Dragon's Sanctuary 第七話

作者:揚げ玉




Dragon's Sanctuary 第七話


喧騒が引き裂かれた。
 それは、人が床に叩きつけられる音によってである。
「ふざけんじゃねぇ!!」
酒場のハンターらは一瞬にして会話をやめ、その騒ぎへ視線を移した。
「……ってぇな!!」
突き飛ばされた男が勢い良く立ち上がり、床を蹴りつけて叫ぶ。彼の背後には二人の男が立ち、突き飛ばされた男を加えた三名は、眼前に立つ一人の男へ敵意をむき出しにした。
「他人の分の携帯食料まで取りやがって! お陰でこっちは手持ちの食料がゼロだ!!」
だが、それら三つの敵意を受けてなお怯まないのは、目の前の男も同じであった。
 携帯食料、それはハンターズギルドが支給する加工された食料の事である。干して加工された肉は、腹持ちの悪さはあるものの、極めて保存が利くのだ。ゆえに狩りに赴くハンターにとっては何よりの餞別となる。
「てめぇらが準備に時間食ってるからだろ!! 大体、てめぇらはろくに働いてなかったじゃねぇか!? 役にもたたねぇで、口だけは一人前か! おめでたいな!!」
「……」
啖呵を切られた三名の男に、何かが走った。
 啖呵を切った男にも、それは見て取れた。
 越えてはならない一線を越えたのだ。目前の三人にとって、我慢出来る範囲以上の事を言ってしまったのである。
 この上は、剣を抜いて彼らに対するしかなかった。こちらが剣を抜かなければ、たった今、引き抜かれたあちらの剣がこちらの身体を切り裂く事だろう。
「……」
酒場の一同は、黙って成り行きを見守っている。
 もっとも一同の半分は真剣に、そしてもう半分はこの余興を楽しそうに見守っているのだが。
「っとに……」
彼ら、酒場の大半を占める物見遊山のハンターとは、異なる視線を向ける者がいた。ため息混じりにその視線を送るのは、カウンターに立つ女性である。
 彼女は瞬時に爪先で床を突くと、そこから跳ね上がった二本の剣を両手に取った。
「!」
その彼女が、突如入り口に現れた影に驚愕した瞬間である。
 一人と三人の男が、引き抜いた剣を振りかぶりながら同時に床を蹴った。
 触れ合う剣と剣。
 その独特の金属音は、しかし、別の金属音によるものだった。
「ってぇ……」
剣が床に激突し、回転しながら酒場の隅へ転がってゆく。木製の床と、金属の剣が、奇妙な磨耗音を立てて舞台から去っていった。
 凄まじい手の痺れ。
 痺れたのか。
 それとも。
 これは。
 これは凍傷なのだろうか。
 痺れには変わりないのだが、感覚の無い手に、微かな冷気を感じる。まるで、凄まじい勢いで冷気を吹き付けられたかの様な。
 不思議な痺れが、彼ら四人の腕を覆っていた。
「くだらねぇ事やってんじゃねぇよ」
風が駆け抜けた。
 少なくとも、三人と一人の男には、そうとしか知覚できなかった。
 そこには二本の剣を携えた、一人の男がいる。
 男らの間を割る様にして、彼が床にひざまずいている。彼こそ、男達から剣をもぎ取った張本人であった。
「仲間ってのは、例えそいつに殺されたって仲間だろう。携帯食料の一つや二つや三つや四つ、それでウダウダ言うようなら、他人と狩りに出るんじゃねぇ」
立ち上がった男は二本の剣を両肩の上に乗せると、それを頭の後ろで交差させて首をかしげた。
「相手に命も預けられねぇ、仲間ごっこの雑魚がいきがるんじゃねぇ。手前ぇらみてぇのがいるからハンターの質が落ちるんだ」
前に立つ一人と、後ろに立つ三人。その双方に剣の切っ先を向けると、二本の剣を持つ男は瞳を閉ざした。
「人間に剣を抜きやがって。失せろ! ハンターの面汚し!!」
男の剣から放たれた鋭い冷気は、刀身から発されたものだけでは無かっただろう。
 彼に睨まれて呼吸すらままならなかった四人は、ようやく小さな悲鳴を上げ、その場から駆け去っていった。
「ったく。人付き合いが出来ねぇなら、一人で狩りに出ろ。人間、本気になりゃ老山龍の一匹や二匹、一人でも何とか」
「なんねぇよ、アンタ以外」
酒場に喧騒が戻った。
 男が霊獣キリンの様に酒場に駆け込んでから、酒場のハンターらは本気で固唾を呑んでいたのだ。男の身のこなし、気迫、それらにハンターらは支配されていた。
 冷やかし半分で成り行きを見ていた彼らは、いつの間にか本当に硬直していたのだった。一部を除いて。
「スイカの種?」
「あ……」
その一部は、また異なった意味で硬直する事となった。
 その男に睨みつけられたのはディグニティである。燃え上がるような真紅の髪が、今は薄暗い店内でしなびた様に見える。
「忘れてた……」
「買って来い」
男は鞘に収めた剣の上で腕を組むと、ディグニティへ向かって大きく首を振った。
 気まずそうに立ち上がったディグニティは、男の言われるがままに立ち上がると、静々と酒場を後にしてしまう。
「やぁ、ヘクター」
侵略とでも表現するべき方法でディグニティの座席を奪取した男は、その席の正面に座る栗色の髪の男に声をかけられた。
 クラスターである。
「よぉ、ラス。この二人は?」
「うん、こっちがカノン」
「……よろしく」
「で、こっちが……」
「アキです。よろしくお願いします」
「ああ、ヘクターだ。よろしくな」
どっかりと席に着いたヘクターは、正面のクラスター、はす向かいのカノン、隣のアキに一瞥を送って挨拶代わりにした。
「何しに来たの、アンタ」
カウンターを離れたのか、不意に受付の女性がテーブルの脇に立っている。張り付いた笑顔と供に、彼女がヘクターに水を給した。
「ディグが遅いから急かしに来た」
「アンタが来ると必ず厄介ごとが起きるのよ。何で来るの!?」
「ハァ? 職場に来んなってのかよ?」
「いつも仕事して無いでしょ!?」
「してるだろ!?」
突然始まった口喧嘩に、ヘクターの隣に座るアキが右往左往し始める。何しろ、何の前触れも無く始まった騒動だった。
 どうしたらよいか、見当が付かない。
そんな表情で、アキがヘクターを止めようとしている。
「ああ、大丈夫。仲が良くて喧嘩してるだけだから」
にっこりと微笑むと、そんなアキをクラスターが制した。彼は彼で、何事も無かったようにグラスに口を付けている。
「何で剣弾いたのよ! 床に傷が付いちゃったじゃない! アンタなら手甲で受け流せたでしょう!?」
「んな事したら腕が痛てぇだろ!!」
「床はもっと痛がってるわよ!!」
「ね? 仲良いでしょ」
「床の張替え代、給料から差っ引いとくからね」
「はぁ!? 床なんか始めからブーツで傷だらけじゃねぇかよ!!」
「え……ええ……そ、そうね……」
「アンタにつけられる傷とは価値が違うのよ!?」
「はぁ!?」

