冷戦時代の核実験や民間防衛をめぐるカルチャー

古代核戦争

古代宇宙飛行についての1961年のM. Agrestの記事


古代宇宙飛行士及び異星人による地球上での核爆発について最初に言及したのは、帝政ロシア時代生まれの、後に米国に移住した、ソビエト連邦の数学者M. Agrestだった。

以下はその全文の訳及び、その記事に対する掲載誌編集部の導入文の訳である。テクタイトの起源がまだはっきりしていなかったなど、半世紀以上前の科学知識に基づく記述であり、時代を感じさせるものとなっている。

ただ、ここに示された論点や論理は、デニケンやシッチンなどの西側世界の古代宇宙飛行士説の引き継がれているように見える。その点で、原典としての見てみる価値はあるだろう。


«НА СУШЕ И НА МОРЕ»: Повести, рассказы, очерки. — М.: Государственное издательство географической литературы, 1961, с.526-542
("陸地と海洋": 小説、短編、随筆: 国家地理文献出局, 1961, pp. 526-542)
Alexander Kazantsev: "M. Agrestの記事「古代宇宙飛行士」について"

「陸上と海洋」の編集委員会は、物理及び数理科学の候補であるM.Agrest准教授の記事を掲載し、未だ再び語られることに関心が高まっている、現実離れした仮説の著者に、発言権を与える。多くの人々が関心を持つトピックについて活発な会話を交わし、Agrestの議論を論じ、肯定あるいは否定しよう。

編集委員会は、聖書のテキストをAgrestのコンセプトの主要なものとは考えておらず、彼が個人的に作成したこれらのテキストの翻訳は、正当な訳とはいささか異なっており、著者の都合にあったものとなっているが、この正しさについては、著者責任とする。聖書の神聖な原則への反駁と古代の「神聖な」写本の分析への唯物論的アプローチをとっているので、Agrestのこれらのテキストに対する態度は、我々にとって価値がある。編集委員会は、Agrestによって表現されたものと比較して、テクタイトの性質に関する他の見解にも精通しているが、著者は仮説、特に科学的仮説ではなく、空想科学小説的仮説に対する権利を持っていると考えている。知っての通り、仮説(最初の科学的仮定)が、唯物論に基づいて構築されている場合、真実かどうかにかかわらず、確認または反論できるが、反科学的ではない。仮説は非科学的となるだけである。

Agrestの仮説は、それに対する態度に関係なく、唯物論に基づいて構築されており、注目に値する。

Agrestの現実離れした仮説では、古代に異世界の住人が地球を訪れた可能性という考えに惹きつけられる。もちろん、いまのところ、まったく証明されたものではないが、これを取り上げるのは、研究を必要とする、新たな興味深い事実の特定という点で、有益だからである。

そこで、サハラのタッシリの有名なジャバレナ峡谷(巨人の峡谷)で、本稿で提示した「宇宙服のき物」の壁画のみならず、サハラの壁画の研究者Henri Lhote教授が「宇宙服の生物」あるいは「火星人」を示す一連の同様の壁画も発見された。

バールベックテラスに加えて、他の巨石建造物は、南アメリカやカナリア諸島など、世界のさまざまな場所で知られている。

この点で、アトランティス人と呼ばれた人々に起因する飛行ジェット装置についての、古代インドの記述は興味深い。...そして古代ギリシャの哲学者プラトンによる同じことについての証拠も。

フランスの学術誌("Science et vie", 1960/9, M 516)は、オーストリアの物理学者Gurltの発見を想起させる。彼らは、1896年、数百万年以上前の石炭の継ぎ目に、786グラムの重さの鋼の平行六面体を発見した、これは、ザルツブルク博物館に保管されているとされている。

1959年のソビエトと中国の合同古生物学探検隊は、数百万年前にさかのぼる、ゴビ砂漠の砂岩に奇妙な痕跡を発見した。大きさと質感では、それはブーツのソールからの足跡に似ている...

そのような例は多くある。

これらすべてが、他の天体の異星人による過去の地球への訪問を物語っているというのは、確かではない。しかし、それ自体、この方向に空想したいという願望は、唯物論的な世界観と我々の世紀の宇宙征服の特徴でもある。



M. Agrest: "古代宇宙飛行士" (1961)

I 知的生命が地球以外に存在しえないと言えるだろうか?

