扉の前に立った日向葵は大きく息を吸い込んだ。重いもの――例えば植木鉢、そして扉を動かす時は息を吸い込んで呼吸を止めて力を込める。
 開かずの教室と噂になるほど注目を集めていない、地味で忘れ去られている教室の扉は音もなく開いた。葵の教室よりよほど静かである。この様子だと開閉音で入室を気取られる心配もないかも知れないと思ったところで、そもそも生徒の立ち入りがほとんどない階だという事を思い出した。学園祭では一般教室以外に特殊教室も使用するが、この階ではそれもなく外界の喧騒から隔絶されている。
 学校に来るといえばこの教室が定位置のお姫様はもうすぐ学園祭だという事をそもそも知っているのだろうかと考えながら入ると、教室の中には誰もいなかった。
 もっとも、机の上には表紙からして拳銃の写真のいかにも物騒そうな雑誌があるし、電気ポットは電源プラグを抜かれず保温状態になっていたり、ストールがたたまれてロッカーに入っていたりするので離席中というだけの事らしい。葵にも大体行き先の検討は付いている。
 それにしても、この手の雑誌はやっぱり読者プレゼントで拳銃とか爆弾とかが当たったりするのだろうか。
 武器なら何でもいいのか銃器にも興味津々のお姫様は自分で独り占めするような狭量な事はなく、教科書を貸してもらったお礼に読んで構わないと言っていたが、こうして目の前にしてもまるで興味が湧いてこない。
 とりあえず流し読みだけでもしてみようかと思って手を伸ばしたが、他の事を――とてもいい事が閃いて、葵はその手を引っ込めた。
 準備万端で――といっても取り立てて特別な準備がいるわけでもなく――待っていると、見つめる先の扉の向こうに気配がした。
 りのんの魔法によりここの扉を開けられるのは葵の他にはりのんとウェヌスしかいない。今の葵にとってはそのどちらでもよかったが、ほぼ確実にウェヌスだろう。
「おかえりなさいませ、お嬢さま!」
 待ち伏せていた相手がドアを開けるや、深々と礼をして出迎える。
「……は?」
 頭上から呆気に取られた声が返って来る。
「お一人ですか?」
 体を起こして姿勢を直すと、今度は葵が見下ろす形になる。りのんが変身していなければ三人の中では葵が最も身長が高い。
「……りのんはご母堂と買い物に行くそうで今日は帰ったわ」
「へぇー、そうなんだー……じゃなくって」
 小さく咳払いして調子を整え、練習した通りの口上を一挙にまくし立てる。
「おかえりなさいませ、お嬢さま、お一人でのご帰宅ですか? ……学園祭でうちのクラスはメイド喫茶やるの」
「ああ、なるほど。ええと……ただいま帰宅したぞと言えばいいのかしら? ずいぶん殺風景な自宅だけれど」
「本番の教室は飾るから大丈夫だよ。りっちゃんがいろいろ持ってくるって言ってたし……」
「りっちゃんというのはクラスメイトなのかしら」
 りのんもりっちゃんになるし、リリアにムーの国王リユューク、あとついでに炎の翼で羽を焼いて飛行を封じる事で同族狩りに駆り出されている虜囚の天使もりっちゃんと呼べなくはないと思いつつ問う。リリアはリリちゃんらしいし、リンはリンちゃんで良さそうだが。
「うん。清川理恵だから理っちゃん。メイド喫茶の発案者なんだよ」
 美人で明るくクラスのみならず学年、いや学校全体の人気者である。
「ふぅん……葵はメイドをするの?」
「うん。女子がメイドで男子が裏方。女装メイドもいるけどね」
 女装メイドと聞いて露骨に顔をしかめる。
「それはぞっとしないわね。葵に接客してもらうのは無理でもせめて女のメイドに付いてもらいたいわ」
「大丈夫、友達が来たら状況次第だけど行っていい事になってるから……シフト表渡すね。えっと、ご注文はお決まりですかお嬢さま」
「アールグレイのミルクティーとザッハトルテ、クリームを添えて」
 しかし葵は何事もなかったかのように聞き流す。
「ホットケーキセットお飲み物はホットコーヒーですね! かしこまりましたお嬢様」
「まあ、いいですけど」
 無論ウェヌスもこの場でそんなものが出てくると本気で思っているわけではないが、飲み物くらいは注文通りに出してもらいたい。しかしここは葵に付き合う事にする。
「ホットケーキはね、メイドがチョコシロップで絵を描くんだ。描ける絵だけだからあんまり無茶言っちゃいけないけどね」
