Dragon's Sanctuary 第八話

作者:揚げ玉




Dragon's Sanctuary 第八話


キメラワイバーン

 新たに発見されたという飛竜に名づけられた、とりあえずの名である。ミナガルデの酒場は、その飛竜の話題で持ちきりとなった。
「飛竜同士を結合させたような生き物らしい……」
「ああ、頭が二つある化け物って聞いた」
「頭が二つ!? そんな奴がいるのか!?」
「人間が……作り出したって噂だ」
「人間!? 作り出しただ!?」
「ああ、ハンターが……エストって奴が創ったらしい……」
人が作り出したモンスター。その話を聞いた者は、誰もがそれに思いを至らせた。

竜大戦

 かつて人間が飛竜を操り、飛竜を創っていた時代。憧れをもってそれを思い出す者もいれば、忌避をもって思い出す者もいる。

鉄と火と、血と涙と、憎しみと傲慢の溢れた時代

 しかし、唯一人が竜を支配した時代でもある。未だその栄光を忘れる事が出来ず、その栄光を掘り返そうとする者もいる。だが。
「だがまぁ、なんともお誂え(あつらえ)な話じゃねぇか」
既に何杯目かになった杯を煽りながら、ヘクターが鼻で笑っている。彼の正面に座るアキは、その表情に込められた感情を読み取りそこなっていた。
「狩る対象に魅入られた女が、今度はそれを操って自分がその王になる」
あきれた様な、軽蔑したような瞳。
ヘクターの瞳は、エストという女の事を蔑み果てていた。
「いかにも素人小説家あたりがネタにしそうな話だ」
空になったグラスをカウンターへ掲げ、次の杯を催促する。机の上には幾つものグラスが並び、ヘクターの摂取したアルコールは、並みの者であったなら既に酔いつぶれるであろう量へ達していた。
「……」
ずしりと重くなった腰のポーチを一瞥すると、アキがそこから瞳を逸らした。
「竜操術というものがあると聞きます……。キメラワイバーンというモンスターも、それに関連したものなのでしょうか」
アキの瞳の姿に何かしらを感じ取りながら、しかしヘクターはそれに関しては何も尋ねなかった。
 代わりに、ヘクターはアキの言葉へ答えた。
「竜操術なんてもんはねぇよ」
「え?」
「あれは滅ぼした技術だ。今、この世界には存在していない」
「……滅ぼした?」
「アレは竜を操るだけじゃない。人の心も操る」
新たな杯が運ばれてきたところで、ヘクターはそれを口に付けた。
「生態系の頂点に立つモノ、リュウ。それを操る事は、人間の心に傲慢を生み出す」
「リュウを操った者は、徐々にその力に魅せられていくのさ」
淡々と語るヘクターの言葉は、だが奇妙な迫力を感じる。
 何故だろう。
 杯をあおりながら語るヘクターの様子とは裏腹に、息を出来ぬほどの圧迫を感じる。酒場の中の赤い灯火が、まるで世界を焼く炎のように見える。
 一体どうした事だろう。
 酒場の赤い光が身体を焼き、そして世界は業火の中に放り込まれた。
「アレは人には御せ無い力だ」
そこで話を止めたヘクターは、アキのグラスが空である事に気付いた。
 話を聞きながら喉の渇きを感じたらしいアキが、どうやら知らずの内にグラスに口をつけていたらしい。
「……竜騎の連中が躍起になってアレの復活を企んでたが……まぁ、無理だろうな」
アキのための新たなグラスを頼みながら、ヘクターが首を振って見せた。
 不意に訪れた解放感。
 アキは、ヘクターの言葉から何かが抜け落ちたのを感じた。
 先ほど自分を襲った、あの幻の様なものはもう存在しない。
 ヘクターは、自らの話にアキが耐えられないであろう事を知り、わざと話題を変えたのかもしれない。もっとも、彼女のために意図して話題を切り返したのかと、彼に尋ねれば本人は笑って否定するだろうが。
「竜騎……凄腕のハンターたちと聞きます」
「ハンターっていうよりは、傭兵だな、あれは。副業でハンターをやってる」
「全員が揃いの槍を持っててな。まぁ、その辺は知ってるだろう? 有名な連中だしな」
「貴方は詳しいのですか? ヘクターさん」
新たなグラスが運ばれてくる。不思議と喉の渇きは無く、もうそれを口に付ける気は起こらなかった。
 炎の海に放り込まれたような、そんな感触だった。ヘクターの言葉は、まるで世界を紅蓮の中に突き落としたようだった。
 何故だろう。
 まるで、ヘクターが竜操術の恐ろしさを身をもって知っているかの様でもある。
「一回、誘われた事があったからな。まぁ、即答だったが」
揶揄するようなその口ぶりは、ヘクターがその誘いを断ったのであろう事を示していた。
 竜騎といえば、ハンターらの中でも特に有能なものにしか勧誘の声はかけないという。ヘクターはそれをすげも無く断ったらしい。
「ヘクター、ちょっと」
いつの間にか空になったヘクターのグラスのために、再び次のものが運ばれてきたのかと思った時である。
 だが訪れたのは酒場内を巡回しているメイド姿の店員ではなく、カウンターで受付業務を行なっている女性だった。
「なんだよ」
少し行ってくる、掌を泳がせてそう合図すると、ヘクターが席を立った。
 一人きりになったテーブルの上で、アキは不意にポーチの重さを思い出す。