 結局、ベッキーがカウンターへ戻り、ヘクターが席に着き、舌戦に終止符が打たれたのはその日の夕方である。
「んで、そのままレドニアに赴任か?」
ようやく落ち着いたように座るヘクターは、手にするグラスを一気にあおった。
「うん。カノンの実家でゆっくりしたら、そのままあっちに行こうと思ってる」
この日、クラスターとカノンは深夜竜車でカノンの実家へと向かう予定になっている。既に荷造りは済ませてあり、荷は竜車を操るアイルーの元へ預けられていた。刻限になれば、竜車に飛び乗るだけで出発が出来る。
「そうか。こっち戻ったらまた連絡してくれ。今度ゆっくり飲もうや」
「うん」
クラスターが手を振り、カノンが軽く頭を下げた。
 クラスターには休暇の許可と、そしてその次の依頼がハンターズギルドより与えられていた。休暇が明け次第、彼は新たな依頼をこなすために目的地へ旅立つ手はずになっている。
「じゃ、またな」
ヘクターに見送られた二人は、席を立ち酒場を後にした。
「で? スイカの種?」
その二人と酒場の出入り口で声を交わし、こちらへこそこそと歩いてきたのはディグニティであった。
 ヘクターの容赦の無い視線がディグニティへ注ぐ。
「いや、品切れらしい。隣町に……」
「行って来い」
「へぃへぃ……」
首を振ったディグニティは、両手で空をあおぐと、とんぼ返りで酒場を後にしてしまった。隣町といえば決して近い距離ではなく、往復するとなると数日はかかる事になるだろう。
 あっという間に三名のいなくなったテーブルには、ヘクターとアキの二人だけが取り残された。
「……あの」
「ん?」
「あの噂、本当なんでしょうか……」
「どの噂?」
「えと、エストって人がモンスターを作り出したって……」
「ら、しいな。エストってのは酷い奴だな?」
「……」
アキの視界にはテーブルがある。
 薄暗い酒場の中、身を撫でるようにして喧騒が滑ってゆく。
 耳に入らぬ喧騒はアキに孤独をもたらし、先ほどから重みを増して行くそれは、ヘクターの一言で更に重くなったようだ。
 見詰めるテーブルの木目が、まるで踊る様に揺らめいている。
 腰の重みが更に増す。

 ポーチの中のものが、際限無く重くなってゆく。
2005年10月14日(金) 23:28:33 Modified by orz26




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