 本当はオムライスにしたかったようだが設備や材料、更に調理時の匂いの問題などで断念してホットケーキに変更し、調理の予行演習時にそれでは何を描こうかという話になった時、八組の月島薫子という生徒がやって来て無理難題を言ったらしい、というのが葵の知る事情である。理恵の口ぶりでは相当な無茶を言われたようだ。
「今はホットケーキないからコーヒーだけね」
「買い置きのクッキーがあるわ。出しましょう」
 葵がコーヒーを淹れる準備を始めていたので、クッキーはウェヌスが取り出す事にした。戸棚を開いた背中に、電気ポットの前から声がかかる。
「本当はね、パックのコーヒーなんだ。だからこうやってちゃんと淹れるのはウェヌスどんだけの特別だよ。そのかわり今の私はメイド服じゃないけどね」
「メイドにはさんざん淹れさせてきたもの、わたくしにとってはこのほうがレアだわ」
 返事の代わりに水音と、コーヒーの香りが返ってきた。どちらかと言えば紅茶の方が好きだが、コーヒーの香りは紅茶とは違った趣があって嫌いではない。ましてや、それを淹れるのが葵なのだ。
 愛らしい顔に笑みを濫かべ、ウェヌスは小袋に詰めて包装されていたクッキーを小袋から取り出して皿の上に並べていく。二個ずつ包装されている三袋なのでつまりは六個である。
 彼女達とりのんは新学期の開始直後にマインドブレイカーにしてこの学校の生徒会長である秋月俊平に呼ばれ、これに似た形を目にしている。生徒会室の床にはこの混迷の時代アクエリアンエイジを争う六つの勢力のシンボルマークが円をなすように等間隔に描かれているのだ。それらのうち丁度一つ措きに並んだ三つが淡く光っていた。光が三つ、能力者も三人――光っているのが三人の属する勢力である事はすぐにわかった。
 俊平の先代の生徒会長であり、そして彼の運命を変えた雑賀恭一が共闘しようとしたステラ・ブラヴァツキの愛用の武器『悪行の杖』(ワンド・オブ・マレフィキア)は両手で正三角形を一つずつ描き、重ね合わせて六芒星にする事で起動するものだった。
 生徒会室の床でもまた、六つの勢力シンボルが頂点となり六芒星を描く陣の上で三つの頂点が過不足なくその半分である正三角形を描き出していた。葵とウェヌスにはわからなかったが、りのんの目には明らかに魔力が循環しているのが見えたらしい。そしてりのんが魔法を使って見せるに及んで、彼女を包んだ魔力の輝きが二人にも三角形が描かれた事の効果を実感させた。
 勢力を便宜上並べた時に奇数番目に来る三人が最初に集まったのは偶然だったが、実に幸運だった。三人の能力は大いに増幅されるだろうし、マインドブレイカーや能力者が集まっている状態を隠蔽する事も出来る。奇貨を呼び寄せたのはあるいは彼のマインドブレイカー能力だったのかも知れないと思うと、俊平は大いに満足だった。
「それはそうと葵、いつまでその格好をしているのかしら」
 りのんの魔力が強くなったのは明らかだし、葵の超能力も未開発だったので気付きにくかっただけであの時点からポテンシャルではりのんの魔力以上のものがあったらしい。
 それに比べて自分はどうか――
 話題を切り替えるような事をウェヌスが口にしたのは、自分に対してだったのかも知れなかったが、葵は特に気付いた様子なく答える。
「だって、学校の中だし。ウェヌスどんも制服じゃない」
「ええ、そうですわね。正規の既製品ですわ。あなたやりのんと違ってね。その点では偽学生のわたくしが本物のあなた達よりまともだわ。――りのんは魔法で作ったもの、あなたは……」
「朝から誰にもバレなかったと思うよ。私の超能力もそれなりになってきたのかな?」
 おどけて笑う葵に、ウェヌスは一瞬真顔になったがすぐに笑みを作って返す。
「何を今更……初めて会った時からあなたのヒマワリの槍には刺さったら殺られると警戒していたのよ?」
「実はあの時私が使えた超能力はあれだけだったんだよ。それもヒマワリを媒介にしてなきゃダメだったしね。りのんちゃんの役に立ちたくてあんみつに教えてもらって…… 今は超能力だけで作れるようになりました」
「ふぅん、いいお話ね。……ところでなんでりのんはちゃん付けなのにわたくしはどん付けなのかしら」
