安価スレ「【安価あり】わとしとまことにちいさなくに【内政?】」のデータやこれまでの歩みなどを纏めておくwikiです。

我が友の詠みけるなり。かく祝ふ友のあるもまたうれしからずや。
和都誌所に 納むる名無しの 和歌と詩を 巻に記さむ 七篠のよう
                   詠み人しるさず

日の頂がもとにおはしたる国、外臣入りて、終には天下をわこつ、日の出ずるところにおきてはさることは今時はなかりけれども心つくべきときの来るらむ
日のもとの 世の真中たる 天朝に などえびすらの まつり執るらむ
                   詠み人しらず

猫めづる人、あまりにめでければ、猫に向けてかく詠みき
赤面す おなごのお顔 皆で愛で 讃えよ讃え なごのお方を
                   詠み人しらず
猫に女掛けたる恋歌なりとの定みもありぬれど、せめても詠みける人には恋歌なるべし

明け暮れの食すなほに詠みたる歌なり
かたき餅 火にあてぬれば のびのびと 詰まることなく 喉を通せり
                   詠み人しらず

もはらに外に出でざりければ、外が遊びは得ず
しかれば、詞はつぶさにはかかざりけれど、外が遊びの蹴鞠の類にあらざるをしたる人をたすきたる人詠みけり
先輩の 髪をぬかむと 黄金木の 友の残滓に 神がのけ反る
                   詠み人しらず

詞書くべきにもあらざるほどに名高き歌 任那王たる剛が歌なり
任されよ 御前のものは 俺のもの 離しはしまじ 心の友よ
                   任那王倭剛
任那人に生まれければかの歌よりとりて歌一首詠むべし
おのが治おもひいでて任那王静等の詠みけり
己が身に 逃げはならぬと 言う日など 離れずありし 心の友よ
                   任那王静等

歌でもなしににわかに掛詞いひける人が同隷、さる人に返しけるに
かけことば すべるそなたの そのあたま あかくなれなれ われもたすかむ
                   詠み人しらず

御仏が教へ得やすくぞせむとて震旦の御坊言の葉あらたみ給ひたり
音よくせむなどとおもひ給ひければ教へが様かへける由もあり
御教えに 表と真 ありと言ふ あなやいみじき 漢土のつたへ
                  詠み人しらず

次なる歌酒呑みゑひしれて詠みけむ。口詞なるのみにあらず貴き僧嘲りて詠みぬ。
但し、僧貴しといへども、仏のいましめだに知らぬ僧もある故にてかの歌詠みけむか。
おしょうさん にほんついたら おじょうさん いっぽんつけにゃ あらすっぽんぽん
                  詠み人しらず

今は昔、本朝穏七帝の御時、阿児奈波国に加持良治と云ふものありけり。
その男奸臣なれければ、阿児奈波の姫とあひて忠臣殺すなり。それをききて、曽野守野比鷹取詠みたるに
呂の宮に 大和方より なみ入りて いずれに向くや 若きかじ取り
                  野比鷹取
よき人、学ぶる人は知るらむ。加持良治忽ちに臣殺し、あらがふ心なきも殺せり。
しかして、本朝の兵出でて、かの罪人誅しけり。
南海阿児奈波国、前の奸臣が故、本朝の治むる処となりけり。
この由宮内大輔文忠若かりける聞きて、本朝の治むるを広げむと図る人なればかく詠みけり。
南溟の 彼方に別津 大倭 新の大海は いずれの御時
                  榊文忠
これも前の奸臣を聞きての歌なり。船操る人ならむ。船によそふれり。
大船の 行く末迷う 舵なれば 艪も砕けむず 新たに変えむ
                  詠み人しらず
阿児奈波が吏、同隷多く失ひて、本朝の兵城に入り、心解けて詠み漏らす
世の中に 火事より悪き ものはなし 建て直しても 元に戻らず
                  詠み人しらず