「殺人鬼」
「狂人」
「破壊者」
「痴れ者」

 エストというハンターへの呼び名である。今や、彼女の名前はハンターの間で知らぬ者は無いのだった。

「……」

「よぅ、待たせたな」
ヘクターが座席に戻ったのは程なくしてである。
 もっとも、それはアキにとっては酷く長く感じられる時間であった。
「……いえ」
「……はぁん?」
またしてもアキの様子から何かを感じながらも、ヘクターは鼻に声を抜かせただけであった。
 それは万事におけるヘクターの姿勢であるといえた。
 周囲がその印象から抱くほど、ヘクターは粗野でも野蛮でも無い。それどころか一度でも彼と会話をした事のある者であれば、彼が驚くほど博識であり、諸学に通じている事に気が付くであろう。また、彼は酷く他人の心の機微に敏感であり、他人の微かな仕草から驚くほど多くの事を読み取っていた。
 だが、ヘクターがそれを何事かに用いる事は無かった。自らの知識も、その洞察力も、彼にとっては路傍の石程度の価値でしかないようである。彼にとっては、自らの愉しみ以外の事はさした価値が無いのである。
「これから狩りに行くが、アキもどうだ?」
ヘクターは一枚の紙切れを手にしていた。それを机の上に置き、アキの目の前に示す。
「これは……?」
キメラワイバーンの調査・確認・討伐。
 ヘクターの握っていた依頼書の内容である。ハンターらがクエストを成功させた際、これと同種の紙を掲示板から引き剥がすのであった。そこでハンターズギルドとハンターらで交わされた依頼は達成された事となり、それが確認され次第、報酬が支払われる。
 ヘクターのもっている紙は未だ達成は愚か、張り出しすらされていない依頼書であった。傷の付いていない紙が、掲示板に張り出されていたものでは無い事を示している。
「ベッキーから直接の依頼だ。面倒だが……」
そこで席に着いたヘクターが、一度深いため息を吐き出した。
「断ると更に面倒な事になりそうだからな。受けることにした」
ふと見ると、カウンター越しに鋭い視線を投げ掛けてくる人物がいる。先ほどヘクターを呼びに来た女性、ハンターズギルドの受付嬢ベッキーであった。
「今から行くが、アキもどうだ?」
ハンターであれば飛びつきたくなるような話であった。先のカノンの反応が示す通り、ハンターにとっては、見た事の無い飛竜と戦うというのは大変な好機なのである。
 新種のモンスターを狩ったという名誉。
 そして何より、そのモンスターの身体から剥ぎ取った種々の素材。
 そこから作られる見たことも無い武具。
 それはさぞ他のハンターらへ自慢できるものであろう。
「え、ええ……」
だが、今のアキはそんな気分ではなかった。
 何より、気になることがあるのだ。
 この二年間、ミナガルデを離れていたアキは、そのためにこの土地へ戻ってきたといっても過言では無い。彼女の頭の中は、新種の飛竜などに関心を払う余裕は無かった。
「何を悩んでるのか知らねぇが、やれる事が無いなら、そういう時は悩むだけ無駄ってもんだぜ?」
「……」
「さぁ、用意しろ。今すぐ行くぞ」

密林
この土地には色々と思い出がある
始めてあの人に出会ったのも、この土地であった
おもえば昔の仲間達と最も狩りに出たのも、この土地であった
何も知らぬ幸せな少女時代を過ごしたのは、この土地だったかもしれない

