Lapis 第三話

作者:天かすと揚げ玉




Lapis 第三話


 いつもの、闇がある。細長い通路には、左右にある篝火以外、闇がこびり付いている。篝火が炎を掲げ、しきりに通路を揺さぶった。
 この通路を歩く度に、ソウは奇妙な感覚に襲われる。それは、最近になってからの事だ。
密閉された細長い通路を進むと、まるで漏斗の中央に向かう様な錯覚を覚える。口を開けた闇に、飲まれる様な。
 いつも、闇があった。瞳を開けば、あるのは闇だった。それに飲まれるなど、これまでは感じた事も無かった。闇こそが、自分のあるべき場所だった。
 嗚咽、悪寒、飢え、臭い、悲鳴、すすり泣き、……共食い。
 過去を端的に表す単語を探ると、そんなものしか浮かんでこない。それらは、全て鮮明な像を伴って脳の片隅にある。
 片隅。それは、片隅なのか。本当は今も中央にあるもので、周囲に記憶が堆積しただけではないのか。
 ため息を突いたところで、ソウは通路に突き当たった。グランシェハンターズギルド、ギルドマスターの執務室への扉である。
 扉のノブを、回す。

「珍しいな」
書類にペンを走らせたまま、視線は移さず、彼女が言った。
 扉を明けると、暗い室内の正面に、執務机が見える。立ち上る炎を髪に宿した様な彼女が、そこに座っていた。彼女こそが、グランシェハンターズギルドの主だ。
「マデイラ……」
一度口をつぐみ、ソウは深紅の髪を揺らして戸口を蹴った。
 勢いをつけ、室内に踏み入る。
 この部屋に入るには、いつも覚悟がいるのだ。それは、マデイラの持つ威圧のせいとも言えるし、この部屋のかつての姿のせいとも言える。グランシェの街が、まだアサシンによって牛耳られていたころ、ソウはこの建物に、いた。
 住んでもいなかったし、生息してすら、いなかったろう。
 それでも彼女は、ただ、いた。来る日も来る日も殺戮に明け暮れ、権力者たちの道具として、存在していた。自由も、そして意思すらも無く。
 その記憶が、蘇るのだ。
「お願いがあって来たの」
「そうだろうな」
相変わらず、執務机からは視線を逸らさず、書類にペンを走らせながら、マデイラが言った。
 流れる様な彼女の話し方は、酷く独特である。余裕の無い話し方だと、それを揶揄する者もいた。彼女の高過ぎる知能が、他者を圧する様にも聞こえる話し方をさせるのだ。もっとも、その様な印象を抱かせる事を知りつつも、彼女は敢えて、配慮をせずに話している節もある。会話に付いて来られない者と、会話をする必要性を感じない、といった具合だ。
「お前は用がなければ、尋ねてもくれないからな」
「そ、そういうわけじゃ」
「もういいぞ、ルキ」
そう言ってペンを転がしたマデイラが、机の上の書類から視線を持ち上げた。
 一つの美しい赤色の瞳と、一つの戦いで失われた瞳が、ソウを捉えた。ソウのものよりもやや暗い紅色の髪が、微かな波を帯びて失われた方の瞳を覆っている。髪が揺れたのか、灯りの炎が揺らめいたのか。彼女の髪が、部屋全体を一度撫でた様に見えた。
「茶でも入れてくれ」
「はい」
不意に、ソウの背後から返事が返った。
 背後に感じた微かな気配。微かという程も感じさせない、微風の様な、気配。その持ち主は、背後の戸口の影から滲み出る様に現れた。
 影が、鞘ごと構えていた剣を寝かせると、ソウもまた、気付かぬ内に握っていた剣の柄を離した。手には、じっとりとした物が滲んでいる。
「……ルーキウス」
「久しぶりね、ソウ」
笑うというよりは、笑むといった仕草で、ルーキウスが微かに首を傾げた。
 ソウが、小さく頭を下げる。そのまま、ルーキウスは部屋の奥へ姿を消した。マデイラの執務机の脇には、別室への通路があるのだ。そこは給湯室になっていて、マデイラのために食事を用意する事もできる。利便性に加え、グランシェの歴史と土地柄を考慮した、安全のためでもあった。
「相変わらず細いな、ソウは。スイはちゃんと食べさせてくれているか?」
ソウの全身を一通り見渡し、マデイラが言った。
アルトの音域で発される彼女の声は、艶やかで澱みが無い。水の流れの様な、滔々とした音楽を思わせる。彼女の声を聞く者は、時を忘れて聞き入ると言われるが、その所以だろう。もっとも、紡がれる言葉の内容は、聞く者にとって響きの良いものでは無い。女だてらに、ハンターズギルドのマスターを営んでいるのだ。その直言は、心の弱い者を震えさせ、邪を抱く者を刺し貫く。陰口などが叩かれる、所以だった。
「……時々。普段は、私が作ってる……けど」
スイが責められると思ったのか、ソウは口ごもりながらそう言った。
 そんな機微を感じ取ったのか、マデイラが口元で笑んだ。極上の笑みをたたえながら、胸の下で腕を組んでみせる。そのまま椅子の背もたれに寄りかかると、形の良い胸が、零れそうに躍ったのが、服の上からでもわかった。
「ちゃんと食べないとああなるぞ」
笑いながら、マデイラが部屋の奥を指差す。彼女の瞳は、ソウの膨らみ始めたばかりの胸元に注がれていた。
「何かおっしゃいましたか?」
不意に、部屋の奥からルーキウスが戻った。彼女の平らな胸元には盆が持たれ、そこにティカップを三つほど乗せられている。
 カップに注がれた紅色の茶には、漣が立っていた。それは、彼女が歩いているからではなく、手元が震えているからだ。
「時間の不可逆性と、人生の厳しさを、ソウに知ってもらえればと思ってな」
マデイラが笑うと、バラが咲き誇った様である。美しく、芳しいが、棘もある大輪の華だ。
「小さくても困らないから良いんです。肩も凝らないし」
済ました表情で、ルーキウスが盆の上のティカップを配る。
マデイラ、ソウ、そして執務机の脇の、もう一つの机の上。秘書を務める、ルーキウスの執務机だった。幾つもの書類が積み上げられているのは、マデイラの机と同じである。
「確かに肩は凝るが、私はそれを喜んで受容しているよ」
お茶の礼を述べながら、マデイラが瑞々しい唇でティカップの端をついばむ。
 彼女の仕草の一々は、どこか官能的だった。例え男でなくとも、彼女を見る者は、胸の奥を激しく揉みしだかれる様な、悪魔的な魅惑に襲われる事だろう。
 ソウはといえば、彼女の豊かな胸元と、ルーキウスの控えめな胸元を見比べ、一度だけ深く頷いていた。
「それで、用件は何だ?」
「あ……ルーファゥスの事なの」
「その名前が出た事も意外だが、お前が誰かに関心を持つとはな」
マデイラが形の良い眉を歪ませ、口付けていたティカップを机の上に置いた。茶の潤みを帯び、一層しっとりとした彼女の唇が、口内に引き込まれる。
「ルーのね、教官になってもらおうと思って。でも、ルーファゥスはここのギルドの人じゃないし、でも、ルーファゥスなら、ルーにも安心だから」
身を乗り出して説明するソウを、マデイラは見詰めていた。炎色を称えた瞳ではなく、二度と開かれる事の無い、失われた方の瞳で、ソウを見詰める。
 ソウが、僅かにたじろいだ。
 マデイラの、失われた瞳を覆う様な前髪。だがその奥の、無いはずの瞳は、強い威圧をもって、存在を確信させる。まるで、心の中を覗いて来る様だった。
「いいんじゃないか? あそこだろ、ミナガルデの。あの爺のとこなら問題ないだろう」
美しく、どことなく上品な口調のマデイラが、殊更「爺」と言う所に、不思議な響きがあった。愛情とも悔しさとも取れる、一種独特の響き。だが、それを懐かしさと括るには、生々しさを感じられる。
 そんな機微を感じながらも、彼女が首肯してくれた事に、ソウは顔をほころばせていた。
「盗める技術があるなら、ガラになるまで吸い取ってやれ。ミナガルデのものは私のもの、私のものは、私のもの、だ」
執務机の上で、マデイラが頬杖をついた。
 口の端を緩め、目尻を吊り上げた笑みは、酷く不敵に見えた。

