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ウクライナ文化情報政策省の「戦時に喜びはふさわしいのだろうか」


戦時において、日々の生活や大きな出来事に喜びを感じるのは不謹慎だろうか? そんなことはない。軍にとって、自分自身にとっても、喜びは必要なことだと言う、ウクライナ文化情報政策省戦略広報情報安全センター。

以下は「"Чи можна радіти життю під час війни? Чи не ображаєте ви цим військових?" (2024/01/02) 」の訳:


戦時に喜びはふさわしいのだろうか?

戦時でも人生を楽しむことはできるのか? これは軍に対して失礼ではないか?

不安な状態や最前線の緊迫した状況においては、重要なな出来事や日常の些細な出来事に我々が喜びを感じると、我々は罪悪感を感じる。しかし、人生を楽しむのは正常な反応である。それがたとえm 困難な時期であっても。

時々、人は自分自身の中にある喜びを意図的に抑制してしまうことがある。これが起きたら、どうすればよいだろうか? 生きる喜びが罪悪感を引き起こすとき、無関心を乗り切り、不安を克服するにはどうすればよいだろうか? ウクライナ文化情報政策省戦略広報情報安全センターのDovidka.infoプロジェクトの一環として、軍事心理学者ナタリヤ ザレツカがアドバイスする。

軍人は人生を楽しんでいるのだろうか? 困難な戦闘状況でどうやって楽しめるのだろうか?

軍人も他の人と同じ人間である。 それなら軍人は人生を楽しんでいるだろうか?

もちろん、望むなら、そしてそれが可能なら、幸せになれる。戦争が始まっても、人生は実際に止まることはなく、新たな現実の中で継続する。人は兵役に就いても、充実した生活を続ける。この状況を複雑にする可能性がある点が2つある。1つ目は、人が負傷したとき、つまり兵士が負傷し、何らかの状況により喜びを感じることができなくなったとき、あるいは喜びを感じられなくなったとき。そして、これは間違いなく専門家の心理的助けを必要とする状況である。

そして、別の状況が発生することがある。たとえば、部隊が損失を被ったとき、何らかの重大な状況があり、これらが悲しい出来事、悲劇的な出来事であり、それ故に、悲しみ、嘆き、絶望、怒り、敵への憎しみであるとき。そして、これは喜ばしいことではないが、普通の状況でも同様である。

しかし、戦争が続いている間は我々が幸せになれないという考えが社会にある場合、第3の状況が依然として存在する可能性がある。心理学の観点から見ると、それは非常に破壊的である。戦時に生きているとき、最大限に生きなければならない。「戦後」のために人生を先延ばしにすることはできないのと同様に、喜びも先延ばしにはできない。それを感じたら、それを感じるてよいうのだと、自分に言い聞かせること。

軍の観点から見ると、戦時に民間人が人生を楽しむのは適切だろうか?

喜ぶことは可能であり、必要なことでもある。まずもって、人には自分の感じたことを表現する権利がある。そして、精神疾患の予防や精神的健康の維持の観点からも、自分が感じた感情をすべて表現することが必要である。

それがどのようなものであっても、感情を抑制することは正常ではない。

軍人が喜びに苛立ったとき、そのような苛立ちにどう対処すればよいか?

軍人が自分の苛立ちが他の人に影響を与えていることを理解している場合、それは専門家に相談し、心理学者に相談し、実際の反応が何であるかを理解しなkればならないときである。もしかしたらその理由は本人の中にあるかもしれない。精神的外傷の兆候があるかもしれない。しかし、別の側面もある。この悲しみや絶望は、彼らが守る社会が戦争を現実として受け入れていないことへの反応なのかもしれない。 軍が実際に自分たちが非常に困難な状況にあること、目の前に困難で危険な敵がいることを認識したとき、そしてメディアの分野で人々が戦争を無視し、この戦争は自分たちには関係ないと強調しているのを見たとき、 あるいは「私は前線に出ていないからバカではない」という態度をSNSで表現すれば、それが影響するし、それは当然のことだ。

そして、人々がただ幸せであれば、兵士はそれを普通に受け入れると信じよう。それはただの喜びであり、それが兵士が前線に留まる意味であり、戦っている理由だからである。

軍人を傷つけないようにソーシャルネットワークでの喜びを表現するにはどうすればよいか?

方法はとても簡単だ。ポイントは2つ。1つ目は、これらの人々に対する敬意と感謝の気持ちを自分の中に感じることである。2つ目は、自然体で誠実であること。 人は敬意や感謝を言葉だけで読み取るのではない。人に対する我々の敬意のほとんどは、言葉では表されない。したがって、我々が擁護者たちを心から尊敬し、その働きに心から感謝しているなら、我々のすべての行動、表明、投稿には感謝の気持ちが込められるだろう。あるいは、たとえ我々が別のテーマについて書いたとしても、これを念頭に置いているだろう。

軍人たちはそれを見て、感じ、大いに刺激され、軍務のサポートとなるだろう。

人生にまったく喜びを感じられない。 これは正常な状態だろうか?

人が悲しみの段階にあるとき、非常に複雑な悲劇的な出来事を経験したばかりのとき、他の感情に支配されすぎて自然に喜びを感じなくなるような状況が発生することがある。それはその出来事トがとても大変だったからである。しかし、そのような期間が何か月も永遠に続くわけではない。徐々にその中から人は脱していく。人がこの状態から抜け出せないとき、専門家、つまり心理学者または心理療法士に連絡する必要がある。そして、それをすぐに、またはできるだけ早くすること。

そして、たとえば、人が何らかの悲劇的な出来事を経験していない場合、これは明らかだが、この出来事がずっと前に起こり、その人がそこから抜け出すことができないとき、これは間違いなく専門家に連絡する必要がある。

人が喜びの感情を抑制しているような状況もあるかもしれない。人が占領者の残虐行為、侵略者の残虐行為に直面したとき、それが自分に降りかかっていないが、それが自国で起きていることを理解したときである。このような出来事は、戦争犯罪の直接の犠牲者や目撃者にならなかったとしても、人にトラウマを与える可能性がある。

したがって、私はこのような態度を持つすべての人に訴えかける。人生は続き、侵略者を倒すために我々は生き続けなければならない。侵略者の目的は、我々を怖がらせ、恐怖を感じさせ、自分の力を疑い始め、幸せでなくなるようにすることである。 人生は続く。我々がどれほどの軍隊を持っているか、我々が持っている「ウクライナのミーム部隊」を見てほしい。彼らはあらゆる出来事や新しい挑戦に、我々を道徳的にサポートする非常に機知に富んだ非常に多くのミームで対応する。これが我々の本当の反応である。

したがって、喜ぶことは賢明であり、健康に役立つだけでなく、国と国民、ひいてはウクライナ軍の士気の観点から見ても非常に効果的である。 これは我が国の防衛力への貢献である。

"Чи можна радіти життю під час війни? Чи не ображаєте ви цим військових?" (2024/01/02)





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