神職のおもちゃになっている時間が長かった。
 もらったお菓子や果物は美味しかったが、巫女として働くためにやって来た彼女からすれば大いに不満の残るところである。
「うめも立派な巫女なんだからもっと巫女らしい事をしたいものじゃのう」
 大人びた口調で口を尖らせる少女の姿を先輩巫女は微笑ましく見た。
 自分にもそんな時代があった。巫女らしさに憧れ、研鑽に励んでいた日々が。その先に待っていたのが世界の覇権を争う戦い、妖怪達や西洋の魔術師、更には異世界人や宇宙より飛来した天使達との闘争であるなどと思いもせず――
 誰が呼んだか、いつの間にか修羅巫女という猛々しい異名で呼ばれるようになってしまっている。
「うめちゃんはよくやってくれているわ」
 幸いというか少女からはまるで霊能力を感じない。うめの二人の姉もさほど霊能力が強い方ではないが、彼女自身はまるで皆無といっていい。
 出来る事なら、幼い彼女にはこんな思いはしてもらいたくはない。異能の力になど目覚める事のないまま、平穏な日常を送って欲しい。
「きっとお父さんもお母さんもお姉さん達もそう思っているわ」
「そうかのう……」
 大好きな姉を出されて少女――八剣うめははにかんだ。
「間違いないわ。……それじゃあ、私はそろそろ行くわね。お守りたくさん売らないと」
 年頃の少女めいた仕草でウィンクして、修羅巫女は社務所を出て行った。
 後に残されたうめは息を吹いて冷ましながら甘酒をすするのだった。


「りのんちゃん、何お願いしたの?」
 つつがなく参拝を終えたところで、葵が訊ねる。
「えっとねえ……」
「だめよ葵。他人に話すと叶わなくなるわ」
 ウェヌスが咎めるが、葵はしれっと言って淫靡な笑みを濫かべた。
「大丈夫だよ、私達他人じゃないし。それにウェヌスどんも同じ事を願っていたんでしょ?」
「だから、正月くらいはそういった事は忘れましょうと言ったでしょう」
 ウェヌスは肩をすくめて首を振ったが、ひとしきり振ったところで独り言のようにつぶやいた。
「……心配しなくても、赤水晶の――阿羅耶識の巫女はいずれ見つかると思うわ」
(そうだね、ダークロアやイレイザーはともかく、阿羅耶識ならその辺にもいそうだしね)
 日本はもともと阿羅耶識の勢力圏内であり、現在の阿羅耶識を取りまとめているのも日本人の厳島姉妹だという事だ。
「この辺に……」
 あんみつの言葉に真顔になり辺りを見回したりのんにウェヌスが冗談めかして言う。
「そもそもここは神社ではないですか。案外この神社の巫女がそうかも知れないわね」
「でもさっきのは気のせいだって」
「きっと今は帰省しているのよ」
「帰省するならここに帰ってくるんじゃないかなあ……?」
 中央のりのんを挟んだ反対側で首をかしげた葵には、ウェヌスが覚えたばかりの帰省ラッシュという言葉を使ってみたかっただけだったという事はわからなかった。

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