「あっ、うどんおいしいよね。カップうどんでどんっていう……」
「……メイド喫茶でうどんを出すつもりなの?」
「それもいいかもね。カップ麺とお湯と箸と薬味置いといて、店番の子がメイド服着て」
「暇を持て余しそうですわね。ところで……」
 湯と言われて電気ポットを見やったウェヌスが、振り向きざまに振り上げた腕で葵のスカートを高々と捲り上げる。
「詰めが甘いわね、葵」
 本来ならパンツか『はいてない』べき部分には、紺色の――スクール水着があった。
「階段を登って来る時見られなくてよかったわね」
「あはは……だって、裸だともし能力が切れたら全裸じゃない……」
「スクール水着でも五十歩百歩でしょうに。それも学校指定と違うものでは目立って仕方がないわ」
 葵が今身に着けているのは肩紐の部分がサックスブルーのパイピングになった競泳タイプのスクール水着であり、学校指定のものとはまるで違う。
 そして、その股間の部分は周囲に比べて色が濃くなっていた。
「……ぐっしょりですわよ。こんなに濡らして本当に淫乱なメイドだこと」
 生地を濡らす愛液を、ウェヌスは揃えた人差し指と中指で掬って舐めた。葵の陰部は、愛液がスクール水着の表面に染み出るほどに濡れている。
「あら、今日のは甘くない」
 能力の根源が植物にある葵の愛液は甘くて美味しい糖蜜であり、ウェヌスが堕とされる際も釣られなかったとはいえそれを餌にされたのだが、今日のそれは彼女のものと大して変わらない、極普通の愛液だった。
「蜜にはしようと思わなきゃならないからね。コーヒー入れる?」
 期待を裏切った事の罪滅ぼし半分、もう半分は飲み物に愛液を垂らす背徳感が病み付きになっていた。前回は紅茶だった。コーヒーに垂らすのは今回が初めてになる。
「そうね……お願いしようかしら」
 頷いて、葵は制服に変化させて展開していたアストラルアーマーを解除した。これは念動力で実を守る鎧や兜を作って身に纏う超能力であり、普通は宝石の結晶のような形になるが、この校内に於いて白水晶の巫女である葵は能力が増幅されている事と、変化させて擬する対象が着慣れた制服である事で可能になったのである。メイド服にも変化させられるなら服装もちゃんとして学園祭の練習をしたいところだがそれは出来ない。
 アーマーの消失で下に着ているスクール水着が露わになったが、薄手で伸縮性に富む生地ゆえ、体の線がほとんどそのままに出――乳首と、その根元の白水晶のピアスがはっきりと見えている。
 なるほど、実際に見に着けているのはこの格好という状態で一日を過ごしたのでは濡れてしまうのも仕方ないのかも知れないと思うウェヌスも少しばかり興奮を催したが、その目の前で葵は更にスクール水着も脱ぎ捨てて、取り上げて床に置いたコーヒーカップを前にM字開脚をして蜜を滴らせ始める。
 武装戦姫はその様子をしばらく眺めていたが、受ける感想が前回見た時と変わらない事を自問して確認し、同じだと判断して呟いた。
「葵、あなた結構陰毛が濃いわね」
「そう、かなあ?」
 そもそも誰かと陰部を批評し合った事など最近までなかったし、比較対象であるりのんは変身前はうっすらとしか生えておらず、変身後は完璧に手入れされた毛並みが美しく茂っている。ウェヌスの方は金色なので黒い葵とは単純に比較出来ないだろう。
「いい機会だから剃ってしまいましょう」
「ええー、いいよ別に」
「陰毛には雑菌が繁殖してしまうのよ」
「毎日洗ってるし、過剰にきれいだと却ってよくないって聞いたよ?」
「いいからわたくしに任せなさい!」
 初めて会った時の威圧されるようなオーラは今でも印象に強く残っている。それを放たれては葵は引くしかなかった。
「わかりましたよろしくおねがいします」
「ふふ、わたくし素直な子は好きよ」
 ウェヌスは懐に手を入れ、取り出してそのまま流れるように展開した。金属音と共に、その手の中に鋭く光るナイフが現れる。まるで手品のようだとりのんが感心していたバタフライナイフである。
「さあ、コーヒーが冷める前に剃ってしまいましょう」
 実のところ冷蔵庫に入れてある五百ミリリットルの紙パック牛乳を入れるつもりなので冷めるも何も無い。ましてや熱い飲み物も苦いのも苦手でおまけにコーヒーをストレートで飲むとトイレに行きたくなるなどと葵やりのんには言えるはずもない。
