空の蒼と海の青 第十二話

作者:天かすと揚げ玉




第十二話


まぁったく世話が焼けるニャ!
また荷車送りになったニャ〜
つくづく相棒のハンターが気の毒ニャ
つくづく無駄金払わされるギルドが哀れニャ
つくづくアイルーぼろ儲けニャ
ニャニャニャニャー!

 二匹のアイルーが荷車を押している。
 老山龍の足元から、緑色の煙が上がった。
 地面に倒れこんだ際、衝撃でルーのバッグの中のモドリ玉が爆発したのである。
 モドリ玉、それはハンターの持つ道具の一つで、強い衝撃を与えると特殊な緑色の煙を放つ道具であった。
 事前に購入しておく事で、その資金がアイルーに支払われ、煙を合図に彼らがキャンプまで後送してくれるのである。
 怪我をして後送される場合と異なり、報酬の如何にかかわらずに定額で運んでくれる。
 狩りの際には持っておきたい、ハンターの必需品であった。
「……ニャ」
うっすらと開けた瞳には、無機質な岩が写る。
 渓谷の横穴に運びこまれたのだ。
 ゴツゴツとした岩の天井が視界にある。再びアイルーの荷車の上で目を覚ます。
 両脇には二匹のアイルーがいる。
 スタイコビッチとゴルゴノフだった。
「起きたニャ?」
スタイコビッチが荷車に横たわるルーを覗き込んだ。
 彼の重いまぶたが二・三回開閉される。
「……またスタイコビッチとゴルゴノフニャ?」
「スタイコビッチとゴルゴノフ……ニャ?」
ゴルゴノフが、不思議そうに首を傾げた。
 顔には怪訝なものが浮かんでいる。
「ソウが……つけてくれた名前ニャ。アイルーのルーって名前もソウがくれたニャ……」
ルーの未だ焦点の定まりきらない瞳が、横穴の出口を眺めている。
 横穴の壁は小さく震え、時折壁から小さな石の破片が落ちてくる。
 振動は未だ近辺におり、進行方向は逸れてはいなかった。
「スタイコビッチとゴルゴノフ……」
「いいニャ……」
「ニャ……すばらしい名前ニャ……」
「エクセレントニャ……!」
ルーが慌てて荷車から飛び降りた。
 いや、飛び降りようとしたのだ。
 だが疲労で満たされた体は言う事を聞かず、荷車から起き上がる事はままならなかった。
 地面にぶつかった足が、石と足の間に無機質な音を立てる。
 だが、立てかけられたボウガンを握り締め、ルーは体を動かし始めた。
「だめニャ……ソウの手伝いをするのニャ……」
ボウガンを握り地面へ倒れこんだルーが、それでも必死に横穴の出口へ向かおうとする。
 四つ這いのまま、何とか一歩を踏みしめた。
「その体じゃ無理ニャ〜!?」
「大人しく休んどけニャッ!」
二匹のアイルーが、慌ててルーを止めようとする。
 だが、ルーの瞳は横穴の出口に置かれた自身の荷物と、そこに乗せられた真紅のギルドナイトフェザーしか見えていない。
 彼が真紅の帽子を拾い、どんぐりのバッグを背負おうとした時であった。
「お前のボウガンはもう弾が入ってないニャ?! 弾の無いガンナーに何が出来るニャ!」
スタイコビッチが身を挺し、なおもルーを止めようとする。
 横穴の出口は、両手を広げた彼の小さな体によって塞がれている。
 だが、ルーは力なく笑い、スタイコビッチの手を払おうとするのだった。
「ニャ……?」
ところが帽子を深く被りなおそうとしたルーが、ギルドナイトフェザーに奇妙な感触を感じた。
 帽子の側面に触れた時、何か違和感を見つけたのである。
 この帽子の様な防具は、前後に長いつばが突き出、左右のつばは上方に向けて折り曲げられている。
 スイから受け取ったギルドナイトフェザーのつばの中、右と左のつば一つずつに不思議な感触を感じたのだった。
「中に何か入ってるニャ……?」