生命の自然な発達過程の結果として、地球上で文明の偉大なな進歩が達成された。特に、まったく新しい強力なエネルギー源が発見され、広く使用され、強力な宇宙ロケットが開発された。短期間のうちに、30以上の人工衛星が地球周回軌道に投入され、月面に科学機器を搭載したコンテナを送り、太陽をめぐる周回軌道に3機の人工惑星が投入され、全自動惑星間探査機が金星に向けてソビエト連邦から発射された。そして遂に1961年4月1日、人類の長年の夢が現実となった。ソビエトの有人宇宙船「ヴォストーク」が、共産主義者のパイロット、宇宙飛行士ユーリ・ガガーリンが、地球を108分で周回した。最大の歴史的偉業が成し遂げられ、広大な宇宙を人間が探査する時代を拓いた。史上初の有人惑星間宇宙船が火星と金星へ旅立つ日もそう遠くない。そして遠い将来、恒星間を飛行するロケットも実現するだろう。

非常に遠い天体に到達するには、より高速なロケットを開発する必要がある。このために、外国の著者の理論計算によれば、宇宙ロケットの動力源として、光速に近い速度で飛行する粒子が使える。将来は、たとえばイオンロケットや光子ロケットなどのロケットがおそらく開発できるようになるだろう。[1]

一見したところ、光子ロケットを使っても、地球の宇宙飛行士が探査できるのは、宇宙のほんの片隅でしかないだろう。我々に最も近い恒星であるプロキシマ・センタウリであっても、4.3光年という遠い彼方にある。我々の銀河の中心までの距離は3万光年であり、銀河の外の天体、たとえばアンドロメダ星雲に到達するには、光でも150万年以上かかる。人間の寿命では、我々に最も近い恒星まで飛ぶのがせいぜいである。たとえ我々の銀河であっても、その大多数には到達できそうにない。

実際は、ロケットが光速に近くなれば、その運動は古典的ニュートン力学に従わず、アインシュタインの相対性理論に従うようになるので、そうとは言えなくなる。相対侖によれば、そのようなロケットの時間経過は、地球の観測者よりも遅くなる。E. Zengerの計算によれば、地球の重力加速度と同じ9.8m/2の等加速度運動をすれば、現代の研究で観測可能な宇宙の境界に到達するのに、宇宙飛行士はロケット内で41.9年を過ごせばよい。光はこの距離を30億年かけて飛行する。

[1] E. Zenger. On the mechanics of photon rockets. M., 1958. - Approx. ed.
[2] Art. E. Zenger in "Issues of Rocket Technology". IL, 1958, No. 2. - Note. ed .

遠く離れた、ほとんど研究されていない天体への飛行は、したがって、比較的近い将来、実現可能なタスクとなるだろう。

一方、現代の一般的見解に基づけば、地球の生命が例外的存在ではないことは、ほぼ確実だろう。

さらに、こお銀河の中でも、知的生命が出現し発達できる惑星が膨大数ある。

最近の研究によれば、銀河の天体の10%を占める、我々の太陽も属するG型恒星にはおそらく惑星系が存在するだろう。[3] 銀河には約100億の惑星系があり、その中には、地球上とよく似た生命の存在が可能だと仮定できる、地球と物理的条件が似た惑星が多くある。

[3] Stars of the spectral class "G" - stars like our Sun with a surface temperature of about 6000 ° (or α Centauri A) . - Note. ed .

宇宙の異なる場所で発達した生命は、一般論として、多様な形態をとることになるだろう。しかしながら、ある種の発達方向は、どこでも同じで、地球と同じなことは疑いようもない。特に、知的生命は、生命一般同様にに。常にエネルギーを消費するので、あらゆる場所で、多様なエネルギー源を探索する方向に発達するはずである。したがって、宇宙では物質の構造と性質は同じであるという事実から論じれば、どこでも発達は、たとえば原子エネルギーの発見と利用に至るだろう。

同様に、知的生命はどこにいても、万有引力の法則に従って、重力を克服しようと努めると論じてよいだろう。異世界でのこの科学の発展は、地球と同じく、宇宙ロケットの開発に至るだろう。

そして最後に、広大な宇宙にある異世界での、同様の発展段階は、異なる時期に起きると仮定するのは自然だろう。したがって、これらの惑星系では長きにわたり原子エネルギーが使われ、長期にわたり、長距離宇宙飛行が行われてきたと主張することは容認されるだろう。


図1 テクタイト「リビアングラス」 図2 テクタイト「インドシナイト」

図3 テクタイト「フィリピナイト」



これに関して、以下の問いが理にかなっている。

宇宙の他の天体の宇宙飛行士が行うさまざまな宇宙飛行の中には、太陽系への飛行もあっただろうか? 他の天体世界の存在が地球を訪れたことはなかっただろうか? そして、地球に滞在したことの痕跡を残しはしなかっただろうか?