「ウェヌスどん、せめてカミソリとかないの」
「あら、こちらの方がいいかしら?」
 取り出したのは枯草色に塗装されて背には鋸刃が刻まれた大きなサバイバルナイフと、葵も日本人なのでよく知っている――実物は遠足で行ったどこかの城趾に立てられその藩の史料を展示している博物館で一度見たくらいだが――日本刀である。
 数秒考えて、葵はこくりと頷いた。
「今手に持ってるのでお願いします」
「よろしい。それでは、淫蜜をたっぷり出す事ね。足りないと巧く剃れずに傷付けてしまうかも知れないわ。切り落として割礼してしまうかも……」
 かつてウェヌスに言った言葉を返された葵は苦々しく笑い、その陰部からは滴るほど大量の淫蜜がどろりと流れ出る。
 再度指で掬って舐めると今度は甘く、金髪の姫は口の中に広がる優しく愛に満ちた甘さをしばらく楽しんでから、映画の撮影に使うカチンコという道具のようにバタフライナイフを鳴らして作業を開始した。
「学級の出し物でメイド喫茶をやるのはわかったわ。園芸部の方では何かやらないの?」
 床屋で髪を切りながら店員がするように、葵の陰毛を剃るウェヌスが話しかける。あるいはそれも本やら、どこで覚えたのやら使えるようになったインターネットで調べてきた知識によって作法だと思っているのかも知れない。
「もちろんやるよ。これが夏だったらヒマワリの迷路作るんだけどね!」
「りのんから聞いているわ。楽しかったようね」
 葵とりのんがヒマワリの迷路で遊んだのはウェヌスが仲間入りする少し前の出来事である。
「来年の夏はウェヌスどんも一緒にやろうよ」
「もちろんそのつもりよ。きっと一着で踏破してみせるから」
 意思表示なのか、バタフライナイフの持ち手部分を軽く開いて打ち合わせて音を立てる。
「楽しみだなあ。今から考えとかなきゃ……でね。うちの部は鉢植えの展示即売をやるんだよ」
 陰毛を剃るのに集中するふりをして時間を稼ぎ、いかにももっともらしく頷いてみる。
「園芸部らしいわね」
 おそらく人入りは少ないのだろうと想像したが、葵が語る内容からも予想が正しいだろう事がわかる。
「鉢植えの世話と管理は部長が張り切って一人でやってるし、当日の店番は一年生の仕事だからね、私はクラスのメイド喫茶に専念出来るってわけ」
「そう、頑張る事ね。わたくしも行ってあげてもいいわ」
「来てきてサービスするから。本番ではちゃんとメイド服も着るし……でも蜜はなしだからね」
「そうね。というより、葵が当然のように蜜のサービスをしていたら色んな意味で嫌だわ。最低限の常識は失って欲しくないし、あの味はわたくし達だけの特別なものにしておきたいもの」
「うん、そうだね。……ここでならいつでも蜜出してあげるからね」
「ええ、お願いするわ……はい、出来上がり、綺麗になったわ。赤子のよう」
 ウェヌスがどいてくれたので見てみると、葵の陰部からは初等部の時に生え始めて以後ずっとそこに茂っていた陰毛が一本残らず剃り落とされていた。幼い頃に戻ったような気分になるが、しかし虚飾を脱ぎ捨てた陰部は成長を遂げ立派な雌の機能を具えたそれである。
 幼い頃の自分とオトナの自分がここで出会ったようで、なんだか胸の奥が熱くなってくる。
「ウェヌスどん、これからどうするの? タオルで拭ったり水で洗うよね、普通このあと」
「そうね……わたくしが舐めて綺麗にしようと思っていたけれど?」
「じゃあそれでお願いします」
 それを切に望んでいたのだが、いかにもウェヌスどんがそう言うなら別にそれで構わないよという体裁を取り繕って葵は頷いた。
 ――熱くなったのは胸の中だけではなく、陰部もすっかり熱くなっていて、頷いたウェヌスの舌が触れた途端に陰毛と一緒に剃り落とされた以上の量の淫蜜が漏れ出して彼女の顔と制服を濡らした。
 子宮の奥から湧き上がる快感に酔い痴れながら葵がふと目をやった先には、彼女が淹れて淫蜜を注いだコーヒーが、すでに冷め切った様子でぽつんと佇んでいた。
 行為が終わったら淹れ直そうとウェヌスの都合をまるで知らず心の片隅で思いながら、葵はさらなる快感に身をのけぞらせる。
