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常住の苑を荘厳し 聖願を実動 (じょうじゅうのそのを そうごんし せいがんをじつどう)
一、慈(いつくしみ)のべる貢献の和
一、広き利他行で真(まこと)を結集
平成二十三年 元旦
無始無終の遙かな時に、ふたたび紀を革す──“発祥聖地”の荘厳。
その核となる平成二十三年は辛卯(かのとう)、辛は新に通じ“あらた”、卯は茂で“万物が出づる、ひらく”意です。
金ノ兄(かのえ)の去年から金ノ弟(かのと)の今年、親苑・真澄寺から遷る真如霊尊との智悲わたす五色*1金剛線による結縁は、全国拠点依処を巡ります。常住創源への感謝に、聖地荘厳が開くのです。
常住の苑を荘厳し 聖願を実動 (じょうじゅうのそのを そうごんし せいがんをじつどう)
一、慈(いつくしみ)のべる貢献の和
一、広き利他行で真(まこと)を結集
平成二十三年 元旦
無始無終の遙かな時に、ふたたび紀を革す──“発祥聖地”の荘厳。
その核となる平成二十三年は辛卯(かのとう)、辛は新に通じ“あらた”、卯は茂で“万物が出づる、ひらく”意です。
金ノ兄(かのえ)の去年から金ノ弟(かのと)の今年、親苑・真澄寺から遷る真如霊尊との智悲わたす五色*1金剛線による結縁は、全国拠点依処を巡ります。常住創源への感謝に、聖地荘厳が開くのです。
「常住の苑」は親苑です。“常住”とは不変、不滅。“苑”は、誰もが心の自由を得て、温懐に安んずる郷。三輪仏尊おわし、双親様、両童子様の真身が住される祈りの洪基、済摂摂受・抜苦代受の源泉といえます。
み親が不動明王を勧請して道ひとすじに発たれた機に帰り、昨十二月、根本真澄寺に最初の本尊・大日大聖不動明王と、教主様謹刻の涅槃法身大聖不動明王を奉じ、焚きつぐ聖火を点じて祈誓大護摩供を修しました。
本年は大悲地蔵菩薩と石の不動尊、そして天地護法の神々を境内、霊意の処に順次復祀(ふくし)。秋には盤石に甦った“摂受の道場”、白亜の第一精舎に、真如教法の本尊・久遠常住釈迦牟尼如来が、永遠に安座されます。
かつての日、接心道場、発祥精舎にて、教主様が伝燈真如密の秘法をもって開眼された法身仏が、大宇の本位から、再度入魂されるのです。
「荘厳」は、尊きお命を賭し、なお顕幽一如に燈檠山真澄寺、接心道場、発祥精舎を建立された真如双親様、両童子様への報謝、喜びの結晶です。
更に法母が摂(すく)いの礎にご遷化され、慈救の音声を衍(えん)じられた関西本部を永(とこし)えに遺すため、修築を進めます。
かぎりなき慈悲に浴せる尊さは
常住尊の救いとぞ知れ
(苑歌)
「聖願」は人類・地球・宇宙の未来済応をめざす大願で、大般涅槃経に『能く衆生を生死の海から度す。是を名づけて聖となす』と示されます。み仏、み親の聖願へ、教徒がまこと一如の誓願でお応えする「実動」に、“常楽我浄”が顕現されるのです。
み親が不動明王を勧請して道ひとすじに発たれた機に帰り、昨十二月、根本真澄寺に最初の本尊・大日大聖不動明王と、教主様謹刻の涅槃法身大聖不動明王を奉じ、焚きつぐ聖火を点じて祈誓大護摩供を修しました。
本年は大悲地蔵菩薩と石の不動尊、そして天地護法の神々を境内、霊意の処に順次復祀(ふくし)。秋には盤石に甦った“摂受の道場”、白亜の第一精舎に、真如教法の本尊・久遠常住釈迦牟尼如来が、永遠に安座されます。
かつての日、接心道場、発祥精舎にて、教主様が伝燈真如密の秘法をもって開眼された法身仏が、大宇の本位から、再度入魂されるのです。
「荘厳」は、尊きお命を賭し、なお顕幽一如に燈檠山真澄寺、接心道場、発祥精舎を建立された真如双親様、両童子様への報謝、喜びの結晶です。
更に法母が摂(すく)いの礎にご遷化され、慈救の音声を衍(えん)じられた関西本部を永(とこし)えに遺すため、修築を進めます。
かぎりなき慈悲に浴せる尊さは
常住尊の救いとぞ知れ
(苑歌)
「聖願」は人類・地球・宇宙の未来済応をめざす大願で、大般涅槃経に『能く衆生を生死の海から度す。是を名づけて聖となす』と示されます。み仏、み親の聖願へ、教徒がまこと一如の誓願でお応えする「実動」に、“常楽我浄”が顕現されるのです。
「慈」は摂受心院様(慈凰)のみ心を現します。どこまでも他に尽くす法母の温愛を己が身に倣(なら)い、明年の“真如霊祖生誕百年”を迎えます。