 生き物たちの雑踏が密林を揺れ動かしている。湿気を含んだ空気は、不思議と安心感と、そして胸騒ぎを運んでくる。暖かく包まれるようでありながら、一方で不吉な何事かの胎動のようにも感じるのだ。
「一つの事象には対極の捉え方がある。それをどちらで捉えるかは、当人の心理状態次第だ。現実はそこにあって、何も変わらないのにな?」
密林の中を草木を分け入って突き進む。
「……え?」
まるで心の中を見透かされた様な事が、突然ヘクターの口から告げられる。
「そんな事考えてなかったか? そう見えたからな。違ってたらすまん」
一度だけこちらを振り返ると、草木を小剣で切り倒しながら先行するヘクターが再び前を向いた。
「……はい。……あ、ああ、いえ、気にしないでください」
狩りに出ているというのに、自分は何故こんな事を考えているのだろうか。
 自分の成すべき事に集中しなければ。
 アキは首を振って、頭の中から不要なものを掻き出そうとした。
「えぇと、そう! かわった剣を持ってますね!? 始めて見ました」
あまりにも強引に話題を作ろうとするアキの様子に苦笑しながらも、ヘクターが後ろを向く。
「別に無理にそんな事言わねぇでも、もう聞かねぇよ」
「……んで、まぁ、これか」
ヘクターが音を立てて背中の剣を引き抜く。人の背よりも長いそれは、巨大な板の様なたたずまいを見せている。
 ヴォン。
 ヘクターが大剣を軽々と一閃させて見せる。
 奇怪な音を立てたそれは、磨耗音を発しながら宙を切った。電気と空気の擦れ合う音。それは放電という形をとる。
 ヘクターの持つ剣は、空気とこすれあうたびに低い放電音を放った。
「イシリアルエッジ。ディグと狩りに出たんだろ? あいつも同じの持ってたろ」
「あ……」
アキは思い出していた。思い出した場面があまりに印象的なものであったため、ディグニティの剣を思い出すのに数瞬を要した。
 アキが思い出したのはグラビモスの頭だった。
 次いで思い出したのが、それに突き刺されていた剣である。
 ディグニティがグラビモスの頭部を突き刺していた巨大な剣。あれは確かに電気を放ち、不気味な音を大気に振りまいていた。その姿も、確かに言われて見ればこのような形をしていた気がする。
「エンシェントサーペントの髭と堅殻を組み合わせて作ったもんだ。この辺じゃ作れねぇから、珍しいかもな」
「エンシェントサーペント……?」
聞いた事すらない、その名前。果たしてそれがどのようなモンスターであるのかすら、見当が付かない。
 だがヘクターはそれ以上の説明をしようとはせず、アキもまた尋ねようとはしなかった。
「噂じゃこの辺りのはずなんだが……」
密林が静けさを風に乗せて運んでくる。
 先ほどの様な、生き物達の息吹が鳴りを潜めている。対して、聞こえてくるのはガサガサという草木の擦れる音だった。音は静まる辺りに反比例して大きく、そして数を増やしていく。
 周囲を囲むようにして迫る複数の音は、確実にこちらを意識して動いている様だった。
「来ましたね……」
「前座としてはこんなもんか……」
呆れがちに口を開いたヘクターが、背中にあった剣を再び引き抜いて見せた。
 剣は、相変わらず不気味な音を立て、集まって来た周囲の音へ牽制を発する。
 周囲の音。
 それは影を結んで、持ち主達の姿を示した。
 イーオス。
 イーオスとは小型のモンスターの事であり、同じく小型のモンスターであるランポスの近種でもある。体色は赤く、 その所々には毒々しい黒点を備えている。二本足で走行し、驚異的な跳躍力を誇るという身体的特徴はランポスに似ているものの、この特徴的な体色から、ランポスと見間違う事は無い。
「イーオスの吐き出す毒液には注意しろ。飛竜の程酷ぇ事にはならねぇが……気持ちの良いものじゃない」
既に姿を現したイーオスたちは、ヘクターとアキの周囲を取り囲み、盛んに威嚇の泣き声を上げている。
「ええ、私も毒液を浴びるのには懲りているから」
そう言って微笑むアキもまた、左の手に剣を引き抜き、右手の盾を周囲のイーオスへ向けている。
「はぁん?」
意味深げなアキの笑みに一瞥を送りながら、ヘクターが一度剣を構えなおした。
「まぁ、さっさと片付ける事にするか」
その語尾を発する頃には、ヘクターが地面を蹴って飛び出していた。
 目前に迫る赤い影。
 疾風のように突進したヘクターは、イーオス目掛けて巨大な剣を振り下ろした。鈍い音が空を切り、不気味な音がイーオスの全身を駆け巡る。
 次いだ瞬間、赤いモンスターは真っ二つにされていた。
 開きになったイーオスの体は、その断面が真っ黒に焼け焦げ、流れ出る血は止まっている。肉は瞬時に焼け、断面の形すらも変えていた。
 独特な熱の伝わり方は、単純な炎によるものではなく、凄まじい電撃によるものである。
「さてと」
一匹目のイーオスを二等分する事が、ヘクターにとって楽曲の開始であるかの様だった。
 赤いモンスターを貫いて大地に突き刺さった剣は、宙に浮き上がらされた途端、ヘクターの周囲に孤を描いた。孤は 外周に触れたイーオスを易々切り裂いて、彼を囲う円を完成させる。
 最も切れ味の優れる剣の先端は、同時に二頭のモンスターを易々と切り裂き、なおかつ激しい電流を流し込んでいた。