これらの問題を解くカギは、既知の古代の遺物の現代的分析、地球上の特に選定した地域の考古学的発掘、発掘された物品の物理化学分析である。

今までのところ、我々は地球外文明について何も知らないが、宇宙飛行が可能なレベルに文明が発展するに要する時間(数万年)が、惑星の進化の時間(数十億年)より圧倒的に短いことを示す、地球上の文明の例を知っている。したがって、過去数百万年の間に、繰り返し地球外存在が地球を訪れたと仮定できる。そのような来訪のたびに、何らかの痕跡を地球上に残していっただろう。歴史に残る期間に、そのような来訪があったとしたら、伝統や伝説、物的記念物、地理的現象として残っていると考えるのが自然だろう。

現在、地球に来た異星人の存在を明確に証明する単一の事実はない。しかしながら、我々の意見では、そのような仮定を間接的に支持する現象が多くある。科学の発展とともにその数が増えている、これまで解決されていない多くの自然の謎は、この仮定が受け入れれば容易に解釈できる。

II 歴史学と考古学が語ること

特に、比較的半減期の短い放射性同位体を含む化合物が地球上のさまざまな場所で見つかる。半減期106年と2.6x106年の放射性同位体Al(アルミニウム)-26やBe(ベリリウム)-10を含むテクタイトと呼ばれるガラス形成物は、地球上の多くの場所で見つかる。(図1, 2, 3)

テクタイトは火山噴火によって形成されたものではない。というのは、テクタイトの形成に必要な温度は、噴火の溶岩の温度よりも高い。テクタイトには多くの性質があるが、そのうちの1つが際立っている。それは、地球の表面での分布である。テクタイトは地球上の均等に分布しておらず、明確にわかっている、地球の特定地域に集中しており、テクタイトフィールドのようなものを形成している。これらのフィールドは赤道近くのリビヤやインドやオーストラリアなどの狭い範囲に位置している。

テクタイトは、強力な熱源と放射線源のある地球上の場所で、地球の岩石から形成されたか、外宇宙から到来したか。後者であるなら、テクタイトはメテオライトと比べて年代ははるかに若く、地球表面上の分布も大きく違っているはずである。

分布分析は、太陽を楕円軌道で周回し、地球に落下した一発の大きなメテオライトあるいは、小さな一群のメテオライトでは。テクタイトが形成できないことを示している。

どのようにテクタイトは形成されたのか? 現在、多くの異なる仮説がある。たとえば、T. Koomanは、惑星間空間から地球に来たと考えている。一方、G. Ureyは、地球の岩石から、地球と衝突した彗星核によって形成されたと考えている。O'Keefe, N.Nininger and M.Varshavskyは、大きなメテオライトが月に衝突し、一群の破片が地球に向かって射出されたという仮説を提唱している。(これらの著者たちの仮説は英文科学誌Natureのvol. 182, 1958, p. 252; vol. 179, 1957, p. 556; vol. 181, 1958, p. 173.に掲載)

これらの仮説やその他お仮説は、テクタイトの形成の全特徴を説明しきれてはいない。テクタイトは自然の大きな謎のひとつとして残っている。

古代のさまざまな文書には、かつて天上から地球へ降りてきた生物や、天上に昇った人々の神話や伝説がある。特に、古代の文書のひとつである聖書には次にような記述がある。[4] 「その頃、天上から落ちてきたそれらが地球にあった」[5]「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」[6]

[4] ここでの引用文献の露語翻訳は著者自らによる。
[5] この引用は、多くの翻訳では次のようになっている。「その頃、地上には巨人たちがいた。」我々はこれらのテキストを、ゾーハルのような多くの古代の本にしたがって、逐語訳した。(創世記6章4節)
[6] 創世記5章24節

古代には、天文学の多様な鋭い情報が知られており、その信頼性は、最近の世紀の観測技術の発展によって確立できるようなものだった。特に、A. Hallが1877年に発見する何世紀も前に、火星の衛星について伝説の形で、ほぼ正確に知られていた。これらのことは、かつて存在し、はるか昔に消え去った、天文学の分野の偉大な知識を持つ人々についての、フランスの天文学者Balleyの仮説の基となった。この仮説について、有名なドイツの天文学者であり数学者でもあったK. Gaussが1819年の理論天文学の講義で言及している。