 弾が、弾けた。
 数十メートル離れた岩の上で、的代わりの小石に弾が命中した音だ。
 グランシェ近郊の岩地で、一人と一匹が、何やら談義を繰り返している。
 高い位置の陽が、二人を見守る様に輝いていた。
「照準を合わせる事に関しては、問題無さそうです〜」
ボウガンから弾を放ったルーの斜め前方で、ルーファゥスが頷いた。
 ルーの持つ土気色のボウガン、縛心からは白い煙が立ち上っている。弾種を変更しつつ、ルーが幾つもの弾を放ったためだ。それらは、全て定めた的に命中していた。
「当・然・ニャっ!」
得意げに胸を張るルーの鼻に、銃口から昇る煙がまとわりついた。
 幾度もかいだ、ボウガンの香り。この臭いに、どれだけ助けられたか。今や手足に染み込んだこの臭いは、彼がハンターとして歩んで来た道しるべでもある。ボウガンに慣れ親しめば親しむほど、この臭いは身体に馴染んでいく。
 ボウガンから立ち上る煙は、まるで守り神の様にも感じられた。
「さっき、私は試射する弾種の順番を指定しませんでした。ルーさんが今使用されているボウガン『縛心』には、攻撃用の弾は散弾くらいしか装弾できない様ですので、仕方ないですが〜……」
そこまで言ったところで、ルーファゥスは地面の小枝を拾った。
 地面に文字を書き、それをルーに示す。
「もしも未知のモンスターと遭遇した時、ボウガンの弾種制限は無視して考えるとして、ルーさんはどの弾を使用されますかぁ?」
シャリシャリと、ルーファゥスが砂の上に文字を書いた。
 意外に達筆なそれは、ガンナーが使用する弾種を記している。通常弾、貫通弾、徹甲榴弾……最後に、カラ骨弾二種、と省略して記されている辺りが、彼の大らかな性格を示しているだろうか。二種類のカラ骨弾とは、麻痺弾と毒弾の事である。
「ニャ〜……。毒弾はほとんどのモンスターに有効だから、挨拶代わりに仕掛けておくのも良いけどニャ〜……。麻痺弾でソウの支援をするのも良いニャ〜……」
ボウガンをおいたルーは、地面に書かれた各種類の弾種を見詰めながら、それぞれの文字の前で唸っていた。
 しばらくの時間を要した後、彼は拳を自分の掌の上に叩き付け、答えた。
「一番強い貫通弾ニャ!」
勢いの良いルーの返事へ、ルーファゥスが微笑みを浮かべる。頷きながら、小さな生徒の見詰める地面へ、小枝を走らせた。地面に描かれていた文字の、幾つかに斜線が引かれる。
「未知の敵に対して、一番強いと思う弾で当たるというのは素晴らしい答えです」
貫通弾よりも通常弾の方が強いと考える方もいらっしゃいますが、と、注釈をつけながらも、ルーファゥスはルーの答えに満足している様だった。
「カラ骨二種、これは有効そうで、実は一番危ないです〜。現在確認されているモンスターにその様な種は存在しないようですが、これらの蓄積型の毒に対し、過剰に反応するモンスターが存在するかもしれません〜」
「過剰、ニャ?」
「はい、例えばぁ、毒。これがモンスター内の未知の成分と結びつき、強壮状態を引き起こさないとも限らないわけです〜。麻痺も同様ですね。だから、一切が未知の相手に、これは危険が大きいのです」
地面の上の文字から、カラ骨二種が消された。
「次に、拡散弾や滅龍弾といった、切り札。これも、有効な発射タイミングが分からない事や、発射時の反動の大きさから、未知の相手には危険が伴います〜。同様の理由から、各種の属性弾も危険ですねぇ」
地面の上の文字の、大半が消される。
 ルーファゥスの持つ小枝の前に、通常弾と貫通弾だけが残った。
「ここで、ルーさんは貫通弾を選んだわけですが……」
と、ルーファゥスが言いかけたところで、隣で耳を傾けていたルーの髭がワサワサと動き始めた。
「反動が大きいから、貫通弾は危ないニャ!?」
ルーの言葉に、嬉しそうに頷き、ルーファゥスが答えた。
「その通りです〜。貫通弾の反動を軽減させる手段もあるので、必ずしもその理由は該当しませんが、一番大きい理由はそれです」