 そしてウェヌスは、剃り落とされて陰部に付着していた陰毛が淫蜜と一緒に口に入ってきて舌に絡まるのに閉口しつつも健気に葵にクンニリングスを施すのだった。

第八話『始まりの恥丘』

「おまえ……」
 工廠(アーセナル)見習いの姿を見た領主姫は絶句した。
 しかししたり顔の見習いには何が姉のように慕う領主をそうさせたのかがわかっていない。
「どうですすごいでしょう! 親方や兄(あに)さん達が持ってけって」
 見習いは親方や兄弟子たちから可愛がられているようで、戦災孤児でありながらこうして立派に育っているのがその証拠だ。
「まあ……そんなところだろうとは思うけれど、おまえはそれをどうするつもりなの」
「どうするって、これで極星帝国のためレムリアのためお姉さまのため! がんばるんですよっ!」
「わたくしはてっきり店でも開くのかと思ったわ。そんなにたくさん担いで」
 工廠でも見習いなら兵士としても新入りの彼女が背負っている籠には、工廠自慢の武器の数々がぎっしり詰められている。旧知の姫でもそう見えるのだから、何も知らない者には行商人に間違われても無理もない。
「えっへっへ、売れますかねえ」
「売れば売れると思うけれどやめなさい」
 彼女の工廠の武器防具は長い伝統を持ちレムリアはおろか極星帝国全土でも評価が高い。領主姫も値段は知らないが、先の王位継承戦争での活躍から現在人気が高騰しているらしいとアイテム蒐集を趣味にしている知り合いから聞いている。それも親方が手ずから打った一本ともなれば、売り方次第では相当な値段になるのだろう。
 それを籠に放り込むようにして運んでいるのだから、彼女が腰に佩いているロングソード一本をすら指を銜えて欲しがる傭兵達からすれば罰当たりな話である。
 もっとも彼女の名誉のために言っておくと、工廠の娘として育てられた彼女は武器の扱いに通暁しており、一見乱雑に入れているようでも武器同士が傷つけあって損なう事がないように最善の注意を払っているし、万が一破損したとしても修理するだけの腕前を持っている。領主が今回の行軍に彼女を連れてきたのも、戦力としてよりむしろ武器職人としての腕前を買っての事だった。無論、最大の理由は彼女と彼女を溺愛する工廠一同の熱意である。一族郎等を失った彼女が遺領を継いで暮らせているのも、加増されたのも工廠を抱えているおかげというところが大きい。その工廠の長に頭を下げられて、この見習いが姫の下で戦いたいと言っているのでどうかどうか末席に加えて頂けないかと言われてはそう無下に出来ようはずもない。
 ともあれ、ついに姉のように慕う領主姫の麾下に入る事が出来た彼女の喜びようは飛び上がらんばかりで、見ている姫の方が気恥ずかしくなるほどである。
「お姉さま、あたしもお姉さまみたくカッチョイイ二つ名を名乗りたいですねえ」
「一億万年早いわ」
「ええーっ?」
 不満そうに頬を膨らませる見習い戦士の頭をなだめるようにポンポン叩きながら、一応訊いてやる事にした。
「それで? 何か腹案はあるのかしら」
 途端に顔が明るくなる。
「へっへっへー、実はですねえ、もう考えてあるんですよねえ」
「ふうん。じゃあ便所にでもこもって便器殿にお聞かせ差し上げて。彼の事だからきっと静かにおまえの話に耳を傾けて聞いてくれるでしょう」
「ええーっ、お姉さまに最初に聞いてもらいたいんですよお」
 情けない声を挙げてすがりつく頭の上で二本のポニーテールが揺れた。姉と慕う姫が一本なので二本にしたらしい。
「面倒くさいですわね」
 姫は渋面を作ったが、すぐに表情を緩める。もとより、妹分の初めてを誰かに譲るつもりはなかった。
「仕方ないから聞いてやりましょうか。さあ、申せ」
「はいっ! もーしあげます! あたしは、ここまで育ててくれた工廠のみんなのために、みんなの作った武器がすごいんだって事を実演するためにっ」
 息切れしたのか、それともずっと温めていた名前は万全の呼吸で言いたかったのか、あるいは語調の問題だったのか――工廠見習いの新入り戦士は言葉を区切って息を吸い領主姫の瞳を見据え、そして大きな声ではっきりと言った。

「アーセナルウォリアーって名乗りたいです」

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