地球のいくつかの場所には、古代の構造物の遺跡が残っており、その規模やデザイン特性や謎めいた詳細に驚かされる。たとえば、バールベックテラスの三石塔は、アンチレバノン山麓にあり、巨大なラフに加工された最長20メートルのスラブで、重量は約千トンである。これらのスラブは石切り場から運ばれ、最高7メートルの高さに運び上げられたもので、これは現代技術の強力な手段の助けがあっても、解決困難なタスクである。

「石切り場自体に、切り出した巨大な石があったが、岩から分離されていなかった。それは全長21メートル、幅4.8メートル、高さ4.2メートルだった。その場からスラブを移動させるには4万人の共同作業を必要としただろう。("The History of Baalbek," Beirut, 1896)これらの巨大なスラブを図4と図5に示す。

ここまで、誰が、いつ、何の目的で、これらの「巨大な」スラブを作ったかという問いは解決できていない。

現時点で、地球の文明が多くの未だ最近のファンタジーが揺るぎない現実に転換したとき、「歴史的コモンセンス」の概念が多くの場合にラディカルな変容を経験したとき、これらの謎をここで提示した仮説の観点から、再び分析することは理にかなっている。したがって、謎の偉大な構造物のプロジェクトと、謎の記録の可能性のあるものの著者が誰であるか問うてみよう。

ソドムとゴモラの街の死についてのよく知られた記述は、先に引用した古代の文書にあり、核爆発による破壊についての現代の記述に、際立って類似している。これには、(爆風による)死の可能性や、(強力な閃光による)失明や、(貫通放射線による)負傷や、厚い土の層による防護効果について示唆や、特徴的な炎と塵と巻き上げられた岩の柱や、破壊範囲についての記述や、(放射能汚染による)長期にわたる居住地での生活が困難なことなどの記述が含まれている。

[御使いたちは]ロトは言われた。「生き延びるために逃げなさい。振り返ってはならない。低地のどこにも立ち止まってはならない。山へ逃げなさい。滅ぼされないためです。」ロトはより近い避難場所を求めて、「しかし私は山へ逃れることはできません。災いが襲いかかって来て、私は死んでしまいます」と言った。

さらに同じ書「創世記」によれば「主は、ソドムとゴモラの上に、主のもとから、すなわち天から硫黄と火を降らせ、これらの町と低地一帯、町の住民すべてと、土地に芽生えるものを滅ぼされた。ロトの妻は振り向いたので、塩の柱になった。」

外から観察すると、この出来事は次のように見えた:「地の煙が、まるでかまどの煙のように立ち上っていた。」

爆発が終わり、すべてが静かになったとき、次のように書かれている。「ロトはツォアル[一時的に逃れていた峡谷]から上って行って、二人の娘と一緒に山地に住んだ。ツォアルに住むのを恐れたからである。彼と二人の娘は洞窟に住んだ。」(図6)

神話や伝説は実際に地球で起きた出来事を反映していないだろうか? 上記の記述は事実と関係はないだろうか? 議論のため、以下の仮定を提唱する。
III 仮定の要点

遠いが歴史時代に、星間宇宙船が地球に接近した。地球から約36,000キロメートルの距離で、宇宙船は速度を3km/sに下げ、エンジンを切って、公転周期1日の人工衛星のように地球周回軌道上に静止した。この距離から、地球の同じ赤道域に長い間留まり、宇宙飛行士はさまざまな手段で惑星の大気と表面を探索し始めた。これには、おそらく、さまざまな高さで爆発した特別な探査機が含まれる。[7] 適切な着陸地点を選択した後、宇宙飛行士は地球に降りた。同時に、宇宙飛行士はおそらく比較的小さなロケットで惑星に降りたが、宇宙船自体は地球の周回軌道にとどまりまった。

これらの投射体の破片あるいは、それらの落下による特定形成物は、地球上のさまざまな地点で見つかるだろう。これらの破片あるいは特定形成物の性質は、前述のテクタイトの性質と詳細まで類似している、