 メキッ。
 鈍い音が巨柱から発せられた。
 この数十時間、いや、丸一日以上向き合って来た巨大な柱。
 老山龍の足。
 何度斬りつけようとも微動だにしなかった、甲殻の塊。
 しかし、とうとう鋼鉄の塊の様なこの足の、筋繊維が露出したのである。老山龍の足についた傷がひびとなり、亀裂が広がり、まるで一枚の皮を引き剥がすようにして、足の甲殻が切れ飛んだのだ。
 遥か前方では、竜の叫び声が聞こえた気がする。この前足の位置からですら、長い首の彼方にある老山龍の頭部は見る事が出来ない。
 胴から首まで何メートルあるのだろう。
 だがそれでも、竜は苦痛に歪んだ表情をみせたに違いない。
 多大な時間と労力をつぎ込んで、ようやく得た好機であった。
 とはいえ、こちらも体力が限界である。
 あいにくと、痛みに震える竜の姿を見てやる事が出来そうにない。
「……ふぅっ」
そう思ったのがあだとなったのか、ソウはついに片膝を地面についてしまった。
 振り続けた剛刀は巨石のように重く、動かし続けた筋肉は果実のように腫れ上がっている。
 手の振動が止まらない。
 手だけでは無い、全身の震えが収まらない。
 老山龍の引き起こす、振動で揺れているからでは無いだろう。
 多分、全身の筋肉が限界に来たのだ。
 このままうずくまっていれば、間も無く訪れる老山龍の後ろ足が踏み潰してくれる。
「……」
取り立てて深い思いはなかった。ただ、スイとルーの事だけが気になる。

何故だろう

これまでも間近に死を感じる瞬間は幾らでもあった

それでも、その時に何かへ思い至った事などない

ではなぜ、今は二人の事を考えているのだろう

良く分からない

「……もう少し生きたかったな」

良く分からない

 何故スイとルーの事を、戦闘中に考えてなどいるのか。
 何故自分は、生きたいなどと口走ったのか。
 今回の仕事は、この竜を倒す事にある。
 別に生きて帰る事が仕事では無いのだ。
 この竜さえ倒せば、仕事は終わる。
 何も生きて帰ることなど必要ないはずである。
 それなのに、なぜ。

巨竜の足が振り上げられた

 凄まじい轟音が背後で鳴り響き、体が宙へと吹き飛ばされる。

終わった

 ソウがそう思ったのもつかの間、彼女の鍛えられた右脳は異なる事を彼女に告げていた。
 自分は今、竜の足と向き合っていたのだから、踏み潰されるとしたらそれは正面からである。
 まして踏み潰されるのなら、吹き飛ばされる事などない。
 そこで意識の終焉を迎えるはずである。
 そういえばそうだ。
 宙へと放り出されたソウの頭脳は、地面へと辿り着くまでに、もう少し考えを進めた。
 背後から感じた衝撃は熱気を孕んでいた。
 熱を放つ衝撃波。
 それを起こす事が出来るのは、老山龍では無いはずだ。
 銃。
 多分これは弾による爆発。
 ルー。
 踏み潰される前に、ルーが拡散弾の爆風で吹き飛ばしてくれたのだ。
「ルー!」
大地を踏みしめた足が自重を感じた時、ソウはその名を叫んでいた。
「大丈夫ニャ!?」
渓谷の壁際に、ルーの姿がある。
 その銃口からは白色の煙が立ち込め、そしてそれは何処か誇らしげに空へ登っていた。
 不意に喜びがこみ上げる。
 ルーは生きていた。
 最後に声を聞く事が出来た。
 不思議な事に、それだけで何かを成し遂げる事ができた気分になれる。
 任務はまだ遂げていないというのに、何故かそれで満足であった。
「ダメ! 逃げて!!」
だが、それもつかの間である。
 渓谷の壁際は、絶えず上部からの落石が起きている。
 老山龍の引き起こす振動のためだ。
 ゆえに、渓谷の壁際は極めて危険である。
 落ちてきた岩石が、いつ頭を打つか知れたものでは無い。
 何故ルーは今、壁際に立っているのか。
 何故、壁をよじ登って岸壁の窪みへ乗ろうとしているのか。
「ルー!」
とにかく老山龍の動きを止めなければならない。
 それが適わずとも、とにかく注意をひきつけさえすれば、ルー一人が逃げ延びる隙ぐらいは生まれるかもしれない。
 それはとっさの事であった。
 ソウはかつて自分が多用した武器が、鎧のすね当てに隠されているのを思い出した。
 無数の人間を朱に染めた武器。
 幾度これを、闇から放ったことだろう。
 彼女は小型のナイフを引き抜くと、とっさに霧の彼方へと投げつけた。
 その先には老山龍の顔があるはずなのだ。

……

 ナイフは霧の中へと吸い込まれた。
 自らの手より放たれたものが、まるで闇の中へ飲まれた様に。
 手ごたえが無い。
 音も無い。
 答えを持たず、ナイフは当て所なく霧の中へ消えた。

 人を殺め続けた。
 それに罪の意識を感じた事は無かった。
 だが、スイに教えられたのだ。
 人を殺せば、悲しむ人がいるのだと。
 人を殺せば、いつまでも帰らぬ人を待ち続ける人を作るのだと。
 一人でいるのは嫌だった。
 たとえ相手が剣を振りかざして来ようとも、自分以外の存在が欲しかった。
 自分一人では存在が消えてしまいそうになるから。
 それが死でも生でもかまわない。
 存在している確信が欲しかった。