地面の上から、貫通弾の文字も消えていった。
「もう一つの理由は、貫通弾のもつ、不確実性です。モンスターの体内を抉りながら直進するという性格上、貫通弾は極めて高い推進力を持っています〜。ですが、モンスターの中には、ダイミョウザザミの様な、甲殻に弾丸を反射する機構を持つものがいます。貫通弾が兆弾した時の危険は、想像を絶します」
隣で頷くルーは、恐らく大切な仲間の事を思っているのだろう。その深刻な表情は、かけがい無い相棒を、自分が傷つけてしまった場合を仮定しているのかもしれない。
「もちろん、あらゆる弾に危険は伴いますが、もしも、兆弾を制御する能力を持ったモンスターがいると仮定した場合、貫通弾を相手の制御下に加えてしまうのは極めて危険です〜」
ルーファゥスは、残る最後の文字、通常弾の手前に小枝を当てた。
「ですが、通常弾ならばどれでも良いというわけでは無いのは、ここまで話を聞いてくれたルーさんには、良く分かってもらえると思います」
「兆弾は危ないニャ! だからLV3 通常弾はだめニャ。それに、いきなり強い弾も危ないニャ……そうするとLV1 通常弾が良いのニャ?」
「正解です〜」
通常弾の文字、その下半分を、ルーファゥスが小枝で削る。
 通常弾には三種類の弾があるので、正確には、彼は通常弾の文字、下三分の二を削っていた。その辺りが、彼の性格の表れだろう。
「ニャ……でも、さっきは一番強い弾を撃つのが良いって言ってたニャ」
「その通りです」
ルーの飲み込みの良さに、ルーファゥスは嬉しそうに頷いた。
「ではまず、頭の中に今所持している弾を想定してください」
「ニャ」
「そこから、今のボウガン『縛心』で発射できる弾の種類を選びます」
「ニャ」
「先程言った、未知のモンスターに対する注意点。これを一つずつ、残った弾の種類に当てはめ、使用が危険と思われる弾を除外します〜」
「ニャ」
「ここで初めて、一番強い弾を選びます」
「ニャ」
「どの弾が選べましたかぁ?」
「ニャ……ニャ? LV1 散弾ニャ……でも、散弾は危ないと思うのニャ」
「そうです〜」
ルーの答えに、期待以上のものを感じ、ルーファゥスは微笑んだ。
「実際に狩りに出た場合、色々な制約を受けます。実は、さっきの様にLV1 通常弾を選べる場合は、ほとんどありません」
残った文字、通常弾すらも、ルーファゥスは地面の上から消し去ってしまった。
「ガンナーは、頭の中に、常に状況を描いていなければいけないです〜。弾、環境、味方の状態、狩りの進み具合。そういう中から、一つずつ条件をぶつけていって、そこで最善の弾を選択して、ボウガンにこめるわけです」
ルーファウスが小枝を細かく折り、それを弾の長さに整えた。小枝製の弾丸を、ルーの前に提示する。
「こんな風に、現場で弾を調合する場合もあります。ガンナーは一番頭を使う役割なんです〜。ガンナーの上達は、つまり、想定できる条件を、一つでも増やす事なんです。そうやって、未知の危険を既知に変えていく、これが、技術と同じぐらいに必要なことなんです〜」
「ニャ……」
「剣士は一秒一秒で動くので、頭よりも直感を重視します。ですが、ガンナーはむしろ頭脳が資本になる場合もあるんですよ〜」
「アイルー……そんなのできるのニャ……?」
肩を落とし、目の前に示された木製の弾丸を見詰めながら、ルーが呟いた。
 突然突きつけられたそれらが、まるで立ちはだかる分厚い壁の様に、彼には感じられたのだ。
「ここまで理解して頂けたルーさんなら、大丈夫です。私が保証します」
ルーファゥスが、ルーの眼前に人差し指を立て、微笑み、頷いた。
 それがルーに確証を持たせるには未だ心もとなかったが、ルーは、覚悟を決めた様だった。 視線を手元のボウガンに落とし、それを一撫でする。
 まるで、ボウガンの作り主へ、強くなる事を誓うかの様に。