この種の形成物は違った方法でも生じる:宇宙飛行士が地球に着陸する前に、宇宙船が地球に接近するときと、宇宙船が外宇宙への帰還のときである。星間宇宙船はもちろん、大型で質量も大きいはずである。そのような宇宙船を地球に接近する時に減速する、あるいは、地球から離れる時に加速する場合、エンジンから放出される光子あるいは粒子のエネルギーは非常に高エネルギーになる。この高エネルギー粒子の流れは、地球への接近中も、地球から離脱中も、完全にあるいは部分的に地球へと向かう。単純計算で、星間宇宙船のジェットストリームのエネルギーは、大陸全体を洗い流すほどの高エネルギーになりうる(光子ロケットの効果)。[8] 当然のことながら、宇宙飛行士は着陸対象からジェットをそらすように努めるが。惑星表面に当たるそのようなジェットのごく一部でさえ、これらの地域に謎のテクタイトに似た地層を出現させるのに十分である。

[7] 「つり下がっている」宇宙船は、つり下がっている島や搭についての多くの伝説の基礎となっただろうか?紀元3〜4世紀の古文書には、「空飛ぶ搭」について言及がある。たとえば、"Hagiga"第2章や"Agaloth"第4章など。
[8] E.3enger. To the mechanics of photon rockets, M., IL, 1958. - Approx. ed .

したがって、謎のテクタイトや、特に「リビアングラス」は、探査機の残骸あるいは、はるかな過去に、宇宙の他の世界から地球を訪れた宇宙飛行士の宇宙船の減速あるいは加速の結果ではないだろうか?

地球に着陸した宇宙飛行士は、強さと知性で隔絶していたため、「神の子ら」のように高次存在と間違われた。彼らは、彼らの文化の多く、特に宇宙についてのさまざまな情報を地球にもたらした。「神の子ら」のストーリーは伝説として、世代を越えて伝承され、多くの古代の文書に反映されたかもしれない。前述の引用「その頃、天上から落ちてきたそれらが地球にあった」はこの出来事の反映ではないのか? 特別な装置の助けを得て、初めて人類が知り得るよりも、はるかな過去にあった、宇宙についての鋭い情報の源は彼らではなかったか?

現実の出来事が、ギリシア神話やインド叙事詩や、中国や南米の人々のさまざまな伝説などに幅広く見られる数多くの神話や伝説の基礎となったのではないか?(南米に存在するそのような伝説は、R.S. Rovelloのベネズエラからの私信に記録されている)

仮定をさらに発展させて、宇宙飛行士は地球から発進した小さな宇宙船で太陽系を探査したと仮定できるだろう。このために、彼らは地球で追加の核燃料を必要とし、特別なサイトや貯蔵施設を建設した。彼らはまた疑いようもなく、彼らが地球に滞在したことの記憶を残したはずだ。バールベックテラスなど、既に言及した独特の構造物は、これらの記憶のひとつではないのか?

宇宙飛行士は地球に、宇宙についてのさまざまな鋭い情報をもたらし、それらの幾つかは、伝説の形で18世紀まで何千年も残ったのではないか? 一部の科学者によれば、さまざまな古代の記念物に建築構造と幾何学形態の言葉に刷り込まれた、建築学や数学や天文学や様々な知識についての深い情報の源は、外界からの異星人にまで遡れるのではないか? フランスのA. Loot教授が調査した[9]、サハラ砂漠のタッシリ・ナジェールにある古代の岩面彫刻は、宇宙飛行士とつながりがあるだろうか? これら岩面彫刻すべてが、その表現力と写実主義とともに感銘を与える。たとえば、図8に示すように、アーティストは動的な姿をも表現しようとした。しかし、これらのリアルなスケッチの中には6メートルの画像がある。これも特に表現力があり、一見すると神話上の怪物を反映しており、本物の生物ではありえない。なぜ古代の写実主義のアーティストが、この6メートルの謎の図像を岩石に刻んだのか? おそらく、この図像は現実の物体を写し取ったものではないのか? この岩面彫刻は明らかに宇宙服を着た生物に似ている。したがって、これは地球に降り立った宇宙飛行士の姿ではないか? 最初に未知の惑星に到達した宇宙飛行士は、防護宇宙服を身に着けていると仮定するのは自然である。それは「預言的」ではないか?

[9] Henri Loot's book "In Search of the Tassili Frescoes" is currently being prepared for publication in Russian by the Oriental Literature Publishing House. — Approx. ed .

