空の蒼と海の青 第七話

作者:天かすと揚げ玉




第七話


 その日。
 スイはギルドマスターから正式なハンター許可証を受け取り、ゲストハウスへと戻っていた。
 階段を登り、三階に位置する部屋へと入る。
 部屋は広く、数十人が集まる事も可能な部屋である。
 調度等は全て一級のものを用意してあり、部屋は瀟洒と呼ぶに相応しい。
 部屋の片隅に置かれた、やはり高価そうな机には、ソウとルーが向き合って座っていた。
 机の上には対になったカップが置かれ、そこには薬草を乾かしたものを水で溶いたものが注がれている。
 スイが戸を開けたのに気がついた二人は、彼女を笑顔で向かえた。
「ただいま」
ソウとルーの二人が、大声で階下へ食事の用意を注文した。
 どうやらお茶を飲みながら、スイの帰りを待っていたらしい。
 これから三人揃って食事をするつもりの様だった。
「お帰りなさい」
「お帰りニャ〜」
戸口のスイが、微笑みながらルーを呼ぶ。
「はい、これ」
スイが渡した物は、ハンター許可証である。
 正方形の紙に書かれた文字と押印。
 それは持ち主がハンターとして認められた事を記している。
「これなんニャ?」
ルーにはそれが何か分からなかったらしい。
 ハンター許可証を受け取った彼は、しばらく何も言わず、何も話さずにそこに立っていた。
 最初に反応を示したのはルーの髭だった。
 そして振動する髭から全身へと震えが伝わり、体中の毛が逆立つ。
「ハンター許可証って紙なのニャ!?」
ルーの受け取ったのは一枚の小さな紙切れである。
 何の変哲も無い一枚の紙。
 彼はもっと立派な物を想像していたようで、いささか意外な様子であった。
「ふふ、それ自体に大した意味は無いのよ。実際に意味があるのは、ハンターズギルドの台帳に記載された貴方の名前」
実際、ハンターはこのハンター許可証を携帯している訳では無い。
 酷いハンターになると、これを紛失している場合も少なくない。
 ハンターがギルドからクエストを引き受ける際、受付は台帳に記されたハンターの身体的特徴と、依頼を請け負おうとする目の前の人物を照合するのである。
 とはいえ、受付を担当する者は登録された大半のハンターの特徴を暗記しており、照合には台帳も必要としないと言われていた。
「ニャー……?」
粗末なハンター許可証に落胆したわけではない様だが、アイルーらの使う紙幣と大差の無い、紙製のハンター証にルーはいささか肩透かしを食った風である。
「ルーって書いてあるニャ〜……」
焦点の合っていない瞳が、紙の上の文字を追っている。
 ルーをハンターとして認める。
 その文字が彼の脳へ達するには、さらにもうしばらくの時間が必要だった。
「ルーニャ!? ルーってルーニャ!? ハンターニャ!!?」
瞳を大きく見開き、目の前のスイへと詰め寄る。
「ええ、おめでとう、ルー」
「おめでとう」
スイの言葉へ、ソウが追いかけるように繰り返す。
 スイの言葉に遅れた事が気に入らなかったのか、彼女の唇は微かに突き出されていた。
「……ありがとうニャ……」
「アイルー……アイルー……何て言ったらいいかわからないニャ……」
ルーはそれ以上の言葉を紡げなかった。
 ありがとう。
 それ以外に何を言えば良いのだろう。
 胸からこみ上げる感情を押さえれば良いのか、そのままにすれば良いのか、それすら分からない。
「いいのよ。これは貴方ががんばったからなのだから。これは貴方が自分で手にしたものなのだから」
うつむきながら、ルーがハンター証を胸に抱きしめている。
 広過ぎる部屋の中で、胸元に抱きしめたそれは、何故だろう先ほどとは異なり酷く重い様に感じる。
 彼は瞳を閉ざして小さくうなずくと、ニャ、とだけ声を発した。
「それとね、もう一つ」
スイが差し出したものは、一抱えもある袋である。
「これは貴方のハンターとしての最初の報酬。ドスガレオスの素材と、賞金よ」
アイルーが受け取るにはやや大きい袋。
 ルーは慌ててハンター証をバッグへしまい込むと、両手を掲げるようにしてスイからその袋を受け取った。
 ずっしりとした手ごたえ。
 抱えたそれは、ガチャリと音を立てる。
「しょ、賞金……ニャ」
スイに言われて袋の口を明けると、その中には幾ばくかのコインが詰め込まれている。
 見てはならない物。
 酷く魅力的な物。
 それらを同時に見てしまった様に、ルーが葛藤と供にそこから顔を背けた。
「マタタビ買い過ぎちゃだめよ?」
袋の中を見つめるルーへ、スイが意地の悪い微笑を浮かべた。
「そんなことするかニャー!!」
地面を足で蹴りつけると、ルーが力の限り叫ぶ。
 だが、僅かな時間を置いたルーが、髭をひくつかせながら尋ねるのだった。

「……い、幾つまでなら買っていいニャ?」

 ルーが夜中にこそこそとベッドを抜け出すようになって、一週間が過ぎた。
 ソウもスイもその事には気付かない振りをしていたが、日増しに彼自身が火薬臭くなってゆくのは隠しようが無かった。
「ふふふ、ルーは今夜もボウガンの練習?」
スイが薄暗い部屋の中で隣のベッドへ声をかける。
 そこで横になっているソウは、既にもぬけの空になっている自分の腕の中を見つめていた。
 抱きしめて眠っていたはずのルーが、既にいなくなっている。
「風邪引かないと良いけど……」
先ほどベッドから抜け出ていったルーは、今頃ゲストハウスの裏手でボウガンの練習をしている頃である。
「大丈夫よ。それより、貴方の準備は平気なの? そろそろ依頼に取り掛かるわよ」
ベッドから隣を見ると、ソウが天井を見詰めながら胸の上で手を組んでいる。
 蒼色の瞳は開かれたまま、閉ざされた天井を見ていた。
「アレを使おうと思うの。ルーもいるから……」
その言葉が何を示しているのか、スイは理解していた。
 ソウは狩りを楽しんでいる。
 果たしてそれは、純粋に狩りのみを楽しんでいるのか定かでは無いが、彼女が狩りの中で楽しみを感じているのは間違いが無い。
 彼女は一人で狩りへ出る時、わざと弱い武器を持って出る事がある。
 それは紛れも無く、自らの能力を落とし、苦境に身をおくことで得られるスリルを楽しんでいるのである。
「そう。明日慣らしに行って来ると良いわ。ルーは見ていてあげる」
「うん」
毛布を手繰り寄せて頭までもぐりこむと、ソウは体をくねらせながら毛布の海に塊を作る。
 ベッドの中に残ったルーの微かな温もりが、彼女の体を優しく撫でた。
「……クスクス、猫みたいね」
スイもまたソウに倣い、毛布を手繰る。
 深くも浅くも無い、いつもの眠りへ落ちていった。

↓続く。
空の蒼と海の青 第八話
2006年12月19日(火) 13:00:28 Modified by orz26




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