Dragon's Sanctuary 第二十一話

作者:揚げ玉




Dragon's Sanctuary 第二十一話


「バカにすんなよ」
唇の端を持ち上げ、ヘクターが不敵に笑った。
「そう言うと思った」
笑いを零し、エストが立ち上がる。
 ヘクターの身体には、既に応急処置が施されていた。
 立てそう?
 そう尋ねたエストへ、ヘクターが笑ったのだ。
「少しだけ休んだらすぐに追う。アキを見ててやれ」
「ええ」
しゃがみこみ、ヘクターの応急手当を施していたエスト。
 その二人を、二頭の火竜が窺っていた。
 だが二人は、彼らが見えていないかの様に、笑みすら浮かべた。
 数秒の後。
 漆黒の兜の下で、エストが笑みを収めた。
 視線を、飛竜へと向ける。
 
グァアアアアウウウウ

 人語を解したか分からない。
 だが、自分らを無視し、その後方へ向かおうとする人間へ、火竜はいたく機嫌を損ねた。
「二頭なら時間も掛からないかしらね」
言い終えた時、エストの身体は既に駆け始めていた。
 背に収めた二本の剣を、引き抜く。
 対する火竜もまた、応じる様に地面を蹴った。
 双方が駆ける。
 一人と二頭の距離は、間も無く縮まった。

グァアアアウ

 女子供、年寄りや病んだ者を、獣は狙う。
 彼らが弱いからだ。
 彼らが、組し易い相手であるからだ。
 弱い者程、狙われる。
 卑怯だとか冷酷だと言う事もできるが、それは鉄則なのだ。
 掟といっても良い。
「テア!!」
だから、駆け寄る二頭のリオレウスの内、体格の小さな方を狙ったのも、当然の事だった。

グゥアウ!?

 リオレウスが怯んだ。
 一匹の貧相な生物とのすれ違い様、足を冷たいものが切り裂いたのだ。
 おかしい。
 こんなに容易く、足が傷つくなど。
「イィヤ!!」
そんな逡巡が、リオレウスにとって何の益になろう。
 すれ違い様に火竜の足を切りつけたエストは、そのまま身体を回転させ、怯む火竜に二の太刀を浴びせる。
 足を傷つけられ、傾いた上体へ剣が襲い掛かった。
 斬撃と呼ぶには、あまりにも早い一撃。
 まるで衝撃波の様な、鋭い一撃が飛竜の翼に突き立つ。
「セッ!」
その剣に遅れ、もう一方の手に握られた二本目の剣が、翼に突き刺さった。
 頭上の翼に、握った二本の剣が潜り込んでいる。
 渾身の力を込め、身体を句の字に曲げる。
「ヤア!!」
振り下ろされた腕が、二本の剣ごと地面に降った。

絶叫

 翼に突きこまれていた剣が、翼を切断しながら引き抜かれたのだ。
 渾身の一振りは、翼の付けにある腱を切断した。
 火竜が、空の王者が地面の上で絶叫を上げる。
 なんという屈辱か。
 だが。
 そんなリオレウスの考える事など、エストに関わるものでは無いらしい。
 身を屈めてもがく火竜の反対側へ回り込んだエストは、他方の翼にも剣を切りつけた。

グゥアアアアアウゥゥウウウウ!!

 剣が、翼に飲み込まれた。
 と同時に、逆の手に握られた剣が、火竜の尾へも襲い掛かかる。
 ガチンという音と供に、剣が尾を噛んだ。
「デァヤ!!」
翼と尾に噛み合った両の剣を、胸元に引き付けるようにして振り下ろす。

悲鳴

 その時のリオレウスの鳴き声は、悲鳴であったと思う。
 翼と尾を同時に引きちぎられ、リオレウスは威嚇にならない唸り声を上げた。
 苦痛による、悲鳴を上げた。
 動かなくなった翼を不器用に揺らし、火竜が飛び上がる様にしてエストから逃れる。
「……」
闇と憎しみ、暴虐と破壊。
 忌避されるものの色を纏った、鎧。
 その忌避色の兜を通し、一瞬、人と火竜の瞳が交差する。
 憎悪と苦痛によって、血走った王者の瞳。
 宝石の様に美しい、紫色の瞳。
 何も言わず、エストが見詰め返す。
 数瞬後に閉ざされるであろう、それを。
 だからこそ、逸らさずに真っ直ぐ見詰める。
 既に身体は駆ける。
 いや、飛んだ。
 リオレウスの顔面に向け、身体が舞う。
 左の剣が角を水平に薙ぎ、右の剣が頭部を両断する。
 音の無い音と供に飛竜が倒れ、鮮血がエストに化粧を施した。

「次」

 朱にまみれたエストが、静かに振り返る。
 そこには、目前で同族を肉塊へ変貌させられた、もう一頭のリオレウスがいた。
 怒り。
 血液が沸騰するものならば、それは今のリオレウス以外に該当する者はいないだろう。
 火竜が口を大きく開けた。

一飲みにしてやる

 リオレウスが雄叫びを上げた。
 大きく口を開き、こちら目掛けて突進してくる。
 猛スピードで駆ける巨体。
 その先端に備えられた鋭い歯は、触れただけで人間など容易く千切ってしまう。
 堅固な甲殻に覆われた巨体にかすろうものなら、そこから肉がこそげ落ちるだろう。
 襲い来るリオレウスの身体は、死そのものの姿をしている。
 その前においては、すくみ上がり思考する事すら難しくなる。
 だが、身じろぎせず、エストはそれを見詰めた。
 近づいた巨体が影となり、俯瞰できぬ距離になる。
 殺気が、実感を伴う風となって襲い掛かる位置。
 一秒を待たず、死に抱きすくめられる距離。
 エストは身を屈め、小さく宙へ飛んだ。

ガキッ
 
 突風となったリオレウスが、脇をかすめた。
 多分、火竜はその瞬間を感じなかった。
 宙に浮いたエストは、すれ違い様に一本の剣を火竜の口に噛ませたのだ。
 駆ける飛竜と、地面へ落ちるエストの自重。
 その両方の勢いを駆って、彼女は剣を振り抜いた。
 柔らかな口内から、堅牢な外殻へ向けて。

カーァアアアハァアアアアアア

 声、音。
 気高き咆哮も、絶叫も。
 音としてしか発する事のできない哀れなリオレウスが、力の限りの叫び声を上げた。
 下顎を引きちぎられ、閉ざせなくなった口であった所。
 そこからは唾液と供に、不恰好な音が漏れている。
「……」
エストが、静かに火竜へ歩み寄った。
 かつて、破壊の限りを尽くした邪悪な漆黒の龍。
 その欠片をまとう彼女もまた、その力に取り込まれたのだろうか。
 だがそれは、怒りでも憎しみでもなく。
 哀れみでも悲しみでもなく。
 愛でも勇気でも無い。
 エストの振るう力は、色付けの無い純粋な力だった。
 ただ、自然の理に従うだけの、無色透明な力だった。

 リオレウスの上顎が吹き飛び、彼の生と苦しみに終止符が打たれた。
2006年05月17日(水) 02:23:15 Modified by orz26




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