いわゆる宇宙飛行士は、地球に長期間、滞在したかもしれない。この期間に、彼らは多くのプロジェクトや研究を実施し、何らかの目的で一連の核爆発を必要としたということはありうるだろう。彼らはこれらの核爆発を実験として行うか、地球を離れる前に、研究目的の貯蔵核燃料の残りや特別施設に貯蔵された核燃料を破壊するたにめ行うか、その他の理由で実施した。その場合、そのような爆発の前に、宇宙飛行士たちは地元住民に予め、危険を警告し、と可能な救援及び防護方法を知らせたのは大いにありうる。前述のソドムとゴモラの町の破壊の記述は、そのような出来事の反映ではないのか? 驚くべき詳細描写は、宇宙飛行士に教わったものではなかったか?

そのような爆発は、一般論として、地球上の多くの場所で起きた可能性があり、おそらくこれが、死海地方から遠く離れた場所に住む人々にも、ソドムとゴモラと破壊伝説に似た伝説が存在していることの説明となることを、書き留めておこう。

研究計画の完了後、宇宙飛行士は地球を去り、同時に、地球の住人の一人を連れて行ったかもしれない。そのような出来事は疑いようもなく人々に強い印象を与え、世代を越えて語り継がれるだろう。この節「エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった」は、そのような出来事の反映ではないだろうか?「人の子」の「天へ」のアセンションの事実は、数多くのアセンションの神話のもととなったのではなかろうか?

IV 実験的検証方法

我々に伝わる神話と伝説の別の解釈ももちろん可能だ。前述の引用が、他の天体からの存在による地球来訪の問題と直接には関係していない可能性もある。しかし、問題は全体として、まったくばかげたものというわけではなく、科学にとってのみ大きな関心事というわけでもない。あらゆる現代的分析手段を用いて、大局的な研究を行うことには意味がある。この目的で、次の作業を実施する必要があると思われる。

1. 伝説にある、ソドムとゴモラの町の破壊について記述は死海地域と関連しているので、仮説上の宇宙飛行士が残した可能性のある痕跡をその地域で探すのが望ましい。この地域での核爆発に特有の放射性同位元素(たとえば、Si32, Ti44, Mn50, V53, Pu239)やその他の特徴的兆候や特性の発見[10]は、地球の文化史全般に価値ある発見となるだろう。

注目すべきは、巨大な文書である、いわゆる「死海文書」の発見[11]により、この地域は研究者たちの特別な関心を過去十年以上にわたり惹きつけてきた。死海の岩礁海岸のさまざまな洞窟に、二千年以上前に書かれた聖書の正統テキスト全体や価値ある古文書が保存されてきた。死海文書は、我々に伝えられてきた前述の古文書の古さを証明しており、それは我々の仮説にとってこれらの記録の重要性を高めている。

[10] このためには。もちろん、はるかな過去の核爆発と放射線被曝を検知する初期的理論と検知方法を開発させる必要があるl
[11] 死海文書あるいはクムラン写本は、1947年にベドウィンの羊飼いMuhammed Dibによって、死海沿岸近くの洞窟で偶然見つかった。死海文書のレビューについては以下参照:K.B. Starkova in The Whistleblower of Ancient History, no. 1, 1958. - Approx. ed.

この地域の調査に関して、対象地域に隣接する、放射性同位元素の痕跡が発見されたラシやダルニアットやシナイ半島のあるアラブ連合共和国の原子力研究所長の報告に触れておくべきだろう。


北アフリカと中東

地図上の数字は以下を示す。1 - 放射性同位元素の痕跡が見つかったシナイ半島; 2- テクタイトが分布している地域(リビアンガラス); 3 - 古代のアーティストによる岩面彫刻の見つかった地域、バールベックテラスのあるバールベック、死海及び、クムラン写本あるいは死海文書の発見された地域、ソドムとゴモラの町と見られる発掘中の地域。

2. この地域のさまざま古代の構造物の再度の探索。分析の現代的方法及び手段を使って、バールベックテラスの巨大スラブや、個々のピラミッド、その他の構造物の年代のより正確な測定を試みる。

いくつかある方法の中で、そのような構造物の年代は、宇宙線によって生成される放射能を測定することで決定できる。実際、たとえば、巨大ピラミッドのような構造を考えてみよう。ピラミッドの外層は常に宇宙線の影響下にあり、誘導される放射能は飽和レベルに維持されている、一方、ピラミッド内部の底面に接したブロックでは、(宇宙線はピラミッドの大きさを考えれば、大幅に減衰しており)建設8以来、宇宙線により放射化されることはほとんどない。これらのブロックの放射縫は半減期にsたがって減衰し続けているlしたがって、ピラミッド内側と外側の放射能を計測すれば、ピラミッドの建設年代を特定できる。