「何を狩りましょうね〜」
ルーファゥスがソウに依頼され、ルーに訓練を施す事になっていた一ヶ月も、残りは一週間強。この日も、ルーファゥスがいつもの岩場で腰掛けている。ルーは基礎動作を終え、体をほぐし終えていた。普段ならば、ここからルーファゥスが細かな訓練の内容を伝え、一日が始まる。だが今日のルーファゥスは、そんな事を言ったきり、空を眺めるのみだった。
 ルーの順調な訓練の消化が、そろそろ実戦の必要性を囁いていた。連日の訓練によって、ルーの動きは見違える様になっている。これまでの狩りによって、既に基礎ができ上がっていたため、そこに半月あまりの訓練を加えただけで、何かを掴んだのだ。
 才能が開花する瞬間は、ある時突然という事もあるのだ。
「ルーさんの希望するモンスターはありますかぁ?」
栗色の軽い髪を、風にフワフワとそよがせながら、ルーファゥスが尋ねた。
 暖められた日中の空気が、ゆっくりと空に立ち上るのが見え、柔らかな髪の彼も、まるで吹き上がってしまいそうに見える。色の薄い髪と、透き通る様な肌理の細かい肌が、全体に色素の薄い印象を彼に与えるのだ。
「ニャ……ニャ……」
ボウガンを構えたままのルーが、うつむいて口ごもった。
 丸まった手は肉球を包む様に縮こまり、肩が、尻尾と供に垂れ下がっていた。
「何でも良いですよぉ?」
「デ」
「で……?」
「ディア……ブロス……ニャ」
小さな声で呟き終える頃には、ルーは既に真下を向いて話している。言葉にするのが重かったそれらは、言うそばから彼の視線を下げ、ついに真下を見詰めさせたのだ。
 言い終えた所で、彼の口は笛を吹く様にすぼめられ、青色の瞳が、日中の明るい茶色の光の下、泳ぐ様に右往左往した。
「じょ、冗談ニャ! ディアなんて狩れないニャ! 言ってみただけニャ……」
泳ぎ回るルーの瞳が、恐る恐るルーファゥスに向けられる。
 ルーは、彼がいつもの微笑みを浮かべているのに気付いた。
「行きましょうか、ディアブロスを狩りに」
「い、行っていいのにゃ!?」
「勿論です、そのための訓練ですから」
冷笑を浴びせるでも、怪訝な視線を送るでもなく、ルーファゥスはいつもの様に微笑んでいた。
「つ、角を取りたいのニャ……」
再びうつむき、ルーが恥ずかしそうに言った。
 一流ハンターの証明、ディアブロスの角。
 そんなものが、自分にかれるのかどうか。そもそも、自分がそんな事を言い出す事が、一流のハンターに対する、不遜にならないのか。
 だが、いつもいつも、ソウの倉庫で、それを横目に盗み見ていたのだ。いつか、いつかそれを自分の手で剥ぎ取ってみたいと。
 思い出と思い入れが交錯し、それらは絡み合い、重みを増して彼の視線をうつむかせる。
「ディアブロスを狩るのなら、もちろん角は欲しいですよね〜。頑張りましょう」
そんなルーの葛藤を知ってか、ルーファゥスは頷いて立ち上がった。