御製の歌なり。 天波法皇、春宮におわし給ふ御時に后に御寵愛あり給ひて
共に香聴き給へれば、后よりいづれかの御言葉ありけむや、かく詠み給ひけり。
沈みゆく 心を癒す 香を聴き わが身と心 そまる曙
                  天波法皇
天波法皇の御諡、御譲位の後におはし給へる院の名に因るなり。 
其の名は蓋しこの歌より来たりけむや。 践祚の儀の後の御歌会にての歌なり。
天の波 先波見ゆる 大和舟 導示して 初の門出に
                  右大臣道武
天波法皇、春宮におはし給ふ御時。内大臣喜慈をもつゆ臆さず、礼礼しう給ふとか
しかして、大風の類にてはもてなし給ひて、民定まりけりとの語りなり。
あかねさす 天の叢雲 まがき薙ぐ 民らよ取れよ 長きつかへを
                  詠み人しらず

日の本は聞くに、隋土、天竺などと比ぶればわざはひ多く戦少なしとか。
しかれば、町傷めど、燃ゆるは少なうして木に傷残ること多し。
傷跡を 頬擦ることで 想起する ここまで癒ゆる 道の歩みを
                  詠み人しらず

新羅に銀鼓(字未審なり)といふ人ありけり。 いみじき人なれば、高麗まで名を立てぬ。
されば、高麗王かの卿召して宰相に除し給ふとか。 
しかして、高麗と新羅は一の国なるかと嘲りて百済の人文高影詠みけり
あずさゆみ 張りて構へる 白糸の かはのかぶとも 今はかぶらず
                  文高影
こちらは任那の人、金官介河城兼清なる人の詠みけるなり。 前に出だしたる人隋土に渡りて学ぶなり。
かの人高麗にまつりごてば、乃ち三国の智を知れるなり。その智を以っていかにせむとやおもひけむ。
北のこま しらきの大弓 からの知恵 矢を引きしぼり 放つはいずこ
                  河城兼清

蓋し鍵山雛人ならむといはれる歌なれど、審らかならず。
鍵山雛人、百済乱れ、武珍宮崩れし折に任那王静等を扶けて重く用ゐらる。
齢任那王より上なれど、先にかくるるは静等なり
君送る 文をば書きて 思ひ出づ 迎えし君を ついに見送る
                  鍵山雛人乎
これも静等王のかくるる日の歌なり。この歌より民のいかばかり静等王仰ぐを知らる。
市の門の 賑わひなくは いつぞぶり 民は宮にぞ 祈り走りつ
                  詠み人しらず
静等王一分ある人なりければ、民にかく言ひ給ふとぞ 不可憎隣民、可憎予与使吏。 
この詞忘れぬ大人しき人の詠みけるに。
今上の 使い憎めと 伝われど 我は天をば 憎しと感ず
                  詠み人しらず
新羅に遣はさる鎮兵、百済兵と戦すなることありけり。さる兵の恨みいかばかりなるかを計りて詠みける歌なり。
いずれの世に詠まれし歌なるかは審やかならざれどいずれかの執権なりとの伝あり。
王陵へ 恨みを残し 先にゆく 守部は宮を 迎うやいなや
                  任那鎮守執権
蓋し任那にゆかりなかりけむども、すなほなる詞にあはれとおぼゆれば記すなり。
先に逝く 君の背中を 見送らば ともに歩みし 月日ぞ思う
                  詠み人しらず

任那鎮兵、筏賊征伐の時、隋土坊城をたづねて、驚き詠みけり。
荒れぬるは 城だにあらず もろこしの 民の心の かに荒れるとは
                  詠み人しらず
これも任那兵、隋土の争ひに入るなどあな日本も大きになれりとぞ覚へて詠みけり。
大漢の 京にほこたて 打ちあわし 我ら助太刀 するぞ奇いなり
                  詠み人しらず
歌、詩の類いかなるところにもあり。あだなる人は、道きはめず色々なる歌詠まむず。
琉球に 麗島に 隋大食 何処の星より 紐解き詠わん
                  書院介石蔵

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