スラブの巨大さからすれば、この方法は原理的には、バールベックテラスの建設年代の特定にも使える。

さらに、現在、知られている通り、かつて存在していたと思われるソドムとゴモラの町の残骸を発見するための、死海地域の考古学調査が進行中である。調査活動は、これらの町が沈んでいると思われる、死海の海底で実施されている。海の深さからすると、これらの町の遺跡は、水没して以降、すなわちこれらの町の破壊以降、実質的に宇宙線の影響を受けていない。海底から発掘された遺跡の、宇宙線に誘導されrた放射能を測定することで、破壊の時期を特定できる可能性がある。もちろん、生物の残骸や炭素を含む部材などが海底で見つかれば、良く知られた炭素14放射性炭素年代推定法で、より容易に年代を特定できる。

3. テクタイトの性質の詳細研究。、特に「リビアンガラス」と呼ばれるテクタイトは、A Cohenによれば、周辺のリビア砂漠の砂と、偶然にも化学成分が完全に一致している。

我々の仮定では、地球上にテクタイトが出現した年代を知ることがとても重要である。V. GentnerとI. Tseringenの研究で、さまざまなテクタイトの年代が、カリウム・アルゴン年代推定法で、求められている。彼らのデータによれば、特に「オーストラライト」と呼ばれるテクタイトの年齢は約100万年と推定されている。一方、G. Bakerは「オーストラライト」の年齢は約5000年だという数字を完全に正当化できている。

この本質的問題を明確化するには、これらの特定形成物の年代を特定する、独立した新しい方法を見出す必要がある。


図4 石切り場に残された巨大なスラブ

図5 バールベックテラスの巨大なスラブ

あらゆる種類のテクタイトの奇妙さは、高温の結果として形成されたという点であるので、年代特定に、いわゆる熱ルミネッセンス法を適用できる。この方法は、つい最近(1959)、G. KennedyとL. Knopovが陶磁器の年代測定に初めて適用に成功した。[12] この方法は、まだ発展途上であり、したがって、放射線年代推定法よりも信頼性は低い。しかしながら、炭素年代推定法は、炭素を含む物(骨格、植物など)にしか適用できず、さらに年代が2〜3万年より古くないと適用できない。それ以外には炭素年代推定法は適用できない。熱ルミネッセンス法は、原理的には、溶岩や熱加工されたレンガやテクタイトなど、10万年前までに、高温で形成された物の年代測定に適用できる。

[12] G. Kennely, L. Knopof. Sciense New. Let., Jan. 16, 1960.

古代の荘重な記念物のひとつである「バベルの塔」の建設年代特定のために、この方法が適用できそうに見える。現存している「搭」の3階層は、知られている通り、熱加工されたレンガで建てられており、問題の地域の位置している。

この構造物の幾つかの場所は、研究者たちの記述によれば、焼け焦げたり、溶けたりしていた。この焦げや溶融はどのような性質で、いつ起きたのだろうか? これらの問いは、我々の問題とおそらく関連しており、熱ルミネッセンス法で解決できるだろう。


図6 「創世記」の文書の写真

図7 A. Lootが「火星の偉大な神」と呼ぶ6メートルの壁画

図8 タッシリ高原の壁画

テクタイトについて言われていることに加えて、A. Cohenによれば、ある種の爆発によって形成されたクレーターに類似しているという、北緯22度18分、東経25度30分のリビア砂漠の徹底調査が必要である。(地図参照)

4. 特に関心がある点は、古文書(パピルス、陶片)、建築物の形状、岩石洞窟などの分析。このために、分析の特別なテクニックの発展や、新たな分析手段の発明などが必要であり、これらは疑いようもなく価値がある、
V 結論

述べた仮説には、論理的及び主として実験的な、さらなる具体化が必要である。しかし、最初の検討で、以下の問いが生じている:宇宙飛行士は何故、過去千年、地球を再訪していないのか?

