伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。編集は不可能としているので、データの誤りなどありましたらコメントでご一報ください。

編成:ピッコロ、フルート2、オーボエ2、コール・アングレ、変ロ管クラリネット2、変ロ管バス・クラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット2、トロンボーン2、バス・トロンボーン、テューバ、ティンパニ、小太鼓、独奏ピアノ、弦楽5部(片山、CD「伊福部昭の芸術5」ブックレット、p9)

作曲年:1941年

初演:1942年3月3日、松隈陽子(pf)、マンフレート・グルリット指揮、東京交響楽団(現東フィル)、日比谷公会堂、「現代日本の作曲」演奏会。

備考:1945年3月10日の東京大空襲で楽譜が焼失したと思われていたが1992年にNHKの資料室で揃いのパート譜が発見され、1997年に蘇演される。

「同年[1997年]の八月十八日から二十日まで、CD『伊福部昭の芸術5 協奏風交響曲/協奏風狂詩曲』(1997/キングレコード)に収録するためのレコーディング(指揮・大友直人、演奏・日本フィルハーモニー交響楽団)が東京・府中の森芸術劇場どりーむホールで行われた。次いで十月四日、札幌コンサートホールKitaraで開催された「伊福部昭音楽祭」(主催・UHB北海道文化放送、北海道新聞社)において、田中良和の指揮、札幌交響楽団の演奏で聴衆に披露された。ピアノ演奏はともに舘野泉」(小林、2004、p33)

1940年9月10日「北海タイムス」に「出でて世に問ふ作曲 中央交響楽団の秋を飾る 若き郷土の伊福部昭君」という記事がある。それによると中央交響楽団指揮者マンフレート・グルリットの依頼により本作は書かれた。1941年4月頃(「勇崎と結婚したころ」)楽譜を中央交響楽団に送付済みだった。(木部、1997、p316)

「[1941年]《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》作曲」(相良、p285)

「[《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》は]一九四一(昭和十六)年にスコアを完成させた。初演は翌一九四二年(昭和十七)年三月三日。東京・日比谷の日比谷公会堂で開催された「現代日本の作曲演奏会」において。(中略)指揮はマンフレッド・グルリット、ピアノは当時、新進気鋭のピアニストだった松隈陽子、管弦楽演奏は東京交響楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団)だった」(小林、2004、pp30-31)

「『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』(42)」(木部、2002、p9)
「一九四二(昭和十七)年の『ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲』」(木部、2002、p88)
上記二つの1942年の記述は作曲年ではなく初演の年と考えられる。

「[1941年]《ピアノと管絃楽のための協奏風交響曲》初演(Pf:松隈陽子/グルリット指揮/東響)」(伊福部,p175)1942年初演の誤り

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伊福部昭の年表と作品のデータベース。暫時更新中。
当初「二次文献による伊福部昭wiki」と題して二次文献の調査を進めておりましたが、二次文献がほぼ網羅できましたので、現在一次文献を基にデータを更新しています。