ギュワッ

 二頭が切り裂かれ、電流によって黒く焦げ付いた頃。
 ヘクターの頭上には一つの影が降り注いでいた。
 円を描いて振り抜かれた剣に隙を見たイーオスが、ヘクターの頭上目掛けて飛び掛ったのである。
 だが。
 それは単に四つ目の炭が出来上るだけの事であった。
 口内に収まるはずの眼下の獲物は、いつの間にか冷たい刀身に取って代わっていた。肉に噛み付いたはずのイーオスは、剣を噛まされ、そこから二つに裂けて焦げた。
 四頭が五頭。
 五頭が六頭。
 炭が増えるのに時間は掛からない。
 次々に襲い掛かるイーオスは、次々に切られ、引き裂かれていく。

宙に飛んだヘクターが、モンスターへ大剣を叩きつける
その剣はヘクターの着地と同時に水平の位置で留められ、突如前方へ突き出され、次のモンスターを貫く
獲物の体内に差し込まれた剣は、モンスターの肉を四散させながら振りぬかれる
勢いを得た剣は次の目標へ炸裂し、モンスターを爆散させた

 流れるような動作。
 だが、それらの一つ一つはあらゆる武器を扱う上での動作を応用したものである。
 剣・槍・大剣・槌。
 ハンターの扱う、およそ全ての武器に精通しなければ出来ない動作であった。
 それは舞い。
 舞踊という響きの持つ美しさでなく、舞うという原始的な行為。
 アキは、ある姿をヘクターに写し合わせていた。
 包むような、吹き付けるようなあの剣技を流水に例えるなら、ヘクターの動きは濁流のそれである。激しく強く、近寄るもの全てを飲み込み、押し流してゆく。それは妨げるものを粉砕し、粉々にする。

粗野にして流麗
豪胆にして華麗

 その研鑽された動作は輝くダイヤのようでありながら、しかし未だ完成を見ぬ原石のようである。
 そう、この原石は自らが原石である事を知っているのだろう。最後の一磨きを何処へ刻み込むか。それをすれば自らが完成する事を知りながら、未だそれをせず、その事を愉しんでいるかの様だった。なんとも野心的なダイヤの原石である。

 木々の木漏れ日を浴びて力強く舞い踊るヘクターは、まるで神が拠り代にしたモノであるかの様に美しく、神々しくすらあった。
 硝子の様に繊細で透明な美ではなく、叩いても打っても、決して揺らぐ事のない躍動する力強き美である。
「ゼェェェ……ア!」
アキが何度目かの固唾を呑んだ時、絶頂を極めたヘクターの舞は終局に至った。
辺りに血肉の敷物を完成させて。
「こんなもんか」
その言葉には、何らかの達成感も感慨も無い。当たり前の事を当たり前にこなした。ヘクターの言葉は、淡々とその事を告げている。
「さて、そのキメラ君とやらをさっさと探しちまおうか」
あっけに取られるアキを一瞥だけし、ヘクターは歩き始めた。
 
なんという事であろうか
これでは
これではまるで

アキはかつて感じたものを、今一度感じていた

これまで存在していた世界の崩壊

最高と思っていたものは、頂(いただき)でもなんでもなく、ただの通過点であったのか
これでは、彼女すら及ばないのでは無いだろうか
頂にあると感じていた彼女すら、突然出会ったこの男には

「おい、さっさと行かねぇと集まってくるモンスターの餌になるぞ」
だが、それらもヘクターは易々と切り刻むのだろう。何の危機感も無い声で、彼は飄々と言ってのけた。
「……え、ええ……」
密林の木々から蒸散される水分は霧のようにアキを包み、体を覆う蒸し暑さは、今しがたの光景を白昼夢のようにかき消した。
 鼻を突く血の臭いと、視界を埋め尽くす赤さだけをアキの瞳に焼き付けながら。
2005年10月22日(土) 17:58:56 Modified by orz26




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