オスマン国 皇帝 | |
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オスマン帝国 スルタン旗 |
現当主 | |
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ファイサル1世 第39代皇帝 | |
詳細情報 | |
敬称 | |
皇位継承第1位 | デウレディン・オスマンオウル?(皇嗣) |
初代 | オスマン・ベイ |
成立 | 1299年 |
1364年 | |
宮殿 | ドルマバフチェ宮殿(居住) |
トプカプ宮殿(公務) | |
ユルドゥズ宮殿(離宮) | |
アドリアノープル宮(離宮) |
皇位の象徴である「黄金の玉座」
オスマン帝国の君主は、帝祖オスマンの父であるエルトゥールルの代から「ベイ」(君侯)という称号を名乗っていたが、オスマン帝国第3代皇帝ムラト一世の代で初めて「スルタン」(イスラム教国の君主の意)を自称した。
これ以降、オスマン帝国の君主は「スルタン」と呼ばれることが多い(日本語では「皇帝」と訳されることが多い)。
また「聖都の太守」などの様々な称号を用いていた。
加えてメフメト二世やスレイマン一世などの一部の君主らは東ローマ帝国の継承者として「ルーム・カイセリ(ローマ皇帝)」の称号も用いていた。(スレイマンの場合は「東ローマの再興者」)
19世紀には、「オスマン帝国の皇帝は、世俗の軍の最高権力を持つ皇帝の職権と信徒の長としてイスラム教世界全体に影響力を持つカリフの職務権を併せ持つ」とされ、「スルタン=カリフ制」の理論が形成された。
しかし、元来はクライシュ族のみがつけるカリフの地位にトルコ人のオスマン家がついたことには批判も見られた。
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