(実際に起きているとして)2つの天体の間の最初の宇宙飛行は、原理的には、ランダムな出来事であり、その頻度はしたがって、そのような出来事の確率によって求まる。そのような確率はとても小さいので、2つの天体の間の最初の宇宙飛行は非常に稀な出来事である。ラフな計算によれば、2つの最初の宇宙飛行の間隔は1万年である。したがって、もし異世界からの宇宙飛行士が地球に来たのが5〜6千年前とすると、宇宙の別の場所からの宇宙船が地球に到達するのは、数千年後になる。

2つの天体の間の繰り返しの宇宙飛行は、状況が異なる。宇宙のどこかの惑星系の宇宙飛行士が地球を一度訪れていたとするなら、それに続く来訪はランダムではなくなり、予め計画されたものになる。したがって、裁縫の頻度は、最初の宇宙飛行の頻度よりはるかに大きくなる。

仮説上、既に地球を訪れたことがある宇宙飛行士と同じ天体から、地球へ宇宙船が過去千年以上にわたり、地球に来ていないのは何故か?

その問いに対する答えは、もし、宇宙飛行士が太陽系内の他の惑星あるいは、我々に近い惑星系から来たと、当時に仮定するなら、ありえそうにない追加の仮説を必要とすることになる。宇宙のはるかかなたから来た宇宙飛行士にとって、太陽系全体として、他の同様の惑星系に対して際立っているわけではなく、おそらくこの理由一つで、再訪に関心を持たないだろう。

これは別の解釈も成り立つ。地球に来た宇宙飛行士が、地球から遠く離れた世界の住人であり、地球を数千年前に訪問した後、まだ彼らの惑星系への帰還途中である。さらに、「静止している」地球と移動する宇宙船の中では時間の流れが異なることを再度、注意しておこう。したがって、宇宙飛行士は、彼らがともに連れて行った「人の子」と同様に、千年の間、ほとんど年を取っていない。

飛行する宇宙船の速度により、帰還旅行の時間を数十年と計算し、おそらく年単位と計算している。地球では、これらの宇宙飛行士あるいは同じ天体の他の旅行者が地球を再訪するまでに、数千年が経過している。

異世界の住人が地球に滞在する問い全体への回答には、歴史学者や考古学者や天文学者や物理学者や化学者やその他、多くの知識分野の専門家の共同作業が必要である。本稿では、全体を網羅し、真剣な研究の必要性を喚起するため、私がある程度知っていて、説得力の程度が異なるいくつかの事実を収集する。この問いは、最新の分析方法をすべて使用し、よく考えられた研究計画に従った実験的研究によってのみ完全に回答を得られる。

結論にあたり、意見を一つ述べておこう。

もし、他の天体からの宇宙飛行士が本当に地球をはるか過去に訪れていたとしたら、彼らは地球のどこかに、明らかに特別なペナントを残していった。そのような文書には、疑いようもなく、宇宙や、知的存在の知識と活動分野からのさまざまな情報が含まれていたはずである。これらのすべての情報や、ありうるかもしれない技術構造物の例示は、地球人の発展レベルの低さのため、直接的に移転したり、残したりはできなかっただろう。しかしながら、特定の情報は、最も発展した人々の一部が借用して、その社会の階層の力や魔力のインジケーターとして使うというのは大いにありうる。

そして、宇宙飛行士が、未来のより発展した世代の人々のために、適切なシェルターに秘匿し、ペナントの安全性を確保したと仮定できるだろう。残された文書を発見するには、彼らの地球滞在の痕跡がすべて失われているとすると、宇宙飛行士はいくつかの大きくて比類なく、急速な破壊にも耐えられる建造物や記念碑を残しただろう。

これらの構造物は、地球に彼らがいたことを示唆する一方で、詳細情報を記した主たる文書を見つけるガイドとなっているはずだ。したがって、大いなる科学的な関心に加えて、異星人が地球にいたという事実の信頼できる確立は、地球文明にとって非常に重要であり、その発展に大きな飛躍をもたらす可能性がある。

宇宙飛行士の到来という出来事が、千年前か百万年前に起きたかは、それほど重要ではない。したがって、外宇宙からの異星人が地球に長期に滞在したことを支持する事実についての分析はそれでも興味深い。

この観点から、未知の宇宙飛行士の地球訪問の可能性を仮定させるような、
ソビエトや外国の報道に最近見られた、さまざまな発見や事実についての報告には、特に関心を惹かれる。

もちろん、まず、これらの発見や事実の信頼性を確認し、総合的な分析を行う必要がある。同時に、それらは作業仮説として、我々の観点から、彼らが地球外から来たという仮定の基礎とすることができるだろう。






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