 その日の午後、ルーはソウの倉庫からファストニードルを持ち出していた。純白のボウガンは、新たに研き直され、種々の歪みを調整され、完璧な姿に戻っていた。工房へ篭ったソウが、真っ先に調整してくれていた様だ。
「……ありがとニャ、ソウ」
ルーは、足早に倉庫を抜け出し、狩場への出発用意を済ませた。工房へ篭った彼女に声をかけるのは、邪魔になると考えたのだ。
 目的地は、レドニアの砂漠地帯。
 ルーの、生まれ故郷でもある土地だった。
「準備は済みましたか?」
グランシェの街の入り口には、既にルーファゥスが待っていた。簡単な狩りの用意をしてはいるが、彼自身は狩りに加わらない旨を告げていた。あくまでも、彼は教官として同行するのであり、狩りの仲間では無いのだ。
 全ては、ルー一人に掛かっている。
「大丈夫ニャ!」
ルーが一度だけ街中を振り返ったのは、最早狩りに対する躊躇ではなく、声もかけずに置いていくソウを思っての事だった。
 空を見上げると、蒼空が、陽光の帯を投げ掛けて来る。
 目を細めてそれを受け取りつつ、ルーが小さく頷いた。
「それじゃ、出発前にこれを」
屈んだルーファゥスが、ルーの掌を取り、そこに何かを握らせた。肉球の上に触れたそれは、布の包みの様な形をしている。
 良く見れば、それは生地を太陽草で染色したもので、稀にハンターがお守りとして携行するものだった。
「お守りです。無事に、っていう願いが込められた」
「ニャ……」
手作りの赤い布地の触感に、表に刺繍された肉球の印。ルーは、それを見詰めた途端、瞳が熱くなるのを感じた。
「ソウさんに、挨拶に伺った時に預かりました。直接渡したらどうですか、って言ったんですが、邪魔になるかもしれないから今は会わない、っておっしゃって」
やはり、ソウが作ったものだった。
 ルーは、瞳から雫が零れそうになるのを堪え、空を見上げた。蒼い空が、手を振る様に、ルーを見下ろしている。
 どれ位そうしていただろうか。
 瞳が乾いたのを確認し、ルーが大きく首を振った。
「ニャ」
 頑張るニャ。
 ソウのために、強くなるニャ。
 アイルーのためにも、頑張るニャ。
 すぐに帰るけど、体には気をつけてニャ、ソウ。
 行って来ますニャ。

↓続く。
Lapis 第四話
2007年01月28日(日) 17:12:18 Modified by orz26




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