惟えば、アジア巡教と摂受の旅で、国際宗教交流に運ばれた双親様は、東洋西洋の聖地で祈り、融和と協調を深め、慈しみを亘されたのです。そのみ業を遍くに「のべる」…展・伸・延、いかなる字を宛てようと、優しさと包容の“摂受”が原点です。
法母は『''自らの心を開く時、み仏の大慈に接する』──心の扉を開き
広き世界を見て''、と教えられます。
貧困地域における疾病対策や人権、教育助成等による“人”への支援。地球再生へ限りある資源を活現し、環境を整える“自然”への働きかけ。
かかる多様な問題に対応し、安寧と希望へ、共に歩むのが「貢献」です。
「和」をと誰もが願い、口にしても実現は容易くはありません。しかし足許の小さな営みと祈念、友好の絆が世界を変革していくと信じます。
惟えば、アジア巡教と摂受の旅で、国際宗教交流に運ばれた双親様は、東洋西洋の聖地で祈り、融和と協調を深め、慈しみを亘されたのです。そのみ業を遍くに「のべる」…展・伸・延、いかなる字を宛てようと、優しさと包容の“摂受”が原点です。
法母は『''自らの心を開く時、み仏の大慈に接する』──心の扉を開き
広き世界を見て''、と教えられます。
貧困地域における疾病対策や人権、教育助成等による“人”への支援。地球再生へ限りある資源を活現し、環境を整える“自然”への働きかけ。
かかる多様な問題に対応し、安寧と希望へ、共に歩むのが「貢献」です。
「和」をと誰もが願い、口にしても実現は容易くはありません。しかし足許の小さな営みと祈念、友好の絆が世界を変革していくと信じます。
「広き利他行」は、六波羅蜜の大乗菩薩の心と行いで常楽の歓喜世界をつくることです。即ち“赤誠(せきせい) 込めて善根を積み重ねる”実践をいいます。
一燈ずつ万燈を掲げ、銘々が一億倍の果を得られるのが多数作善の理。仏法は自利でなく、みなが救われることを旨として修す訓えだからです。「真」は、家族や友人、身近な方々から、有縁無縁、一切万霊に功徳をめぐらせたいという楽うての土台・奉仕・感謝、不退勇猛の精神(こころ)。何より発祥の親苑・常住のみ親、両童子様を慕い、帰依する純真(まころ)の謂(いい)です。
涅槃開光明を追体験し、喜び溢つ「結集」は、久遠護持への要です。青年は荘厳に遇う感動を魂に刻み、未来無辺に至宝を伝える使命を自覚。開祖教主様は、青年層の指導育成を『私が生涯かけて仏像を刻みつづける業と同じ、“人づくり”の業』とご親教されます。“一人も多くを救わん”教導院様、真導院様の求願を継承し法器を培うよう、期待します。
経親、導親、親部は温かな親心で他に“仕え、導く人”を育てていかれますように。苑内外、地域社会に根づいた大乗行を聚め、縁をつなぎ、苑=円の”真如人”たれと念じます。
永劫に常住証す常楽の苑
み親の聖願 承けて実動
(彩歌)
民話で兎は月に住むといいますが、み仏般涅槃も、開祖の還着も、満月の時──。たとえ雲が覆おうと月は不変。暗路の衆に行先を照らします。
“月の清浄なるが如く、自心も無垢なり” 常住を証す浄き利行(あゆみ)こそ、永劫の苑を立ち上げる柱なのです。
一燈ずつ万燈を掲げ、銘々が一億倍の果を得られるのが多数作善の理。仏法は自利でなく、みなが救われることを旨として修す訓えだからです。「真」は、家族や友人、身近な方々から、有縁無縁、一切万霊に功徳をめぐらせたいという楽うての土台・奉仕・感謝、不退勇猛の精神(こころ)。何より発祥の親苑・常住のみ親、両童子様を慕い、帰依する純真(まころ)の謂(いい)です。
涅槃開光明を追体験し、喜び溢つ「結集」は、久遠護持への要です。青年は荘厳に遇う感動を魂に刻み、未来無辺に至宝を伝える使命を自覚。開祖教主様は、青年層の指導育成を『私が生涯かけて仏像を刻みつづける業と同じ、“人づくり”の業』とご親教されます。“一人も多くを救わん”教導院様、真導院様の求願を継承し法器を培うよう、期待します。
経親、導親、親部は温かな親心で他に“仕え、導く人”を育てていかれますように。苑内外、地域社会に根づいた大乗行を聚め、縁をつなぎ、苑=円の”真如人”たれと念じます。
永劫に常住証す常楽の苑
み親の聖願 承けて実動
(彩歌)
民話で兎は月に住むといいますが、み仏般涅槃も、開祖の還着も、満月の時──。たとえ雲が覆おうと月は不変。暗路の衆に行先を照らします。
“月の清浄なるが如く、自心も無垢なり” 常住を証す浄き利行(あゆみ)こそ、永劫の苑を立ち上げる柱なのです。
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