 だが今は、暖かいまま、生きて傍にいて欲しいと願う者がいる。
 それは自分の中で、何かが変化した証なのかもしれない。
 この変化が自分に何をもたらすのだろうか。
 まだ分からない。
 でも。
 だからこそ。
 それを大事にしたいと思う。

(当たって……)

「当たれニャー!!!!」

アァァオオオォオン

 深い霧の中を抜けたそれは、まっすぐに老山龍の顔へ突き刺さった。
 そう、違うはずは無いのだ。
 老山龍に比べれば遥かに小さな、人間という的に対して幾百と繰り返した行為なのだ。
 ナイフは老山龍の瞳を逸れ、まぶたへと突き刺さった。
 いや、突き刺さったのでは無い。
 顔の表面を覆う、甲殻の隙間に突き立ったのだ。
 ルーの銃弾によって付けられた無数の傷の中に、ナイフが突き刺さった。
 その衝撃は甲殻の破片を吹き飛ばし、この堅固な破片は、老山龍自身のまぶたを傷つけるのに十分であったのだ。
 瞳に感じた裂傷に、老山龍が苛立ちを表す。
 それを吐き捨てるようにして、彼が空へ向かって咆哮を上げる。
 その時だった。

「いくニャ!!」

凄まじい衝撃と轟音

 ファストニードルが必死になって、何かとてつもないものを吐き出した音だった。
 ルーがほとんど吹き飛ばされながらその衝撃を押し殺した時、老山龍の背中に煙が上がったのが見えた。

更に轟音

 そして老山龍の身体全体が、大きく揺さぶられる。
 黒い、何かを溶かして砕け散った様な、一続きの光の帯。
 直後、老山龍が更に大きな咆哮を上げた。

そこからはあっという間の出来事だった

 巨大な咆哮をあげた老山龍が、尾を一閃させて渓谷の壁を抉ると、その崩落を利用して渓谷を這い上がる。
 渓谷の頂きに登った彼は、そこで初めて二匹のハンターを見下ろした。
 見つけたのは、人間とアイルーという奇妙な組み合わせである。
 彼は渓谷に立ち込める霧越しに二人を認め、数瞬をそこを見定めたまま費やした。
「……」
一声いななくと、老山龍は渓谷に背を向けて歩き出した。
 激震が引き起こされていた渓谷から、徐々に振動が薄れていく。
 渓谷内に立ち込めていた霧が、老山龍の起こした崩落部分より薄れて始めた。
 一秒ごとに訪れる激震・鳴動・振動。
 それに反比例して、彼が去っていったのだと分かる。
 ここにはもう崩落も落石も無い。
 ソウとルーはいつの間にかその場に座り込んでいた。

「驚いたな。滅龍弾まで撃てるか……」
渓谷の淵からボウガンのスコープを覗くイリアスは、老山龍の動きよりも、むしろルーの放った弾に驚いていた。
 滅龍弾。
 竜殺しの実から作られる特殊な弾である。
 龍殺しの実には、竜の甲殻を溶かすという特殊な成分が含有されており、ワイバーンやドラゴンの甲殻と接する事で極めて強い反応を起こす。
 ルーの見た閃光は、竜殺しの実が甲殻に激しく反応を示したものであった。
 光の中に溶け込んでいたのは、他ならぬ老山龍の甲殻である。
「帰られたか……老山龍」
ラプターが、老山龍によって削り落とされた岩壁を見詰めている。
 無残に削り落とされた壁面は、跡形も無く崩れ落ちていた。
 もしも老山龍が本気になって人間へ襲い掛かったのなら、あの岩壁よりも見事に崩れ落ちる事であろう。
 彼にとっては、人間など岩盤よりも取るに足らぬ卑小なものなのだろうから。
「渓谷の脇に射手二名を伏せてあります。ヴェクスさんが時間を稼いでくれれば、ここからでも十分やれます」
イリアスの覗くスコープの中には、土煙の中でボロボロになりながら抱き合うソウとルーの姿があった。
 彼らの戦いは終わったのだろう。
 よくやったとも思う。
 今は彼らの健闘に拍手の一つも送るべきだろうか。
 ここからは自分らの仕事である。
「追いますか?」
ボウガンを折りたたみ、老山龍が駆け去っていった方向を見つめた。
 今ならばまだ簡単に追いつける距離である。

「いや、止めておくよ」

「……彼の来訪を侵攻と呼び続ける限り、きっと非はボクらにあるのだろうから」

↓続く。
空の蒼と海の青 最終話
2006年12月19日(火) 13:03:10 Modified by orz26




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